無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第6章:象牙の塔の魔女

第27話:転がるリンゴと、優雅な引きこもり 〜偶然とは、まだ名前のない必然である〜

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 季節の機嫌というものは、恋心のように移ろいやすい。
 王都グランドルの上空には、朝から分厚い雲が居座り、気まぐれな雨を降らせては止み、また降らせては止むというじれったい態度を繰り返していた。

 初夏の雨だ。
 春の優しい小雨とは違い、そこには微かな熱気が孕んでいる。
 ざあっと通り過ぎた雨雲の切れ間から、強烈な日差しが差し込むと、濡れた石畳からは白い湯気が立ち上った。
 路地裏に充満するのは、洗われたばかりのレンガの匂いと、湿った土の匂い。そして、どこかの庭先で雨に打たれたクチナシの花が放つ、濃厚で甘ったるい香りだ。
 世界全体が天然のサウナになったような、肌にまとわりつく湿気。
 普通なら不快指数が高まるこの空気を、瞬(シュン)は鼻歌交じりに楽しんでいた。

「ふんふーん、雨上がりの虹を探しに行こう~♪」

 彼は一人で、王都の西区画――通称「猫のしっぽ通り」と呼ばれる、入り組んだ路地裏を歩いていた。
 メイとゼイクには「ちょっと散歩してくる」と言い残して宿を出た。二人を巻き込むと、またゼイクの小言(「足元が悪い。転倒リスクが三割増しだ」など)が始まるし、メイが心配そうな顔をするからだ。
 それに、今回の「獲物」は、極度の人嫌いらしい。大勢で押しかけては、警戒されて逃げられてしまう。
 狩りは、孤独に行うのが流儀だ。

 瞬は水たまりを軽やかに飛び越えた。
 バシャリ、と跳ねる泥水さえも、彼にとっては楽しいアトラクションの一部だ。
 彼は知っていた。
 目的を持って歩けば、道は必ず開けるということを。
 この世界には「偶然」なんてものは存在しない。すべての出来事は、無数の糸が絡み合って織りなす「必然」の模様なのだから。

 ――そう、例えば。
 角を曲がった瞬間に、向こうから歩いてくる誰かと出くわすことだって、宇宙が始まって以来の決定事項なのかもしれない。

「……っと!」

 路地の向こうから、一人の女性が歩いてきた。
 彼女は、自分の体ほどもありそうな大きな茶色の紙袋を両腕で抱えていた。
 足元がおぼつかない。
 濡れた石畳は滑りやすく、しかもここは緩やかな下り坂だ。彼女が履いている華奢なヒールの靴は、この悪路にはあまりにも不向きだった。

 あ、転ぶ。
 瞬がそう直感したのと同時だった。

 カツッ。
 女性のヒールが石畳の隙間に挟まり、彼女の体がふわりと宙に浮いた。
 スローモーションのように時が引き延ばされる。
 彼女の手から紙袋が離れる。
 ビリッ、という乾いた音と共に袋が破れ、中身が外の世界へと解き放たれた。

 鮮烈な、赤。
 それは、大量のリンゴだった。
 熟れた果実たちが、灰色の石畳の上にばら撒かれ、重力に従ってコロコロと坂道を転がり落ちていく。
 一つ、二つ、十、二十……。
 赤い奔流が、瞬の方へと向かってくる。
 そして、女性自身もまた、バランスを失って地面へと倒れ込もうとしていた。

 普通の人間なら、悲鳴を上げて立ち尽くすか、慌てて駆け寄ろうとして自分も滑って転ぶ場面だ。
 だが、瞬は違った。

「おっと、豊作だね」

 彼は風のように動いた。
 ドタバタと走るのではない。
 水面を滑るアメンボのように、あるいは風に舞う木の葉のように、音もなく、抵抗もなく、その場を支配した。

 ヒュンッ。
 彼の手が残像を描く。
 空中に放り出されたままのリンゴを、右手で二つ、左手で三つ、軽やかにキャッチする。
 そのままくるりと回転し、地面を転がってきたリンゴを、サッカーボールをトラップするように足の甲で柔らかく止め、ヒールキックで空中に跳ね上げて手で掴む。

 まるで手品だ。
 あるいは、即興のダンスだ。
 二十個近いリンゴが、瞬の周囲で赤い軌道を描き、次々と彼の腕の中、ポケットの中、フードの中に収まっていく。
 一つも地面に落とさない。一つも傷つけない。

 そして最後に。
 地面に顔を打ち付けそうになっていた女性の元へ滑り込み、その背中にそっと手を回した。

「セーフ」

 瞬は、リンゴまみれになった状態で、優雅に女性を支え止めた。
 彼の腕の中で、女性が驚いたように目を見開いている。

 その顔を見て、瞬は一瞬、呼吸を忘れた。

 美しい、という言葉では足りなかった。
 「魔女の隠れ家」の店主という情報から、彼は勝手に「腰の曲がった偏屈な老婆」か「怪しい薬を煮込む毒々しい女」を想像していた。
 だが、目の前にいるのは、深窓の令嬢と見紛うばかりの、儚げな女性だった。

