無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第6章:象牙の塔の魔女

第26話:琥珀色の瓶と、英雄の不純な動機 〜「満足」とは、次の欲求への休憩所である〜

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 季節というのは、気づかないうちにその衣装を着替えているものだ。
 つい先日まで、世界を淡いピンク色に染め上げていた春の女神は、いつの間にか緑色の絵の具をたっぷりと含んだ筆を振るい、王都の景色を一変させていた。

 晩春から初夏へ。
 一年の中で、世界が最も生命力に満ち、そして少しだけ気だるさを帯びる季節。

 王都グランドルの大通りに植えられた街路樹は、若葉の瑞々しい黄緑色から、光をたっぷりと吸い込んだ深い深緑色へとその色を変えていた。
 空は高く、突き抜けるような青さを誇っているが、その空気にはほんのりと湿り気が混じり始めている。
 風が吹くたびに、生い茂った葉が「サワサワ」とこすれ合う音が、まるで遠い海の波音のように街全体を包み込む。その風には、湿った土の匂いと、太陽に熱されたレンガの匂い、そして熟れ始めた果実の甘ったるい芳香が混じり合い、吸い込むだけで肺の奥が重くなるような、独特のけだるさを運んできた。

 地面には、枝葉の隙間からこぼれ落ちた木漏れ日が、複雑な幾何学模様を描いて揺れている。光と影のコントラストは強くなり、夏という季節が、もうすぐそこまで来ていることを予感させた。

 そんな、誰もが昼寝を貪りたくなるような午後のカフェテラスにて。
 一人の男が、世界の終わりについて思索する哲学者のような顔で、腕を組んでいた。

 瞬(シュン)である。

 彼は、テーブルに置かれたアイスティーのグラス――氷が溶けてカラン、と涼やかな音を立てるそれ――を睨みつけながら、重々しく口を開いた。

「……足りない」

 その声には、深い苦悩が滲んでいた。
 隣に座っていたメイが、ビクリと肩を震わせる。彼女は新しい白いアイガードを指で触れながら、オロオロと瞬の顔を覗き込んだ。

「しゅ、瞬? 何が足りないの? お砂糖? それともミルク?」
「違うんだ、メイ。俺が言っているのは、もっと根本的な……魂の欠乏についてだ」

 瞬は前髪をかき上げ、憂いを帯びた視線を遠くへ投げた。
 その横顔は、まるで悲劇の主人公のようだ。通りがかる女性たちが「あら、素敵な方……でもなんだか深刻そう」と頬を染めて通り過ぎていく。
 だが、彼の対面に座っていた銀色の塊――騎士ゼイクは、手元の帳面から視線も上げずに、無機質な声で切り捨てた。

「カロリーなら足りているはずだ。先ほどの昼食で、貴様は通常の成人男性の三倍にあたるパスタを摂取した。計算上、あと六時間は空腹を感じる生理的根拠がない」

 ゼイクは今日も完璧だった。
 泥にまみれたあの日から数週間。彼は新しい鎧(もちろんピカピカに磨き上げられている)に身を包み、相変わらず定規で測ったような姿勢でコーヒーを飲んでいた。
 ただし、以前と違う点が一つだけある。
 彼の鎧の首元には、泥汚れのシミが微かに残った布切れ――かつて瞬が顔を拭いたあのマントの端切れ――が、お守りのように結ばれていたのだ。それは彼なりの「柔軟さ」への戒めなのか、あるいは単なる瞬への当てつけなのかは定かではない。

「石頭、お前にはロマンという回路がないのか?」
 瞬は呆れたように息を吐いた。
「俺が言ってるのは、腹の話じゃない。……『効率』の話だ」

「効率?」
 メイが小首をかしげる。紫の瞳が、不思議そうに瞬を見つめる。

「そう、効率だ。最近の俺たち、ちょっと働きすぎだと思わないか? ドラゴンを追い払ったり、暴走ゴーレムを解体したり。俺、このままだと過労で倒れて、悲劇の英雄として伝説になっちゃう気がするんだよね」

