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第2部:討伐部隊・転機編
第49話:心の羅針盤
しおりを挟むそこは、およそ生命が営みを続ける惑星の上で生まれた知性が用いるあらゆる伝達手段、その全てが無意味と化す領域だった。
言葉という、あまりにも曖昧で、あまりにも不完全な器を必要としない、純粋な情報の奔流が渦巻く深淵の海。
あらゆる事象が、解釈という名の衣を剥ぎ取られ、存在そのものの裸の形で、ただそこにあった。
始まりも終わりもなく、ただ無限に連なる因果の鎖が、宇宙の真理を静かに奏でている。
---
宮沢譲の意識は、今や物理的な肉体という牢獄から完全に解き放たれていた。
彼の思考を優しく、しかし確固たる意志を持って導くのは、半透明の光の粒子のように寄り添うエヴァの思念。
その導きに従うまま、譲の精神は、彼らが住まう地下都市の心臓部、そのまさに中心に、天を衝くかのようにそびえ立つ巨大な結晶体――
彼ら、エヴァの一族が、人類という種がまだ揺りかごの中で産声を上げるよりも遥か昔から、何十万年という、人間にはもはや想像すら及ばぬ長大な歳月をかけて蓄積してきた、この惑星そのものの記憶が封じ込められた大図書館、『情報アーカイブ』へと、静かに、そして深く接続(ダイブ)した。
---
肉体の枷が外れるという感覚は、想像を絶するほどの解放感をもたらした。
重力という絶え間ない束縛、酸素を求める肺の律動、血液を循環させる心臓の鼓動、それら生命を維持するためのあらゆる制約から解き放たれ、意識は純粋な思考そのものへと昇華される。
もはや、見るための眼球も、聞くための鼓膜も存在しない。
思考が直接、情報に触れる。
それは、まるで乾ききった砂漠を彷徨い続けた旅人が、ようやく無限に広がる清冽な泉にその身を浸したかのような、根源的な安らぎに満ちていた。
譲にとって、人間として生まれ育った地上のどんな場所よりも、この情報の海こそが、真の意味での故郷と呼べる場所なのかもしれない、と彼は漠然と感じていた。
懐かしさとでも言うべき感情の波が、思考の輪郭を優しく撫でていく。
---
ここには、人間が世界を認識するために頼りにする、あらゆる指標が存在しない。
色も、形も、音もない。
光すら届かぬ深海のような、あるいは星々の光さえ飲み込む漆黒の宇宙空間のような、絶対的な無。
だが、それは決して空虚な虚無ではなかった。
むしろ、その逆だ。
森羅万象、あらゆる情報が飽和し、高密度に圧縮された結果として、個別の属性が意味をなさなくなった究極の充満。
そこにあるのは、事象そのものが内包する、揺るぎようのない絶対的な意味の奔流だけだった。
誕生と死、結合と分離、成長と崩壊。
あらゆる対立する概念が、ここでは等価のエネルギーとして存在し、互いに干渉し合いながら、巨大な調和を形成している。
---
その純粋知性の宇宙の只中にあって、宮沢譲という個の意識は、まるで暗黒の銀河に解き放たれた若き恒星のように、その真価を、凄まじい勢いで遺憾なく発揮し始めた。
彼の類稀なる、いや、もはや超人的と呼ぶべき分析能力が、この情報の海を得て、水を得た魚どころではない、爆発的な覚醒を遂げていた。
(思考接続、安定。)
(アーカイブとの同期を開始。)
(アクセス権限、エヴァによる最高レベルの認証を確認。)
(これより、目標情報の検索シークエンスに移行する)
彼の思考は、もはや言語という低速なインターフェースを介さない。
イメージと概念が、光速を超えて彼の意識野を駆け巡る。
脳内に、あるいは意識そのものの中に、いくつもの仮想的なコンソールが展開され、無数のコマンドが同時に実行されていく。
(キーワード抽出開始。)
(プライマリー・ターゲット、『始祖の卵』。)
