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第2章:規格外の英雄、降臨
第10話:英雄の誕生、そして運命の交差点へ 〜「光」とは、「影を濃くするためのスポットライト」である〜
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王都の空は、憎らしいほどに青かった。
それは絵の具を水桶にぶちまけたような単調な青ではなく、何層もの薄い絹を重ねたような、奥行きのある透き通った蒼穹だ。
初夏の風が、石造りの街並みを軽やかに吹き抜けていく。
その風には、広場の屋台で焼かれる香草と羊肉の脂の匂い、貴婦人たちのドレスから香るバラの香水、そして焼きたてのパンの甘い酵母の香りが混じり合い、吸い込むだけで胸が躍るような「平和の飽和」があった。
瞬は、王都の中央広場に面したカフェのテラス席で、琥珀色のアイスティーを揺らしていた。
グラスの中で氷がカラン、と涼やかな音を立てる。
その音さえも、彼を祝福する鐘の音のように聞こえた。
「ねえ瞬さん、聞いてますぅ?」
向かいの席で身を乗り出しているのは、ギルドの看板娘、リナだ。
太陽の光を吸い込んだような金色の髪が、風に合わせてサラサラと揺れる。
彼女の瞳は、疑うことを知らない子犬のようにキラキラと潤んでいた。
「聞いてるよ。新作のチーズケーキが絶品なんだろ?」
「そうですぅ! あとね、瞬さんが昨日、ドラゴンを『ちょっと邪魔』って言って素手で投げ飛ばした話、もう街中の噂ですよぉ!」
リナが両手を合わせてうっとりと頬を染める。
瞬は口元を緩め、わざとらしく髪をかき上げた。
「よしてくれよ。俺はただ、散歩のコースにトカゲが寝てたから、どいてもらっただけさ」
嘘ではない。
彼にとって、この世界の理(ルール)はあまりにも緩かった。
彼が「こうしたい」と願った瞬間、世界はその通りに形を変える。
まるで、自分のためだけに用意された箱庭のようだった。
「さすが瞬さん! もう、素敵すぎますぅ!」
リナの称賛の声が、瞬の自尊心を心地よくくすぐる。
彼は背もたれに深く体を預け、眩しい太陽を見上げた。
(ああ、人生ってのはこうでなくちゃな)
苦しみ? 悲しみ?
そんなものは、この世界の設定ミスか何かなのだろう。
欲しいものは手に入り、邪魔なものは消え、明日は今日より楽しくなる。
それが彼にとっての「当たり前」であり、疑いようのない真実だった。
自分が今、巨大な車輪の頂点にいて、その車輪が回ればいずれ底へ落ちるということになど、彼は微塵も気づいていない。
その時だった。
キィィィィン……。
耳鳴りのような高い音が、王都の空気を震わせた。
カフェの客たちが会話を止め、一斉に空を見上げる。
先ほどまで宝石のように澄み渡っていた空が、インクを垂らしたように急速に濁り始めた。
太陽の光が遮られ、広場に冷たい影が落ちる。
「な、なんですかぁ……?」
リナが怯えたように瞬の袖を掴む。
空の裂け目から、赤黒い雷と共に、巨大な影が這い出してきた。
それは、王城よりも巨大な、異形の巨人だった。
全身が腐った泥のような粘液で覆われ、無数の眼球がギョロギョロと街を見下ろしている。
人々が悲鳴を上げる暇もなかった。
その存在が放つ圧倒的な威圧感が、生物としての本能的な恐怖を鷲掴みにしたのだ。
『我は……古(いにしえ)の……破壊なり……』
巨人の声は、耳ではなく、直接脳髄を揺さぶる重低音として響いた。
広場の石畳がガタガタと震え、建物の窓ガラスが一斉に砕け散る。
平和の象徴だった王都は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供、剣を抜くが足が震えて動けない騎士たち。