「……貴様の体力はオーク並みだ。倒れる心配より、周囲の被害を心配しろ」
 ゼイクが冷静にツッコミを入れるが、瞬は無視して続けた。

「そこでだ。俺は考えた。今のパーティに足りないもの。それは……俺をもっと楽させてくれる『回復役(ヒーラー)』だ!」

 瞬はバン! とテーブルを叩いた。
 勢いでアイスティーの氷が跳ね、ゼイクの眉間にピシッと命中する。ゼイクのこめかみに青筋が浮かぶが、彼は深呼吸をして(一、二、三と数えて)怒りを鎮めた。成長である。

「回復役……ですか?」
 メイが不安そうに呟く。
「でも、怪我なら私が治せますし、ポーションもあります」

「いやいや、メイちゃん。君には負担をかけたくないんだよ。君はただ、俺の隣でニコニコ笑っていてくれれば、それが世界平和への最大の貢献なんだ」
 瞬は歯の浮くような台詞をサラリと言ってのけ、メイを真っ赤にさせた。

 しかし、瞬の本音はもっと俗物的だった。
(回復魔法のエキスパートがいれば、俺は防御とか回避とか面倒なことを考えずに、もっと派手な攻撃魔法をぶっ放せる。そうすれば戦闘時間は短縮され、俺がカッコいいポーズを決める余裕も生まれ、結果としてリナちゃんや街の人にもっとチヤホヤされる……完璧だ!)

 これは、欲求だ。喉が渇いた時に海水を飲むようなものだと言われる。飲めば飲むほど渇きは激しくなり、「もっと欲しい」「今のままじゃ満足できない」という炎が心を焦がす。
 今の瞬は、地位も名声も仲間も手に入れた。普通の人間なら十分に満たされているはずだ。
 けれど、彼は満足していない。「もっと楽をしたい」「もっと賞賛されたい」。その終わりのない欲求が、彼を突き動かしている。
 それは一見、向上心のように見えるが、その実態は「現在の幸せ」を否定し続ける、飢餓感のループだった。

「それにさ、パーティメンバーが増えれば、賑やかで楽しいだろ? 変な奴は入れないって。俺のお眼鏡にかなう、最高の人材を探そうぜ!」

 瞬のその言葉に、メイの表情が一瞬だけ曇った。
 彼女の脳裏に、かつての記憶がよぎる。
 村を追い出された記憶。仲間だと思っていた亜人たちに裏切られた記憶。
 「新しい人が入ってくる」ということは、また「拒絶されるリスク」が増えるということだ。紫の瞳を見たその人が、自分をどう思うか。またあの恐怖を味わうことになるのではないか。
 トラウマという古傷が、湿度の高いこの季節の空気のように、ジクリと痛む。

 だが、瞬は敏感だった。
 彼はテーブルの下で、そっとメイの手を握った。

「大丈夫だ」
 短く、けれど力強い言葉。
 瞬はニカっと笑う。
「もし新しい奴がメイのことを悪く言ったら、そいつは即クビだ。大気圏外まで蹴り飛ばしてやる。俺が守りたいのは、世界じゃなくて君だからな」

 その言葉は、あまりにも無責任で、公私混同も甚だしかった。
 けれど、メイにとっては、どんな聖人の言葉よりも尊い「安心」の響きだった。
 メイの強張っていた肩から力が抜け、彼女ははにかむように微笑んだ。そして、安心感を確かめるように、コツンと瞬の肩に自分の額を押し付けた。

「……うん。瞬がいるなら、平気」

 その瞬間、瞬の内心は大嵐だった。
(か、可愛いーーッ! なに今の仕草! 小動物!? 反則だろ! 結婚か!? いやもうこれは実質結婚してるも同然だろ!!)
 表面上はクールな英雄を装っているが、内心ではガッツポーズを連打し、脳内で教会の鐘を鳴らしまくっている。
 ゼイクはそんな二人を冷めた目で見つめ、「……バカップルめ」と小さく呟いて、冷めたコーヒーを啜った。

 その時だった。
 テーブルの上に置かれた、小さな琥珀色の小瓶が、木漏れ日を受けてキラリと光った。
 それはメイが腰のポーチから取り出し、手入れのために置いていたポーションの瓶だった。

