無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第10章:スラムの黒猫たち

第49話:決行前夜の冷たい雨 〜罪は祈りである〜

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 季節は、冬の入り口で足踏みをしていた。

 王都の空から降り注ぐのは、雪へと変わる一歩手前の、骨まで凍みるような冷たい雨だった。  夜の闇は深く、街灯の頼りない光さえも、分厚い雨のカーテンに遮られて滲んでいる。  アスファルトではなく、泥と石ころだらけのスラム街の地面は、冷たい泥濘(ぬかるみ)と化し、そこから立ち上る冷気は、生きている者の体温を容赦なく奪い去っていく。

 ボロボロのテント小屋――かつては「黒猫」のアジトとして、笑い声が響いていた場所。  今、そこにあるのは、死刑執行を待つ独房のような、重く、張り詰めた沈黙だけだった。

 中央に置かれたランプの火が、隙間風に揺れて頼りなく明滅する。  その微かな光が、車座になった四人の顔を、陰影深く照らし出していた。

「……相手は、ローゼンバーグ侯爵家だ」

 キースが、押し殺した声で切り出した。  彼は地図(どこかから盗んできた古い王都の地図)を床に広げ、濡れた指で一点を指し示した。

「王都一の大富豪。警備は鉄壁。しかも……」

 キースは言葉を詰まらせ、拳を握りしめた。  情報屋から買った羊皮紙を、テーブルの上に叩きつける。

「最悪のニュースだ。あのアリスとかいう女当主、ギルドに護衛を依頼しやがった。それも、ただの冒険者じゃねぇ」

 彼は、全員の顔を見渡して告げた。

「『英雄シュン』。……あのドラゴンを一撃で吹き飛ばしたっていう、規格外の化け物だ」

 空気が凍りついた。  雨音が、遠くの太鼓のようにドウドウと鳴り響く中、誰も言葉を発することができない。  ボルグが顔をしかめ、ティックが青ざめ、アンナが息を呑む。

 無理だ。  誰もがそう思った。  ただでさえ要塞のような屋敷に、最強の英雄が居座っている。  忍び込むことさえ困難なのに、そこから宝物を奪って逃げるなど、アリが巨人の鼻先から砂糖を盗むようなものだ。  成功率ゼロ。  いや、生還率ゼロ。  それは「作戦」と呼べるものではない。ただの「自殺」だ。

「……やめようよ」

 沈黙を破ったのは、アンナだった。  彼女は震える手で自分の腕を抱きしめ、泣きそうな声で訴えた。

「無理だよ、キース。死んじゃうよ。……私たちが死んだら、誰がミーシャの面倒を見るの?」

 部屋の隅、粗末なベッドの上では、ミーシャが浅く、早い呼吸を繰り返していた。  彼女の時間は、もうほとんど残されていない。  高熱にうなされ、意識も混濁している。赤い斑点が首筋まで広がり、死神の手形のように彼女の命を締め付けている。

「でも……!」  キースが反論しようとするが、アンナは首を横に振った。

「そばにいてあげようよ。最期まで。……あの子が一人で旅立つのを、手を握って送ってあげることくらいしか、もう私たちにできることはないじゃない!」

 それは、あまりにも悲しい、けれど現実的な提案だった。  無駄死にするくらいなら、せめて温かい記憶の中で送ってやりたい。  それは「愛」だ。諦めという名の、優しい愛。

 ボルグも、ティックも、下を向いたままだ。  彼らも分かっている。  勝算なんてない。奇跡なんて起きない。  ここで「行く」と言うのは、勇気ではなく、ただの狂気だ。

 キースは、ミーシャの寝顔を見た。  苦しげに歪んだ眉。乾いた唇。  あの日、雪の中で俺を見上げて笑ってくれた、あの笑顔はもうない。

 (諦めるのか?)

 心の声が問う。  このまま、彼女の命の灯火が消えるのを、ただ手を握って見守るのか?  「愛していたよ」「ごめんね」と泣きながら、彼女が冷たくなっていくのを待つのか?

