不夜島の少年~兵士と高級男娼の七日間~

四葉 翠花

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01.不夜島

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「これはいったい、何の冗談なんだろう……」

 アデルジェスが思わず漏らした言葉は、誰に聞かれることもなく立ち消え、穏やかな潮風が頬をくすぐる。
 まるで笑い声のような海鳥の声が頭上で響き、思わず見上げてみれば強い太陽の日差しに目が眩む。
 水色の目を細めながら、アデルジェスは短い茶色の髪をかき上げた。

 船首に白鳥の彫刻が施された優雅な船に揺られる人々はどこか浮き足立っており、誰もが良い身なりをしていた。
 見回してみれば若者から老年に差し掛かった者まで、様々な年齢の人々がいる。大半は男性だが、ヴェールに身を包んだ女性らしき姿もちらほらと見えた。
 ただ、アデルジェスのように、いかにも普通の平民でございますといった姿は見当たらない。
 周囲は貴族や裕福な人々で、体格だけが良い一介の兵士にすぎないアデルジェスは、紛れ込んでしまった異物のようだ。

 アデルジェスはそっとため息を漏らす。
 周囲の人々に馴染めないだけではなく、行き先も気が重い。

 『不夜島』と呼ばれる小さな島、それがこの船の行き先だ。
 半日もかからずに周囲を一周できるほどの広さしかない島なのだが、数千人の住人がおり、常に賑わっている。
 特に夜は島全体に明かりが煌々と灯され、離れた陸地からでも一際輝いて見えるという。眠らぬ島、夜を知らぬ島として、不夜島という呼び名が付いた。
 住人の多くは娼婦や男娼。
 外界から隔離された巨大な高級娼館、それが不夜島と呼ばれる島だった。

 本来、アデルジェスが足を踏み入れることができるような場所ではない。
 しかし、とある偶然によって功績を立てたことによって、褒美として与えられることとなった。

「北西の国境近くで小競り合いがあったそうですね」

「そのようですね。何でもグリンモルド伯のご子息が危なかったところを一人の勇敢な兵士が救ったとか」

「ああ、聞きましたよ。深入りしてしまったご子息が孤立し、あわやというところで崖を駆け下りて兵士が現れ、数多の敵兵たちをなぎ倒したそうですね。その働きぶりは、まるで鬼神が乗り移っていたようだとか」

「そのような勇敢な兵士、ぜひ我が領地の兵にも欲しいものです」

「いや、まったく」

 ちょうどそこに、貴族らしき壮年男性たちの会話が聞こえてきて、アデルジェスは頭を抱える。
 話に盛大な尾ひれがついていると叫びたくなるが、こらえた。
 この話の勇敢な兵士とは、アデルジェスのことなのだ。
 しかし彼らの言っているような格好良いものではない。崖は駆け下りたのではなく転げ落ちたのだし、敵は一人だった。しかもなぎ倒したというより、ぶつかって弾き飛ばしたというのが正しい。
 ご子息だって救おうとしたわけではなく、たまたまだ。偶然が重なった出来事に過ぎない。

 それなのに、成り行きで救った形になったご子息はいたく感激してしまった。
 過剰すぎるほどに美化されて話が伝わり、跡取り息子をよくぞ救ってくれたとグリンモルド伯爵も喜んだ。
 その結果が昇進と、不夜島への通行手形という褒賞だ。

 同僚たちにはとてもうらやましがられたが、アデルジェスの心は重たかった。
 アデルジェスは幼い頃、初恋の女の子が娼館に売られていったことがある。その出来事が未だに影を落とし、思い出すだけで胸が締め付けられるのだ。
 褒美を断ることもできずに流されてしまったが、本当は今すぐ帰りたい。

 ところが、船は順調に進み、やがて船着き場が間近に迫ってくる。
 船着場では作業員たちが忙しく働いているようだったが、一人だけ異質な存在が立っていた。
 遠目にもわかる見事な黄金色の髪が風になびいている。時折風が強くなるのか、細い肢体に纏った薄紅色の衣が風に煽られて翻るのがなまめかしい。
 船が近づいていくと、その姿は少年らしいことがわかってきた。
 素晴らしく整った顔立ちの少年だった。瞳の色は緑で、目の縁をそれよりもやや濃い緑色で彩っている。きつい眼差しだ。

「あ……」

 アデルジェスはその少年と目が合った。
 少年は、まるで値踏みするようにアデルジェスを見つめてくる。全身をゆっくり上から下まで眺めると、少年はわずかに目を細めて唇の端を軽く吊り上げた。
 思わず背筋がぞくりとした。だが同時に身体の奥に熱がこもり、怯みながらもアデルジェスは少年から目が離せなかった。
 まるで甘い蜜で獲物を誘い込み捕食してしまう食虫花、あるいは危険と知りつつも触れずにはいられない妖艶な毒花のようだった。
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