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早乙女里奈の視点
第一話:リサイクル・ラブ
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六月の湿気は、私の神経を逆撫でする。 肌にまとわりつく生温かい空気も、廊下で騒ぐ有象無象の笑い声も、すべてが不快だ。
「ねえねえ里奈、聞いた?」
教室の窓際でネイルを眺めていた私に、クラスメイトの恵(めぐみ)が寄ってきた。その声には、明らかに「下世話な好奇心」という毒が含まれている。
「何を?」 「垣原くんのことよ。なんか、新しい彼女できたらしいよ」
爪の先が、ピクリと止まった。 垣原瞬。 その名前を聞くだけで、胃の腑に冷たい鉛を落とされたような重みが走る。 私の元カレ。そして、私のプライドを粉々に砕いて踏みつけた、最低の男。
「ふーん。そう」
私は、極めて退屈そうに答えてみせた。顔の筋肉をミリ単位で制御して、「どうでもいい」という表情を作る。これくらい造作もない。私はいつだって、余裕のある「早乙女里奈」でいなければならないのだから。
「相手、誰だと思う? 一組の前原美影だって」 「……誰それ?」 「ほら、あのおとなしーい感じの。地味っていうか、真面目っていうか。全然、瞬くんのタイプじゃなくない?」
恵がケラケラと笑う。 前原美影。顔はなんとなく浮かぶ。廊下の隅を静かに歩いているような、色彩の薄い女。
(……はあ?)
心の中で、渇いた嘲笑が漏れた。 瞬の好みは、もっと華やかで、刺激的で、自分と渡り合えるような女のはずだ。私のように。 それが、あんな地味な女?
「どうせ、暇つぶしでしょ」
私は、塗りたての爪に息を吹きかけながら言い放った。
「あの人、飽きっぽいから。新しいオモチャが欲しくなっただけじゃない? すぐ終わるわよ」
言葉にすると、胸の奥の古傷がじくりと痛んだ。 「オモチャ」。 そう、私もそうだった。 最初は甘く、情熱的だった。彼は私のすべてを知りたがり、私のわがままを叶え、私を女王様のように扱った。 「お前だけだ」と囁いたあの夜の、熱っぽい瞳。 けれど、ある日突然、スイッチが切れたように彼は冷めた。 まるで、クリアしたゲームソフトを棚に戻すように、私への興味を失ったのだ。
『悪い。なんか、違うわ』
別れ際の、あの氷のような目。 私の涙も、プライドも、何も映していない無機質な瞳。 あの日から、私は自分の中に空いた風穴を埋められないままでいる。
放課後。 昇降口へ向かう途中、その「当事者たち」を見かけた。
渡り廊下の向こう。 瞬が歩いている。少し猫背で、気だるげにポケットに手を突っ込んで。その横に、噂の地味な女、前原美影がいた。 彼女は何かを話しかけ、瞬は前を向いたまま、短く何かを返している。
一見すれば、仲睦まじいカップルには見えない。 むしろ、瞬が鬱陶しそうにしているようにすら見える。
(ほら、やっぱり)
私は、柱の陰で唇を歪めた。 瞬は楽しんでなんていない。あの目は、獲物を品定めしている時の目だ。「こいつはどう動くのか」「どう扱えば面白いのか」。それを計算しているだけの、冷酷な観察者の目。
「かわいそうに」
私は呟いた。同情ではない。優越感だ。 あの子は何も知らない。自分が「消費される側」に回ったことを。 瞬の気まぐれな優しさを「愛」だと勘違いして、舞い上がって、そして最後にはボロ雑巾のように捨てられるのだ。私よりもずっと惨めに。
その時、ふと瞬が足を止めた。 彼が美影の方を振り向く。 遠くて表情までは見えない。けれど、その空気感が、私の知っている「彼」とほんの少しだけ違って見えた気がした。
美影が笑った。 遠慮がちに、でも、ひまわりのような明るさで。 その笑顔に向けられた瞬の背中が、一瞬だけ、強張ったように見えたのだ。
(……何?)
胸がざわついた。 私の時には見せなかった反応。 彼は、何に動揺しているの? あんな地味な女の、あんな平凡な笑顔に?