 ――ふざけるな。

 キースの腹の底から、どす黒く、熱い塊が込み上げてきた。  それは「善意」ではない。  もっとドロドロとした、執着とエゴの塊。  「失いたくない」という、魂の絶叫。

「……嫌だ」

 キースは呟いた。

「俺は嫌だ。あいつが死ぬのを、指をくわえて待ってるなんて、死んでも御免だ」

 彼は立ち上がり、仲間たちを見下ろした。  その瞳は、雨の夜の闇よりも深く、ギラギラと燃えていた。

「いいか、俺たちは『黒猫』だ。泥棒だ。善人じゃねぇ」

 キースは自分の胸を叩いた。

「善人なら、天命を受け入れて、静かに祈るだろうさ。でもな、俺たちは違う。神様が『こいつは死ぬ運命だ』って決めたなら、その神様の喉元に噛み付いてでも、運命を引きずり下ろすのが俺たちだろ!」

 雷鳴が轟く。  窓ガラスがビリビリと震える。

「屋敷には『聖女の涙』がある。それがあれば助かるんだ。……そこに希望があるのに、手を伸ばさずに諦めるなんて、俺にはできねぇ!」

 それは、破滅への誘いだった。  正しい道(あきらめ)を捨て、地獄への道(あがき)を選べという、悪魔の囁き。  だが、その悪魔は、彼らにとっての「家族」だった。

 ボルグが、ゆっくりと顔を上げた。  その目には、涙が溜まっていたが、もう迷いはなかった。

「……違げぇねぇ。俺たちは、あいつの笑顔を見るために生きてきたんだ。あいつがいなくなるなら、俺たちが生きてたってしょうがねぇよな」

 ティックも、ナイフを取り出して弄んだ。 「へっ。英雄シュンだか何だか知らねぇが、俺の速さについてこれるかな? ……一発くらい、土をつけてやろうぜ」

 そして、アンナ。  彼女は、ミーシャの額にあるタオルを替え、そっとキスをした。  立ち上がった彼女の顔は、菩薩のように穏やかで、そして決意に満ちていた。

「わかった。……行こう、キース。地獄の底まで、付き合うわ」

 理屈ではなかった。  損得でもなかった。  彼らは、自分たちの命を天秤にかけ、そして迷わず「ミーシャの未来」の方へ傾けたのだ。  それが「業(カルマ)」だと知っていても。  誰かのものを奪い、誰かを傷つけ、その報いとして自分たちが死ぬことになっても。  愛する者のために罪を犯すことを、彼らは選んだ。

「……晩飯にしよう」

 キースが言った。  おそらく、これが「最後の晩餐」になる。

 テーブルに出されたのは、硬くて黒いパンと、具のない薄いスープだけ。  冷え切った部屋で、雨音を聞きながら食べる食事。  味なんてしない。  喉を通るたびに、砂を飲み込んでいるような気分になる。

 けれど、彼らは手を繋いだ。  テーブルの下で、泥だらけの手と手を、強く握り合った。

「いただきます」

 四人の声が重なる。  冷たい手。でも、掌(てのひら)から伝わる熱だけは、確かにそこにあった。  血の繋がりはない。  世間からはゴミクズと呼ばれる集団。  でも、このぬくもりだけは、誰にも否定させない。  これが俺たちの家族だ。俺たちの全てだ。

 パンをかじる。  硬い。しょっぱい。  誰かが泣いているのか、それとも雨漏りの雫がスープに落ちたのか、分からなかった。

 ***

 食事が終わり、彼らは装備を整えた。  ボロボロの革鎧。手入れのされていない剣。使い古された杖。  英雄に挑むには、あまりにも貧弱な装備。  だが、彼らの背中には、鋼鉄の鎧よりも強固な「覚悟」が纏(まと)わりついていた。

「行ってくるよ、ミーシャ」

 キースは、眠り続けるミーシャの耳元で囁いた。

「必ず戻る。……お前を助ける薬を持って、必ず」

 嘘だ。  戻れる保証なんてない。  それでも、嘘をつかなければ足がすくんで動けなかった。

 彼らはアジトを出た。  外は、バケツをひっくり返したような豪雨だった。  冷たい雨が、彼らの体温を一瞬で奪い、服を重くする。  視界は最悪。足元は泥濘。  まるで世界そのものが、「行くな」と彼らを押し留めようとしているかのようだった。

 あるいは、これから彼らが犯そうとしている罪を、あらかじめ洗い流そうとする涙雨だったのか。

「行くぞ」

 キースの声は、雨音にかき消されそうなほど小さかったが、全員の耳に届いた。  四つの影が、闇夜に溶け込んでいく。  向かう先は、光り輝く貴族街。  鉄壁の要塞、ローゼンバーグ侯爵邸。

 彼らは知らなかった。  そこで待っているのが、「聖女の涙」という希望ではなく、アリスという名の孤独な少女が仕組んだ「残酷なゲーム」であることを。  そして、そこで出会う「英雄」が、彼らの運命を断ち切る死神となるのか、それとも……。

 運命の歯車は、軋みながら回り始めた。  もう、誰にも止められない。  彼らの愛が、罪となり、そして罰を受けるその時まで。

 冷たい雨は、夜明けまで降り止むことはなかった。
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