無能と蔑まれた僕だけが知る世界の嘘。敵であるはずの怪物の少女に恋したので、人類を裏切り世界を滅ぼす。

Gaku

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第1部:養成所編

第23話 シミュレーターの中の怪物

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静寂が支配していた。
それは、音が存在しないという単純な無音ではない。あらゆる音が意図的に排除され、濾過され、磨き上げられた果てに現れる、純度の高い静寂だった。鼓膜を圧迫するような、存在感のある沈黙。討伐科の生徒たちにのみ、その使用が許された訓練施設――通称『ホワイトルーム』は、常にその完璧な静けさに満たされていた。

床も、壁も、そして遥か高くに感じられる天井も、すべてが継ぎ目一つない滑らかな純白の素材で覆われている。その表面はマットな質感で、光を乱反射させ、空間からあらゆる影を消し去っていた。光源はどこにも見当たらない。しかし、部屋全体が柔らかな光そのもののように、均一な明るさで満たされている。方向感覚を失わせ、現実との境界を曖昧にするその空間は、ある生徒に言わせれば「巨大な白鯨の体内」、また別の生徒に言わせれば「神の頭蓋骨の内側」だった。

空気は、温度と湿度が完璧に管理され、微かなオゾンの匂いが混じる。それは生命の気配が希薄な、無機質な清浄さの香りだった。生徒たちが揃いの訓練服の裾を揺らしながら歩を進めるたびに、衣擦れの音がやけに大きく響き、すぐに分厚い静寂に吸い込まれて消えていく。カツ、カツ、と響くべき足音さえ、特殊な素材でできた床はほとんど吸収してしまい、まるで綿の上を歩いているかのような奇妙な感触だけが足裏に残った。

その純白の伽藍の中心部には、SF映画のセットから抜け出してきたような、流線形の白い筐体(きょうたい)が、まるで巨大な繭のように、整然と数十台並べられていた。繭と違うのは、その表面を走る幾筋もの淡い青色のラインと、時折、呼吸するように明滅する小さなインジケーターランプだけだ。生徒たちは、そこに感情の機微を見せることなく、まるで決められた儀式を執り行うかのように、各自に割り当てられた筐体――『ダイブ・ポッド』――へと近づいていく。

朝倉颯太もまた、その一人だった。彼は自分のポッドの前に立つと、軽く息を吐いた。白い息にはならなかったが、呼気に含まれた熱が、一瞬だけ周囲の完璧に調整された空気を揺らがせた気がした。ポッドのハッチが、圧縮された空気を吐き出す、シュコー…という静かな音を立てて上方に開く。内部には、人体の曲線に合わせて設計された白いシートが横たわっており、そこから伸びる無数のケーブルが、生命維持装置やデータリンク用のポートに接続されていた。

颯太は無言で内部に身を横たえる。背中に伝わるシートの感触は、硬質でありながら、不思議と身体に馴染んだ。自らの手で、神経接続用のヘッドギアを手に取る。ずしりとした重みと、金属のひんやりとした感触。それをゆっくりと頭部に装着すると、自動的にアームが伸びて後頭部と側頭部を固定した。

「……っ」

こめかみに、冷たいゲル状の電極が密着する。ぞわり、と鳥肌が立つような、生体と機械の境界線が侵される独特の不快感。何度経験しても、この感覚だけは慣れることができなかった。まるで、冷たいナメクジに這われているようだ、といつも思う。

周囲のポッドからも、同じようにハッチが閉じる気密性の高い音、微かな身じろぎの音が聞こえてくるが、それもすぐに静寂に呑まれていく。やがて、颯太の視界も、閉じたハッチによって完全な暗闇に閉ざされた。聴覚だけが鋭敏になり、自身の心臓が刻む、トクン、トクンという規則正しい鼓動が、頭蓋の内側に直接響いてくる。

『全機、バイタル接続を確認。心拍、血圧、脳波、オールグリーン』

コントロールルームから響いてきたのは、人間の声帯から発せられたとは思えないほど平坦で、感情の抑揚を一切含まない合成音声だった。その無機質な響きが、ここが現実と仮想の狭間であることを改めて認識させる。

