無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第14章:エルフの森と銀色の車

第68話:氷の心と、焚き火のような沈黙 〜誇りという名の鎧は、溶ければ同じ命の滴に還る冬の氷である〜

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 夏の夜風が、レースのカーテンを大きく孕ませていた。  窓の外からは、リリリという虫の声と、遠くの街の灯りが放つ微かな喧騒が、波のように押し寄せては引いていく。  部屋の中は、月明かりだけが頼りだった。青白い光が、ベッドの上に横たわる少女の金色の髪を、冷ややかに照らし出している。

 エルフの少女、アリアが目を覚ましたのは、そんな静寂の只中だった。

「……っ!」

 意識が浮上した瞬間、彼女は弾かれたように身を起こした。  全身を走る鋭い痛み。だが、それ以上に彼女を襲ったのは、生理的な恐怖と嫌悪だった。  ここが、見知らぬ場所であること。  そして、鼻をつく匂い――土と鉄と、そして「人間」の匂いが充満していることに気づいたからだ。

「……ここ、は……」

 アリアは周囲を見回した。  王城の地下牢ではない。木製の家具、清潔なシーツ、窓辺に飾られた野花。  だが、彼女にとってそこは「牢獄」以外の何物でもなかった。

 ガチャリ、とドアが開く音がした。  アリアは反射的に身構え、枕元にあった花瓶を掴んだ。

「あ、目が覚めましたか? お水を持ってきま……」

 入ってきたのは、メイだった。  彼女がお盆を持って近づこうとした瞬間、アリアの喉から獣のような咆哮がほとばしった。

「来るなッ!!」

 ガシャーン!!  投げつけられた花瓶が壁に当たって砕け散り、水と花が床にぶちまけられる。  メイが小さく悲鳴を上げて立ち止まる。

「汚らわしい人間! 私に近づくな! 触れれば殺す!」

 アリアは叫んだ。声は枯れ、体はガタガタと震えているが、その翠(みどり)色の瞳には、決して消えない殺意の炎が燃え盛っていた。  彼女にとって、人間とは対話する相手ではない。森を焼き、同胞をさらい、世界を汚す「害獣」だ。その害獣の巣に連れ込まれたという事実は、彼女のプライドをズタズタに切り裂いていた。

 騒ぎを聞きつけて、廊下からドタドタと足音が近づいてくる。  ゼイクが剣の柄に手をかけて飛び込み、エリーゼが杖を構え、最後に瞬(シュン)がのんびりと顔を出した。

「おいおい、なんだよ。……あーあ、花瓶が。これ高かったんだぞ? アリスに請求書回されるなぁ」

 瞬は、床に散らばった破片を見て、大げさに頭を抱えた。  その緊張感のなさが、逆にアリアの神経を逆撫でする。

「ふざけるな! 私を辱めるつもりか! 捕虜になるくらいなら、舌を噛んで死んでやる!」

 アリアは割れたガラス片を拾い上げ、自分の細い首筋に押し当てた。  一筋の血が滲む。  その目は本気だった。誇りを汚されるくらいなら、命など惜しくはない。

 ゼイクが一歩踏み出そうとするが、瞬が手で制した。

「わかった、わかったから。石頭、みんなを連れて出てってくれ」 「しかし、彼女は……」 「いいから。メイも、ありがとな。後は俺が見とく」

 瞬に促され、ゼイクたちは渋々部屋を出て行った。メイが心配そうに振り返るが、瞬は「大丈夫」とウィンクしてみせる。

 パタン、とドアが閉まる。  部屋には、瞬とアリア、二人だけが残された。

「……貴様も出て行け。さもなくば……」  アリアがガラス片を握りしめる手に力を込める。

 だが、瞬は彼女を見ようともしなかった。  彼は、部屋の隅にある椅子を引きずってくると、ベッドから少し離れた場所にどかりと腰を下ろした。  そして、懐から一冊の雑誌を取り出し、パラパラとめくり始めたのだ。

「…………は?」

 アリアの思考が停止する。  怒鳴られると思った。組み伏せられると思った。あるいは、甘い言葉で懐柔しようとしてくると思った。  だが、この男は。  まるで、自分の部屋でくつろぐように、足を組んで雑誌を読んでいる。

「な、何をしている……?」 「ん? 読書。……へぇ、今年の夏はサンダルが流行んのか。歩きにくそうだな」

 無視された。  アリアは屈辱と混乱で顔を赤くした。 「私を……無視するな! 殺すなら殺せ!」

「殺さねぇよ。めんどくさい」  瞬は言った。 「それに、お前が自分で死ぬのも勝手だけどさ。……せっかくメイが作ったスープ、冷めちまうともったいないだろ?」

 彼は顎でサイドテーブルをしゃくった。  そこには、メイが置いていったお盆があった。湯気を立てる野菜スープと、柔らかそうなパン。そして、綺麗に剥かれたウサギ型のリンゴ。

