悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

文字の大きさ
56 / 70
婚約編

57話

しおりを挟む
帝都の朝は、いつにも増して慌ただしかった。

広場では新聞売りが声を張り上げ、宮廷では侍従が走り回り、貴族の邸宅では使用人たちがやきもきと茶器の並びを整えている。  
すべては、一つの命令のためだった。

――帝国皇帝陛下、直々のご命令。  
「ルゥナ=フェリシェ嬢に、護衛をひとりつけよ。騎士団長リヒャルト=ヴァイスベルクを以て、これを任とす」

その知らせが帝都を駆け抜けた瞬間、貴族社会は爆発的にざわめいた。  
一国の騎士団長が、たったひとりの令嬢の“専属護衛”となる。  
それはすなわち、ただの警護ではない。  
――恋の側に立つということ。  
誰もがそう解釈した。

だが――当の本人は、いつものように穏やかに風の中にいた。

その日、ルゥナは城下の市場通りにいた。  
抱きかかえた猫を撫でながら、小さなパン屋の窓を覗き込む。  
そのすぐ背後には、鎧の気配もなく静かに付き従う男の影。

「リヒャルト様、本日はお付き合いくださってありがとうございます。お散歩はお好きでしたの?」

「……任務です」

「まあ。お散歩を任務としてくださるなんて、なんてご丁寧な」

穏やかに笑う彼女に、リヒャルトは何も言わなかった。  
だがその足取りは、彼女の歩幅にきちんと合わせられ、  
その視線は、常に周囲の危険を静かに探っていた。

道行く人々は、当然その姿に気づく。  
“騎士団長と迷子令嬢が二人で散歩している”という光景は、あまりにも非日常で、  
そして、あまりにも親密に見えた。

「ほら見て、団長様が……! いや、もうあれは護衛じゃないだろう」  
「今にも告白するんじゃ……いや、すでに両想いなのでは?」  
「護衛ってあんなに近くに立つもんだったっけ?」

瞬く間に噂は飛び交い、尾ひれがつき、夕方には“団長、令嬢に愛の詩を捧げる”という話にまで膨らんでいた。

だがルゥナは、何も知らぬ顔でパンを受け取り、にこやかに礼を言う。

「こちらのジャムパン、猫さんもお気に召したようですわね。リヒャルト様も、いかがですの?」

「……任務中ですので」

「まあ、それは残念。でも、お散歩のお供に何か甘いものがあると、風がもっと優しくなるのですわよ」

町人が手を振り、子どもが駆け寄り、猫が二匹、リヒャルトの足元に集まる。  
彼はそれらを払いもせず、ただ静かに目を伏せていた。

帝都は、もはや“告白未遂劇”の舞台と化していた。  
そして、婿候補たちは焦燥に駆られ、次なる手を探して血眼になる。

だが、その日もルゥナは、穏やかな風の中を歩いていた。

「……護衛というより、今日は良いお散歩でしたわね」

その一言が、また帝国の空気を優しく――  
けれど確実に、変えていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

逆行したので運命を変えようとしたら、全ておばあさまの掌の上でした

ひとみん
恋愛
夫に殺されたはずなのに、目覚めれば五才に戻っていた。同じ運命は嫌だと、足掻きはじめるクロエ。 なんとか前に死んだ年齢を超えられたけど、実は何やら祖母が裏で色々動いていたらしい。 ザル設定のご都合主義です。 最初はほぼ状況説明的文章です・・・

病弱を装う王女ですが、弟の未来のためならどんな手でも使います【完結】

藤原遊
恋愛
病弱な王女として生きてきたけれど、実は転生者。 この世界は、私が前世で読んだ小説の中――そして、弟こそが私の“推し”だった。 本来なら、彼は若くして裏切られ、命を落とす未来。 そんなの、見過ごせるわけない。 病弱を装いながら、私は政敵を操り、戦争を避け、弟の道を整えていく。 そして、弟が王になった時。 「姉さんは、ずっと僕のそばにいて」 囲われることも、支配されることも、甘い囁きも……本望だった。 禁忌の距離で紡がれる、姉弟×謀略×溺愛の異世界転生譚。

