霊和怪異譚 野花と野薔薇

野花マリオ

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野薔薇怪異談集全100話

70話「ブラックバスデー」

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 1.お祝いなんてもういらない

 私は、世界を呪った。

 誰もが裏切った。
 友人も、同僚も、親族でさえも――私を見捨てた。
 ある詐欺まがいの投資話に騙され、私は一文無しになったのだ。

 人間関係も、仕事も、信用も、すべてを失った。

 「生きる意味って、なんだっけ……」

 部屋に差し込む夕暮れの光は、私の影を壁に長く伸ばしていた。
 しんと静まりかえったアパートの一室。
 心の内側まで冷たくなっていくような気がした。

 そんなとき――

 どこからともなく、歌声が聞こえてきた。

 

 2.あの声が呼ぶ

「ハッピーバースデー トゥーユー♪
 ハッピーバースデー トゥーユー♪
 ハッピーバースデー……〇〇さん♪
 ハッピーバースデー トゥーユー♪」

 ……え?

 私は動けなくなった。

 スピーカーでもラジオでもない。
 耳元で囁くような生の声だった。

 “〇〇さん”という部分には、確かに私の名前が歌われていた。

 「……あなた、私の誕生日を……?」

 ふと部屋の隅に、人影があった。

 痩せた女性が、淡いワンピース姿で立っていた。
 顔ははっきり見えない。が、不思議と怖くなかった。

 「そうよ。今日があなたの特別な日でしょ?
 一人じゃ寂しいでしょ?……さあ、こっちへ来て」

 私は、無意識に立ち上がっていた。

 

 3.バスが迎えに来る

 部屋のドアが開いていた。
 ドアの先には夜の闇、そして――黒塗りのバス。

 それは、住宅街のど真ん中には不釣り合いなほど古びた観光バスだった。
 ヘッドライトは灯らず、エンジン音もしていない。
 ただ静かに、私の前に停まっていた。

 「さぁ、乗って。みんな待ってるの」

 彼女の声に導かれるまま、私はバスのステップを登る。

 中は薄暗く、車内の座席には無数の乗客が座っていた。

 全員が骨と皮ばかりの人間だった。
 いや、違う。
 まるで、ミイラのように干からびて、顔も服も、ほとんど原形をとどめていない。

 だけど彼らはみな、笑っていた。
 誰ひとり動かないまま、口だけが、笑っていた。

 

 4.祝福と、終着点

 車内のスピーカーから、またあの歌が流れる。

 「ハッピーバースデー トゥーユー……♪」

 乗客たちの乾いた声が、合唱のように重なる。

 私は、涙が出そうだった。
 ようやく誰かが、私を祝ってくれた。
 今日という日が、ただの絶望で終わらなかった。

 「ありがとう……」

 歌に合わせて、私も口ずさむ。

 バスは音もなく動き出し、闇の中を進む。

 行き先の表示板には、何も映っていない。
 だが、私にはわかる。

 ――戻れない場所へ向かっているのだと。

 

 5.翌朝

 翌朝、私のアパートの前に小さな子どもが立っていた。

 彼は、道端に落ちている古いバースデーカードを拾い、裏をめくった。

 そこには、こう書かれていた。

 《ようこそ、“バースデー”の世界へ。
 あなたの居場所は、ここにあります。》

 子どもは首をかしげながら、カードをゴミ箱に投げ捨てた。

 その瞬間――

 遠くで、バスのクラクションの音が鳴った。

 それはまるで、次の「お誕生日」を迎える人を、迎えに来る音のようだった。

 

 ⸻

 ブラックバスデー 完
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