「お、終わりだ……伝説の魔神だ……」
「予言にあった、世界の終わりの日だ……!」
絶望が伝染病のように広がっていく。
誰もが死を覚悟し、地面にひれ伏した。
ただ一人、アイスティーの氷を口の中でガリガリと噛み砕いている男を除いて。
「あーあ」
瞬は面倒くさそうに立ち上がると、飲み干したグラスをテーブルに置いた。
「せっかくのデートが台無しじゃんか。空気読めよな、デカブツ」
リナが涙目で瞬を見上げる。
「瞬さん!? 逃げましょう、あれは勝てません! 神話に出てくる怪物ですぅ!」
「リナちゃん」
瞬はリナの震える肩に手を置き、安心させるようにニカッと笑った。
その笑顔には、根拠のない、しかし絶対的な自信が満ち溢れていた。
「俺がこの世界に来てから、勝てなかったことなんて一度でもあった?」
「え……」
「見てて。秒で終わらせてくるから」
瞬は地面を軽く蹴った。
たったそれだけの動作で、彼の体は砲弾のように空へと射出された。
重力という鎖を引きちぎり、彼は一瞬で魔神の目の前――上空数千メートルの高さへと到達する。
眼下には、おもちゃのように小さな王都。
そして目の前には、世界を絶望させる魔神の醜悪な顔。
魔神の無数の目が、目の前の小さな人間に焦点を合わせる。
『小僧……我ガ力ニ、恐レヲ――』
「話がなげぇよ」
瞬は右の拳を軽く引いた。
特別な構えも、魔力の詠唱もない。
ただ、学校の掃除の時間に机を運ぶくらいの気軽さで、彼は拳に力を込めた。
「必殺……えーと、なんだっけ。そう、『アルティメット・瞬・バスター』!」
ネーミングセンスのかけらもない技名と共に、拳が振るわれる。
物理法則が悲鳴を上げた。
瞬の拳が空気を圧縮し、その一点から爆発的な衝撃波が生まれた。
それはもはや打撃ではない。
空間そのものを歪める災害だった。
ドォォォォォォォォォン!!
鼓膜をつんざく轟音と共に、魔神の上半身が消し飛んだ。
血飛沫すら上がらない。
あまりの衝撃に、魔神を構成していた物質が原子レベルで分解され、キラキラと光る塵となって霧散したのだ。
残された下半身が、支えを失ってゆっくりと崩れ落ちていく――その前に、余波の風圧でそれすらも砂のように崩れ去った。
空を覆っていた黒雲が、衝撃波で強引に吹き飛ばされる。
再び現れたのは、先ほどよりもさらに澄み渡った、一点の曇りもない青空だった。
魔神だった光の粒子が、ダイヤモンドダストのようにキラキラと降り注ぐ。
瞬は空中でくるりと一回転すると、重力を無視したふわりとした動きで、リナの目の前に着地した。
「ただいま。デザート、まだ頼めるかな?」
広場は静まり返っていた。
何が起きたのか、誰にも理解できなかった。
世界を滅ぼすはずの魔神が、瞬きする間に消滅したのだ。
数秒の空白の後、誰かが震える声で叫んだ。
「……か、神だ」
「神の御使い様だぁぁぁぁ!!」
ワァァァァァァァァッ!!
爆発のような歓声が王都を揺らした。
人々が涙を流しながら瞬に駆け寄ってくる。
騎士たちは剣を捨てて跪き、老人たちは拝み始めた。
彼らの瞳に映るのは、もはや一人の青年ではない。
自分たちの不安を取り除き、願いを叶えてくれる「絶対的な偶像」だった。
「瞬さぁぁぁぁん!!」
リナが弾丸のように飛びついてきた。
瞬は彼女を軽々と受け止める。
柔らかい感触と、甘い香り。
「すごいです! すごすぎますぅ! 私、心臓が止まるかと思いましたぁ!」
リナは涙でぐしゃぐしゃになった顔を、瞬の胸に押し付ける。
「大好き……! 世界で一番、瞬さんが大好きですぅ!」
その言葉を聞いた瞬間、瞬の脳内で何かが弾けた。
ドーパミン、エンドルフィン、ありとあらゆる快楽物質が脳を駆け巡る。
(聞いたか? 今、聞いたか世界!?)
