霊和怪異譚 野花と野薔薇Ⅱ〜エイエン語り〜

野花マリオ

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蜂黒須怪異談∞X∞

0046話「触る髪は祟りアリですか?」

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 一

 ――鐘技高校二年三組、その中心に君臨する“髪の女王”がいた。

 鬼村星華(おにむら・せいか)。漆黒のロングヘアは、たとえ廊下を歩くだけでも、周囲の視線を一掃する磁場を持っていた。学年一位の美貌にして、誰もが黙るカーストトップ。だがその彼女には、誰にも言えない“悩み”があった。

 「……なんで、あたしの髪だけこんなに乾くの?」

 放課後の鏡前。星華は、光にかざした自分の髪を握りしめた。見た目は艶やかだが、指通りはごわつき、毛先が白くパサついていた。ドライヤーもブラシも最上級品。美容室には月二で通っている。それでも、この手触りだけは誤魔化せなかった。

 「ねえ、鬼村さん。髪のことで悩んでるなら、これ……試してみる?」

 ふと背後から、クラスの女子のひとり、三宅遥が声をかけてきた。彼女は決して目立つ存在ではないが、どこか不気味な落ち着きを持っていた。

 「これ、先輩からもらったんだけど、マジですごいの。夜塗るだけで、翌朝、指がスルッてなるから」

 差し出されたのは、ラベルのない瓶に入ったツヤ出しクリーム。半透明のジェルが小瓶の中で静かに光を帯びていた。

 「……どこで売ってるの、これ?」

 「売ってないよ。市販じゃないもん。あたしの知り合いのお婆ちゃんが作ってるやつ。成分は、まあ……自然なやつ。ちょっと虫が寄ってくることもあるけど」

 星華はその一言を軽く笑って受け流した。

 虫なんて、夜は部屋を閉め切っていれば入らない。何より髪のツヤを取り戻せるなら、それでいい。

 二

 次の日。

 朝の教室に入った鬼村星華は、すべての視線を一瞬で奪った。

 「うわ……なにそれ、サラッサラじゃん!」

 「やば、CMのモデルみたい」

 「てか、昨日のパサつきはどこいったの……?」

 絶賛だった。明らかに髪質が変わっていた。指先で梳くたび、光がその軌道に沿って波打つように揺れた。

 ――星華は、勝った。

 彼女のなかでそう確信する音が鳴った。カーストの女王としての地位は、もはや誰にも揺るがせない。

 だが、その夜から“それ”は始まった。

 ベッドの中でうとうとと眠りに落ちようとした瞬間、襟足あたりに――チクッ。

 「……え?」

 左耳の後ろ――チクチク、ゾワッ。

 「いや、なにこれ……っ!」

 慌てて照明をつけて鏡を見る。髪のなかから、数匹の小さな――蟻が這い出していた。

 三

 蟻だった。

 普通の黒蟻。けれど、異常なことに、それが毎晩、星華の髪を伝って現れるようになった。

 「え、やばくない? 虫わいたの?」

 「家が汚いんじゃないの?」

 さすがの星華も登校すれば、周囲の反応が気になる。何より、毎朝起きると髪のなかに――蟻。昨日は10匹、今日は20匹。鏡台の周りには、小さな死骸の山。

 さらに、頭皮に湿疹が現れはじめた。

 皮膚科に行くと、医師は「ストレス性の接触性皮膚炎かもしれませんね」と言ったが、処方された薬は効かない。掻けば掻くほど、皮膚は赤く腫れ、頭皮からは時折、薄黒い膿のようなものが滲むようになった。

 「髪を、触らないで……!」

 悲鳴をあげたのは、一週間後の授業中だった。

 星華は突然教室の真ん中で椅子を倒し、叫んだ。彼女の髪の隙間から、数十匹の蟻が、まるで湧き出るように這い出していたのだ。

 そして、彼女はそのまま倒れ、救急車で搬送された。

 四

 数日後。鐘技高校二年三組では、星華の不在が話題になっていた。

 「結局、入院したんでしょ?」

 「なんかさ、虫が脳に巣作ったって噂もあるよ?」

 「ヤバすぎ。てか、あのクリームまだ使ってる子いる?」

 そんななか、クラスメイトの鐘技友紀、安良田恵、そして数名の女子が病院を訪れた。

 星華は個室にいた。意外にも元気そうに見えた。

 「久しぶりじゃん。なんか普通に元気そうじゃん、星華」

 「……まあね。ちょっとだけ、大袈裟に騒ぎすぎたのかも」

 それでも、星華の表情はどこかぎこちなく、顔色は土気色だった。やけに顔を触らないようにしている。動きが全体的に不自然だった。

 「ねぇ、星華……それ……鼻の穴、なんか詰まってない?」

 そう気づいたのは、安良田だった。鼻の穴と耳の穴に、異様なほど綿が詰められていた。だがそれは綿ではなかった。

 ――ぞろっ。

 耳の中から、黒い蟻の塊が一匹、這い出した。

 「……ぎゃああああああっ!!!」

 星華は、その瞬間、力を失った。

 椅子から崩れ落ちた彼女の体。白い病衣の隙間から、指先、脇腹、耳、鼻、口――すべての穴という穴から、無数の蟻が這い出した。

 顔面を覆い尽くす。胸元を登る。全身が、黒い動きの塊と化した。

 「なにこれ……星華……これ、何が……」

 誰も動けなかった。ただ、蟻の音――地を這う、小さな足音だけが、病室に鳴り響いていた。

 五

 その後。

 鬼村星華は姿を消した。病院は「過剰なストレスによる自律神経失調症」として処理し、詳細は伏せられた。だが、それ以来、鐘技高校では一つの噂が広がるようになった。

 「ツヤ出しクリームに手を出した者には、蟻が祟る」

 それは美を求めた代償か。

 それとも、髪に触れてはならぬ“何か”を封じたものだったのか。

 今でも、星華の席の近くでは、たまに、蟻が一匹、黒板を這っているのを見かけるという――。

 触る髪は祟りアリですか? 完
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