 色素の薄い、蜂蜜を溶かしたような金色の髪。
 透き通るような白い肌は、日差しを知らない雪のようだ。
 そして何より印象的なのは、その瞳の色。
 雨上がりの空を切り取ったような、どこまでも澄んだサファイアブルー。
 そこには、世俗の汚れなど一切知らないような純粋さと、触れれば壊れてしまいそうな脆さが同居していた。

 エリーゼ。
 間違いなく、彼女がその人だった。

「……あ」

 女性の唇から、小さな吐息が漏れる。
 彼女は自分が助けられたことよりも、瞬が繰り広げた「リンゴ回収ショー」に目を奪われていたようだった。
 彼女は瞬の腕の中で体勢を立て直すと、丁寧すぎるほど丁寧な所作で一礼した。

「ありがとうございます。……ふふ、まるで手品を見ているようでしたわ」

 その声は、上質な絹の布が擦れる音のように柔らかく、耳に心地よかった。
 瞬は抱えていたリンゴを、一つずつ彼女の無事だったもう一つの袋に移しながら、ニカっと笑った。

「いやぁ、いいリンゴだね。赤くて艶があって。これが坂の下まで転がってジュースになっちゃうのは、世界の損失だろ?」

「ええ。おかげで助かりました。……『英雄さん』」

 瞬の手が止まった。
 彼はまだ名乗っていない。
 それに、今日は変装のつもりで、いつもの派手なマントではなく地味な外套を羽織っていたはずだ。

「俺を知ってるの?」

「知っていますよ。世界は、あなたが思っている以上に狭いものですから」

 エリーゼは、悪戯っぽく微笑んだ。
 その笑顔には、引きこもりの陰湿さは微塵もない。むしろ、全てを見透かしているような聡明な光が宿っていた。

「あなたがこの路地に入ってきた時から、風が騒いでいましたもの。『台風みたいな人が来たわよ』って」

 彼女は最後のリンゴを受け取ると、それを胸に抱いた。
 赤い果実と、白い肌のコントラストが、絵画のように美しい。

「お礼をさせてくださいな。……ちょうど、美味しい紅茶の茶葉が手に入ったところなんです」

 それは、瞬が喉から手が出るほど欲しかった「招待状」だった。
 強力な認識阻害の結界。誰もたどり着けない幻の店。
 それを突破する鍵は、剣でも魔法でもなく、ただの「転がったリンゴ」だったのだ。

 袖振り合うも他生の縁、と言う。
 この出会いもまた、瞬の「会いたい」という渇望と、エリーゼの「誰か助けて」という無意識の願いが、リンゴという媒体を通して結びついた結果なのだろう。

「喜んで。俺、喉がカラカラなんだ」

 瞬は迷わず頷いた。
 雨上がりの路地裏に、二人の足音が響く。
 先ほどまでの重苦しい湿気が、不思議と晴れやかに感じられた。

***

 案内されたのは、路地の一番奥、蔦(つた)に覆われた古びた洋館だった。
 門扉は錆びつき、庭木は伸び放題になっているが、それがかえって「眠れる森の美女の城」のような神秘的な雰囲気を醸し出している。

 エリーゼが指先で空気をなぞると、空間が揺らぎ、見えなかった扉が出現した。
 中に入ると、そこは時間の止まった博物館のようだった。
 床から天井まで積み上げられた古書。実験器具のガラス瓶。得体の知れない鉱石や、乾燥した薬草の束。
 足の踏み場もないほど雑然としているが、不思議と不潔感はない。埃の一つ一つさえもが、計算されて配置されたインテリアの一部のように見えた。

「散らかっていてごめんなさいね。私、片付けは苦手なの」

 エリーゼは恥ずかしそうに笑いながら、テーブルの上の本をどけてスペースを作った。
 瞬はソファーに腰を下ろす。スプリングが少しへたっているが、包み込まれるように柔らかい。

 やがて運ばれてきた紅茶は、琥珀色に透き通り、湯気と共に信じられないほど芳醇な香りを放っていた。
 一口飲むと、渋みなど一切なく、果実のような甘みが口いっぱいに広がる。

「うまっ! なにこれ、魔法?」

「いいえ、ただのダージリンよ。でも、温度と蒸らし時間、そして『美味しくなあれ』という気持ちがあれば、魔法を使わなくても美味しくなるわ」

 エリーゼも向かいの席に座り、カップに口をつけた。
 その所作の一つ一つが洗練されていて、無駄がない。
 瞬は確信した。
 この人は、ただ者ではない。
 この優雅な身のこなしは、膨大な魔力制御の訓練と、高い教養の裏返しだ。

