無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第13章:最強の荷物持ち

第64話:深淵の理不尽と、崩れた日常 〜倒れゆく巨木は、足元の若芽へ光を譲るための道である〜

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 季節という概念が、そこにはなかった。

 「深淵の霊廟(アビス・トゥーム)」の内部。  地上では冬の始まりを告げる木枯らしが吹いているはずだが、地下深くへと続くこの石造りの回廊には、時間そのものが凍りついたような、無機質な冷気だけが満ちていた。

 一行は、黙々と階段を下り続けていた。  カツ、カツ、という足音が、暗闇の奥へと吸い込まれていく。  松明(たいまつ)の炎がチロチロと揺れ、壁面に巨大な影を躍らせる。その影はまるで、侵入者をあざ笑う亡霊の手招きのように見えた。

「……深いな」

 先頭を行くアランが、ポツリと呟いた。  その声は短く、固かった。  もう何時間、下り続けているだろうか。あるいは何日か。  奇妙なことに、敵の姿は一つもなかった。罠(トラップ)の発動もない。  ただひたすらに続く、黒い石の階段と、深くなるにつれて濃密さを増していく瘴気。  ねっとりと肌にまとわりつく空気は、呼吸をするたびに肺の内側を腐らせていくような不快感があった。

「……静かすぎますわ」  エレナが胸元の聖印を握りしめる指が、白くなっている。 「まるで、私たちを『招き入れている』ような……」

 レインが眼鏡の位置を直すが、その指先は微かに震えていた。 「魔力濃度が致死圏内に入りつつある。これほどの瘴気を放つ発生源……ただ事ではないぞ」

 ガルドでさえ、口を閉ざしていた。  彼の野生の勘が、全身の毛を逆立てて警告しているのだ。  『ここから先は、生物の領域ではない』と。

 それでも、彼らは足を止めなかった。  勇者としての使命感か、あるいは単なる意地か。  引き返すには、あまりにも深く潜りすぎてしまっていた。

 そして。  巨大な黒鉄の扉の前にたどり着いた時、アランは一度だけ振り返った。  最後尾にいるシルヴィアと目が合う。  彼は、いつものニカっとした笑顔を作ろうとして――うまく笑えずに、ただ短く頷いた。

「開けるぞ」

 重い金属音が響き、扉がゆっくりと開かれる。  その瞬間。  世界が、反転した。

 ***

「……ようこそ」

 広大なドーム状の空間。  その最奥にある闇の玉座に、"それ"は座っていた。

 人型をしていた。言葉も発した。  だが、それを「人間」と呼ぶことは、太陽を「焚き火」と呼ぶほどに愚かな誤認だった。  圧倒的な「個」。  そこにただ座っているだけで、周囲の空間が歪み、光が屈折し、生命活動が強制的に停止させられそうになる、絶対的な捕食者のオーラ。

 魔王。  百年前に封印されたはずの、災厄の王。

「な、なぜここに……!?」  レインの声が裏返る。 「封印は解かれていないはずだ! なぜ実体化している!?」

 魔王は答えなかった。  退屈そうに頬杖をついたまま、羽虫でも払うかのように、人差し指を軽く動かしただけだった。

 ドォォォォォン!!!!

 説明も、詠唱も、宣戦布告もなかった。  ただの、純粋な「重力魔法」。  それだけで、人類最強と呼ばれた勇者パーティ全員が、巨大な見えざる手によって押し潰されたように、石床に叩きつけられた。

「ぐぁっ……!」 「きゃああっ!」

 ガルドが呻く。岩をも砕く筋肉を持つ彼が、地面に縫い付けられたようにピクリとも動けない。骨が軋む音が聞こえる。  エレナが即座に防御結界を展開するが、それは展開された瞬間に、薄氷のようにパリンと砕け散った。

「……少しは遊べるかと思ったが、期待外れか」

 魔王が、ゆっくりと立ち上がった。  その動作一つで、重圧がさらに増す。  そこからは、戦いではなかった。  一方的な、蹂躙(じゅうりん)だった。

「うぉぉぉぉぉっ!!」

 アランが咆哮と共に、重力を振り切って突撃する。  聖剣エクスカリバーが黄金の光を放つ。山をも両断する、神速の一撃。  だが。

 パシィ。

 乾いた音がした。  魔王は、聖剣の刃を、素手で掴んでいた。  血の一滴も流れていない。

「遅い」

 一蹴。  ただの前蹴りが、アランの腹部に深々と突き刺さる。  内臓が破裂するような鈍い音。  アランの体はボールのように吹き飛び、数十メートル後方の石壁に激突した。

