無能と蔑まれた僕だけが知る世界の嘘。敵であるはずの怪物の少女に恋したので、人類を裏切り世界を滅ぼす。

Gaku

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第2部:討伐部隊・転機編

第52話:図書館の賢者

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世界樹、とエヴァが呼んだ巨大な建造物の中へと一歩足を踏み入れた瞬間、俺、宮沢譲の全身を、これまで経験したことのない感覚が襲った。それは、音のない音、光のない光、形のない形。ありとあらゆる矛盾した情報が、五感という頼りないフィルターを無視して、魂の表面を直接撫でていくような、畏怖としか呼びようのない感覚だった。

外観からは想像もつかなかったが、そこは「建物」という概念を遥かに超越した、巨大な生命体の胎内のような空間だった。壁面は硬質な金属でも、冷たい石でもない。まるで生きているかのように、ごくごく僅かに脈動しながら淡い翠色の光を放っている。空気中には無数の光の粒子が、意志を持っているかのようにゆっくりと漂い、俺の頬を撫でては消えていく。深呼吸をすると、肺が古い森の土と、生まれたばかりの若葉の香りで満たされた。

「図書館、よ」

エヴァの思念が、畏怖に凍り付いた俺の心に静かに響いた。図書館。だが、そこに俺たちが知るような、紙の束でできた書物は一冊も見当たらなかった。代わりに、この巨大な洞窟の壁という壁、天井という天井を埋め尽くしていたのは、人間ほどの大きさもある巨大な水晶の結晶体だった。その一つ一つが、まるで夜空から銀河を切り取って封じ込めたかのように、複雑で深遠な光を内包して、ゆっくりと、しかし確かなリズムで明滅を繰り返している。

ここは、知識が保管されている場所ではない。知識そのものが、生命として生きている場所だ。悠久という言葉ですら陳腐に聞こえるほどの、途方もない時間が堆積した荘厳な静寂。俺は、人類の歴史など足元にも及ばない、この星そのものの記憶の貯蔵庫に、今、足を踏み入れたのだと直感した。

洞窟の中央、世界樹の最も太い根が巨大な玉座のように絡み合う場所に、その存在は静かに座していた。
「賢者様」
エヴァが、深い敬意を込めて思念を送る。
それは、人の形をしていたが、もはや個体としての輪郭を失いかけていた。何万年、あるいは何十万年という時を生き、この世界樹と一体化したかのような、老いた木の精霊。その肌は古い樹皮のように皺が刻まれ、銀色の髪は苔のようにその身を覆っている。固く閉じられた瞳は、外界の光景など見る必要がないとでも言うように、深淵な内側だけを見つめていた。

だが、俺が近づくと、その顔は寸分の狂いもなく、正確に俺の方を向いた。言葉はなかった。声もなかった。ただ、脳内に直接、地殻の底から響いてくるかのような、重く、深く、そしてどこまでも優しい声が響き渡った。

『――よく来た、人の子よ』

その声には、俺の過去、現在、未来のすべてを見通しているかのような、抗いがたい響きがあった。

『お前の魂の渇きが、ここまで届いておった。真実を求める、その乾いた叫びが』

賢者は、傍らに浮かぶ一つの記憶結晶に触れるよう、細く、枝のような指で俺に促した。それは、他の結晶体よりもひときわ強く、そして悲しい光を放っているように見えた。俺は、まるで祭壇に生贄を捧げる罪人のような足取りで、ゆっくりと賢者の元へと進み出た。躊躇いがちに、震える指先が、ひんやりとした結晶の表面に触れた、その瞬間だった。

俺の全身を、稲妻が貫いた。
いや、違う。俺の意識が、肉体という窮屈な檻から引きずり出され、光速を超える速度で、時間の奔流そのものへと叩きつけられたのだ。

脳内に、津波のように情報が、記憶が、絶叫が、歓喜が、そして沈黙が、なだれ込んでくる。
それは、地球という惑星が、灼熱のマグマの海から生まれ、冷え固まり、最初の雨が大地を濡らした、四十数億年前の「記録」だった。しかし、それは人類が記述した無味乾燥な歴史ではない。海の視点、森の視点、空の視点、そして、この星そのものの視点から見た、生命の流転の物語だった。