『意識シンクロ率、上昇。95、96、97……98パーセントで安定。ダイブシークエンスに移行します』

颯太は、ゆっくりと目を閉じた。
その瞬間、意識が、現実の肉体という重い枷から、ふっと引き剥がされていくような浮遊感に襲われた。重力という概念から解放された魂が、まるで深海から水面を目指す泡のように、急速に浮上していく。いや、違う。これは浮上ではない。落下だ。光ファイバーで編まれた、目も眩むような情報の奔流の中を、猛スピードで突き進んでいくような、独特の加速感。デジタルな風が意識の輪郭を削り取り、思考が光の粒子となって拡散していく。現実世界での自分の名前も、顔も、肉体の感触も、すべてが遠ざかっていく。

『カウントダウン開始。5、4、3、2、1……』

最後の数字が告げられるのと同時に、インカムの奥で、わずかなノイズと共に、ゲートが開くような、重々しい電子音が響いた。

『ダイブ』

その声が引き金となり、颯太の意識は、真っ白な光の洪水に、完全に飲み込まれた。

***

次に目を開けた時、彼は世界の残骸の中心に立っていた。

頬を撫でていくのは、砂塵をたっぷりと含んだ、生暖かい風だった。それは乾いてざらついており、時折、遠くで起きた小規模な崩落によって巻き上げられたコンクリートの粉が混じり、唇をわずかに痺れさせた。鼻腔を鋭く刺すのは、単純な焦げ臭さではない。焼けただれたアスファルトの匂い、湿ったコンクリートの粉塵の匂い、そして、かつてここが人々の生活圏であったことを物語る、プラスチックやビニールが燻る化学的な悪臭が渾然一体となっていた。

空を見上げれば、鉛色の雲が低く垂れ込め、その隙間から射す太陽の光は、大気中に舞う無数の塵に乱反射して、まるで病的な黄疸のように、世界を不健康なセピア色に染め上げていた。遠くで、途切れ途切れに、まるで力尽きかけているかのように、サイレンの音が鳴り響いている。風が吹くたびに、どこか近くで、千切れた電線がビルの鉄骨に当たって、カラン、コロン、と寂しげな音を立てていた。

颯太はゆっくりと右手を握りしめる。ずしりとした無骨な感触。冷たい金属のグリップが、手袋越しながらも確かな存在感を主張している。エネルギーライフルのセーフティを親指で解除すると、カチリ、という小気味良い金属音が響いた。五感を支配する情報の全てが、ここが何億行ものコードによって構築された仮想空間(バー-チャル・スペース)であることを忘れさせるほど、圧倒的な密度で彼に襲いかかってきた。足元の瓦礫を踏みしめれば、ジャリ、とリアルな音がして、靴底に硬い感触が伝わる。ここには、ホワイトルームにあった無菌の静寂とは正反対の、死と破壊に満ちた生々しい喧騒があった。

『颯太、聞こえる? こちら陽葵。ヴァルキリー、いつでもいけるよ!』

インカムから、鈴を転がすような、しかし芯の通った明るい声が届いた。颯太が視線を上げると、視界の端、天を突くようにそびえ立つ半壊した超高層ビルの屋上に、優雅に佇む人型のシルエットが見えた。純白の機体に、翼を思わせる高機動スラスター。橘陽葵が駆る、空の舞手『ヴァルキリー』だ。その姿は、荒廃した世界に舞い降りた天使のようにも見えた。

『こちら剛だ! 今日こそ新記録を叩き出してやんぜ! 見てろよ、颯太!』

続いて聞こえてきたのは、自信と闘争心に満ち溢れた、腹の底から響くような野太い声だった。颯太が前方へと視線を転じると、瓦礫が積み上がってできた小高い丘の上に、一際巨大な影が仁王立ちしていた。岩のような筋肉で膨れ上がったアバター、その肩には、エンジン付きの巨大な斧――ヒートアックスが担がれている。赤城剛。彼の存在そのものが、破壊と前進の象徴だった。風が彼の無骨なアバターの髪を揺らし、その足元で小さな石がパラパラと崩れ落ちるのが見えた。

