無詠唱? キャンピングカーで大冒険。虐げられた少女を拾った俺は、規格外の力と文明の利器で彼女を全力で救う件

Gaku

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第16章:拒絶の森

第76話:罪悪感という名の重たいコート

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季節というのは、ある日突然カレンダーをめくるように切り替わるわけではない。それはもっと曖昧で、グラデーションのようにゆっくりと、けれど確実に世界の色を塗り替えていくものだ。  北の大地を覆い尽くしていた分厚い雪の毛布が、日ごとに薄くなっていく。  街道のあちこちで、黒々とした土が顔を出し始めていた。その湿った土の匂いは、長く厳しかった冬の終わりと、命が芽吹く春の予感を同時に孕(はら)んでいる。  風はまだ冷たく、頬を刺すような鋭さを残しているものの、その芯には微かな温(ぬく)もりが混じり始めていた。

 そんな早春の街道を、銀色の巨体――魔導キャンピングカー「クイーン・アリス号」が、低い駆動音を響かせながら滑るように進んでいた。

 車内は、外の静かな雪解けの風景とは対照的に、今日も今日とて嵐のような騒がしさに包まれていた。

「だーかーら! パンの耳は『揚げる』のが正義なんだよ! たっぷりの油でキツネ色になるまで揚げて、砂糖をまぶしてカリッとな! これが至高だろうが!」

 広々としたリビングのソファで、瞬(シュン)が熱弁を振るっていた。  彼はソファの上に仁王立ちになり、手には朝食のサンドイッチ作りで切り落とされたパンの耳の山を握りしめている。

「何言ってるのよ。野蛮ねぇ。パンの耳は『ラスク』にするのが一番お洒落でしょ? オーブンでじっくり焼き上げるのよ。揚げるなんてカロリーの暴力だわ」  対面の安楽椅子に深く腰掛けたアリスが、優雅に紅茶を飲みながら呆れたように反論する。

「ふん、二人とも甘いな。パンの耳こそ、コンソメスープに浸してふやけさせ、離乳食のようにして食べるのが最も消化に良い」 「ゼイクさん、それはもはや食事というより『流動食』ですわ。顎(あご)の筋肉が衰えます」

 騎士ゼイクの質実剛健すぎる意見を、魔女エリーゼがバッサリと切り捨てる。  キッチンで片付けをしていたメイは、困ったように微笑んで、手元のボウルを掲げた。

「えっと……私はもう、揚げちゃいましたけど」 「っしゃあ! さすがメイ! わかってるぅ!」

 瞬がガッツポーズをする。ボウルの中には、黄金色に輝く揚げパンの耳が山盛りになっていた。甘く香ばしい匂いが、リビングいっぱいに広がる。

 エルフのアリアは、その喧騒を少し離れた窓際の席から眺めていた。  膝の上には読みかけの分厚い本があるが、内容は頭に入ってこない。

 (……平和ね)

 窓の外を流れる景色のように、穏やかで、何の変哲もない日常。  昨晩、コタツの中でみんなと密着して過ごした温もりが、まだ肌に残っている気がした。あの時は、何もかも忘れてただ笑っていられた。

「ほら、アリアも食ってみろよ! 揚げパン!」

 不意に、目の前にキツネ色に揚がったパンの耳が差し出された。瞬がニカっと笑っている。口の周りに砂糖がついている。

「……いらないわよ。油っこそうだし」 「いいからいいから! 頭使いすぎて疲れてんだろ? 糖分補給だ!」

 強引に押し付けられ、アリアは観念して小さく一口かじった。  ザクッ。  小気味よい音と共に、ジャリジャリとした砂糖の甘さと、油のコクが口いっぱいに広がる。  ジャンクで、下品で、そして……どうしようもなく美味しい味。

「……悪くはないわね」 「だろ!? 俺の故郷じゃ給食の王様だったんだぜ!」

 瞬は満足そうに笑い、またアリスとの論争に戻っていった。  アリアは、口の中に残る甘さを噛み締めながら、ふっと口元を緩めた。

 ――その瞬間だった。

 ズキン。  胸の奥、心臓のすぐ裏側あたりに、鋭い棘(とげ)が刺さったような痛みが走った。  物理的な痛みではない。冷たくて、重い、罪悪感の塊だ。

 (……私、何笑ってるんだろう)

 アリアの表情が強張る。  昨晩のコタツの中や、あの丘の上で瞬に「今のままでいい」と言われた時は、確かに救われた気がした。自分はここにいていいのだと、そう思えた。  けれど、こうしてふと我に返ると、背筋が寒くなる。

 本当に?  本当に、今のままでいいの?