「アラン!!」  シルヴィアの悲鳴が響く。

 通じない。  何もかもが。  レインの放つ極大魔法は、魔王の障壁に触れる前に霧散した。  ガルドの渾身のタックルは、指一本で止められ、逆に腕をへし折られた。  エレナの祈りは、神に届く前に闇に飲まれた。

 彼らが積み上げてきた努力も、経験も、絆も。  昨夜語り合った夢も、未来への希望も。  この圧倒的な「理不尽」の前では、雨に濡れた紙切れのように無力だった。

 「思い通りにならない(一切皆苦)」。  仏教が説くこの世の残酷な真理が、物理的な質量と殺意を持って、彼らの日常を粉々に砕いていく。

 ***

 一時間後。  もはや、立っている者はいなかった。

 広いドームの床は、無惨に破壊され、あちこちに血だまりができていた。

 ガルドは右腕と肋骨を折られ、白目を剥いて気絶していた。  レインは魔力枯渇(マナ・ブレイク)を起こして吐血し、膝をついて震えている。眼鏡は割れ、自慢の魔導書は引き裂かれている。  エレナは聖衣を赤く染め、それでも必死に「ヒール……ヒール……」と唱えようとしているが、指先に光は灯らない。

 そして、アランは。  彼は、左腕を失っていた。  肩口から先がない。鮮血がドクドクと流れ出し、床を濡らしている。  右手に握られた聖剣は、無残にも刀身の半ばから折れ、光を失っていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 アランは、折れた剣を杖代わりにして、ふらりと立ち上がった。  足が震えている。失血で視界が霞んでいるはずだ。  それでも、彼の瞳の光だけは、まだ消えていなかった。

 けれど、悟っていた。  本能が、魂が、理解してしまっていた。

 「勝てない」。  「全滅する」。

 このまま戦えば、あと数分で全員死ぬ。  確実に。例外なく。

 アランは、ゆっくりと後ろを振り返った。  そこには、入り口付近でへたり込んでいるシルヴィアがいた。

 彼女だけは、無傷だった。  服は汚れているが、血は流していない。  なぜなら。  ガルドが、レインが、エレナが、そしてアランが。  魔王の攻撃が彼女に向かうたびに、自分の体を盾にして防いだからだ。  攻撃を捨てることになっても、回避を諦めることになっても、彼女だけは守り抜いたからだ。

 なぜなら、彼女は「荷物持ち」だから。  戦闘力のない、ただの守られるべき存在だから。  そして何より――彼らの「日常」の象徴であり、帰るべき場所(ホーム)そのものだから。

 アランとシルヴィアの目が合った。  シルヴィアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。  アランの顔が、苦痛に歪んだ。  傷が痛いからではない。  これから下さなければならない決断が、あまりにも残酷で、身を切られるように辛かったからだ。

 でも、リーダーとして。  勇者として。  いや、一人の男として、選ばなければならない。

「……シルヴィア」

 アランの声が、静寂のドームに響いた。  それは、命令でも、悲鳴でもなく、ただの呼びかけだった。

「作戦変更だ」

 彼は、残った右腕で、折れた聖剣を構え直した。  ボロボロの体から、最後の生命力を燃やすような、黄金色の闘気が立ち昇る。  それは、勝利のための輝きではない。  仲間を生かすための、送り火のような輝き。

「敵の殲滅じゃない。『撤退戦』だ」

 それは、勇者が初めて選んだ「敗走」だった。  世界を救うことよりも、名誉を守ることよりも。  たった一人の、愛する仲間を生かすことを選んだ、究極のエゴイズム。

 魔王が、愉しげに嗤(わら)った。 「ほう。逃げられると思っているのか? この絶望から」

「思ってねえよ」

 アランも笑った。  血だらけの顔で。  いつものように、ニカっと。

「俺たちは、ここでお前を止める。……その間に、あいつだけは逃がす」

 これが、数十年後の未来でアリスが言った「強制イベント」の正体。  そして、瞬が「魔王はいなかった」と報告した理由。

 魔王は去ったのではない。  彼らが、自分たちの命と引き換えに、ここで食い止めたのだ。  「逃げる」という選択肢を捨てて、「守る」という一点にすべてを賭けたのだ。

 日常が、音を立てて崩れていく。  昨夜の馬鹿騒ぎ。温かいスープの味。未来への約束。  それら全てが、深淵の闇の中に飲み込まれていく。

 アランは、背中で語った。  (行け、シルヴィア。生きてくれ)

 その背中は、今まで見たどんな時よりも大きく、ボロボロで、そしてどうしようもなく寂しげだった。  それは、終わらないはずだった青春の、唐突な幕切れの合図だった。
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