無敵だけど平穏希望!勘違いから始まる美女だらけドタバタ異世界無双

Gaku

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第一章:旅の始まりと最初の仲間

第1話:五年目のファーストコンタクト

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 抜けるような青空が、やけに目に染みた。

 視界を埋め尽くす、一点の曇りもないセルリアンブルー。あまりにも純粋で、あまりにも鮮烈なその色は、長い間、薄暗がりに慣れきってしまった網膜をちりちりと焦がすかのようだ。俺、アルスは、山奥の寂れた小屋の扉に背を預け、久しぶりに浴びる世界の光に目を細めていた。まぶたの裏でさえ、光は鮮やかな残像となって明滅を繰り返す。

 五年だ。異世界に転移してから、もう五年もの月日が流れた。

 指を折って数えるまでもない。この山が芽吹き、緑に覆われ、燃えるように色づき、そして白い沈黙に閉ざされる。そのサイクルを、ただただ無為に、五回繰り返したのだから。

 初夏の風が、森の木々を揺らし、心地よい摩擦音を立てながら頬を撫でていく。風は、ただ空気を運んでくるだけではない。それは生命の息吹そのものだった。芽吹いたばかりの若葉が放つ、青々しくも瑞々しい香り。雨上がりの湿った土が醸し出す、豊潤な大地の香り。そして、名も知らぬ白い小花が懸命に咲き誇り、その蜜腺から漂わせる、はちみつのように甘く、それでいて気品のある香り。それら全てが渾然一体となって、生命力そのものみたいな濃密な空気を形作っている。

 深く、ゆっくりと息を吸い込む。ごぽり、と音を立てて、五年もの間、まるで静止していたかのように浅い呼吸しか受け入れてこなかった肺が、新鮮な驚きで満たされていく。隅々まで行き渡る清浄な空気が、体中の細胞を一つ一つ揺り起こしていくような、そんな錯覚さえ覚えた。

 耳に届くのは、多彩な鳥たちのさえずりだ。高く澄んだ声で鳴くもの、低く複雑な節回しで歌うもの、まるで木を打楽器のように叩く音。それらが幾重にも重なり合い、森全体が呼吸しているかのような、壮大な天然のオーケストラを奏でている。五年間、聞き慣れたはずの音。だが、こうして「外」へ踏み出す一歩を意識して聞くと、まるで初めて耳にする交響曲のように、心を震わせた。

 うん、実に詩的で感動的な朝である。世界はこんなにも美しく、生命に満ち溢れていたのかと、柄にもなく感傷に浸ってしまう。五年前、訳も分からずこの世界に放り出された時の絶望が、嘘のようだ。

「さて、5年も経つと服もボロボロか。まずは仕立て屋を探さないとな」

 感動に浸るのは三秒で十分だ。詩情より食欲、風情より実利。それが俺の信条である。感傷に浸ったところで腹は膨れないし、雨風を凌げるわけでもない。五年間の孤独な生活が、俺から余計な情緒というものを綺麗さっぱり削ぎ落としてくれていた。

 改めて自身の姿を見下ろす。着ているのは、かつてシャツだったであろう薄汚れた布切れだ。長年の雨露と、小屋の中での雑な扱いのせいで、生地は擦り切れて肌が透け、ところどころ大きな穴が開いている。もはやこれは服というより、破れた布、あるいは繊維の集合体と呼ぶのが正しい。風が吹くたびに裾が情けなくはためき、素肌がこんにちはする。

 小屋の中を見渡せば、そこにあるのは空っぽになった最後の食料袋と、この擦り切れたシャツが一枚きり。壁には、俺が暇つぶしにナイフで彫った、元の世界の地図がぼんやりと浮かび上がっている。あの頃はまだ、帰れるかもしれないという淡い期待があった。だが、それもとうの昔に諦めた。床には、踏み固められた土の上に、わずかな干し草が敷かれているだけ。火を熾した跡のある簡素な炉と、水を溜めていた粗末な桶。それが俺の生活の全てだった。

 なぜこんな生活を五年も続けていたのか。話は五年前、俺がまだ日本の、ごく普通の大学生だった頃に遡る。深夜のコンビニでバイトを終え、アパートへの道を歩いていた時、足元が突如として光に包まれた。目を開けた先にいたのは、やけにテンションの高い、自称・女神様だった。

