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最終決戦準備編
第40話『神の囁き、心の迷宮』
しおりを挟む仲間たちの過去を巡る旅は、彼らの魂を分かち難く結びつけた。それぞれの心の鎧を脱ぎ捨て、弱さも、それを乗り越えた強さも、全てを共有した一行。彼らを乗せた移動要塞は、関越道を抜け、いよいよ最後の決戦の地を擁する東北地方へと、その巨体を進めていた。車窓から見える景色は、日に日にその色彩を失い、暖色の広葉樹は姿を消し、雪を纏った針葉樹と、鉛色の空だけが続くようになる。季節が、逆行しているかのようだ。
「うっわ、寒っ!いきなり冬やんけ!」
アキラが、大げさに身を震わせる。
「ついこの間まで、沖縄でアロハな気分やったっちゅーのに。この国、広すぎやろ」
「当たり前だ。日本列島は、南北に約3000キロに及ぶ。亜熱帯から亜寒帯まで、多様な気候帯を内包しているからな。北上すれば、気温が低下するのは自明の理だ」
慧が、分厚い専門書から顔も上げずに、いつもの調子で解説する。
「慧にい、そういうマジレスはモテへんで。ここは『ほんまやな、わてのギャグで温めたろか?』って言うとこや」
「心底、遠慮します」
その、もはや様式美とも言えるやり取りに、車内には和やかな笑いが広がる。しかし、北へ進むにつれて、一行は、これまでの旅とは明らかに質の違う、奇妙なプレッシャーを感じ始めていた。
それは、物理的な妖気や、霊的な圧ではない。もっと、じっとりとした、陰湿な何か。まるで、見えざる視線に、常に内側から覗き込まれているような、不快な感覚。常世の神からの干渉が、物理的なものから、より精神的な領域へとシフトし始めていることを、誰もが肌で感じていた。
そして、山形県と秋田県の県境を越えようかという山道で、それは、ついに牙を剥いた。
さっきまで晴れていた空が、まるで墨汁をぶちまけたように、一瞬で黒く染まったかと思うと、猛烈な吹雪が、何の予兆もなく一行を襲った。視界は、一瞬で白く染まり、数メートル先すら見えない。瑠璃が世界に誇るスーパーキャンピングカーのハイテクセンサー類も、次々とエラー表示を出すだけだった。
「クソッ!ホワイトアウトだ!これ以上は進めねえ!」
運転していた健吾が、忌々しげに吐き捨てる。
「ただの吹雪じゃない。この雪、何かおかしい。意思を持っているみたいだ」
彼の言う通りだった。雪は、進むべき道を隠すだけでなく、戻るべき道すらも消し去っていく。完全に、孤立させられたのだ。
「近くに、廃校があるみたい。GPSは死んでるけど、古い地図データに残ってた。とりあえず、そこで吹雪が止むのを待つしかないわね」
莉奈の提案に、一行は頷くしかなかった。
数十分後、勘と経験を頼りに、一行は、雪の中に黒い影のように沈む、木造の廃校にたどり着いた。ギシギシと音を立てる扉を開け、一行は、冷え切った体育館へと避難する。高い天井、割れた窓、錆びたバスケットゴール。時間の止まったその場所は、まるで、世界の終わりに取り残された避難所のようだった。
外では、獣の咆哮のような風の音が、止むことなく吹き荒れている。
神が作り出した、白く、閉ざされた迷宮。その中で、最も陰湿で、最も残酷な、魂の試練が始まろうとしていた。
*
閉ざされた体育館の中。焚かれたストーブの、頼りない炎だけが、仲間たちの顔をぼんやりと照らし出していた。外の猛吹雪が嘘のように、体育館の中は、不気味なほど静かだった。しかし、その静寂こそが、神の罠だった。
それは、誰にも聞こえない、ささやかな「声」として始まった。
自分の心の中から、直接、響いてくる声。
最初に、その毒牙にかかったのは、猛だった。
(……お前、本当に役に立っているのか?)
ストーブの火を、ただぼんやりと眺めていた彼の心に、声が囁く。
(お前のその力は、ただの暴力だ。小物の妖怪相手には通用しても、神様の前では、赤子の腕力と同じ。結局、お前は、この頭のいい連中のお荷物でしかないんだ。分かっているんだろう?)
