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第五章:影と光、偽りの平穏
第45話:偽りの真実、心の牢獄
しおりを挟む身も心も、ぼろぼろの雑巾のようだった。それでも、桔梗はたった一人で、幕府の拠点へと帰還した。仲間たちの亡骸を背負うことも、憧れた人の亡骸を抱くことも、許されはしなかった。彼女が持ち帰ることを許されたのは、謀反の証拠である一本の巻物と、その身に受けた無数の傷、そして、魂にまで達した深い絶望だけだった。
彼女が報告のために通されたのは、いつもの機能的な報告室ではなかった。蝋燭の光だけが、壁に長い影を落としてゆらゆらと揺らめく、薄暗く、そして凍えるように冷たい地下の一室。そこには、彼女の直属の上官ではない、幕府の最高中枢に座す一人の老中が、氷のような目で静かに彼女を待っていた。部屋の空気は重く、まるで罪人を裁くための尋問室のようだった。
「ご苦労であった、捌番」
老中は、彼女を労う言葉とは裏腹に、一切の感情を排した声で言った。その声には、彼女の生死や、失われた部隊のことなど、微塵も関心がないという響きがあった。桔梗は、膝をつき、深く頭を垂れる。そして、命に代えてもと誓った巻物を、震える手で差し出した。
「はっ……謀反の証拠、確かに持ち帰りました」
しかし、老中は差し出されたそれに一瞥もくれなかった。代わりに、懐から取り出したもう一枚の、別の密書を、畳の上を滑らせるようにして桔梗の前に置いた。
「それについては、もうよい。それよりも、こちらを読むがよい」
不審に思いながらも、桔梗は恐る恐るその密書を手に取った。広げた瞬間、彼女の時が止まった。そこに書かれていた文字は、何度も見てきた、脳裏に焼き付いて離れない、あの人の筆跡だったからだ。時雨様のものだ。
内容は、信じがたいものだった。それは、時雨が敵方の大名と交わした内通の証拠。部隊の潜入経路、人数、目的といった全ての情報を売り渡すことと引き換えに、敵方で高い地位を約束させる、という生々しい取引の記録だった。
「残念ながら、時雨は我らを裏切っていた」
老中の冷たい言葉が、桔梗の耳の中で不快に反響する。言葉の意味を、脳が理解することを拒絶していた。
「部隊の情報と引き換えに、敵方での栄達を約束されていたようだ。あの爆発も、我らの目を欺き、己が死を偽装するための狂言。君は、裏切り者の英雄に、まんまと騙されたというわけだ」
嘘だ。 嘘だ嘘だ嘘だ。 そんなはずがない。あの人が、仲間を売るはずがない。あの最後の笑顔が、偽りであるはずがない。
しかし、そこに広げられた証拠は、あまりにも完璧だった。筆跡も、彼が好んで使った言い回しも、紙の質も、何もかもが本物だった。憧れも、信頼も、彼の最後の言葉も、あの炎の中の笑顔も、全てが、このちっぽけな自分を欺くための、壮大な芝居だったというのか。
信じていた世界が、足元からガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
ああ、そうか。 結局、そういうことだったのか。
「仲間を信じることは、死を意味する」
幼い頃から、この身に、この骨に、叩き込まれてきた奈落の教え。時雨という一筋の光によって、忘れかけていたその言葉が、今、最も残酷な形で、真実として証明されてしまった。信じた結果が、これだ。心を許した結果が、これだ。光など、最初からどこにもなかったのだ。ただ、自分が見たいと願った幻を見ていただけだった。
桔梗の心は、完全に破壊された。 もう、何も感じるまい。 感情は、任務を遂行する上での、邪魔で危険なノイズでしかない。 喜びも、悲しみも、怒りも、愛しさも、全て捨てよう。 心を殺し、誰にも心を許さず、誰のことも信じず、ただ幕府の命令を遂行するだけの、完璧な「道具」として、影として生きる。
それが、あの男への、最大の復讐だ。 そして、愚かにも彼を信じてしまった自分自身への、永遠に続く罰なのだ。
桔梗が部屋を出ていく際、老中の口元に、ほんの僅かに、怪しげな笑みが浮かんだのを、彼女は知る由もなかった。
(現在)
旅の道中、月が美しい夜だった。一行が野営の準備をしていると、一羽のハヤブサが音もなく空から舞い降り、桔梗の差し出した腕に静かに止まった。それは、幕府からの緊急指令を伝える使いだった。
足に括り付けられた筒から、小さな巻物を取り出す。そこに記されていた指令内容は、あまりにも短く、そして、あまりにも重いものだった。
『裏切り者・時雨を暗殺せよ』
桔梗の心臓が、大きく、一度だけ跳ねた。 あの男は、生きていた。 そして、今は「紅い刃」の幹部として、幕府に牙を剥いているという。
桔... 桔梗は、巻物を握りしめた。その指先は、氷のように冷たい。 自らの手で、長かった過去に決着をつける時が来た。 仲間たちに、何も告げる必要はない。これは、自分の問題だ。いや、もはや問題ですらない。ただの「任務」だ。
仲間たちが焚き火を囲み、アリア姫の起こすドタバタに笑い声を上げている。その温かい光の輪を背に、桔梗は音もなく立ち上がった。駿も、彩葉も、誰も彼女の気配に気づかない。
彼女は、静かに、夜の闇へとその姿を溶け込ませた。 その瞳には、かつて時雨と出会った時に灯ったはずの光は、もうどこにもなかった。 全てを諦め、全てを捨て去った、冷たい決意だけが、月の光を反射して、鈍く輝いていた。
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