(セカンダリー・ターゲット、『人類』。)
(論理積(AND)検索を実行。)
(関連情報の時系列再構築、因果関係のラベリング、重複及び破損データのノイズ除去、以上のプロセスを並列処理にて継続……)
彼の思考は、巨大な篩(ふるい)と化した。
情報の海から、目的とする意味の砂金だけを掬い上げるために。
それは、通常の人間が、いや、地上のいかなるスーパーコンピューターが束になってかかろうとも、一生かかっても処理しきれないであろう天文学的な量の情報だった。
惑星が誕生してから今日までの、地殻の変動、大気の組成、生命の進化と絶滅。
その全ての記録が、彼の意識を津波のように通過していく。
だが、譲の思考は一切揺らがない。
凄まじい速度で、しかしどこまでも冷静に、膨大なデータをフィルタリングし、タグ付けし、分類し、そして、たった一つの隠された真実へと、全てを収束させていく。
これは、彼がこれまで行ってきた、いかなる分析作業とも次元が違っていた。
誰かの主観によって歪められ、誰かの意図によって編集されたレポートの解析ではない。
ましてや、伝聞や記録といった二次情報、三次情報の類では断じてない。
これは、星そのものが自らの内に刻み込んできた、何者による改竄も、いかなる言い訳も通用しない、絶対的な一次情報との直接的な対話だった。
譲は、惑星の記憶そのものと、今まさに語り合っているのだ。
---
時間の感覚は、とうの昔に消失していた。
一秒が一億年にも、一億年が一秒にも感じられるような、超越的な時の中を、彼の意識は泳ぎ続ける。
どれほどの時間が過ぎ去ったのか。
地上の時計では数分だったのかもしれないし、あるいは数時間だったのかもしれない。
彼の意識が、無数の情報群の中から、ひときわ異質で、暗く、そして澱んだ気配を放つ、ある一つの情報クラスターにたどり着いた、その瞬間。
ピタリ、と。
あれほど猛烈な速度で回転していた彼の思考が、完全に凍りついた。
---
それは、まるで警告もなしに、剥き出しの脳髄に直接、高圧電流を流し込まれたかのような、絶叫すら許されぬ激烈な衝撃だった。
情報が持つ、絶対的な悪意。
そして、どこまでも深く、どこまでも飢え渇いた、底なしの欲望。
思考の海に、突如として腐臭を放つヘドロが流れ込んできたかのような、強烈な不快感。
それは、譲がこれまで幾度となく対峙し、その命を脅かしてきた、あの怪物たちが放つ純粋な生存本能とは、全く異質のものだった。
生存本能は、時に残酷ではあるが、その根底には生命としての純粋さがある。
しかし、これは違う。
どこまでもねじ曲がり、醜く腐敗し、熟しきった果実が崩れ落ちる寸前のような、甘くむせ返るような退廃の匂い。
紛れもなく、それは人間の、あまりに人間的な感情の匂いがした。
---
彼の意識が捉えたのは、数十年前の記録。
始まりは、漆黒の宇宙空間を切り裂いて地球へと飛来した、一つの隕石だった。
大気圏で燃え尽きることなく地表に到達したその物体の中から発見された、未知の物体。
後に『始祖の卵』と名付けられる、全ての元凶。
それを秘密裏に回収し、研究を開始したのは、人類の中でも特に優秀な頭脳を持つ、一団の科学者チームだった。
彼らの瞳は、当初、間違いなく純粋な輝きに満ちていた。
未知なるものへの探究心。
宇宙の神秘を解き明かさんとする、科学者としての根源的な欲求。
彼らは寝食を忘れ、その解析に没頭した。
その情熱は、それ自体は決して悪ではなかったはずだ。
しかし、彼らはあまりにも早く、そしてあまりにも深く、気づいてしまったのだ。
その卵の内部に秘められた、圧倒的な力の存在に。
それは、単なるエネルギー源や新素材といった、矮小なレベルの話ではなかった。
生命の設計図、デオキシリボ核酸――DNAそのものに干渉し、塩基配列を自在に書き換え、進化の方向性すら意のままにコントロールできるほどの、まさしく神の領域に属する力。