「ん?」
 瞬の目が、その小瓶に吸い寄せられた。

 ただのガラス瓶ではない。
 蜂蜜を溶かしたような濃厚な金色の液体の中で、微細な光の粒子が、まるで生きているかのようにゆっくりと螺旋を描いて舞っている。
 光が瓶を透過し、テーブルの上に美しい金色の波紋を映し出していた。
 それは、工業製品のような均一さとは無縁の、作り手の息遣いが聞こえてくるような「作品」だった。

「ねえメイ。それ、どこで買ったの? 普通のポーションとは輝きが違うな」
 瞬が問いかけると、メイは小瓶を愛おしそうに掌に乗せた。

「これですか? これは……リナさんに教えてもらった『魔女の隠れ家』というお店のものです。怪我をした時、これを飲むと、痛みがすぅっと引いて、温かい気持ちになるんです」

「へえ……」
 瞬は瓶を手に取り、太陽にかざしてみた。
 中に封じ込められているのは、単なる薬効成分だけではない気がした。
 誰かのことを想い、丁寧に、時間をかけて素材を煮詰め、祈るようにして作られた、濃密な「手間」と「時間」の結晶。
 安易な効率化とは対極にある、愚直なまでの丁寧さ。

「すごいな。これを作った奴、ただ者じゃないぞ」
 瞬の直感が告げていた。
 このレベルの魔法薬を作れる人間なら、魔力制御の技術は超一流のはずだ。

「でも、お店のご主人はすごく変わった方らしいです」
 メイが言った。
「極度の人嫌いで、店には強力な結界が張ってあって、誰も姿を見たことがないとか。貴族からの依頼も、『気分が乗らない』って断っちゃうそうです」

「引きこもり、か」
 ゼイクが反応した。
「社会性を欠いた技術者か。扱いづらそうだな。組織には馴染まないタイプだ」

 普通なら、そこで諦める。
 あるいは、「面倒くさそうだから関わらないでおこう」となる。
 だが、瞬は違った。
 彼の口元が、ニヤリと三日月形に歪む。
 それは、獲物を見つけた肉食獣の笑みであり、新しいおもちゃを見つけた子供の笑みでもあった。

「引きこもり? 人嫌い? 最高じゃん」
 瞬は小瓶を指で弾いた。チーン、と澄んだ音が響く。

「そんな偏屈な奴が、こんなに優しい薬を作るわけがない。きっと、世界との関わり方が不器用なだけさ」
 瞬の瞳に、根拠のない自信の炎が宿る。

「決めた。この店主をスカウトする。俺たちの新しい仲間は、この『見えない魔女』だ!」

「ええっ!? でも、誰も会ったことがないんですよ?」
 メイが驚くが、瞬は立ち上がってマントを翻した。

「会えないなら、会えるような『偶然』を作ればいいだけの話だろ? 俺に不可能はない。なぜなら俺は、この物語の主人公だからな!」

 こうして、英雄の不純な動機(もっと楽したい)と、運命の悪戯心が化学反応を起こし、新たな物語の扉が開かれようとしていた。

***

 冒険者ギルドへと向かう道中、街の熱気はさらに増していた。
 初夏の太陽は容赦なく照りつけ、石畳からは蜃気楼のような陽炎が立ち上っている。

 ギルドの重厚な扉を、いつものように(ただし今回は壊さない程度に)勢いよく開け放つ。
 ムッとするような熱気、汗とエールと焼肉の匂い、そして男たちの野太い笑い声。
 その混沌とした空間を、三人は堂々と進んでいく。

 周囲の冒険者たちが、ギョッとして道を開ける。
 無理もない。
 「規格外の英雄」瞬。
 「紫の瞳の魔女」メイ。
 そして、「鉄仮面の石頭」ゼイク。
 この三人が並んで歩いている光景は、王都における「混ぜるな危険」の象徴のようなものだった。

「いらっしゃいませぇぇぇ! シュンさぁぁぁん! 今日も無駄に輝いてますねぇぇ!」

 カウンターの奥から、受付嬢リナの金切り声(営業用ハイトーンボイス)が飛んできた。
 彼女は満面の笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。机の下で、スタンプを押す音が「バンッ! バンッ!」と銃声のように響いているのは、もはやギルドの名物BGMだ。