彼はリナの背中に手を回し、強く抱きしめ返した。
周囲を取り囲む数万の民衆が、割れんばかりの拍手と喝采を送っている。
空からは光の粒子が祝福のように降り注ぎ、腕の中には世界一可愛い女の子。
「俺は……」
瞬は恍惚とした表情で、空に向かって宣言した。
「俺は、この街を守る。リナちゃんの笑顔も、みんなの平和も、全部俺が守ってやる!」
その言葉に、さらに大きな歓声が上がる。
瞬は確信していた。
この瞬間が永遠に続くことを。
自分がこの世界の主人公であり、すべての運命は自分を輝かせるために回っているのだと。
「自分という存在」が、他者との関係性の中でたまたま成り立っているだけの「現象」に過ぎないことなど、彼の思考の片隅にもない。
彼は今、自分という「個」が、世界よりも重く、確かなものであると信じ込んでいた。
***
その夜。
王都は前代未聞の祝祭に包まれていた。
どの家も窓を開け放ち、街路樹には無数のランタンが吊るされ、まるで星空が地上に降りてきたかのような輝きだった。
広場では酒が振る舞われ、音楽隊が陽気な曲を奏で、人々は朝まで踊り明かすつもりで騒いでいる。
瞬は、喧騒から少し離れた高い城壁の上に座り、夜風に吹かれていた。
ここから見下ろす王都の夜景は、宝石箱をひっくり返したように美しい。
手には、国王から直々に授与された「救国の英雄」の勲章。
重厚な黄金の輝きが、月明かりを鈍く反射している。
「……へへっ」
自然と笑みがこぼれる。
元の世界では、四畳半の部屋で、誰にも知られずにラノベを読んでいた自分。
それが今では、国中の誰もが名前を知る英雄だ。
リナとのデートの約束も取り付けた。
ギルドの報酬は使い切れないほどある。
悩み? 不安?
そんな言葉は、辞書から消してしまえばいい。
「最高だな、異世界」
瞬は勲章を空にかざし、片目を閉じてその輝きを楽しんだ。
「俺が最強で、みんなが俺を求めてて、美味しいもの食べて、可愛い子に好かれて。……これ以上の人生なんて、どこにあるんだよ」
彼は満足げに息を吐き、城壁の外、広大な平原へと視線を転じた。
王都の光が届かないそこは、深い闇に包まれている。
しかし、瞬の目にはその闇さえも、「自分の引き立て役」程度の背景にしか見えていなかった。
彼には見えていなかった。
その光の届かない漆黒の闇の中で、一つの小さな影が蠢いていることに。
王都へと続く街道。
冷たい夜露に濡れた草むらを、泥だらけの足が踏みしめる音。
ズルッ、ズルッ……。
それは歩行というより、執念で体を引きずる音に近かった。
ボロボロの布を頭から被った、小柄な人影。
布の隙間からは、一切の感情を凍結させたような、虚ろな気配が漂っている。
華やかな王都の灯りが、遠くに見えているはずだ。
歓声や音楽の残響が、風に乗って聞こえているはずだ。
だが、その影は足を止めない。
瞬は城壁の上で、無邪気に足をぶらつかせた。
「さてと、明日も忙しくなるぞー!」
彼は背伸びをして、光り輝く街へと戻っていく。
光が強ければ強いほど、影は濃くなる。
有頂天にある者は、足元の暗がりに何が潜んでいるかを知らない。
天界の住人である瞬と、地獄の底を這ってきたメイ。
二つの極端な運命が、同じ場所で交錯しようとしていた。
それは絵の具を水桶にぶちまけたような単調な青ではなく、何層もの薄い絹を重ねたような、奥行きのある透き通った蒼穹だ。
初夏の風が、石造りの街並みを軽やかに吹き抜けていく。