 瞬はカップを置き、単刀直入に切り出した。

「エリーゼさん。俺の仲間になってほしい」

 駆け引きなしの直球。
 エリーゼの手が、ピクリと止まった。
 カップの中の液面が、わずかに波紋を描く。

 彼女はカップをソーサーに戻し、静かに瞬を見つめ返した。
 さっきまでの柔和な笑顔が消え、瞳の奥に深い影が落ちる。それは、日陰に咲く花のような、哀しい色だった。

「……光栄なお誘いですわ、英雄さん。でも、ごめんなさい」

 彼女は首を横に振った。

「私はもう、誰かと群れるのはやめたの」

「どうして? 腕は確かなんだろ? 俺たちと組めば、もっと広い世界が見られるぜ?」

「世界……」
 彼女は自嘲気味に笑った。

「世界なんて、この部屋の中だけで十分よ。本を読んで、実験をして、たまにこうして迷い込んだお客様とお茶を飲む。それで満足なの」

 嘘だ、と瞬は思った。
 彼女の言葉には、諦めと、そして隠しきれない「恐怖」が滲んでいた。
 誰かと関わることへの恐怖。
 外の世界へ出ることへの恐怖。
 その傷跡は、深く、まだ血を流しているように見えた。

「それに、私なんて……ただの足手まといよ」
 エリーゼは自分の膝の上で手を組んだ。白く細い指が、震えている。
「いざという時、私は戦えない。走れない。……また、誰かの重荷になるだけだわ」

 「また」。
 その言葉が引っかかった。
 過去に何かがあったのだ。彼女がこれほどまでに自分を卑下し、心を閉ざす原因となった出来事が。
 だが、今の瞬にそれを暴く権利はない。土足で心に踏み込むのは、彼の流儀ではない(と本人は思っているが、実際はかなり踏み込むタイプである)。

 瞬は、作戦を変更した。
 情に訴えるのが駄目なら、利に訴える。商人のガルドから学んだ交渉術だ。

「わかった。無理強いはしない。でもさ、取引ならできるだろ?」

「取引?」

「ああ。あんた、研究者だろ? 新しい魔法や薬を作るのが好きなんだろ?」
 瞬は右手を掲げた。
 指先に、魔力を集中させる。
 バチバチ、という音と共に、青白い光が溢れ出し、部屋中の空気がビリビリと震え始めた。
 規格外の魔力。
 魔神すら消滅させた、底なしのエネルギー。

 エリーゼの目が釘付けになった。
 研究者としての本能が、その輝きに魅入られてしまったのだ。
「すごい……。なんて純度の高い、濃密な魔力……。これがあれば、理論上だけで不可能だった『あの術式』も、完成できるかもしれない……」

 彼女がゴクリと喉を鳴らすのを、瞬は見逃さなかった。

「どうだ? 俺のこの魔力、実験に使わせてやるよ。俺が実験台になってもいい」

「えっ……い、いいの? 危険な実験かもしれないわよ?」
 エリーゼの瞳に、マッドサイエンティスト特有の危ない光が灯る。

「構わねぇよ。俺は頑丈だからな。その代わり……」
 瞬はニヤリと笑った。

「たまにでいい。俺たちのクエストを手伝ってくれ。後ろから魔法でサポートしてくれるだけでいいんだ」

 エリーゼは迷った。
 誰かと関わるのは怖い。また傷つくのは嫌だ。
 けれど、目の前のこの圧倒的な魔力という「素材」は、あまりにも魅力的すぎた。
 知的好奇心という名の欲求が、恐怖を少しだけ上回った。

「……わかったわ」
 彼女は小さく頷いた。

「あくまで、ビジネスパートナーとして。実験の対価として、力を貸すわ」

「交渉成立だ!」

 瞬は身を乗り出して、エリーゼの手を握った。
 彼女の手は氷のように冷たかったが、瞬の熱が伝わると、ほんのりと赤く染まった。

「よろしくな、エリーゼ。俺は瞬だ」

「ええ、よろしく。……変な人ね、あなたは」

 エリーゼは困ったように、けれど嬉しそうに微笑んだ。
 窓の外では、いつの間にか雨雲が完全に去り、夕焼けが空を焦がしていた。
 部屋の中に差し込む赤い光が、積み上げられた本の山を黄金色に染め上げている。

 転がったリンゴが繋いだ、奇妙な縁。
 引きこもりの魔女と、規格外の英雄。
 この出会いが、彼女の止まっていた時間を動かす歯車になることを、この時の二人はまだ知らない。

 瞬は、空っぽになったティーカップを置いた。
 飲み干した紅茶の底に、茶柱が一本、まっすぐに立っていた。

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