二十年分の空白を埋めるように、僕はただ息をして、笑って、泣いた

Gaku

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第一部:昏き淵に光を灯し、祝福の風を纏って

第2話『飢餓の炎と狂騒の門、泥に塗れて生を刻む』

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陽炎の向こうで揺れていた石造りの街並みは、近づくにつれて圧倒的な質量と喧騒を伴ってジンを飲み込んだ。
 高くそびえるアーチ状の門をくぐった瞬間、むせ返るような「生」の熱気が青年の全身に叩きつけられた。
 見上げるほどの背の高い建物がひしめき合い、強烈な太陽の光を遮って、石畳の路地に濃く鋭い影を落としている。光と影の境界線がくっきりと分かれた道を、荷馬車がガタゴトと車輪を鳴らして通り過ぎていく。
 あちこちに張られた色鮮やかな天幕の下では、無数の出店が軒を連ねていた。
 ――ジュウウウウッ。
 肉の脂が真っ赤な炭火に落ちて爆ぜる、暴力的なまでに食欲をそそる音が鼓膜を打つ。鼻腔の奥深くまで突き刺さってくるのは、焦げた肉の香ばしさと、鼻の頭に汗をかくような強烈な香辛料の匂いだった。

 きゅるるるるるる。

 ジンの胃袋が、悲鳴を上げるように激しく収縮した。
 痛いほどの空腹。目の前で串焼きを頬張る男の咀嚼音すら、やけに鮮明に聞こえる。たまらない。すぐにでもあの肉に齧り付きたかったが、着の身着のままの彼のポケットには、硬貨の一枚はおろか、糸くず一つ入っていなかった。
(……お金を稼がないと。こういう時の定番は、冒険者ギルドだよな)
 かつて病室のベッドで、天井のシミを数えながら読み漁っていたファンタジー小説の知識が頭をよぎる。通りすがりの人に道を尋ね、ジンはギルドを目指した。

     * * *

 大通りの外れに、その建物はあった。
 黒ずんだ分厚いオーク材で作られた両開きの扉には、無骨な剣と盾の紋章が鉄で打ち付けられている。深呼吸を一つして、両手で重い扉を押し開けた。
 ――ギギギィィィィン……。
 錆びついた蝶番が、腹の底に響くような重低音を立てる。
 外の強烈な太陽光に慣れきっていた網膜が、急な薄暗さに順応できず、視界が一瞬オレンジ色に反転した。
 むわっ、と分厚い空気が顔を撫でる。
 安いエール酒の酸っぱい匂い、男たちの染み付いた汗の臭い、鉄錆、そして古びた羊皮紙のカビ臭さ。それらが複雑に絡み合った、むせ返るような熱気。
 目が慣れてくると、薄暗い室内を満たす光景が浮かび上がってきた。天井から吊るされた真鍮のランプが放つオレンジ色の灯りが、空気中を漂う無数の埃の粒子をキラキラと浮かび上がらせている。木製のジョッキが乱暴に打ち付けられる硬い音。低く唸るような男たちの笑い声。間違いなく、ここは冒険者ギルドだった。

 部屋の奥、一段高くなった場所に長い木製のカウンターがあった。
 ジンは緊張で少し乾いた唇を舐め、カウンターへと歩み寄った。
「あの、すいませ――」
「はぁぁぁーーーーいっ!! ようこそぉっ! 冒険者ギルドへっ!!」

 ――ビクゥッ!!

 鼓膜を直接ハンマーで殴られたかのような、甲高く、そして異常なほど通る声だった。
 カウンターから上半身を半分以上乗り出し、バンッ! と両手で机を叩いて身を乗り出してきたのは、パステルカラーの制服を着た受付嬢だった。
「本日はっ! どのようなっ! ご用件でしょうかぁぁぁっ!?」
 見開かれた大きな瞳の中には、異常なほどのハイライトが煌めいている。両手はパタパタと小鳥の羽ばたきのように休むことなく動き続け、顔には筋肉が引きつるのではないかと心配になるほどの、完璧すぎる満面の笑顔が貼り付いていた。
 あまりのテンションの高さ、凄まじい「陽」のエネルギーの奔流に、ジンの体は無意識に反応していた。

 ズルッ、と。
 気づけば彼は、完全に半歩、後ずさっていた。ドン引きである。
 静寂に包まれた無菌室のような病室で、二十年近くひっそりと息を潜めて生きてきたジンにとって、彼女の存在はもはや太陽フレアを至近距離で浴びるようなものだった。
「あ、えっと……し、新規登録を……」
「新規ですねっっっ!! 承知いたしましたぁぁぁっ!! これからのぉ! 輝かしい冒険者ライフをぉ! 私、全力で! サポートさせていただきますねっっ☆」
 バチコンッ! と音が鳴りそうなほどの強烈なウィンク。
 ジンは彼女の勢いに完全に気圧されながら、言われるがままに羊皮紙にサインをし、安っぽい木製のギルドタグをどうにか受け取ったのだった。

     * * *

 それからの日々は、ジンにとって夢のような現実の連続だった。
 彼は毎日、自分に宿ったこの異常な身体能力を完全に支配し、さらに研ぎ澄ませるために、自己流の修行に明け暮れた。
 早朝、太陽がまだ地平線の向こうで燻っている時間帯。
 街の外れに広がる草原に出る。夜露をたっぷりと含んだ草が、バシャ、バシャと冷たく靴を濡らす。その冷感すら心地いい。
 息を深く吸い込み、地面を蹴る。
 ――ダンッ!
 硬い土が爆ぜる音と共に、体が弾丸のように前方に射出される。
 耳元でヒュウウウッ、と風が鋭く鳴る。凄まじい速度で流れていく景色。
 肺に冷たい朝の空気が流れ込み、心臓が早鐘のように力強く拍動する。病に侵された、あの弱々しい動悸ではない。生命のポンプが、熱い血を全身の血管へと勢いよく送り出している証拠だ。
 森に入れば、自分の胴回りほどもある太い樹木に向かって、何度も何度も拳を打ち込む。
 ドスッ! メキィッ!
 硬い樹皮が砕け散り、木屑が宙を舞う。拳の骨に伝わる強烈な反発と、微かに走るジンジンとした痛み。
 ああ、痛い。体が傷ついている。
 その事実すら、ジンにとっては体が正常に機能しているという最高の証拠であり、歓喜だった。
 額から噴き出した汗が目に入り、少しだけ視界が滲む。吹き抜ける風が、熱を持った首筋の汗をすっと冷やしていく。
 疲労で筋肉が悲鳴を上げ、乳酸が溜まっていく重い感覚。
 自己流の修行で体を極限まで追い込みながら、ジンは日々の食い扶持を稼ぐためにギルドの依頼をこなした。薬草の採取や、街の力仕事。時には下水さらいのような汚れ仕事もやった。
 一日が終わり、宿屋の硬いベッドに倒れ込むように眠る。
 それは、ただ死を待つだけの「泥のような眠り」ではなく、明日を生きるための「甘美な気絶」だった。
 自分の足で歩き、汗を流し、腹をすかせて飯を食う。
 ジンはようやく、本当の意味で「生きる」ことを始めていた。
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