『……玲奈。問題ないわ』

最後に聞こえたのは、ささやくように静かで、けれど決して聞き逃すことのない、凛とした声。颯太が背後を振り返る。そこには、ゴシック様式の尖塔だけが奇跡的に残った、古い教会の残骸があった。その尖塔が落とす、長く黒い影の中。注意深く目を凝らさなければ見過ごしてしまいそうなほど、神楽院玲奈の気配は静かにその闇に溶け込んでいた。彼女はそこに「いる」のではなく、まるで最初からその影の一部であったかのように、ただ存在していた。

「よし、全員いるな。剛、お前のアバター、いつもよりゴリラっぽくないか? 気のせいか?」

颯太は、張り詰めた戦場の空気を少しでも和らげようと、わざと軽口を叩いた。ライフルのスコープを覗き込み、索敵モードの起動シーケンスを確認しながら、唇の端だけで笑う。

『うるせぇ! 製作者が俺のポテンシャルに合わせてアップデートしてくれたんだよ! この肩のアーマーを見ろ! 前より3センチは分厚くなってる! つまり、今日の俺は最高のコンディションってことだ!』

剛の、まるでスピーカーが割れんばかりの自信に満ちた声が返ってくる。この仮想空間では、ダイブした生徒の身体能力や、彼らが持つ異能――『アース』としての特性が精密にデータ化され、戦場で最も効率的に能力を発揮できるよう、最適化されたアバターが与えられる。剛の言うことも、あながち嘘ではないのかもしれない。彼の言う通り、肩のアーマーは以前よりもさらに巨大化し、威圧感を増しているように見えた。

仲間たちの声を聞き、その存在を確かめることで、颯太の感覚はさらに研ぎ澄まされていく。陽葵のヴァルキリーが屋上でわずかに姿勢を変える際の、アクチュエーターの微かな駆動音。剛がヒートアックスを握り直す、グリップの軋む音。そして、玲奈の、存在しているのかさえ定かではないほどの、完璧な静寂。全てが、いつもの「戦場」だった。

その時、まるで世界そのものに直接語り掛けるかのように、教官の冷徹な声が、風の音やサイレンの響きを貫いて、戦場全体に響き渡った。

「訓練開始! 目標(ターゲット)、仮想敵『ヴィジラント』20体を殲滅せよ!」

その号令は、地獄の釜の蓋を開ける合図だった。
地平線の彼方、灰色のもやの向こう側が、蠢いた。最初、それは陽炎か、あるいは大規模な地滑りのように見えた。だが、それはすぐに明確な形と意志を持った、おぞましい「群れ」であることが判明する。黒い津波が、瓦礫の海を物ともせず、凄まじい速度でこちらへと押し寄せてくる。

蜘蛛と甲殻類を、悪意をもって混ぜ合わせたかのような、異形の怪物たち。カシャ、カシャ、カシャ、という無数の脚が地面を掻く不快な音が、地響きとなって空気を震わせる。鋭利な鎌のような前脚、分厚いキチン質の装甲、そしてその頭部で不気味な赤い光を点滅させる、単眼(モノアイ)。過去、人類が経験した幾多の戦闘で収集された膨大なデータに基づき、その行動パターン、攻撃方法、弱点に至るまで、完璧に再現された仮想の敵、『ヴィジラント』だ。

戦いの火蓋は、颯太の一撃によって切られた。
彼は、突進してくるヴィジラントの群れの先頭、最も動きの速い個体に狙いを定める。流れるような、一切の無駄がない動きでライフルを肩に固定し、スコープを覗き込む。その瞳は、もはや人間のそれではなく、獲物との距離、湿度を含んだ風の向きと強さ、敵の移動ベクトル、その全てを瞬時に計算し、最適解を導き出す精密なセンサーと化していた。呼吸を止め、心臓の鼓動の合間、世界がコンマ数秒だけ静止するその瞬間を捉える。

引き金が、静かに引かれた。
放たれた高出力のエネルギー弾は、空気を切り裂く甲高い音を立てながら、美しい青白い放物線を描く。それは、まるで意志を持っているかのように、他のヴィジラントたちの間をすり抜け、先頭を走っていた個体の赤い単眼(モノアイ)の中心を、寸分の狂いもなく撃ち抜いた。

