悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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婚約編

52話

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帝都の街角にて。  
この日もルゥナ=フェリシェは、猫と共に穏やかな散歩を楽しんでいた。  
新しくできた焼き菓子屋を覗いては「まあ、美味しそうですわね」と頬を緩め、花屋の前では「この季節のお花は香りが強いのですのよ」と店主に語る。  
彼女にとっては、ただの日常だった。

だが、その背後では異変が起きていた。

彼女が歩くたびに、兵装を整えた将軍が“偶然”通りかかり、騎士団の青年が“偶然”手を振り、大学の若き学者が“偶然”論文を落として見せる。  
詩人に至っては、ルゥナの通る道の先に先回りし、五行詩を空に向かって読み上げていた。

「ルゥナ様! 本日は風が優しいですね! これは風と貴女の巡り合わせを詠んだ詩で――!」

「まあ、風が吹いているのは確かですわね」

にこやかに返しつつ、彼女は詩の内容には特に触れず、代わりに近くの猫にパンを千切って与えた。

そしてさらなる異常事態が、帝都の市場を中心に発生する。

“ルゥナ婚約投票券”と記された紙片が、民間で勝手に刷られ、広まり始めたのだ。

「将軍様に一票」「いやいや、花騎士のアルノー様に」  
「文官派です! 知性ある婿殿を!」  
「いや待て、猫と共に微笑んでいた詩人も捨てがたい!」

無記名投票箱が帝都各所に設置され、市場では“応援幕”まで掲げられ始める。

街の子供たちは真似して「ルゥナ様ごっこ」を始め、猫を抱いて手を振ると「まあ、よくお会いしますわね」と高貴な口調を真似するのが流行となった。

そんな中、当の本人は――

「最近、よく手を振られますの。帝都の方々は皆さまお優しゅうございますのね」  
と、屈託なく微笑んでいた。

婚約候補者たちの視線、策謀、愛情も、彼女には“春の花の香り”程度のものだった。

付き従う騎士団の副官は、あまりの無自覚ぶりに額を押さえ、  
遠くからそれを見つめるリヒャルト団長は、微かに目を細めていた。

風は、今日も彼女の周りを穏やかに巡る。  
その中心にある無垢な微笑みが、帝国全体を振り回していることなど、  
ルゥナはまだ、ひとつも気づいていなかった。
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