「……まさかね」
私はその違和感を、強引に頭から追い払った。 ありえない。 瞬は変わらない。あの男は、心を持たないサイコパスだ。 私をあんな風に捨てた男が、あんな女ごときで変わるはずがない。もし変わるとしたら、それは私が惨めすぎる。
「せいぜい、今のうちに楽しめばいいわ」
私は踵(きびす)を返した。 コツ、コツ、とローファーの音を響かせて歩く。
その音は、まるでカウントダウンのようだった。 あの子の恋が終わるまでの。 そして、瞬がまた「退屈だ」と絶望するまでの。
その時が来たら、私は笑ってやる。 「ほら、言ったでしょ」って。 そうでもしないと、私のこの、行き場のない痛みは報われないのだから。
廊下の窓から見える空は、梅雨入りの前の、重苦しい灰色をしていた。 私の心の色と同じ、救いのない色だった。
「ねえねえ里奈、聞いた?」
教室の窓際でネイルを眺めていた私に、クラスメイトの恵(めぐみ)が寄ってきた。その声には、明らかに「下世話な好奇心」という毒が含まれている。
「何を?」 「垣原くんのことよ。なんか、新しい彼女できたらしいよ」
爪の先が、ピクリと止まった。 垣原瞬。 その名前を聞くだけで、胃の腑に冷たい鉛を落とされたような重みが走る。 私の元カレ。そして、私のプライドを粉々に砕いて踏みつけた、最低の男。
「ふーん。そう」
私は、極めて退屈そうに答えてみせた。顔の筋肉をミリ単位で制御して、「どうでもいい」という表情を作る。これくらい造作もない。私はいつだって、余裕のある「早乙女里奈」でいなければならないのだから。
「相手、誰だと思う? 一組の前原美影だって」 「……誰それ?」 「ほら、あのおとなしーい感じの。地味っていうか、真面目っていうか。全然、瞬くんのタイプじゃなくない?」
恵がケラケラと笑う。 前原美影。顔はなんとなく浮かぶ。廊下の隅を静かに歩いているような、色彩の薄い女。
(……はあ?)
心の中で、渇いた嘲笑が漏れた。 瞬の好みは、もっと華やかで、刺激的で、自分と渡り合えるような女のはずだ。私のように。 それが、あんな地味な女?
「どうせ、暇つぶしでしょ」
私は、塗りたての爪に息を吹きかけながら言い放った。
「あの人、飽きっぽいから。新しいオモチャが欲しくなっただけじゃない? すぐ終わるわよ」
言葉にすると、胸の奥の古傷がじくりと痛んだ。 「オモチャ」。 そう、私もそうだった。 最初は甘く、情熱的だった。彼は私のすべてを知りたがり、私のわがままを叶え、私を女王様のように扱った。 「お前だけだ」と囁いたあの夜の、熱っぽい瞳。 けれど、ある日突然、スイッチが切れたように彼は冷めた。 まるで、クリアしたゲームソフトを棚に戻すように、私への興味を失ったのだ。
『悪い。なんか、違うわ』
別れ際の、あの氷のような目。 私の涙も、プライドも、何も映していない無機質な瞳。 あの日から、私は自分の中に空いた風穴を埋められないままでいる。
放課後。 昇降口へ向かう途中、その「当事者たち」を見かけた。
渡り廊下の向こう。 瞬が歩いている。少し猫背で、気だるげにポケットに手を突っ込んで。その横に、噂の地味な女、前原美影がいた。 彼女は何かを話しかけ、瞬は前を向いたまま、短く何かを返している。
一見すれば、仲睦まじいカップルには見えない。 むしろ、瞬が鬱陶しそうにしているようにすら見える。
(ほら、やっぱり)
私は、柱の陰で唇を歪めた。 瞬は楽しんでなんていない。あの目は、獲物を品定めしている時の目だ。「こいつはどう動くのか」「どう扱えば面白いのか」。それを計算しているだけの、冷酷な観察者の目。
「かわいそうに」
私は呟いた。同情ではない。優越感だ。 あの子は何も知らない。自分が「消費される側」に回ったことを。 瞬の気まぐれな優しさを「愛」だと勘違いして、舞い上がって、そして最後にはボロ雑巾のように捨てられるのだ。私よりもずっと惨めに。
その時、ふと瞬が足を止めた。 彼が美影の方を振り向く。 遠くて表情までは見えない。けれど、その空気感が、私の知っている「彼」とほんの少しだけ違って見えた気がした。
美影が笑った。 遠慮がちに、でも、ひまわりのような明るさで。 その笑顔に向けられた瞬の背中が、一瞬だけ、強張ったように見えたのだ。
(……何?)
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「……まさかね」
私はその違和感を、強引に頭から追い払った。 ありえない。 瞬は変わらない。あの男は、心を持たないサイコパスだ。 私をあんな風に捨てた男が、あんな女ごときで変わるはずがない。もし変わるとしたら、それは私が惨めすぎる。
「せいぜい、今のうちに楽しめばいいわ」
私は踵(きびす)を返した。 コツ、コツ、とローファーの音を響かせて歩く。
その音は、まるでカウントダウンのようだった。 あの子の恋が終わるまでの。 そして、瞬がまた「退屈だ」と絶望するまでの。
その時が来たら、私は笑ってやる。 「ほら、言ったでしょ」って。 そうでもしないと、私のこの、行き場のない痛みは報われないのだから。
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