バシュッ!という短い破裂音と共に、ヴィジラントの頭部が吹き飛ぶ。赤い光が消え、勢いを失った巨大な体躯は、数メートルほど無様に地面を滑り、動かなくなった。後続のヴィジラントたちは、仲間の死骸を気にも留めず、それを踏み越えてさらに速度を上げてくる。

「陽葵、右翼から回り込め! 敵の側面を叩け! 剛は正面から引きつけて、敵の陣形をこじ開けろ! 玲奈は後方支援を頼む!」

颯太の的確な指示が、インカムを通して仲間たちに飛ぶ。それは命令であると同時に、互いの信頼を確かめ合うための合図でもあった。

「任せなさい!」

剛が、地鳴りのような雄叫びを上げて突撃する。彼が大地を踏みしめるたびに、ズシン、ズシン、と地面が揺れ、足元の瓦礫が弾け飛んだ。彼の巨大なアックスが、唸りを上げて振り下ろされる。ヒュン、という重い風切り音の直後、ヴィジラントの一体の分厚い装甲が、まるで熱したナイフでバターを切るかのように、たやすく切り裂かれた。ギャリリリリ!!という耳障りな断末魔と共に、内部の機械部品やオイルのような液体を撒き散らし、怪物は二つに分断される。剛は止まらない。彼は破壊の化身となり、敵陣の真っ只中で暴れ回った。

「こっちだよ、鬼さんこちら!」

陽葵のヴァルキリーが、ビルの屋上から軽やかに跳躍した。機体後部のスラスターが蒼い光を噴射し、まるで重力を無視するかのようにビルの壁面を駆け上がる。ガキン、ガキン、と金属の足がコンクリートを蹴る音がリズミカルに響き、彼女はそのまま空中へと舞った。その優雅な動きは、巨大な殺戮兵器というよりは、戦場で舞うバレエダンサーのそれだった。上空から放たれるレーザーの雨は、ヴィジラントたちの隊列を面白いように混乱させ、剛への集中攻撃を防いでいた。

そして、剛の奮戦と陽葵の攪乱によって生まれた、一瞬の混乱の極み。その完璧なタイミングで、玲奈の静かな声が、まるで囁きのように戦場に響いた。

「――時の揺りかごに、眠りなさい」

教会の尖塔の影から、彼女がそっと白い右手を掲げる。特別なエフェクトはない。ただ、その行為だけで、世界が歪んだ。剛に群がろうとしていたヴィジラントたちの動きが、まるで粘度の高い琥珀に囚われたかのように、急激に鈍化していく。カシャ、カシャ、と動いていた脚が、カ……シャ……ア……と、引き延ばされた音に変わる。時間そのものに干渉する、彼女だけの絶対的な能力。それは、ほんの数秒間の遅延。しかし、この戦場において、その数秒は永遠にも等しい価値を持っていた。

その好機を、颯太が見逃すはずはなかった。動きの鈍ったヴィジラントたちの関節部、装甲の継ぎ目といった弱点を、彼のライフルが次々と正確に撃ち抜いていく。一発、また一発と、赤い単眼の光が消えていく。

連携は完璧だった。まるで、幾度も稽古を重ねた演劇の一幕のように、美しく、迷いがなく、そして圧倒的に効率的だった。颯太が司令塔として戦場全体を把握し、剛が揺るぎない壁として敵の攻撃を受け止め、陽葵が予測不能な刃として敵を切り裂き、玲奈が全てを掌握する神として時間を操る。

開始からわずか10分で、すでに15体のヴィジラントを撃破。このままいけば、養成所の歴代最高記録を更新することは、誰の目にも明らかだった。誰もが、そう信じて疑わなかった。