――見た。
最初の生命が、深海の熱水噴出孔で産声を上げる、奇跡の瞬間を。
――見た。
カンブリアの海で、異形の生命たちが爆発的に進化し、喰らい、喰らわれ、ただ生きるという目的のためだけに輝いていた、生命の祝祭を。
――見た。
巨大なシダ植物が鬱蒼と茂る森を、圧倒的な質量で支配していた恐竜たちの、栄華と、そして空から降り注ぐ絶望の光によって、その時代が唐突に終わりを告げる、静かな滅びを。

美しい生命が生まれ、繁栄し、そして静かに滅んでいく。全ては、一つの巨大な循環の一部であり、そこに善も悪もなかった。ただ、常に移ろいゆき、一瞬たりとも同じ姿を留めないという、絶対的な法則(諸行無常)があるだけだった。その壮大で、時に残酷な生命のタペストリーの中で、俺たち人類の登場は、ほんの一瞬、瞬きほどの短い出来事に過ぎなかった。

だが、その一瞬は、あまりにも異質で、あまりにも醜かった。

俺は見た。
最初は、か弱く、臆病で、ただ生き延びるために必死だったはずの霊長類が、「知恵」という名の、あまりにも危険な武器を手にした瞬間を。
俺は見た。
その知恵が、やがて飽くなき「欲望」へと変質し、生きるために必要以上のものを求め、他の生命の縄張りを侵し、大地に初めて癒えない傷を刻み始めた、その始まりを。
俺は見た。
人類が、その探究心と欲望のために、どれだけ多くの美しい森を焼き払い、どれだけ多くの川や海を汚し、数えきれないほどの、名前さえ持たない無数の種を、この星の歴史から永遠に消し去ってきたかを。

人類が「偉大な進歩」と呼び、教科書の中で誇らしげに語ってきた歴史。その裏側には、滅ぼされた者たちの、声にならない絶叫と、流されることのなかった血の記録が、何億ページにもわたって、この星の記憶にはっきりと綴られていた。

『――お前たちの言う「歴史」とは、加害者であるお前たち自身が、自らの罪を正当化するために書いた、あまりに一方的で、あまりに傲慢な物語に過ぎぬ』

賢者の声が、打ちのめされた俺の心に、無慈悲な真実として響く。
そして、記憶の奔流は、数十年前のある出来事を、彼らの視点から、あまりにも克明に、俺の眼前に映し出した。

宇宙空間を旅してきた同胞の船。人類が「隕石」と呼んだ、その黒い塊。その中心で、新たな故郷の光を浴び、再びこの星で呼吸を始めるのを、静かに、そして希望に満ちて待っていた、たった一つの未来。『始祖の卵』。
それを、防護服を着た人類たちが、まるで珍しい鉱石でも採掘するかのように、無神経な重機でこじ開け、無造作に持ち去っていく。その映像を見た時、俺は初めて、自分たちが「怪物」と呼び、憎み、殺し続けてきた相手が、その胸の内に抱えていた、途方もない「苦しみ」の根源を理解した。

自分たちがこれまで行ってきた戦いは、人類を守るための、崇高な正義の防衛戦争などでは、断じてなかった。
それは、たった一人の我が子を、未来のすべてを誘拐された親の、必死の、血を吐くような叫びを、ただ一方的に蹂躙し続ける、あまりにも醜く、あまりにも卑劣な、ただの犯罪行為だったのだと。

全身の血が、急速に凍りついていくような感覚。
俺たちの英雄的な活躍を報じるニュース。仲間たちの誇らしげな笑顔。そして、復讐を誓い、この手に握りしめてきた銃の、冷たい感触。その全てが、巨大な嘘と欺瞞の上に成り立っていた、薄汚れた虚構だったのだ。

父さん、母さん。
あんたたちの息子は、あんたたちを殺した相手に復讐するために戦ってきたんじゃない。
あんたたちの息子は、ただ、子供を返して欲しかっただけの、必死な親たちを、一方的に撃ち殺してきた、ただの強盗殺人犯だったんだ。

その絶望的な真実の重圧に、俺の精神は耐えきれなかった。立っていることすらできず、俺は、この星の全ての悲しみを一身に浴びたかのように、その場に崩れ落ちた。喉の奥から込み上げてきたのは、嗚咽とも、絶叫ともつかない、ただの獣のような、か細い喘ぎ声だけだった。
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