その風には、広場の屋台で焼かれる香草と羊肉の脂の匂い、貴婦人たちのドレスから香るバラの香水、そして焼きたてのパンの甘い酵母の香りが混じり合い、吸い込むだけで胸が躍るような「平和の飽和」があった。
瞬は、王都の中央広場に面したカフェのテラス席で、琥珀色のアイスティーを揺らしていた。
グラスの中で氷がカラン、と涼やかな音を立てる。
その音さえも、彼を祝福する鐘の音のように聞こえた。
「ねえ瞬さん、聞いてますぅ?」
向かいの席で身を乗り出しているのは、ギルドの看板娘、リナだ。
太陽の光を吸い込んだような金色の髪が、風に合わせてサラサラと揺れる。
彼女の瞳は、疑うことを知らない子犬のようにキラキラと潤んでいた。
「聞いてるよ。新作のチーズケーキが絶品なんだろ?」
「そうですぅ! あとね、瞬さんが昨日、ドラゴンを『ちょっと邪魔』って言って素手で投げ飛ばした話、もう街中の噂ですよぉ!」
リナが両手を合わせてうっとりと頬を染める。
瞬は口元を緩め、わざとらしく髪をかき上げた。
「よしてくれよ。俺はただ、散歩のコースにトカゲが寝てたから、どいてもらっただけさ」
嘘ではない。
彼にとって、この世界の理(ルール)はあまりにも緩かった。
彼が「こうしたい」と願った瞬間、世界はその通りに形を変える。
まるで、自分のためだけに用意された箱庭のようだった。
「さすが瞬さん! もう、素敵すぎますぅ!」
リナの称賛の声が、瞬の自尊心を心地よくくすぐる。
彼は背もたれに深く体を預け、眩しい太陽を見上げた。
(ああ、人生ってのはこうでなくちゃな)
苦しみ? 悲しみ?
そんなものは、この世界の設定ミスか何かなのだろう。
欲しいものは手に入り、邪魔なものは消え、明日は今日より楽しくなる。
それが彼にとっての「当たり前」であり、疑いようのない真実だった。
自分が今、巨大な車輪の頂点にいて、その車輪が回ればいずれ底へ落ちるということになど、彼は微塵も気づいていない。
その時だった。
キィィィィン……。
耳鳴りのような高い音が、王都の空気を震わせた。
カフェの客たちが会話を止め、一斉に空を見上げる。
先ほどまで宝石のように澄み渡っていた空が、インクを垂らしたように急速に濁り始めた。
太陽の光が遮られ、広場に冷たい影が落ちる。
「な、なんですかぁ……?」
リナが怯えたように瞬の袖を掴む。
空の裂け目から、赤黒い雷と共に、巨大な影が這い出してきた。
それは、王城よりも巨大な、異形の巨人だった。
全身が腐った泥のような粘液で覆われ、無数の眼球がギョロギョロと街を見下ろしている。
人々が悲鳴を上げる暇もなかった。
その存在が放つ圧倒的な威圧感が、生物としての本能的な恐怖を鷲掴みにしたのだ。
『我は……古(いにしえ)の……破壊なり……』
巨人の声は、耳ではなく、直接脳髄を揺さぶる重低音として響いた。
広場の石畳がガタガタと震え、建物の窓ガラスが一斉に砕け散る。
平和の象徴だった王都は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供、剣を抜くが足が震えて動けない騎士たち。
「お、終わりだ……伝説の魔神だ……」
「予言にあった、世界の終わりの日だ……!」
絶望が伝染病のように広がっていく。
誰もが死を覚悟し、地面にひれ伏した。
ただ一人、アイスティーの氷を口の中でガリガリと噛み砕いている男を除いて。
「あーあ」