「毒が入っているに決まっている!」 「入ってねぇって。疑り深い奴だな」

 瞬は、雑誌を片手に、もう片方の手でリンゴを一切れつまみ、パクリと口に入れた。 「ん、甘い。……ほら、俺が食っても平気だろ?」

 アリアは、ガラス片を持ったまま固まった。  攻撃してこない。要求してこない。  ただ、そこにいる。  まるで、森の中にどっしりと構える岩のように。あるいは、静かに燃える焚き火のように。
  外の嵐に心を乱されず、静かな湖面のように落ち着いている状態のことだ。  相手が怒りの炎を燃やしていても、こちらも同じように燃え上がっては、火災になるだけだ。  瞬は、アリアの激情を、ただ「そういう現象」として受け流し、自分のペース(静寂)の中に引きずり込もうとしていた。

 沈黙が落ちた。  一分、五分、十分。  瞬はページをめくる手を止めない。時折、「ふーん」とか「まじか」とか呟くだけ。  アリアは、振り上げた拳の降ろしどころを見失っていた。  敵意を向ける相手が、暖簾(のれん)のように反応しないと、怒りを持続させるのは難しい。緊張の糸が、プツリと切れる。

 カラン。  アリアの手から、ガラス片が滑り落ちた。  彼女は、糸が切れた人形のようにベッドに崩れ落ち、荒い息を吐いた。

「……なぜ」  アリアが、掠れた声で問うた。

「なぜ、私を放置するの。……私はエルフよ。あなたたち人間を蔑み、憎んでいるのよ。隙があれば、その喉を掻っ切ってやるつもりなのよ」

「そう思いたきゃ、思えばいいさ。頭の中は自由だ」  瞬は、雑誌から目を離さずに答えた。

「でもな。お前が俺を嫌いでも、俺がお前に『腹減ってんだろ、食えよ』って思うのは、俺の自由だろ?」

 見返りを求めない。  「お前が態度を改めるなら、優しくしてやる」という取引ではない。  相手がどうあろうと、自分は自分のなすべきこと(善意)を行う。  それは、アリアがこれまでの人生で受けてきた、計算高い人間たちの態度とは、決定的に異なっていた。

 ぐぅぅ……。  不意に、アリアのお腹が小さく鳴った。  彼女は顔を真っ赤にして、腹を押さえた。

 瞬は、聞こえなかったふりをして、ページをめくった。  その配慮が、アリアには少しだけくすぐったかった。

 彼女は、震える手でスプーンを手に取り、スープを一口すくった。  毒見のつもりだった。  だが、口に含んだ瞬間、野菜の甘みと、丁寧にとられた出汁の旨味が、乾いた体に染み渡った。  ――美味しい。  悔しいけれど、涙が出るほど美味しかった。

「……変な奴」  アリアは呟きながら、二口、三口とスプーンを運んだ。  空っぽだった胃袋が満たされていくにつれ、冷え切っていた心にも、少しずつ熱が戻ってくる。

 瞬が、パタンと雑誌を閉じた。  彼は窓の方を向き、夜空に浮かぶ月を見上げて言った。

「なあ。お前さ、『エルフ』っていう看板、背負いすぎじゃね?」

「……何よ」

「誇りとか、種族の対立とか、そういう重たい看板だよ。……そんなの背負ってたら、肩凝るだろ?」

 瞬は、椅子をキコキコと揺らした。

「俺にはさ、お前が『高貴なエルフのお姫様』には見えねぇんだよ。……ただの、『怪我して、腹減らして、心細くて震えてる女の子』にしか見えない」

 アリアの手が止まる。  ただの、女の子。  そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。  常に「長老の娘」として、「エルフの代表」として振る舞うことを求められてきた。弱音を吐くことも、人間に隙を見せることも許されなかった。  「私」という個人は、いつだって「種族」という大きな枠組みの中に埋没していた。

「看板を下ろしてさ、ただの自分に戻って深呼吸してみなよ。……ここの空気は、エルフのものでも人間のものでもない、ただの空気だぜ?」

 瞬の言葉は、シンプルで、乱暴で、そして驚くほど優しかった。    アリアは、深く息を吸い込んだ。  夏の夜の匂い。草の匂い。スープの匂い。  そして、目の前にいる男の、飾り気のない日向のような匂い。  それらは、何の区別もなく、ただそこにあった。

「……ふん」  アリアは、空になった器をテーブルに置いた。  カチャリ、という音が、静かな部屋に響く。

「……味付けは、悪くなかったわ。人間にしてはね」

 精一杯の強がり。  だが、その声には、先ほどまでの刺々しさは消えていた。

 瞬は立ち上がり、ニカっと笑った。 「そりゃよかった。メイに伝えとくよ」

 彼は出口へと向かった。  ドアノブに手をかけ、背中越しにひらひらと手を振る。

「おやすみ。……明日は晴れるといいな」

 ドアが閉まる。  部屋には再び静寂が戻った。  だが、それは以前のような「孤独な静寂」ではなかった。  お腹の中にある温かさと、不思議な安堵感が、アリアを包み込んでいた。

 (変な……人間)

 アリアは、窓から見える月を見つめた。  氷のように固まっていた心が、焚き火の熱に当てられて、一滴だけ溶け出したような気がした。  その夜、彼女は王城の地下牢で見ていた悪夢を見ることなく、泥のように深く眠った。
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