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「ねぇユーリ、食堂の場所と時間なんだけれど……」
「お腹空いた? はい、あーん」
「んむっ」
答える前にチョコレートを唇に押し当て られたので、溶けないよう慌てて口を開く。舌の上でとろけるとふんわりカカオの香りが広がり、美味しい。ビターって言っていたのに苦味があまりなく、食べやすいかも……。
ユーリと視線が合うと、もう一粒食べるかと聞かれたので首を横に振る。
「ありがとう。でもチョコレートはもういいよ」
「好みの味じゃなかったか?」
「ううん、予想してたより甘くて美味しかったよ。そうじゃなくて、案内の続きがしたかったんだ」
「食堂の案内はまだ必要ないな。後で一緒に行けば良いだろ?」
「それはそうだけれど……僕とだけ喋っていても記憶は戻らないと思うよ。せっかくだから色々な人とお話して、食事してみたらどうかな。記憶が刺激されて、何か思い出すキッカケになるかも」
「俺はイネスと二人きりで食べたい」
ユーリは露骨に嫌そうな表情に変わり、僕のお腹に回した腕に力を入れた。手加減はしてくれているんだろうけれど、圧迫されて少し苦しい。
そういえば、僕は今、ユーリの膝の上に座っているんだった。
「うっ……苦しいよ、ユーリ。手を離して。それと、膝じゃなくてソファにも座らせて?」
「俺も、いーちゃんに突き放されて胸が苦しい。救護の先生も俺が記憶を失ってる間、世話を頼むって言ってただろ。だから、離れないでずっと傍にいてくれ」
「んん?」
マチュア先生にそんなこと言われたっけ? エールは送られたけれど、ルベルやユーリとのやり取りを見ていた所為で、聞き逃してしまったのかな。
「えっと……ごめん。僕、先生の話ちゃんと聞いてなかったかも。なんて言ってた? それと今ある記憶についてや、いつ頃戻りそうかとか、そういう話も聞きたいな」
「他の奴等と一緒にいろとは、もう言わないか?」
「うっ、うーん……」
やっぱり記憶がないとユーリでも不安になるんだ。……それはそうか。目を覚ましたら知らない場所で、知らない人達に囲まれいたんだから。知ってるのは僕だけだったもんね。いきなりルベルたちに任せようとしたのは、急過ぎて良くなかったかも。ユーリが今の環境に慣れてきたら少しずつ離れて、他の人に任せよう。
「分かった、ユーリが慣れるまでは言わないようにする」
「…………あぁ」
「それで……先生は僕にユーリの傍で世話して欲しいと言ってたんだっけ?」
「そういう相談をしていた」
「そっかぁ、先生が伝える前に教室に向かっちゃったから……。大切なことなのに、聞き逃しててごめんね。ちなみに今、ユーリが覚えていることは?」
「イネスのことだけは絶対忘れない」
「本当? えぇと、じゃあ……僕が今朝言ったことは……覚えてる?」
「何か約束でもしていたのか?」
今朝のことを覚えているのかと緊張したけれど、ユーリが首を傾げる姿に肩の力が抜けた。冷静に考えれば、嫌いな相手への接し方ではないもんね。だとしたら覚えているのは五年前辺りとかかな。
「ううん、約束はしてなかったよ。……それにしてもよく一目で僕のこと分かったね。五年前よりは背が伸びて、少し大人っぽくなったとは思うんだけれど」
「……五年前?」
「あれ、違うの?」
僕の疑問にユーリは考える素振りをする。五年前じゃなくてもっと前だったのかな?