「やあリナちゃん! 君の笑顔は、この蒸し暑さを吹き飛ばす一服の清涼剤だね!」
「まあお上手! でも外の気温は一度も下がってませんけどねぇぇ!」

 リナは笑顔のまま言い返し、ふと瞬の隣にいるゼイクに目を留めた。
 彼女の目が、点になる。

「……あれぇ? ゼイクさん? あなた、鎧の首元に何つけてるんですかぁ? 雑巾?」
「雑巾ではない! これは……ある種の『戒め』であり、記念碑的な……」
「あ、やっぱり雑巾ですね。あと、鎧の足元、ちょっと泥ついてますよ? 潔癖症のあなたが珍しい」

 リナの指摘に、ゼイクはふんと鼻を鳴らした。
 以前の彼なら、顔面蒼白になって磨き始めていただろう。
 だが、今の彼は、平然と答えた。

「多少の汚れは、活動の証だ。それに、いちいち気にしていたら、この野蛮人(瞬)と歩調が合わない」
「お、言うようになったじゃん石頭!」
 瞬がゼイクの背中をバシバシと叩く。
 ゼイクは「触るな、泥が移る」と文句を言いながらも、本気で嫌がってはいないようだった。

 リナは、口をあんぐりと開けてその光景を見ていた。
 (あの石頭のゼイクさんが……瞬さんとじゃれあってる!? 天変地異!? 明日は槍でも降るんですか!?)
 彼女の中で、「瞬=人間関係のクラッシャー兼再生屋」という評価が確定した瞬間だった。

「で、今日は何の用ですかぁ? またドラゴンでも拾ってきました?」
「いや、今日は人探しだ」

 瞬はカウンターに身を乗り出し、声を潜めた。
「『魔女の隠れ家』の店主について、知ってることを教えてほしい」

 リナの表情が、一瞬で真顔に戻った。
 営業スマイルが消え、少し困ったような、それでいてどこか懐かしむような色が瞳に浮かぶ。

「……エリーゼさんのこと、ですね」
「エリーゼ? 名前、知ってるのか?」
「はい。このポーションを卸してもらっているのは、私ですから」

 リナはため息をつき、羽ペンを置いた。
 周囲の喧騒が、少し遠のいた気がした。

「彼女は……天才です。魔法薬学だけでなく、古代魔術の解読、結界術、どれをとっても王宮魔導師クラス。いえ、それ以上かもしれません」
「へえ! やっぱり俺の目に狂いはなかった!」
 瞬が膝を打つ。

「でも」
 リナが釘を刺すように言葉を強めた。
「彼女は、絶対に会ってくれませんよ。彼女の店がある路地裏には、特殊な『人払い』の結界が張られています。悪意のある人はもちろん、単なる興味本位の人も、どうしてもその場所にたどり着けないように認識を阻害されるんです」

「認識阻害の結界か……高度だな」
 ゼイクが唸る。
「物理的な壁ではなく、意識に作用する壁。攻略は困難だ」

「しかも、彼女自身が極度の人間不信なんです。過去に、何かひどい裏切りにあったらしくて……。『人間はもうこりごり』って、ずっと屋敷に閉じこもっているんです」

 リナの話を聞いて、メイの顔色が青ざめた。
 人間不信。裏切り。閉じこもる心。
 それは、かつての自分そのものだ。
 痛いほどに、その店主の気持ちがわかる気がした。世界が怖くて、傷つくのが怖くて、自分だけの殻に閉じこもるしかなかったあの日々。

