悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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45話

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帝国軍本部の執務室。  
そこには常に沈着で知られる男がいた。  
黒髪を後ろに束ね、無駄のない動きで剣と言葉を操る帝国騎士団長、リヒャルト=ヴァイスベルク。

その日も変わらず、彼は静かに机に向かっていた。  
だが、その筆先は戦況報告書でも命令文でもない。  
羊皮紙の中央に、まっすぐ綴られていたのは、たったひとつの思いだった。

──貴女の歩む風に、私は何度心を持っていかれたか数えきれません。  
笑顔が花を咲かせ、言葉が剣を鈍らせる貴女に、ただ一度だけ、名を呼ばれたいと願ってしまった私は――

彼は、己の不器用さを誰より理解していた。  
だからこそ、想いを告げる言葉など、剣より難しく、戦より遠い。

「……こんなもの、渡せるわけがない」

自嘲気味に言い捨てて、机の上に置いた紙を束ねたその瞬間。  
春風が窓を抜け、書きかけの一枚をさらってゆく。

「……あっ――!」

手を伸ばす間もなく、恋文は宙に舞い、  
騎士団長の手をすり抜けて帝都の空へ踊り出た。



その頃、ルゥナ=フェリシェは、石畳の広場に面した小さなカフェで、紅茶と一緒にレモンの焼き菓子を楽しんでいた。

「今日の風は、少し甘い香りが混ざっておりますわね。  
あら、猫さん、そちらはミルクの方ですのよ」

ふと風が舞い上がり、彼女の帽子のリボンがふわりと浮く。  
その内側に、一枚の羊皮紙がするりと滑り込んだ。

「……まあ、何かしら?」

そっと取り出して広げてみれば、詩のような文が目に入った。

――“笑顔が花を咲かせ、言葉が剣を鈍らせる貴女に”――

ルゥナは数行目を追い、紅茶をひと口含んでから、くすりと笑った。

「かわいい詩ですわね。ちょっと古風な言い回しも、乙女心をくすぐりますわ」

そのまま紙を折り畳み、紅茶の下に敷いた。  
ほんの少し、カップの底が湿らせて、淡いシミができる。

「詩に香りがつきましたわ。こういうの、記念に取っておくと面白いのですのよ」

騎士団長の秘めたる想いは、紅茶とレモンと風の香りと共に、  
その日の午後の空気の中に優しく溶けていった。



数日後、彼女が紅茶を嗜んでいたカフェには、  
「ルゥナ様に詩を届けた店」として訪れる客が倍増し、  
店主は思わず鼻をすすりながらこう呟いた。

「……風って、本当に不思議なもんだな」

誰も知らぬところで、愛は舞い、香りをまとい、そしてそっと記憶に残る。

それがルゥナと風の歩く、この国の日常だった。
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