その、刹那だった。

残る5体のヴィジラントのうち、一体が、奇妙な動きを見せた。他の4体の個体が、これまでのデータ通り、プログラムされたアルゴリズムに従って真正面から突撃を繰り返す中、その一体だけが、スッと後退したのだ。それは、恐怖による退却とは明らかに違った。まるで何かを計算するかのように、半壊したオフィスビルの瓦礫の影に、滑るようにして身を隠したのである。その動きには、機械的なぎこちなさが一切なかった。まるで、生き物が獲物を狩るために、息を潜めるような、有機的な滑らかさがあった。

それは、これまでの膨大な戦闘データには存在しない、「自己保存」とでも言うべき、不自然極まりない行動だった。

「……妙ね」

最初にその違和感を口にしたのは、教会の尖塔から戦場全体を俯瞰していた玲奈だった。彼女の視界に映る戦術マップでは、全ての敵性ユニットは、赤い脅威度を示すマーカーとして表示される。そして、そのマーカーは、定められたアルゴリズムに従って、最短距離でターゲットに接近するはずだった。後退や隠蔽という行動は、プログラム上のバグか、あるいは――。彼女の思考が、そこまで至った時だった。

「なんだ、あいつ? ビビって逃げやがったか?」

剛が、敵の一体をヒートアックスで叩き潰しながら、訝しげに呟いた。彼のレーダーからも、一体の反応が遮蔽物の向こうに消えたことが表示されていたが、彼はそれを単なる臆病風に吹かれた個体だと判断したようだった。

その瞬間だった。身を隠していたヴィジラントが、再び姿を現した。しかし、その動きは先ほどまでとは全く違っていた。それは、残りのヴィジラントたちを、まるで動く盾にするかのように巧みに利用し、剛の猛攻をやり過ごし、そして、上空で旋回していた陽葵のヴァルキリーの、完全な死角へと回り込むようにして、地面を蹴った。その加速は、これまでのどの個体よりも鋭く、洗練されていた。

「陽葵、後ろ!」

颯太の警告がインカムに響くのと、ヴィジラントの攻撃は、ほぼ同時だった。

それは、プログラムされた動きでは、断じてなかった。それは、戦場の空気を読み、味方を囮にし、敵の最も脆い部分を、最も効果的なタイミングで叩くという、明確な「戦術」だった。まるで、この戦場でリアルタイムに学習し、最適解を導き出したかのような、即興(アドリブ)の攻撃。

ヴィジラントの鋭利な鎌のような前脚が、一閃した。狙いは、ヴァルキリーの巨体を支える右脚部の、最も複雑で脆弱な関節部分。ピンポイントで、ただその一点だけを狙い澄ました、完璧な一撃だった。

「きゃっ!?」

甲高い金属の悲鳴が上がる。ヴァルキリーの関節部から激しい火花が散り、切断されたケーブルが蛇のようにのたうち回った。陽葵の悲鳴が、インカムを通して痛々しく響く。完璧なバランスを失った美しいバレエダンサーは、片翼を折られた鳥のように、無様に体勢を崩し、ガシャァァァン!!という轟音と共に、コンクリートの上へと膝をついた。舞い上がった粉塵が、彼女の純白の機体を汚していく。

この一瞬の混乱が、完璧に噛み合っていた歯車を、根元から狂わせた。

「陽葵! てめぇ、よくも!」

怒りに我を忘れた剛が、血走った目で叫んだ。彼は陽葵を庇おうと、颯太の制止も聞かずに、目標のヴィジラントへと無謀な突撃を敢行する。だが、それこそが敵の罠だった。剛が突っ込んだ先、彼がまさにヒートアックスを振り下ろそうとした瞬間、彼が踏みしめていたアスファルトが、轟音と共に陥没した。巧妙に隠されていた、地下駐車場への入り口。剛の巨体は、為す術もなく、その暗い穴へと落下していった。そして、その落下地点を狙いすましたかのように、残っていたヴィジラントたちの集中砲火が浴びせられた。

「剛! 馬鹿、突出するな!」

颯太が叫びながら、陽葵に群がろうとする敵にライフルを放つ。玲奈もまた、無言で能力を発動させ、敵の動きを鈍化させる。しかし、一度崩れた陣形は、そう簡単には立て直せない。
数分後、辛うじて全てのヴィジラントを殲滅することには成功したが、そこに記録更新の喜びはなかった。陽葵のヴァルキリーは右脚部を中破し、行動不能。剛のアバターは集中砲火を浴びて活動限界を迎え、強制ログアウト。チームの損害は、想定を遥かに、遥かに超えていた。