拾った指輪で公爵様の妻になりました

奏多
恋愛
結婚の宣誓を行う直前、落ちていた指輪を拾ったエミリア。 とっさに取り替えたのは、家族ごと自分をも売り飛ばそうと計画している高利貸しとの結婚を回避できるからだ。 この指輪の本当の持ち主との結婚相手は怒るのではと思ったが、最悪殺されてもいいと思ったのに、予想外に受け入れてくれたけれど……? 「この試験を通過できれば、君との結婚を継続する。そうでなければ、死んだものとして他国へ行ってもらおうか」 公爵閣下の19回目の結婚相手になったエミリアのお話です。

元王太子妃候補、現王宮の番犬(仮)

モンドール
恋愛
伯爵令嬢ルイーザは、幼い頃から王太子妃を目指し血の滲む努力をしてきた。勉学に励み、作法を学び、社交での人脈も作った。しかし、肝心の王太子の心は射止められず。 そんな中、何者かの手によって大型犬に姿を変えられてしまったルイーザは、暫く王宮で飼われる番犬の振りをすることになり──!? 「わん!」(なんでよ!) (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

婚約破棄後のお話

Nau
恋愛
これは婚約破棄された令嬢のその後の物語 皆さん、令嬢として18年生きてきた私が平民となり大変な思いをしているとお思いでしょうね? 残念。私、愛されてますから…

虐げられ続けてきたお嬢様、全てを踏み台に幸せになることにしました。

ラディ
恋愛
 一つ違いの姉と比べられる為に、愚かであることを強制され矯正されて育った妹。  家族からだけではなく、侍女や使用人からも虐げられ弄ばれ続けてきた。  劣悪こそが彼女と標準となっていたある日。  一人の男が現れる。  彼女の人生は彼の登場により一変する。  この機を逃さぬよう、彼女は。  幸せになることに、決めた。 ■完結しました! 現在はルビ振りを調整中です! ■第14回恋愛小説大賞99位でした! 応援ありがとうございました! ■感想や御要望などお気軽にどうぞ! ■エールやいいねも励みになります! ■こちらの他にいくつか話を書いてますのでよろしければ、登録コンテンツから是非に。 ※一部サブタイトルが文字化けで表示されているのは演出上の仕様です。お使いの端末、表示されているページは正常です。

婚約破棄を希望しておりますが、なぜかうまく行きません

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のオニキスは大好きな婚約者、ブラインから冷遇されている事を気にして、婚約破棄を決意する。 意気揚々と父親に婚約破棄をお願いするが、あっさり断られるオニキス。それなら本人に、そう思いブラインに婚約破棄の話をするが 「婚約破棄は絶対にしない!」 と怒られてしまった。自分とは目も合わせない、口もろくにきかない、触れもないのに、どうして婚約破棄を承諾してもらえないのか、オニキスは理解に苦しむ。 さらに父親からも叱責され、一度は婚約破棄を諦めたオニキスだったが、前世の記憶を持つと言う伯爵令嬢、クロエに 「あなたは悪役令嬢で、私とブライン様は愛し合っている。いずれ私たちは結婚するのよ」 と聞かされる。やはり自分は愛されていなかったと確信したオニキスは、クロエに頼んでブラインとの穏便な婚約破棄の協力を依頼した。 クロエも悪役令嬢らしくないオニキスにイライラしており、自分に協力するなら、婚約破棄出来る様に協力すると約束する。 強力?な助っ人、クロエの協力を得たオニキスは、クロエの指示のもと、悪役令嬢を目指しつつ婚約破棄を目論むのだった。 一方ブラインは、ある体質のせいで大好きなオニキスに触れる事も顔を見る事も出来ずに悩んでいた。そうとは知らず婚約破棄を目指すオニキスに、ブラインは… 婚約破棄をしたい悪役令嬢?オニキスと、美しい見た目とは裏腹にド変態な王太子ブラインとのラブコメディーです。

引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~

浅海 景
恋愛
オッドアイで生まれた透花は家族から厄介者扱いをされて引きこもりの生活を送っていた。ある日、双子の姉に突き飛ばされて頭を強打するが、目を覚ましたのは見覚えのない場所だった。ハウゼンヒルト神聖国の王子であるフィルから、世界を救う御子(みこ)だと告げられた透花は自分には無理だと否定するが、御子であるかどうかを判断するために教育を受けることに。 御子至上主義なフィルは透花を大切にしてくれるが、自分が御子だと信じていない透花はフィルの優しさは一時的なものだと自分に言い聞かせる。 「きっといつかはこの人もまた自分に嫌悪し離れていくのだから」 自己肯定感ゼロの少女が過保護な王子や人との関わりによって、徐々に自分を取り戻す物語。

処理中です...