「……そっとしておいてあげた方が、いいんじゃないでしょうか」
 メイが消え入りそうな声で言った。
「無理に外に連れ出すのは……残酷かも、しれません」

 場に沈黙が落ちる。
 確かに、それは正論だ。傷ついた獣を、無理やり檻から引きずり出す権利は誰にもない。

 だが。
 瞬だけは、ニカっと笑っていた。
 その笑顔は、残酷なほどに明るく、そして救いようがないほどに前向きだった。

「残酷? 逆だよ、メイ」
 瞬は指を一本立てて、チッチッと振った。

「いいか。本当に一人でいたい奴は、あんなに優しいポーションを作らない。あの瓶の中には、『誰かに元気になってほしい』っていうお節介なほどの愛が詰まってるんだ」

 瞬はポケットからあの琥珀色の小瓶を取り出し、ギルドのランプの光にかざした。
 金色の粒子が、キラキラと舞う。

「こいつは叫んでるんだよ。『本当は誰かと繋がりたい』『私の声を聞いて』ってな。ただ、ドアの開け方がわからなくなって、鍵をかけたまま中で泣いてるだけだ」

 瞬の言葉に、メイはハッとした。
 自分もそうだった。
 「放っておいて」と言いながら、心のどこかで、誰かがドアをノックしてくれるのを待っていた。
 そして、そのドアを強引に、デリカシーなく、けれど温かい手でこじ開けてくれたのが、目の前にいるこの男だった。

「鍵がかかってるなら、合鍵を作ればいい。合鍵がないなら……」
 瞬は悪戯っ子のような顔をした。

「窓ガラスを割ってでも、『遊びに行こうぜ!』って誘い出す。それが、俺たち友達(ヒーロー)の役目だろ?」

 あまりにも乱暴な理屈。
 ゼイクが「不法侵入だぞ」とツッコミを入れようとしたが、瞬の目が本気なのを見て、言葉を飲み込んだ。
 この男は、やる。
 善悪や常識の彼岸にある、彼なりの「正義(エゴ)」を貫き通すだろう。

「リナちゃん、場所はどの辺り?」
「……西区の裏路地、通称『猫のしっぽ通り』の奥です。でも、行っても無駄ですよぉ? 結界で入り口が見えませんから」
「サンキュ! 十分だ!」

 瞬は立ち上がり、マントを翻した。
 その背中には、これから始まる冒険へのワクワク感が溢れ出していた。

「行くぞ、野郎ども! 作戦名は『偶然を装った運命の出会い』だ!」
「……作戦名が長すぎるし、矛盾している」
 ゼイクがため息をつきながら立ち上がる。
 メイも、小瓶を胸に抱いて立ち上がった。
 不安はある。でも、それ以上に、その「エリーゼ」という人に会ってみたいという気持ちが芽生えていた。

 ギルドを出て行く三人の背中を見送りながら、リナはぽつりと呟いた。
「……本当に、台風みたいな人たち。でも、もしかしたら……」

 彼女は、手元の書類にスタンプを押した。
 今度は怒りを込めてではなく、祈りを込めて、優しく。
 ポン、という柔らかい音が、騒がしいギルドの中に小さく響いた。

***

 外に出ると、夕暮れが近づいていた。
 空は茜色と群青色が混ざり合い、街全体がセピア色のフィルターを通したように幻想的に輝いている。
 風が少し強くなり、湿気を帯びた生温かい空気が、三人の頬を撫でる。

「さて、どうやってその『認識阻害』とやらを突破するかだが……」
 ゼイクが腕組みをして思案する。
「魔力探知で結界の綻びを探すか? いや、相手が天才となると、カウンターの罠がある可能性も……」

「難しく考えるなよ、石頭」
 瞬は鼻歌交じりに歩き出した。
「結界ってのは、『入り口を探す奴』を拒むんだろ? だったら、探さなきゃいいんだ」

「は? どういう意味だ」

「つまり……」
 瞬は空を見上げ、流れる雲を目で追った。

「俺たちが歩いた先に、たまたま入り口があった。いや、俺たちが通るからこそ、そこに入り口が生まれる。……そういう『運命』にしちまえばいいのさ」

 すべての事象は、原因と条件が重なり合って生じる。
 瞬の強烈な「渇愛(会いたいという欲求)」は、世界という巨大な織物に、新たな糸を強引に通そうとしていた。
 偶然を必然に変え、閉ざされた扉をこじ開ける力。
 それが、彼が「英雄」と呼ばれる所以(ゆえん)なのかもしれない。

 路地裏の奥深く。
 蔦に覆われた古びた洋館の中で、一人の女性がふと顔を上げた。
 膝の上で眠っていた猫が、不意に目を覚まし、扉の方を向いて「ニャア」と鳴いたからだ。

 運命の足音が、近づいていた。
 それは静かなノックではなく、壁をぶち破るハンマーの音のように、荒々しく、そして陽気に響き始めていた。
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