『やっほー!君、ラッキーだね!異世界転移、ご当選おめでとうございまーす!』

 キラキラとしたエフェクトを背負い、彼女は高らかにそう告げた。呆然とする俺にお構いなしに、彼女は続けた。

『いやー、魔王が復活しちゃってさー、こっちの世界、マジでピンチなのよ。で、神様会議で決まったんだけど、もう勇者召喚とか悠長なこと言ってらんないって。手っ取り早く、問答無用で強いやつを一人、安全ピンみたいにポイっと置いとこうって話になってさ』

 安全ピン。俺の扱いはその程度のものらしい。

『で、厳正なる神々のあみだくじの結果、君が選ばれました!』
『いや、あの、俺は別に…』
『はい、これプレゼント!』

 俺の言葉を遮り、女神は指を鳴らした。途端、俺の体の中に、形容しがたい膨大なエネルギーが流れ込んでくる感覚があった。宇宙そのものを飲み込んだかのような、全能感。

『君、無敵ね。物理攻撃、魔法攻撃、毒、呪い、その他もろもろ、ぜーんぶ効きませーん。あと、老化もしないし病気にもならない。まあ、いわゆる一つの究極生命体?みたいな?これで魔王軍が来ても大丈夫っしょ!』

 あまりの情報量に、俺の脳は完全にフリーズしていた。

『じゃ、あとはよろしく。健闘を祈る!ばいばーい!』

 それが、最後の言葉だった。次の瞬間、俺が立っていたのは、この見知らぬ森の中、寂れた小屋の前だったというわけだ。無敵の力とやらを神様から一方的に授かったはいいが、その力を試す機会は一度もなかった。魔王軍どころか、ゴブリン一匹、この静かな森には現れなかったのだ。

 あるのは、圧倒的な孤独と、退屈。そして、無敵でも解決できない、根源的な欲求。腹は減るし、寒さは感じる。最初の数日はパニックに陥り、森を彷徨った。だが、女神の言った通り、獣に襲われても怪我一つせず、毒キノコを食べても腹を壊すことすらなかった。その事実に気づいた時、安堵よりも先に、途方もない虚無感が俺を襲った。死ぬことすらできない。この無限の孤独の中で、俺は永遠に生き続けなければならないのか、と。

 だから、俺はこの小屋に引きこもった。人と関わるのが怖かった。この異常な力を知られたらどうなる?化け物として恐れられるか、あるいは便利な道具として利用されるか。どちらにせよ、ろくなことにはならないだろう。そう考え、俺は世界から心を閉ざした。

 だが、そんな決意も、五年という月日と、尽きかけた食料、そして文明的な生活への本能的な渇望の前には、脆くも崩れ去った。温かいベッドで眠りたい。まともな食事を腹一杯食べたい。そして何より、この破れた布ではない、ちゃんとした服が着たい。その渇望が、ついに俺の重い腰を上げさせたのだ。

「人付き合い、大丈夫か、俺……」

 最低限の荷物――空の水筒と、森で手に入れた薬草をいくつか詰めた小さな革袋――を背負い、俺は一歩、また一歩と山を下り始めた。今更ながら、猛烈な不安が胸の奥からこみ上げてくる。最後の会話相手は、五年前のあのテンションの高い女神様だ。人とのまともなコミュニケーションが成立するかどうか、極めて怪しい。表情筋は凝り固まっているし、声の出し方すら、少し忘れてしまったような気がする。

 俺が住処としていた小屋は、山のかなり奥深い場所にあった。獣道のような、人がほとんど通った形跡のない小径を、慎重に下っていく。

 足元では、分厚い苔が湿った光を放ち、まるで緑色のビロードの絨毯のようだ。一歩踏み出すごとに、ふわりとした独特の弾力があり、足音を優しく吸い込んでいく。五年間、この森の静寂に慣れきった耳には、自分の衣擦れの音すら大きく響いた。

 木々の梢が、頭上で複雑なアーチを形成している。幾重にも重なった葉の隙間から差し込む初夏の光は、決して一様ではない。それはまるで意志を持っているかのように、ゆらゆらと揺らめき、地面にまだら模様を描き出していた。風が吹くたびに、光の斑点は生き物のように踊り、森の景色を一瞬ごとに変えていく。それはまるで、巨大な万華鏡の中にいるような感覚だった。