ダーウィンの進化論を、一夜にして過去の遺物へと変えてしまえるほどの、禁断の果実。
その絶対的な力の存在を認識してしまった、その瞬間。
彼らの純粋だったはずの探究心は、音を立てて砕け散り、その内側から、もっと醜く、もっと禍々しいものが姿を現した。
それは、仏教で言うところの、満たされることのない渇きと愛着を意味する**『渇愛(かつあい)』**。
手に入れたい、支配したい、独占したいという、人間の最も業の深い欲望へと、彼らの魂は一瞬にして変質してしまったのだ。
---
『プロジェクト・アーク』
モニターも、キーボードも、書類さえも存在しない、譲の純粋な意識空間。
その中心に、その忌まわしい計画の名が、まるで乾いた傷口から滲み出た血のように、どす黒く、禍々しく浮かび上がった。
その文字列から放たれる思念は、あまりにも冷たく、そして傲慢だった。
計画の骨子は、常軌を逸していた。
始祖の卵の力を利用し、一部の権力者や出資者、そして彼らにとって都合の良い、選び抜かれた人間にだけ、強制的な進化を促す。
それによって、旧人類(ホモ・サピエンス)とは一線を画す、優れた知能と身体能力を持つ新人類『アース』を人工的に、そして最終的には量産体制にまで移行させるという、非人道的極まりない研究。
それは、自然の摂理という神の不在を嘆くのではなく、自らがその玉座に座り、新たな神になろうとする、人間の傲慢さの極致を体現した計画だった。
---
譲の意識は、震えを抑えることができなかった。
思考だけの存在であるはずなのに、全身の毛が逆立ち、奥歯がギリギリと軋むような感覚に襲われる。
だが、地獄はまだ始まったばかりだった。
彼の意識は、まるで呪われた古文書を紐解くように、戦慄の事実を次々と暴き出していく。
研究の過程で生まれた、数えきれないほどの失敗作たちの記録。
新人類への進化に耐えられず、醜い肉塊へと成り果てた被験者たち。
精神が崩壊し、言葉も発せられなくなった者たち。
彼らは人間以下の「材料」として扱われ、そのデータだけが冷徹に記録され、そして闇から闇へと葬り去られていた。
おぞましい人体実験の犠牲者たちの、声なき絶叫が、情報の海の中から木霊のように響いてくる。
---
そして、譲は理解した。
これほどの罪を、これほど巨大な嘘を隠蔽し続けるためには、
そしてこの狂った計画を継続するための莫大な軍事予算を国民から、いや世界中から搾取し続けるためには、
人類全体を一つの方向へと向かせる、強力な接着剤が必要になる。
共通の恐怖、共通の憎悪。
つまり、彼らは完璧な「悪役」を必要としたのだ。
その悪役に仕立て上げられたのが、何十万年もこの星で静かに暮らしていただけの一族――エヴァたちだったのだ。
彼らはただ、自らの未来の可能性そのものである「始祖の卵」を、ある日突然、空からやってきた闖入者(ちんにゅうしゃ)に盗み出された、被害者でしかなかった。
「怪物は、思考能力を持たない、人類の生存を脅かす邪悪な敵である」
そのたった一つの嘘から、全ては始まっていた。
大規模なプロパガンダ。
政府と軍と、そしてメディアが一体となって、人々の心に計画的に恐怖を植え付け、憎悪を煽り、そして偽りの正義を捏造していく。
一つ、また一つと、忌まわしいパズルのピースが、恐ろしいほどの精度で、あるべき場所にはまっていくのを、譲はなす術もなく見せつけられていた。
---
アースの発生も。
軍内部の、あの異常なまでの隠蔽体質も。
自分が命懸けで掴み、何度も提出した警告や報告書が、ことごとく握りつぶされ、黙殺され続けた理由も。
全ては、この巨大な嘘を守るため。
自分たちが神になるという、狂った欲望を満たすためだったのだ。
父さんも、母さんも、あの時、どうして死ななければならなかったのか。