「……っ!」
猛は、無意識に、自分の拳を強く握りしめた。違う。そんなことはない。俺は、みんなを守るために……。しかし、声は、彼の最も触れられたくない、心の柔らかい部分を的確に抉ってくる。
慧の心にも、冷たい声が響く。
(……面白いか?弁護士。お前の信じる『法』が、全く通用しない世界で、道化を演じるのは)
慧は、読んでいた本に落としていた視線を、そっと、美咲に向けた。彼女は、不安げな仲間たちに、温かいお茶を配っている。
(総理大臣の娘……。お前は、彼女に利用されているだけだ。事が終われば、お前のような、得体の知れない能力者は、社会から簡単に切り捨てられる。彼女の隣にいるべきは、お前のような男ではない)
アキラは、トランプで一人遊びをしながら、必死に平静を装っていた。しかし、彼女の耳にも、声は届いていた。
(……見てみろよ、あいつらの目を。お前のことを、心の底から信頼していると思うか?お前は、所詮、口先だけの嘘つきだ。お前の『空っぽ』は、とっくに見透かされている。いつか、必ず、お前は一人になる)
莉奈、健吾、麗子、瑠璃……。一人、また一人と、仲間たちの表情から、いつもの明るさが消えていく。口には出さない。しかし、互いの顔を窺う視線には、明らかに、これまでなかったはずの、疑念と、不信の色が、黒い染みのように広がり始めていた。
システムの、崩壊。
信頼という名の、細く、しかし強固だったはずのリンクが、内側から、静かに、蝕まれていく。
そして、その毒は、ついに、幻覚となって、仲間たちの理性を完全に破壊しにかかった。
「……なんや、今の」
アキラが、鋭い目で、猛と健吾を睨みつけた。彼女の耳には、今、確かに聞こえたのだ。
(あいつ、うるさいだけで、中身、何もないよな)
(ああ。いつか、足手まといになるだけだ)
という、猛と健吾のひそひそ話が。
「猛の兄ちゃん、健吾にい。今、わてのこと、なんか言うたか?」
「あ?何も言ってねえよ」
「嘘つけ!わての耳は誤魔化されへんで!空っぽで、足手まといやって、そう言うたんやろ!」
「な、何言ってんだよ、お前……」
猛が困惑する。しかし、アキラの目には、猛と健吾が、ニヤニヤと嘲笑っているようにしか見えなかった。
瑠璃もまた、立ち上がっていた。その顔は、氷のように冷たい。
「……皆様、そういうことでしたのね」
彼女の幻覚の中では、慧と麗子が、彼女の財産目録を広げながら、こう相談していた。
(この旅が終われば、三条院の資産は、我々で山分けだ)
(ええ。彼女には、せいぜい、金蔓として、最後まで働いてもらいましょう)
「私の財産が、目的でしたのね。最初から、分かっていましたわ。あなた方のような、卑しい方々が、何の対価もなしに、私に協力するはずがないと」
「瑠璃さん?何を……」
麗子が、訝しげに尋ねるが、瑠璃には、もう、何も届かない。
「もうたくさんだ!」
ついに、猛が、溜め込んだ不信感を爆発させた。
「みんな、おかしいぜ!アキラは意味わかんねえこと言うし、瑠璃さんまで!お前ら、本当は、俺のこと馬鹿にしてんだろ!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ!」
言い争いが、始まった。
それは、もう、いつもの軽口の応酬ではなかった。互いの心を、最も深く傷つける言葉を選んで、投げつけ合う、醜い、泥沼の争いだった。
悠人は、その光景を、ただ、呆然と見ていた。止めなければ。そう思うのに、体が動かない。彼の耳にもまた、あの、最も聞きたくない、神の囁きが、木霊のように響き続けていたからだ。
(……見ろ、悠人。これが、お前が作った、家族ごっこの、成れの果てだ)
(お前が元凶なのだ。お前という『歪み』さえなければ、この者たちは、それぞれの場所で、平和に暮らせていたはずなのだ)
(お前が、こいつらを不幸にした。お前が、全てを、壊したのだ)
「……あ……ああ……」
違う。俺は、ただ……。
悠人の足元が、ぐらりと崩れていく。仲間たちの、怒声と、罵声が、彼の心を、ぐちゃぐちゃに掻き乱していく。
システムは、完全に、崩壊寸前だった。
*
仲間たちが、互いに、決して言ってはならない言葉をぶつけ合い、もう、修復不可能なところまで、関係が引き裂かれようとしていた、その時だった。
りん、と。
全ての怒号を、全ての憎悪を、全ての絶望を、貫くように。
一つの、清浄な音が、体育館の中央から、響き渡った。
栞だった。
彼女は、言い争う仲間たちの中心で、ただ、静かに、目を閉じ、両手を合わせ、古くから伝わる、祓いの詞を、唱え始めていた。
しかし、その祝詞は、悪しきものを「打ち祓う」ための、力強いものではなかった。
それは、荒れ狂う嵐の海に、そっと一滴の油を垂らすように、ささくれだった仲間たちの心を、優しく、優しく、鎮めていく、子守唄のような、慈愛に満ちた祈りだった。
その祈りの音色が作り出した、ほんの僅かな「静寂」の隙間を、逃さなかった者がいた。
美咲だった。
彼女は、わなわなと怒りに震える、アキラの手に、そっと、自分の手を重ねた。
「……私は、アキラさんを、信じます」
「っ!」
アキラが、息をのむ。
美咲は、次に、氷のような表情の瑠璃の手を取った。
「私は、瑠璃さんを、信じます」
彼女は、一人、また一人と、言い争う仲間たちの元へ歩み寄り、その手を握り、ただ、真っ直ぐな、一点の曇りもない瞳で、同じ言葉を繰り返した。
「私は、あなたを信じます」
その行動に、何の論理も、何の根拠もない。
それは、毒には毒を、という発想とは真逆の、ただ、純粋で、絶対的な「信頼」という、究極の肯定。
神の囁きが作り出した、「お前は独りだ」という幻想の世界に、美咲の「私は、ここにいる」という、ささやかだが、何よりも強い「真実」が、楔となって打ち込まれた。
「……あ……」
アキラの目から、敵意が消えた。瑠璃の表情から、冷たさが消えた。猛の拳から、力が抜けた。
彼らは、ハッと我に返った。自分たちが、いかに愚かで、いかに醜い、幻覚の奴隷に成り下がっていたかに、ようやく、気づいたのだ。
体育館に、気まずい沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、アキラだった。
「……クソ。一本、取られたな」
彼女は、悪態をつくように、しかし、その目には涙を浮かべて、そう呟いた。
その一言で、体育館を支配していた、凍てつくような緊張の糸が、ぷつりと、切れた。
神の、第一波の精神攻撃は、退けられた。
仲間たちの絆は、一度、粉々になる寸前まで砕かれ、そして、美咲と栞という、二人の、純粋な心の力によって、再び、繋ぎ合わされた。
しかし、これは、まだ、始まりに過ぎなかった。
本当の悪夢は、この静寂の、すぐ向こう側で、最も深い絶望の口を開けて、悠人、ただ一人を、待ち構えていることを、まだ、誰も知らなかった。
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