 歩きながら、五年前には気づかなかった様々な発見があった。例えば、この森には多種多様な木々が生えていること。ごつごつとした樹皮を持ち、天を突くように真っ直ぐ伸びる樫の木。滑らかな白い幹が木漏れ日を反射して輝く白樺。そして、つるりとした葉を無数につけ、風が吹くたびにさざ波のような音を立てる、名前も知らない広葉樹。それらが互いに寄り添い、あるいは競い合うようにして、この豊かな森を形成しているのだ。

 時折、小動物が茂みの中を走り抜ける気配がする。カサカサという乾いた音を立てて、リスが木の幹を駆け上がっていく。遠くでは、鹿だろうか、甲高い鳴き声が響き渡り、森の空気に溶けていった。俺が無敵の力を得ていなければ、こうした一つ一つの物音に怯えながら歩いていたのかもしれない。だが今の俺にとっては、それら全てが、世界の生命力を証明する心地よいBGMでしかなかった。

 一時間ほど歩いただろうか。太陽は中天に近づき、木漏れ日の角度も変わってきた。光は白から次第に黄金色を帯び始め、森全体が暖かな光に包まれる。額にはじわりと汗が滲み、シャツが肌に張り付いて不快だった。やはり、一刻も早くまともな服を手に入れなければ。

 そんなことを考えていると、不意に、前方の木々が途切れ、視界が拓けた。

「うわ……」

 思わず、声が漏れた。それは、驚きと感嘆が入り混じった、我ながら間の抜けた声だった。

 眼下に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。

 巨大なカルデラ湖だろうか。どこまでも広がるターコイズブルーの湖面が、まるで磨き上げられた巨大な宝石のように、太陽の光を照り返している。そして、その湖の中央に浮かぶようにして、白壁の美しい街並みが存在していた。

 建物はどれも白やクリーム色を基調とした漆喰で塗られており、屋根はオレンジがかった暖色系の瓦で統一されている。その統一された色彩が、湖の青と空の青との間に、見事なコントラストを描き出していた。

 街の中を、まるで人間の血管のように、縦横無尽に水路が走っている。その水路を、優雅な曲線を描く小舟――おそらく、あれがゴンドラというものなのだろう――が、静かに行き交っているのが見えた。水面に反射した初夏の強い日差しが、ゴンドラが立てる小さな波紋に当たってキラキラと乱反射し、街全体をダイヤモンドダストで覆ったかのように輝かせている。それはあまりに幻想的で、非現実的な光景だった。

 風向きが変わり、湖を渡ってきた風が、俺のいる崖の上まで届いた。その風は、森の中のそれとは全く違う匂いを運んできた。一つは、微かな塩の香り。内陸の湖だと思っていたが、どこかで海と繋がっているのかもしれない。そしてもう一つは、どこかのパン屋から漂ってくるのだろう、小麦が焼ける香ばしい匂いと、バターの甘い香りが混じり合った、たまらなく食欲をそそる香りだった。森の若葉の香り、湖の潮の香り、そして街のパンの香り。それらが混じり合い、鼻腔をくすぐる。

 水門都市アクアレス。

 小屋の中に残されていた、ぼろぼろの地図に記されていた名前だ。地図で見た通りの、いや、それ以上の絶景だった。地図という二次元の情報が、これほどまでに豊かで、五感を刺激する三次元の現実として立ち現れるとは。

「すごい、本当に水の上に街があるみたいだ」

 俺は、しばしその光景に見入っていた。五年間の孤独と静寂。その対極にあるような、生命と活気に満ちた美しい街。まるで、長い夢から覚めて、初めて本当の世界に触れたような感覚。胸の奥が、じんと熱くなるのを感じた。

 その時だった。

 ぐぅぅぅぅぅ……。

 静かな感動の余韻を木っ端微塵に打ち砕く、盛大な腹の音が、崖の上に響き渡った。我に返った俺は、顔が赤くなるのを感じる。いけない、いけない。感傷に浸っている場合ではなかった。