厳しくも、誰よりも部下思いだったヤマシタ隊長も。
そして、これまでの長きにわたる戦いの中で、名前も覚えていないほど多くの仲間たちが、血を流し、命を散らしていった。
その全てが、人類の上層部が自らの私利私欲のために巧妙に仕組んだ、壮大な自作自演の茶番劇――マッチポンプの上で、何の意味もなく、ただ無惨に殺されていったというのか。
彼らの死は、英雄的な犠牲などではなかった。
ただの、欺瞞に満ちた舞台の上で踊らされた、哀れな道化の死だったというのか。
その結論にたどり着いた瞬間。
ゴウッ、と。
地殻の底で煮えたぎるマグマが、一気に地表を突き破って噴出するような、凄まじい怒りの奔流が、譲の魂の最も奥深い場所から噴出した。
それは、もはや制御不能な灼熱の奔流だった。
脳を内側から焼き尽くし、意識そのものを蒸発させてしまいそうなほどの、絶対的な憤怒。
しかし、不思議なことに、その怒りの矛先は、もはやエヴァの一族や、彼らが兵士として生み出した、あの無垢な怪物たちには微塵も向けられていなかった。
彼の憎しみは、完璧に、そして決定的に、その向きを反転させていた。
真実という光を分厚いカーテンで覆い隠し、仲間たちを、家族を、そして全人類を欺き続けてきた、自分と同じ種族――『人間』へと。
***
その頃、奇しくも、譲の憎悪の反転と時を同じくして。
地上は再び、灼熱の地獄と化していた。
第7廃工場地帯。
かつては人類の繁栄を支えたであろう巨大な建造物群は、今や見る影もなく錆びつき、無数の弾痕に穿たれ、機能不全に陥った骸を無様に晒している。
空は鉛色の雲に覆われ、まるで世界そのものが巨大な弔旗を掲げているかのように、重く、淀んだ光しか地上には届かない。
鉄錆の匂いと、硝煙の匂い、そして、そこに新たに混じり始めた生々しい血の匂いが風に乗り、この場所が死と暴力に支配された領域であることを、誰の目にも明らかにした。
---
朝倉颯太が率いる、人類反抗軍・討伐第一部隊は、第二波総攻撃の火蓋を切っていた。
彼らにとって、この戦いは単なる防衛戦でも、侵攻作戦でもない。
数時間前、彼らの目の前で光の中に消えた、かけがえのない友、宮沢譲への弔い合戦。
その一点に、全ての意味が集約されていた。
彼らの瞳には、もはや昨日まで微かに残っていたはずの恐怖も、作戦行動の是非を問う迷いも、一片たりとも存在していなかった。
その代わりに宿っているのは、友の仇を討つという、あまりにも純粋で、それ故にどこまでも冷徹で、残酷な『正義』の光だけだった。
悲しみは、最も効率の良い燃料となって憎悪の炎を燃え上がらせ、彼らの心を鋼鉄のように硬化させていた。
「――一匹残らず、殲滅しろッ!!!」
颯太の絶叫が、号令となった。
それはもはや指揮官の命令というよりは、傷ついた獣の咆哮に近かった。
喉が張り裂けんばかりに放たれたその言葉は、集音マイクを通して全部隊の兵士たちの鼓膜を激しく震わせ、彼らの精神に最後の枷を外す引き金となった。
その号令に呼応するかのように、純白の装甲に身を包んだ最新鋭の人型兵器ヴァルキリーが、その手に携えた光の槍を天に掲げる。
機体から溢れ出すエネルギーが周囲の大気を震わせ、キィン、という耳鳴りのような高周波を発生させた。
次の瞬間、放たれた白光の奔流は、戦場の薄闇を刹那的に昼間へと変え、状況も理解できずに地上へと偵察に出てきていた怪物の下級兵士の一体を正確に捉え、その胸を、いとも容易く、そして何の抵抗も許さずに貫いた。
断末魔の叫びを上げる間もなく、その巨体は内部から焼き尽くされ、一瞬で黒い炭の塊と化して崩れ落ちた。
「譲の見てないところで、無様にやられるんじゃねぇぞ、テメェらァ!」
赤城剛の駆る、重装甲の機体が雄叫びを上げる。
その巨大な右腕に握られたヒートアックスは、高熱によって刃が赤色に輝き、陽炎のように空気を歪ませている。
