うぅあおん…

くろ

文字の大きさ
3 / 10

気になる男性客

しおりを挟む
私の働いている喫茶店は「コネダ珈琲店」と言って、全国にチェーン展開している、割と有名なお店です。
2人掛け以上の席が多いためか、地域性なのかわかりませんが、家族連れや友達連れで来るお客さんが多いです。
1人掛け用の席も一応あります。
窓に面した長テーブルで、横に並んで5人まで座ることができます。
私の地域のコネダでは、この長テーブルを利用するお客さんはあまりいません。
その、あまり利用されない長テーブルを、毎週日曜日の朝10時ぐらいになると必ず利用する1人の男性客がいます。

彼の年齢は30代ぐらい。少し小柄で痩せ型。服装はだいたいいつも同じパーカー。中ほどまで伸びたストレートの黒髪。眼を合わせようとするとすぐに逸らされるので、あまり顔は見ないようにしています。その為、顔の印象はあまりハッキリと思い出せません。
これといって個性のない、地味な全体像なのですが、いつも少しだけ寝癖を立てていて、それがこちらの興味をそそります。
今日も寝癖を立てたままで入店した彼は、いつもの長テーブルに着席しました。

水を持って注文を聞きに行くと、テーブルの上に、これから読む予定であろう本を置いて、今はスマホをいじっていました。
「ご注文の方はお決まりでしょうか?」
「モーニングとブレンドコーヒーで」
「かしこまりました」
毎度のやり取りです。
彼は、必ず、こちらを見ない用事を作って注文をします。今日はスマホをいじっていて、先週は、メニュー表を見ながら、やはりいつものモーニングとブレンドコーヒーを頼むのでした。

その、いつものモーニングとブレンドコーヒーを持って席に向かおうとすると、彼が本を読み始めているのが遠目でわかりました。
近くまで行ったときに、別に覗くつもりはなかったのですが、本の中身が少し目に入ってしまいました。

びっくりしました。見覚えのある中身でした。
『THA雑談』というその本は、会話を中心としたコミュニケーションスキルの向上を目的とした、いわゆる自己啓発本で、口下手をコンプレックスとする私は、何回も読んだ本でした。

私の気配に気づいた彼は、開いた本のページにしおりを挟んで閉じ、頼んだものがテーブルに置かれるのを待ち「ご注文はお揃いでしょうか?」という問いに会釈だけで答えるのでした。

彼がしおりを挟んだページは中盤以降でした。読みやすい本なので、多分ここで全部読んで帰るんだろうなと思った瞬間、なぜか、後半以降のあるページの内容を思い出したい衝動に駆られました。
しかし、中々思い出せません。確か8章の…と、思い出しかけた時、団体のお客さんが入店し、対応に追われ、本のことは頭から離れてしまいました。

それから1時間程すると、彼が本をしまい、帰り支度を始めました。
反射的にレジに立つと、彼を意識したことでまた本の内容が気になり出しました。
彼がレジに近づく。なぜかドキドキします。レジで対面した時、そのドキドキの正体がわかりました。本の内容を思い出したからです。
お会計を終えると、いつもは無言で会釈だけをして店を後にする彼が、今日は少しぎこちなく「ごちそうさまでした」と眼を見て言ってきました。

彼が『THA雑談』の
『第8章 雑談トレーニング~その2、お会計の時に店員さんと一言話す』
を読んだことを私は確信しました。
そして、彼の歯並びが意外と整っていたということを、この時初めて知ったのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

処理中です...