『訓練、終了』

無機質なアナウンスが響き渡り、硝煙と瓦礫の匂いに満ちた世界が、急速に色褪せていく。彼らの意識は、まるで逆再生されるフィルムのように、ゆっくりと、そして抗いようもなく、現実の肉体へと引き戻されていった。

***

シュコー…という空気の抜ける音と共に、ダイブ・ポッドのハッチが開く。
途端に、ホワイトルームの完璧な静寂は、動揺と混乱のざわめきによって破られていた。
「なんだよ、今の動き! あんなのデータにあったか?」
「俺たちのチームもだ! 一体だけ、妙に賢い奴がいなかったか?」
「教官! シミュレーターにバグがあったんじゃないですか! 明らかにおかしかったですよ!」

あちこちのポッドから身を起こした生徒たちが、口々に不満と疑問をぶつけ合う。その喧騒の中、颯太はゆっくりと身を起こした。額には汗が滲み、心臓がまだ激しく鼓動している。仮想空間での出来事だと頭では理解していても、陽葵が攻撃された瞬間の衝撃と、剛が罠に落ちた時の絶望感は、生々しい感触として精神に焼き付いていた。

コントロールルームにいる教官は、コンソールを操作し、イレギュラーな動きを見せた個体のログを確認しながら、不可解そうに眉をひそめていた。やがて、彼はマイクのスイッチを入れる。

「静粛に。……ログを確認した。確かに、君たちが報告したように、これまでの行動パターンにはない動きを見せた個体が複数確認されている。だが、システムログにエラーコードは一切検出されていない。シミュレーターは正常に作動している。おそらく、複数のアバターとヴィジラントが複雑に絡み合う状況下で発生した、予測不能な乱数(ランダム)だろう。これもまた、実戦では起こりうることだ。以上」

その事務的な説明で、生徒たちのほとんどは渋々ながら納得したようだった。未知の状況に対応するのも訓練のうちだ、と自分に言い聞かせているのだろう。だが、颯太と、彼の隣のポッドから静かに降り立った玲奈だけは、言い知れぬ違和感を、どうしても拭い去ることができずにいた。

「乱数……? 違う」

颯太は、ポッドの縁に手をかけながら、低く呟いた。陽葵が狙われた時の、あの感覚を思い出していた。あのヴィジラントの赤い単眼(モノアイ)は、ただのプログラムが映し出す無機質な光ではなかった。スコープ越しに見えたあの光には、憎悪や怒りとも違う、もっと純粋で、冷たい、絶対的な「殺意」が宿っているように見えた。それは、ただプログラムされた敵を排除するのではなく、ただ獲物を狩ることだけを目的とした、飢えた捕食者の目だった。

玲奈もまた、彼の隣で静かに思考を巡らせていた。彼女は自身の能力ゆえに、他の誰よりも客観的に時間の流れと事象の因果を捉えることができる。あの動きは、乱雑なバグなどではない。むしろ、恐ろしいほどに洗練され、論理的で、ある意味では「創造的」でさえあった。既存のデータから最適解を導き出すのではなく、まるで無から、新しい最悪の手を生み出したかのような。それは、定められたルールの中で最善を尽くす知性ではなく、ルールそのものを利用し、破壊するために生まれた知性の片鱗だった。

ふと、颯太が顔を上げると、玲奈の静かな視線と、偶然交わった。
彼女の瞳には、彼と同じ色の疑念が深く揺らめいていた。

言葉は、なかった。
だが、互いが同じ結論に辿り着きつつあることだけは、痛いほどに理解できた。

あれは乱数ではない。
あれはバグでもない。

シミュレーターという、完璧に管理され、外界から隔離された純白の箱庭の中で、何かが静かに、そして不気味に「孵化」しようとしている。

その得体の知れない予感が、二人の背筋を、ぞっとするほど冷たくさせた。ホワイトルームの完璧な空調が、まるで氷の吐息のように感じられた。
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