彼はその質量と熱量の塊を、力任せに、しかし熟練の技術で薙ぎ払うように振るった。
唸りを上げて迫る灼熱の刃は、恐れを知らずに突進してきた数体の怪物をまとめて捉え、骨や外殻の硬い感触を微塵も感じさせることなく、バターを切り裂く熱いナイフのように、滑らかに両断した。
切断面は一瞬で焼灼され、異臭を放つ黒煙を上げた。
陽葵も、玲奈も、そして名もなき他の兵士たちも、皆、同じだった。
彼らは、友を失った深い悲しみを、憎悪という名の、極めて高効率で、即効性のある精神的な燃料へと、巧みに変換していた。
その憎悪をエネルギー源として、自らが持つありったけの火力を、ただひたすらに、感情を排した作業のように、眼前にいる敵へと叩きつけていく。
ミサイルが炸裂し、プラズマが閃き、ガトリングガンが火を噴くたびに、怪物の肉体が紙細工のように弾け飛ぶ。
それは、もはや戦いという言葉が生温く感じられるほどの、一方的な蹂躙であり、憎悪に駆られた虐殺だった。
---
彼らは、誰一人として信じて疑わない。
自分たちのこの行いが、非業の死を遂げた亡き友の魂を慰め、残された者たちの、ひいては人類全体の平和と未来を守るための、何よりも尊く、崇高な戦いであると。
その揺るぎない正義を信じているが故に、彼らは自分たちが、人類の指導者が描き上げた巨大な嘘という名の舞台の上で、実に滑稽に、そして悲劇的に踊らされているだけの道化であるという事実に、気づく由もなかった。
彼らが貫く敵の胸は、彼らが流させる血は、全てが巨大な欺瞞をさらに強固にするための、礎石にされているとも知らずに。
***
情報の海、その最も深い場所から、宮沢譲の意識が、ゆっくりと、しかし確実に浮上を開始する。
それは、深海に潜っていたダイバーが、水圧の変化に慎重に体を慣らしながら水面を目指すプロセスに似ていた。
絶対的な意味の奔流から、再び個別の事象を認識する世界へ。
思考そのものだった意識が、再び仮想的な身体の輪郭を取り戻していく。
彼が精神をダイブさせていた巨大な結晶体、その滑らかな表面を走っていた燐光の明滅が、激しい点滅から、穏やかで、規則正しい呼吸のような光へと戻った。
まるで、荒れ狂っていた嵐が過ぎ去り、凪いだ海のようになった彼の内面を、そのまま映し出しているかのようだった。
---
やがて、譲の意識は完全に覚醒した。
開かれた彼の瞳は、驚くほど静かだった。
そこには、真実を知った直後のような激情の嵐は、もはやその片鱗すら見られない。
だが、その静けさは、決して諦念や無気力からくるものではなかった。
水面下、遥か深く。
その瞳の奥には、地殻の最深部で静かに、しかし着実に圧力を高めながら煮えたぎるマグマのような、熱く、そして決して揺らぐことのない怒りが宿っていた。
それは、一度噴火すれば、地上の全てを焼き尽くし、世界そのものの形さえ変えてしまうほどの、途方もないエネルギーを秘めた静かなる憤怒。
---
彼の心の中にあった、かつての迷いや劣等感、何が正しくて何が間違っているのかを測りかねていた脆い羅針盤は、あの激烈な怒りの奔流によって一度完全に溶解し、
そして今、全く新しい、ただ一つの方向だけを指し示す、極めて強靭な指針として再構築されていた。
もはや、一切のブレはない。
寸分の狂いもなく、彼の魂が指し示している未来は、ただ一つ。
「隠蔽された真実を、白日の下に晒し、奪われた始祖の卵を、本来の持ち主であるエヴァたちの元へ還す」
それだけが、このどうしようもなく拗れ、憎しみと悲しみの連鎖によってがんじがらめになった世界を解きほぐし、断ち切るための、唯一の道。
彼がたどり着いた、**真理へ至る道**だった。
---
譲は、ゆっくりと体を起こした。