 よし、まずはあのパン屋を目指そう。

 俺は断崖に続く緩やかな坂道を、今度こそ迷いのない足取りで下り始めた。目指すは、あの輝く水上の楽園。そして、温かくて美味しいパンだ。

 崖の坂道を下りきると、街の入り口に架かる大きな石橋が見えてきた。橋を渡る人々の往来は激しく、その活気が遠目にも伝わってくる。俺は少しだけ気後れしながらも、人々の流れに紛れ込むようにして、ついにアクアレスの市街地へと足を踏み入れた。

 街に入った瞬間、圧倒的な喧騒が俺を包み込んだ。

「へい、らっしゃい!今朝獲れたてのピチピチの湖魚だよ!」
「焼きたてのパンはいかがかね?ハチミツをたっぷり塗った甘いのもあるよ!」
「そこのお嬢さん、綺麗な髪飾りがあるよ。見ていかないかい?」

 露店の商人たちの威勢のいい声。石畳の上をせわしなく行き交う人々の足音。子供たちのはしゃぎ声。そして、水路を滑るように進むゴンドラの船頭たちが、朗々と歌い上げる舟歌。ありとあらゆる音が混じり合い、巨大な音の渦となって俺に襲いかかる。五年間、森の静寂に慣れきった耳には、その全てが情報過多で、少し頭がくらくらするほどだった。

 匂いもそうだ。先ほど崖の上で感じたパンの香ばしい匂いはもちろんのこと、魚介を焼く匂い、香辛料の刺激的な香り、甘い果物の匂い、そして人々の汗や生活の匂い。それらが渾然一体となって、この街の生命力そのものを形作っていた。

 人々は皆、一様に陽気で、その表情は明るい。服装も様々だ。屈強な漁師、小綺麗な身なりの商人、旅人らしき冒険者、そして俺と同じように、どこか別の土地からやってきたであろう異邦人。彼らがごく自然に共存し、この街の活気を生み出している。

 素晴らしい。実に素晴らしい。俺は感動のあまり、誰にも見られないようにそっと人混みに紛れ、できるだけ目立たないように足早にパン屋へと向かおうとした。何しろ、このボロ布のような格好は、この華やかな街ではあまりにも異質だ。物珍しそうな視線や、憐れむような視線が、時折突き刺さるのを感じる。恥ずかしさで、背中が丸くなる。

 一刻も早く、この人混みから抜け出したい。目的のパン屋は、匂いのする方角からしておそらく、この大通りを抜けた先にある広場だろう。俺は俯き加減に、人を避けながら、ひたすら匂いを頼りに進んでいった。

 その時だった。

「だからこっちだって言ってるでしょ!」

 鼓膜を突き破らんばかりの、快活で、やけに良く通る女性の声。その声に、俺の足がピタリと止まった。声がした方向――ゴンドラ乗り場に、自然と視線が向く。ひときゆわ賑わうその場所で、一組のパーティが何やら揉めているのが見えた。

 中心にいるのは、声の主であろう、一人の女戦士だ。燃えるような真紅の髪を、高い位置で活発なポニーテールに結い上げている。日に焼けた健康的な肌に、碧眼がきらきらと輝いていた。軽装のレザーアーマーに身を包んでいるが、その鍛えられた体躯は隠しようもなく、一目で熟練の戦士であることがわかる。たぶん、このパーティのリーダーなのだろう。彼女は自信満々に、街の案内が描かれた大きな看板の一点を、人差し指でビシッと指差していた。

「ギルドはこっちよ!私の戦士としての勘がそう告げてるわ!この道を行けば、最短で着くに決まってる!」

 その自信に満ちた声は、一点の曇りもない。しかし、その自信とは裏腹に、彼女の仲間たちの表情は、揃いも揃って呆れ返っていた。

「リリアよ、落ち着くんじゃ。わしの長年の勘と、この看板に描かれた親切な矢印が、お主の指す方向とは真逆だと告げておるんじゃが…」

 リリアと呼ばれた女戦士の隣で、深すぎるため息と共になだめるようにツッコミを入れたのは、くたびれた紺色のローブを纏った白髪の老人だった。腰は曲がり、顔には深い皺が幾重にも刻まれている。いかにも賢者然とした風貌だが、その目には知性よりも疲労の色が濃く浮かんでいた。彼の手にした木の杖が、ため息に合わせてカタリと音を立てる。