 かつて自分が「害獣」と呼んで見下していた人間たちと、こうして甘い菓子を食べて笑っている。  私がこうして温かい場所で幸せを感じている今この瞬間も、森に残してきた同胞たちは、冷たい風の中で厳しい冬を耐えているというのに。

 『裏切り者』。  どこからか、そんな声が聞こえた気がした。  瞬は許してくれた。みんなも受け入れてくれた。  でも、私自身が、この「幸せ」を許せない。

 (……怖い)

 満たされれば満たされるほど、それが「間違い」であるような気がしてくる。  この温かい時間は、神様が気まぐれにくれた仮初(かりそ)めの猶予に過ぎなくて、明日には全部取り上げられてしまうんじゃないか。  瞬たちが、「やっぱりお前は役に立たない」「ただの居候だ」と言って、私を雪の中に放り出すんじゃないか。

 そんな強迫観念が、黒い霧のように心の中に広がっていく。  瞬の言葉に甘えて、ただ笑ってご飯を食べているだけではダメだ。  もっと何かしなければ。役に立たなければ。  「ここにいていい理由」を、常に証明し続けなければ、私はいつか必ず捨てられる。

 アリアは本を閉じ、立ち上がった。  その動作は、何かに追われるように急だった。

「……掃除、してくるわ」 「え? もう昨日やったじゃん。ピカピカだぞ?」

 瞬が揚げパンを頬張りながら振り返る。

「まだ埃(ほこり)が残ってるかもしれないわ。……それに、魔力探知の結界も張り直さないと。この辺りは磁場が不安定だから、感度が落ちてるかもしれないし。敵が来たら大変でしょ」

 アリアは早口でまくし立てた。  それは誰かに対する説明というより、自分自身への言い訳のようだった。私は役に立っている、私は必要な存在だ、と確認するための。

「おいおい、そんなに根詰めなくても……」 「いいから! 私の気が済まないの!」

 アリアは声を荒らげてしまい、ハッとして口をつぐんだ。  瞬が驚いた顔をしている。  違う、怒りたいわけじゃない。ただ、じっとしていられないだけなのだ。じっとしていると、自分の幸福が罪のように思えて押しつぶされそうになるから。

 彼女は逃げるようにリビングを出て行った。  背中に、仲間たちの不思議そうな、そして少し心配そうな視線を感じながら。

 ***

 自分の個室に戻ったアリアは、ドアに背中を預けてずるずると座り込んだ。  心臓が早鐘を打っている。

 (ここにいたい)  強烈な願いが、胸を締め付ける。  あんなに嫌っていた人間たちの輪の中に、今はどうしようもなく「いたい」と願ってしまっている。  だからこそ、失うのが怖い。  何もしていなくても許されるなんて、そんな甘い話を信じきることができない。

 コンコン。  控えめなノックの音がした。  アリアはビクリと肩を震わせ、慌てて立ち上がり、服の皺を伸ばした。  弱みを見せてはいけない。完璧でなければならない。役に立つエルフでなければならない。

「……誰?」 「メイです。……入ってもいいですか?」

 アリアは一瞬躊躇(ためら)ったが、鍵を開けた。  ドアを開けると、メイがお盆を持って立っていた。湯気を立てるマグカップが乗っている。

「あの、アリアさん。リビングで顔色が悪いみたいだったので……ホットミルク、持ってきました。蜂蜜入りです」

 メイは、食事の時でさえ外さない白いアイガードの下から、心配そうにアリアを見上げている。  その全身から発せられるオーラは「心配」と「親愛」そのものだった。

「……ありがとう。でも、必要ないわ。少し疲れていただけよ」

 アリアは冷たく言おうとした。  優しくされるのが怖かった。その優しさに甘えてしまえば、自分がもっと駄目になってしまう気がしたから。  だが、メイは遠慮がちに、でも強引に部屋に入ってきた。  そして、サイドテーブルにカップを置くと、アリアの手をそっと、ぎゅっと握った。