瞬は面倒くさそうに立ち上がると、飲み干したグラスをテーブルに置いた。
「せっかくのデートが台無しじゃんか。空気読めよな、デカブツ」
リナが涙目で瞬を見上げる。
「瞬さん!? 逃げましょう、あれは勝てません! 神話に出てくる怪物ですぅ!」
「リナちゃん」
瞬はリナの震える肩に手を置き、安心させるようにニカッと笑った。
その笑顔には、根拠のない、しかし絶対的な自信が満ち溢れていた。
「俺がこの世界に来てから、勝てなかったことなんて一度でもあった?」
「え……」
「見てて。秒で終わらせてくるから」
瞬は地面を軽く蹴った。
たったそれだけの動作で、彼の体は砲弾のように空へと射出された。
重力という鎖を引きちぎり、彼は一瞬で魔神の目の前――上空数千メートルの高さへと到達する。
眼下には、おもちゃのように小さな王都。
そして目の前には、世界を絶望させる魔神の醜悪な顔。
魔神の無数の目が、目の前の小さな人間に焦点を合わせる。
『小僧……我ガ力ニ、恐レヲ――』
「話がなげぇよ」
瞬は右の拳を軽く引いた。
特別な構えも、魔力の詠唱もない。
ただ、学校の掃除の時間に机を運ぶくらいの気軽さで、彼は拳に力を込めた。
「必殺……えーと、なんだっけ。そう、『アルティメット・瞬・バスター』!」
ネーミングセンスのかけらもない技名と共に、拳が振るわれる。
物理法則が悲鳴を上げた。
瞬の拳が空気を圧縮し、その一点から爆発的な衝撃波が生まれた。
それはもはや打撃ではない。
空間そのものを歪める災害だった。
ドォォォォォォォォォン!!
鼓膜をつんざく轟音と共に、魔神の上半身が消し飛んだ。
血飛沫すら上がらない。
あまりの衝撃に、魔神を構成していた物質が原子レベルで分解され、キラキラと光る塵となって霧散したのだ。
残された下半身が、支えを失ってゆっくりと崩れ落ちていく――その前に、余波の風圧でそれすらも砂のように崩れ去った。
空を覆っていた黒雲が、衝撃波で強引に吹き飛ばされる。
再び現れたのは、先ほどよりもさらに澄み渡った、一点の曇りもない青空だった。
魔神だった光の粒子が、ダイヤモンドダストのようにキラキラと降り注ぐ。
瞬は空中でくるりと一回転すると、重力を無視したふわりとした動きで、リナの目の前に着地した。
「ただいま。デザート、まだ頼めるかな?」
広場は静まり返っていた。
何が起きたのか、誰にも理解できなかった。
世界を滅ぼすはずの魔神が、瞬きする間に消滅したのだ。
数秒の空白の後、誰かが震える声で叫んだ。
「……か、神だ」
「神の御使い様だぁぁぁぁ!!」
ワァァァァァァァァッ!!
爆発のような歓声が王都を揺らした。
人々が涙を流しながら瞬に駆け寄ってくる。
騎士たちは剣を捨てて跪き、老人たちは拝み始めた。
彼らの瞳に映るのは、もはや一人の青年ではない。
自分たちの不安を取り除き、願いを叶えてくれる「絶対的な偶像」だった。
「瞬さぁぁぁぁん!!」
リナが弾丸のように飛びついてきた。
瞬は彼女を軽々と受け止める。
柔らかい感触と、甘い香り。
「すごいです! すごすぎますぅ! 私、心臓が止まるかと思いましたぁ!」
リナは涙でぐしゃぐしゃになった顔を、瞬の胸に押し付ける。
「大好き……! 世界で一番、瞬さんが大好きですぅ!」
その言葉を聞いた瞬間、瞬の脳内で何かが弾けた。
ドーパミン、エンドルフィン、ありとあらゆる快楽物質が脳を駆け巡る。
(聞いたか? 今、聞いたか世界!?)