「第一、お主のその『戦士の勘』とやらは、前の街で宿屋の方向を間違えて、我らを三時間も雨の中彷徨わせた実績があるじゃろうが。そろそろその勘の精度を疑うということを覚えたらどうじゃ?」

「うっさいわね、エルネスト!あれは霧が深かったからよ!不可抗力!」

「霧のせいにしておったが、あの日は雲一つない快晴じゃったぞ」

 エルネストと呼ばれた老魔法使いの冷静な指摘に、リリアは「ぐぬぬ…」と唸り、言葉に詰まる。どうやら前科持ちの勘らしい。

「バルガスもなんとか言ってやってくれ!このままでは、また日が暮れてしまうぞ!」

 エルネストが助けを求めるように視線を送った先には、岩のような筋肉を持つ巨漢の僧侶が、腕を組んで佇んでいた。歳は三十代半ばだろうか。日に焼けた褐色の肌は、分厚い筋肉の鎧で覆われている。特に、首から肩にかけての僧帽筋の盛り上がりは常軌を逸しており、まるで小さな山脈のようだ。彼はただ黙って、リリが指差す方向とは真逆の方向を、自身の岩のような親指でクイッと示している。言葉は発しない。だが、彼の鍛え上げられた筋肉の一つ一つが、雄弁に「否」と告げていた。

「むきーっ!なによ、二人して!信じなさいよ、このあたしのこと!リーダーはあたしでしょ!?」

 ぷんすかと可愛らしく頬を膨らませたリーダー殿は、仲間たちの制止を振り切るようにして、近くに停泊していた空のゴンドラに、ひらりと軽やかに乗り込んだ。そして、船頭が使う長い一本の櫂を、器用そうに手に取る。

「見てなさい!あんたたちがモタモタしてる間に、先に行って、一番割のいい依頼を受けちゃうんだから!」

 そう言い放つと、彼女は渾身の力を込めて、櫂を水路に突き立てた。ぐっ、とゴンドラが沈み込み、そして勢いよく水面を滑り出す。

 ……はずだった。

 彼女が力いっぱい漕ぎ出したゴンドラは、しかし、物語の始まりを告げるように美しい放物線を描くこともなく、壮大な冒険の旅に出ることもなく、わずか三秒後。

 ゴッ!

 という、実に間抜けで、鈍い衝突音を立てて、乗り場のすぐ脇にある石造りの壁に、真正面から突き刺さった。

 あまりの衝撃に、ゴンドラの船首が、まるでバターにナイフを突き立てるかのように、壁にメリメリと数センチめり込んでいる。水面に、虚しく、そして間抜けな波紋だけが、静かに広がっていく。

「…………」

 乗り場は、一瞬にして静寂に包まれた。行き交う人々も、露店の主人も、皆が皆、何が起きたのか分からないといった顔で、その一点を見つめている。

 船首を壁にめり込ませたまま、呆然と固まるリーダー殿、リリア。彼女の頭の上で結われたポニーテールが、力なく垂れ下がっている。

「……じゃから、言うたじゃろうに…」と、頭を抱えてがっくりと膝をつく老魔法使い、エルネスト。

 そして、天を仰ぎ、その分厚い胸板で、世界で最も深いであろうため息をつく巨漢僧侶、バルガス。

 周囲から、くすくすという笑い声が漏れ始めた。やがてそれは、我慢しきれないといった風の大爆笑へと変わっていく。顔を真っ赤にしたリリアが、壊れたゴンドラの上で「な、なによ!見てんじゃないわよ!」と叫んでいるが、もはや後の祭りだ。

 俺は、静かに彼らに背を向けた。

 そして、心の中だけで、そっと呟いた。

「……なるほど、異世界も大変そうだ」

 面倒事の匂いしかしない。あの手の、根拠のない自信と有り余る行動力でトラブルをまき散らすタイプ。俺が最も苦手とし、避けるべき人種だ。無敵の力があっても、ああいう人間関係の面倒臭さからは逃れられないだろう。関わらないのが一番だ。絶対に、関わってはならない。

 俺は腹の虫をなだめすかしながら、今度こそ、香ばしいパンの匂いがする方角へと、再び足を向けたのだった。あの愉快な(そして迷惑な)パーティのことは、早く忘れることにしよう。俺には今、彼らよりもっと重要な使命があるのだから。そう、パンだ。焼きたての、パンである。
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