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第2部:討伐部隊・転機編
第54話:血の契約
しおりを挟む俺、宮沢譲の決意の言葉は、星の記憶が眠る荘厳な聖域に、強く、そしてあまりにもか細く響き渡った。
賢者は、閉じた瞳のまま、ゆっくりと、そして深く頷いた。その思念は、是認でもあり、同時に深い憐憫のようでもあった。隣に立つエヴァの大きな瞳から、水晶のような涙が溢れ落ちる。彼女は声にならない思念で、俺に何度も、何度も「ありがとう」と伝えていた。
その純粋な感謝が、ナイフのように俺の胸に突き刺さる。俺は、自分が今、とてつもなく重く、そして取り返しのつかない選択をしたことを自覚していた。それは、俺を育ててくれた世界、俺が愛した仲間たち、その全てを欺き、場合によっては敵に回すことを意味する。人類全ての罪を、この非力な肩で、たった一人で背負うに等しい、あまりにも傲慢な覚悟だった。
決意の高揚が、急速に冷たい現実に侵食されていく。
「でも……」
俺の口から漏れたのは、自嘲に満ちた、乾いた笑い声だった。
「僕に、一体何ができる? 僕はただの人間で、銃の引き金すらまともに引けない、無力な……ただの頭でっかちのモヤシなんだぞ」
そうだ。結局のところ、俺は何も変わっていない。この安全な場所から一歩外に出れば、俺は最前線で戦う仲間たちの足手まといにしかならない、ただの観測員。そんな俺が、どうやって軍の厳重な警戒網を突破し、人類の最高機密である「始祖の卵」を奪い返すというのか。あまりにも、現実離れした夢物語だ。
その、俺の内なる絶望を見透かすかのように、賢者の重い思念が、俺の心に静かに流れ込んできた。
『お前は、無力ではない。お前には、我らにはないものがある』
その声は、慰めではなかった。ただ、冷徹な事実を告げる響きがあった。
『それは、システム全体の調和よりも、個の生存、個の意志を優先する、その燃えるような**「自我」**。そして、論理や効率を超えて、特定の他者を守ろうとする、極めて非合理的な**「絆」**という力だ。我らは、星の調和のためならば、個の消滅を躊躇しない。だがお前たちは、たった一人の仲間を救うために、時にシステム全体を危険に晒すことすら厭わない。その予測不能な『揺らぎ』こそが、停滞した世界に変化をもたらす、唯一の可能性なのだ』
賢者は続ける。
『そして何より、お前のその頭脳は、我らの世界の理(ことわり)と、お前たちの世界の理を、同時に理解できる、この星でただ一つの架け橋だ。だが……それだけでは、足りぬ』
賢者の言葉を引き継ぐように、エヴァが静かに俺の前へと進み出た。その美しい顔には、感謝だけでなく、これから成そうとすることへの深い悲しみと、そして鋼のような決意が浮かんでいた。
「人の身のまま、あなたが私たちの真実を語っても、きっと誰も信じない」
エヴァの思念は、俺が心のどこかで気づいていた、しかし目を背けていた残酷な現実を、容赦なく突きつけてきた。
「あなたを狂人か、あるいは、私たちに寝返った裏切り者として、即座に排除しようとするだけ。人類という巨大なシステムは、自らの正当性を揺るがす異物を、決して許さない。だからあなたには、私たちの言葉が真実であることを、誰にも否定させないための……絶対的な**『力』**が必要になる」
そう言うと、エヴァはローブの袖から、白魚のように細く、滑らかな腕を現した。そして、ためらうことなく、自らのもう片方の手の鋭い爪で、その白い腕を深く、深く切り裂いた。
傷口から溢れ出たのは、俺たちが知るような生々しい赤い血ではなかった。それは、まるで溶かした月光のように、あるいは水銀のように、神秘的な銀色の輝きを放つ液体だった。
彼女は、その銀色の血が止めどなく滴る手首を、まるで神聖な儀式のように、恭しく俺の前に差し出した。
「これは、契約の血。私たちの魂の欠片。この星の記憶そのもの」
その声は、震えていた。
「これを受け入れれば、あなたはもう、ただの人間ではいられなくなる。あなたの肉体は作り変えられ、その五感は世界の理を識るだろう。あなたの時間は、私たちと同じ、永いものになる。故郷には、もう二度と戻れないかもしれない。それでも……この、あまりにも重い私たちの運命を、あなた一人に、背負ってくれる?」
俺は、息を呑んだ。
目の前で銀色に輝く液体は、単なる力ではない。それは、人間であることとの決別を意味する、究極の選択肢。
脳裏に、仲間たちの顔が、走馬灯のように次々と浮かんでは消えていく。
「よう、紙の上の英雄サマ!」と、憎まれ口を叩きながらも、どこか俺を認めていた、不器用な剛の顔。
「譲は昔からそうだよな。全部、一人で抱え込む」と、俺の不器用な優しさを、泣きながら受け入れてくれた、陽葵の顔。
「譲、見ててくれ。お前の仇は、俺が必ず」と、俺の死を信じ、今は憎しみに心を燃やしているであろう、親友・颯太の顔。
そして……。
泥濘の中で、絶体絶命の俺の前に舞い降り、その身を盾にしてくれた、玲奈の横顔が、ひときわ鮮明に蘇る。
『――私が、あなたの盾になる』
彼女は、俺を信じてくれた。論理も、確率も、常識も超えて、ただ俺という存在の可能性を信じ、その命を賭けてくれた。
彼女が信じてくれた「人類の羅針盤」としての俺が、ここで躊躇してどうする。
彼女が守ってくれたこの命を、今度は俺が、この目の前の、たった一人の儚い少女を守るために使う番だ。
仲間たちと同じ時間を生きることは、もうできないかもしれない。彼らと同じ場所へは、二度と帰れないかもしれない。それは、死よりも辛く、永遠に続く孤独を意味するだろう。
だが、彼らが生きる世界そのものを、この狂った因果の輪から救い出すことができるのなら。
玲奈が信じてくれた未来を、この手で掴み取ることができるのなら。
「ああ」
俺は、覚悟を決めた。
「背負うよ。君の運命も、人類の罪も、全部」
俺は震える両手で、エヴァの差し出す手首を、祈るように捧げ持った。そして、銀色に輝く、温かい血を、一滴残らず、その魂ごと飲み干した。
その瞬間。
太陽が、胃袋の中で爆発した。
想像を絶する灼熱が、内側から俺の全身を焼き尽くしていく。全身の血管を、溶岩が駆け巡るような、凄まじい激痛。骨がきしみ、砕け、再構築されていくおぞましい音。皮膚が焼け爛れ、新しいものに生まれ変わっていく感覚。
それは、単なる苦痛ではなかった。俺という存在を構成していた全ての細胞が、一度原子レベルまで完全に分解され、全く新しい、人間ではない何かの設計図に基づいて、強制的に作り変えられていく、根源的な「死」と「再生」のプロセスだった。
悲鳴を上げるための喉も、もはや存在しなかった。薄れゆく意識の片隅で、俺は、エヴァの悲痛な思念を聞いた気がした。
『ごめんね……ごめんね……』
その声を最後に、俺の意識は、永遠に続くかのような、深く、暗い闇の中へと、完全に沈んでいった。
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