彼はリナの背中に手を回し、強く抱きしめ返した。
周囲を取り囲む数万の民衆が、割れんばかりの拍手と喝采を送っている。
空からは光の粒子が祝福のように降り注ぎ、腕の中には世界一可愛い女の子。
「俺は……」
瞬は恍惚とした表情で、空に向かって宣言した。
「俺は、この街を守る。リナちゃんの笑顔も、みんなの平和も、全部俺が守ってやる!」
その言葉に、さらに大きな歓声が上がる。
瞬は確信していた。
この瞬間が永遠に続くことを。
自分がこの世界の主人公であり、すべての運命は自分を輝かせるために回っているのだと。
「自分という存在」が、他者との関係性の中でたまたま成り立っているだけの「現象」に過ぎないことなど、彼の思考の片隅にもない。
彼は今、自分という「個」が、世界よりも重く、確かなものであると信じ込んでいた。
***
その夜。
王都は前代未聞の祝祭に包まれていた。
どの家も窓を開け放ち、街路樹には無数のランタンが吊るされ、まるで星空が地上に降りてきたかのような輝きだった。
広場では酒が振る舞われ、音楽隊が陽気な曲を奏で、人々は朝まで踊り明かすつもりで騒いでいる。
瞬は、喧騒から少し離れた高い城壁の上に座り、夜風に吹かれていた。
ここから見下ろす王都の夜景は、宝石箱をひっくり返したように美しい。
手には、国王から直々に授与された「救国の英雄」の勲章。
重厚な黄金の輝きが、月明かりを鈍く反射している。
「……へへっ」
自然と笑みがこぼれる。
元の世界では、四畳半の部屋で、誰にも知られずにラノベを読んでいた自分。
それが今では、国中の誰もが名前を知る英雄だ。
リナとのデートの約束も取り付けた。
ギルドの報酬は使い切れないほどある。
悩み? 不安?
そんな言葉は、辞書から消してしまえばいい。
「最高だな、異世界」
瞬は勲章を空にかざし、片目を閉じてその輝きを楽しんだ。
「俺が最強で、みんなが俺を求めてて、美味しいもの食べて、可愛い子に好かれて。……これ以上の人生なんて、どこにあるんだよ」
彼は満足げに息を吐き、城壁の外、広大な平原へと視線を転じた。
王都の光が届かないそこは、深い闇に包まれている。
しかし、瞬の目にはその闇さえも、「自分の引き立て役」程度の背景にしか見えていなかった。
彼には見えていなかった。
その光の届かない漆黒の闇の中で、一つの小さな影が蠢いていることに。
王都へと続く街道。
冷たい夜露に濡れた草むらを、泥だらけの足が踏みしめる音。
ズルッ、ズルッ……。
それは歩行というより、執念で体を引きずる音に近かった。
ボロボロの布を頭から被った、小柄な人影。
布の隙間からは、一切の感情を凍結させたような、虚ろな気配が漂っている。
華やかな王都の灯りが、遠くに見えているはずだ。
歓声や音楽の残響が、風に乗って聞こえているはずだ。
だが、その影は足を止めない。
瞬は城壁の上で、無邪気に足をぶらつかせた。
「さてと、明日も忙しくなるぞー!」
彼は背伸びをして、光り輝く街へと戻っていく。
光が強ければ強いほど、影は濃くなる。
有頂天にある者は、足元の暗がりに何が潜んでいるかを知らない。
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2月28日HOTランキング9位!
3月1日HOTランキング6位!
本当にありがとうございます!
転生したら最強の神具を持っていた!~無自覚英雄は今日ものんびり街を救う~
にゃ-さん
ファンタジー
ブラック企業で過労死した青年・タクトが転生した先は、魔法と剣が息づく異世界。
神から与えられた“壊れ性能”の神具を片手に、本人は「平穏に暮らしたい」と願うが、なぜか行く先々でトラブルと美女が寄ってくる。
魔物を一撃で倒し、王族を救い、知らぬ間に英雄扱いされるタクト。
そして、彼を見下していた貴族や勇者たちが次々と“ざまぁ”されていく…。
無自覚最強系×コミカルな日常×ほのぼのハーレム。テンプレの中に熱さと癒しを込めた異世界活劇、ここに開幕!
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