彼の意識の覚醒を、すぐそばで固唾を飲んで見守っていたエヴァ、そして、少し離れた場所から静かに成り行きを注視していた、何人もの怪物たちの長老たちへと、その静かな視線を向けた。
彼らの思念が、心配と、期待と、そしてわずかな不安が入り混じった複雑な波動となって、場の空気を震わせているのが、肌で感じるように分かった。
彼は、その思念の波を真正面から受け止めると、静かに、しかし、その場の全ての存在の魂に直接刻み込むような、揺るぎない声で宣言した。
「行こう。僕たちの戦争を、始めよう」
その言葉は、静寂に満ちた空間に、深く、重く響き渡った。
エヴァの、感情を表すことの少ない水晶のような瞳が、ほんのわずかに、しかし確かに揺れる。
長老たちもまた、互いに困惑と警戒の入り混じった思念を、音もなく交わし合った。
『戦争』。
その言葉は、彼らにとって、あまりにも多くの同胞を失い、あまりにも長い苦しみを味わってきた、忌むべき響きを持っていたからだ。
また、あの不毛な破壊と殺戮を繰り返すというのか、と。
譲は、彼らが抱いた当然の疑念と心を、まるで手に取るように正確に読み取っていた。
彼は、その美しい顔に、初めて穏やかとさえ言える表情を浮かべると、静かに首を横に振り、言葉を続けた。
「もちろん、あなたたちがこれまで強いられてきたような、武力による戦争じゃない。」
「銃を取り、牙を剥き、互いの命を奪い合うような、愚かな戦いのことではないです。」
「暴力は、さらなる憎しみを生むだけです。」
「それでは、何も解決しない。僕たちは、もうそれを嫌というほど学んだはずだ」
彼の瞳には、かつて軍の最下層で、自らの無力さに苛まれ、優秀な同僚たちへの劣等感に俯いていた、あの気弱な少年の面影は、もうどこにもなかった。
そこに立っているのは、星の記憶と対話し、世界の真理を知り、そして自らが背負うべき天命を悟った、一人の覚醒者だった。
「僕たちの武器は、暴力じゃない。」
「僕の頭脳にある、この『知識』と、あなたたちが持つ、人類のそれを遥かに凌駕する『技術』。」
「そして、僕たちが世界に突きつける、何よりも強力で、何よりも雄弁な、たった一つの武器……」
そこで一度、譲は言葉を切り、集った全ての者たちの瞳を、一人一人、ゆっくりと見つめた。
そして、最後の言葉を、まるで夜明けを告げる鐘の音のように、はっきりと紡いだ。
「――人類が、その欲望のために隠し続けてきた、絶対的な『真実』だ」
それは、たった一人の人間が、世界そのものに、その巨大なシステムと欺瞞に満ちた秩序に、宣戦を布告した瞬間だった。
それは、歴史の教科書に載るような英雄譚の始まりではない。
もっと静かで、もっと根源的な、一人の革命家が、この星に産声を上げた瞬間だった。
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「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
ゲームコインをザクザク現金化。還暦オジ、田舎で世界を攻略中
あ、まん。
ファンタジー
仕事一筋40年。
結婚もせずに会社に尽くしてきた二瓶豆丸。
定年を迎え、静かな余生を求めて山奥へ移住する。
だが、突如世界が“数値化”され、現実がゲームのように変貌。
唯一の趣味だった15年続けた積みゲー「モリモリ」が、 なぜか現実世界とリンクし始める。
化け物が徘徊する世界で出会ったひとりの少女、滝川歩茶。
彼女を守るため、豆丸は“積みゲー”スキルを駆使して立ち上がる。
現金化されるコイン、召喚されるゲームキャラたち、 そして迫りくる謎の敵――。
これは、還暦オジが挑む、〝人生最後の積みゲー〟であり〝世界最後の攻略戦〟である。
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