「冷たいです」  メイが悲しげに言う。 「アリアさん、最近、無理してませんか? 夜も見回りをしたり、掃除をしたり……。昨日も、夜中に起きて装備の手入れをしてましたよね?」

 見られていた。  アリアは動揺した。

「これは私の役目よ。……私がしっかりしないと」 「役目とか、そういうのじゃなくて」

 メイは、真っ直ぐにアリアを見た。

「アリアさんが辛そうだと、私も辛いです。……私、アリアさんの笑ってる顔が好きですから」

 ドキン。  アリアの言葉が詰まる。  ただの、感情論。  論理的でもなんでもない。「効率」や「役割」といった言葉とは無縁の理屈。  でも、その言葉は、アリアが必死に積み上げてきた「自分を正当化するための理屈」を、いとも簡単に溶かしてしまう。

 (やめてよ……)  アリアは心の中で泣いた。  そんなに温かくしないで。  私は、あなたが思うようないい子じゃないのよ。  内心では怯えて、計算して、自分の居場所を守ることしか考えていない、卑しいエルフなのよ。

 メイの手の温もりが、冷え切ったアリアの手のひらを侵食していく。  それは心地よく、そして痛かった。

「……飲むわ」

 アリアは観念して、カップを手に取った。  温かいミルクを一口飲むと、張り詰めていた神経が、強制的に緩められるような感覚があった。  悔しいけれど、ホッとしてしまう。

「……美味しい」 「よかったです! ……あ、そうだ。さっきアリスさんが地図を見て騒いでましたよ。次の村に、温泉があるんですって!」

「温泉?」 「はい! 『裸の付き合いよ!』って盛り上がってました」

 温泉。裸の付き合い。  同じ湯船に入るということは、互いの境界線をなくし、隠しているものを全て晒(さら)け出すということだ。

「……私は遠慮するわ。野蛮だもの」  アリアは即座に拒否した。  怖い。自分の全てを見られるのが怖い。  特に、この心の中にある「罪悪感」や「計算」といった醜いものまで見透かされそうで。

「えー、行きましょうよぉ。アリアさんの背中、流してあげますから」  メイが無邪気に言う。

「あいつ……勝手なことを」  アリアはため息をついた。  でも、カップの中のミルクに映る自分の顔を見た時、そこには困りながらも、どこか期待しているような、情けない顔が映っていた。

 (……もし、お湯に入れば)  ふと、馬鹿げた考えがよぎる。  この振り返すような重たい罪悪感も、不安も、綺麗さっぱり洗い流せるんじゃないか。  温かいお湯に溶けて、なくなってしまえばいいのに。

 ***

 数時間後。  「クイーン・アリス号」は、山間の小さな村に到着した。  湯けむりに包まれたその村は、夕暮れ時を迎えていた。

「うわーーーっ! すげぇ! 硫黄の匂いだ! ザ・温泉って感じ!」

 車から降りた瞬が叫ぶ。  みんな、楽しそうだ。  アリアは、最後尾で車を降りた。  冷たい山の空気が、火照った頬に気持ちいい。

 『お前だけが、楽しんでいいのか?』  また、内なる声が囁く。  足がすくむ。

 だが、その声をかき消すように、メイが駆け寄ってきた。 「行きましょう、アリアさん!」  彼女の手が、アリアの手を引く。躊躇(ためら)いなく、力強く。

 その手の温もりが、アリアを「今」に引き戻した。  過去のしがらみでも、未来の不安でもない。ただ、この湯気の匂いと、仲間の笑い声がある「現在(いま)」へ。

「……ええ、行くわ」

 アリアは、小さく頷いて歩き出した。  罪悪感は消えない。不安もなくならない。コートはまだ重い。  それでも、この手を離したくないという思いだけは、確かな熱を持ってそこにあった。

 これから始まる「裸の付き合い」が、彼女の中で何かを決定的に変えてしまうことになるとは、まだ誰も知らなかった。  湯けむりの向こう側で、隠していた「真実」が露わになり、そしてそれが「許される」瞬間が近づいている。

 アリアは、メイに引かれるまま、湯気の立ち込める脱衣所へと足を踏み入れた。
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