「さぁ。でも……いーちゃんは昔から変わらないからな」
「それって成長してな……いや、聞かないでおく。身長……本当に伸びたのになぁ」
「あぁ、ちょうど俺の腕の中に収まって、抱き締めやすい」
「なっ……!」
それは真面目な顔して言うことじゃないよ。そういえばさっきから頼んでいるのに僕を離そうとしないことに気付いた。
話題が変わったから流されてしまったのかもしれないし、もう一度言おう。
ユーリの腕をぽんぽんと軽く叩いて、離してもらうようアピールする。
「そろそろソファにちゃんと座りたいな」
「ソファには座ってるだろ?」
「違うよ。今座ってるのはユーリの膝の上だから」
「でも、いーちゃんのお尻が冷えないようにしないとだろ?」
「そう思うならズボンも貸してくれたら良かったのに!」
「それはダメだ。彼シャツはオタクの夢だと言っていたからな」
「…………?」
意味は分からないけれど、離す気がないことだけは分かった。わざとらしく大きな溜め息を吐いてみたが、ユーリは微笑を浮かべたまま腕に力を込めた。
うーん、ハッキリと言ってはくれなかったけれど、僕のことも所々しか記憶がないのかな。その所為で何かを抱っこしていないと不安で落ち着かないのかもしれない。仕方ない、もう少し我慢しよう。話が終わったらトイレを借りるフリをして、離れればいいか。
「えっと、記憶はどれくらいで戻りそう?」
「さぁ。長いかもしれないし短いかもしれない。マチュア先生には暫く様子見すると言われたが、何かの拍子で戻る場合もあるだろうな」
「やっぱり期間とかは分からないか……」
「そんなに心配するな。俺は記憶なんか戻らなくとも、別に問題ない」
「えっ。問題はあると思うけれど……」
「どうして? イネスは今の俺より、前の方が好きなのか?」
「それは……」
勿論、名前を呼んで笑いかけてくれる今の方が好き。だけど、僕がそう思っていても意味がない。大事なのはユーリの態度に傷付く人がいるということ。
「でも……早くユーリの記憶が戻れば、ルベルは喜ぶと思うよ」
「は? 誰だそれ」
途端に機嫌が悪くなった。冷ややかな表情と非難するような眼差しが、記憶を失くす前のユーリを彷彿とさせ、胸がつきりと痛くなる。
ううん、勘違いしちゃいけない。今の甘い態度がおかしいだけで、ユーリは僕のことが嫌いなんだから。僕もユーリのことはもう好きじゃないから、傷付く必要はないんだ。
「医務室の前で声をかけてきた美人がいたでしょ? 肩ぐらいまでの薄桃色の髪をした……」
「…………あぁ」
「彼が言っていた通り、ユーリと一番仲が良かったのはルベルなんだよ。いつも一緒にいたし」
「はあ? まさか、そいつと一緒にいろって? もう言わないとさっき言っただろお前」
「そうじゃなくて、記憶は戻った方が良いよってことを伝えたくて。それと、またルベルと会った時、邪険にしないで欲しいな」
「あいつとは、仲良く一緒にいた覚えもない。そんな奴どうでも良い」
「そんなこと言わないで。今はそう思っていても、記憶を失う前のユーリは違うんだから」
「イネスには……あいつと俺が親密な関係に見えていたと?」
「僕だけじゃなくて、ここの学院の人達は皆そう思ってるよ。ルベルは……えーっと、自分が認めた人以外には言葉がキツいけれど、美人だし魔力もこの学院では上位に入る強さを持っているんだ。ユーリと並ぶと一枚の絵を見ているようで、流石、一番の伴侶候補って呼ばれてるだけあるよ。すごくお似合いだった……」
「……伴侶、候補だと?」
「それにルベルはユーリのことが好きだから、今日のことはショックだったと思う。慣れるまでは会釈だけでもしたらどうかな。お節介かもしれないけれど、ユーリの記憶が戻った時に二人の仲が拗れるといけないから……」
「あいつは伴侶じゃない! 絶っ対に違う!」
力強く否定されたけれど、ルベルと仲良しだったのは本当のことなのに。どうしたら信じてくれるんだろう。
悩んでいると、両頬を挟まれて顔を上げさせられた。青と緑の二色の瞳が僕をじっと見つめている。
「イネス、覚えてるよな? お前は俺のお嫁さんになるんだろ? あの日の約束を忘れたとか言わないよな?」
「お、覚えているけれど……でも、ユーリは僕のこと……」
思わず目を反らす。言わなきゃ、ユーリは僕のことを嫌いになったんだよって。だから約束は守れないって──お嫁さんにはなれないってことを言わないと。
「好きだよ。イネスのことだけをずっとずっと愛している。だから離れるなんて許さない、俺だけを見ろ」
突然の告白に固まっているとユーリの端整な顔が近付いてきてキスされた。先程のように頬ではなく、唇に。
「んっ」
「はぁ……イネス……愛してる」
再び唇を押し付けられて、目をつむった。さっきより長くて、息が出来なくて苦しい。いつ呼吸すればいいの……?
離れようにも頭の後ろをがっしり掴まれていて逃げられない。
な、なんでこんなことになってるの? ユーリが僕のことを好き?
息苦しさもあり、色々と限界に達した僕の記憶はそこからプツリと途切れた。
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