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35話
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朝霧が晴れた王都に、小さな行列ができていた。
それは市場でも、教会でも、王宮でもない。
一軒の屋敷――レーヴェンロー公爵家の門前であった。
列を成すのは、市井の人々。
老若男女、商人に職人、子を抱えた母親、そして遠巻きに見守る者たち。
彼らは声を荒げるでもなく、ただ静かに、その門が開かれるのを待っていた。
「……ふわふわ様は、本当に“悪”なのか?」
誰かがぽつりと漏らしたその言葉が、今や都のあちこちで囁かれていた。
かつて“魔女”とまで呼ばれた令嬢の名が、今では“癒しの人”として広まり始めている。
そしてその中心にいるシャルロットは、今日も変わらぬ仕草で、紅茶を淹れていた。
応接室には、王都新聞の記者が控えていた。
若くして筆頭記者に抜擢された女史――カミラ=ハルトマン。
鋭い観察眼と迷いのない筆致で、何人もの貴族の仮面を剥がしてきたことで知られていた。
「令嬢、率直にお尋ねします。あなたは、何のために人々にお茶を振る舞うのですか?」
カミラの質問は直線的だった。
ロジーナが緊張した空気を察して口を開こうとした瞬間――
シャルロットは笑顔でゆるやかに応じた。
「わたくし、ただ皆様にお茶を差し上げたかっただけですのよ」
その言葉に、カミラの筆が止まった。
「理由は?」
「理由、ですか。……そうですわね」
カップに注がれる琥珀色の液体。
香りが立ちのぼり、部屋の空気を包んでいく。
「お茶は誰の心にも、優しく染み渡ります。
貧しい人にも、疲れた人にも、嘆く人にも。
言葉が届かなくても、香りなら届くことがあると、わたくしはそう思っておりますの」
「それは、神の御業だと主張する声もあります」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれませんわ。
けれど、わたくしが信じているのは、“今ここにいる人の心”ですの。
神意も制度も、その先にある“香りのような真実”を、見落としてはなりませんもの」
記者は、しばし何も言えなかった。
そのやわらかさと、決して崩れぬ信念。
それは“悪役”という仮面を、静かに剥がしていくようだった。
そしてその日の夕刻、神殿の執務室。
神官長ミカエルのもとに、一通の報告書が届いた。
“神殿内にて、断罪令の再検討を求める署名運動が発生”
“下級神官らの間で「聖女選定に疑義あり」との内部告発の兆候”
“市民の“香りの信仰”が拡大、神殿の権威低下の懸念あり”
ミカエルは書面を閉じると、そっと目を閉じた。
「――ここまで来たか。……ならば、次は“本当の審判”を下すときだな」
シャルロットが撒いた香りは、ただの茶葉の芳香ではない。
それは、人の心に語りかけ、役割の仮面をはがす、“真実の香り”だった。
そしてその香りは、いま確かに、王国そのものの空気を変え始めていた。
それは市場でも、教会でも、王宮でもない。
一軒の屋敷――レーヴェンロー公爵家の門前であった。
列を成すのは、市井の人々。
老若男女、商人に職人、子を抱えた母親、そして遠巻きに見守る者たち。
彼らは声を荒げるでもなく、ただ静かに、その門が開かれるのを待っていた。
「……ふわふわ様は、本当に“悪”なのか?」
誰かがぽつりと漏らしたその言葉が、今や都のあちこちで囁かれていた。
かつて“魔女”とまで呼ばれた令嬢の名が、今では“癒しの人”として広まり始めている。
そしてその中心にいるシャルロットは、今日も変わらぬ仕草で、紅茶を淹れていた。
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鋭い観察眼と迷いのない筆致で、何人もの貴族の仮面を剥がしてきたことで知られていた。
「令嬢、率直にお尋ねします。あなたは、何のために人々にお茶を振る舞うのですか?」
カミラの質問は直線的だった。
ロジーナが緊張した空気を察して口を開こうとした瞬間――
シャルロットは笑顔でゆるやかに応じた。
「わたくし、ただ皆様にお茶を差し上げたかっただけですのよ」
その言葉に、カミラの筆が止まった。
「理由は?」
「理由、ですか。……そうですわね」
カップに注がれる琥珀色の液体。
香りが立ちのぼり、部屋の空気を包んでいく。
「お茶は誰の心にも、優しく染み渡ります。
貧しい人にも、疲れた人にも、嘆く人にも。
言葉が届かなくても、香りなら届くことがあると、わたくしはそう思っておりますの」
「それは、神の御業だと主張する声もあります」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれませんわ。
けれど、わたくしが信じているのは、“今ここにいる人の心”ですの。
神意も制度も、その先にある“香りのような真実”を、見落としてはなりませんもの」
記者は、しばし何も言えなかった。
そのやわらかさと、決して崩れぬ信念。
それは“悪役”という仮面を、静かに剥がしていくようだった。
そしてその日の夕刻、神殿の執務室。
神官長ミカエルのもとに、一通の報告書が届いた。
“神殿内にて、断罪令の再検討を求める署名運動が発生”
“下級神官らの間で「聖女選定に疑義あり」との内部告発の兆候”
“市民の“香りの信仰”が拡大、神殿の権威低下の懸念あり”
ミカエルは書面を閉じると、そっと目を閉じた。
「――ここまで来たか。……ならば、次は“本当の審判”を下すときだな」
シャルロットが撒いた香りは、ただの茶葉の芳香ではない。
それは、人の心に語りかけ、役割の仮面をはがす、“真実の香り”だった。
そしてその香りは、いま確かに、王国そのものの空気を変え始めていた。
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