なぜ勇者は地獄に落ちたのか？

物語の始まり：英雄の死と冥府の審判

物語の始まり：英雄の死と冥府の審判
物語は、魔王を討ち滅ぼし世界に平和をもたらした伝説の

大英雄アレスの最期から始まります 。彼は王城の寝室で、最愛の家族や、共に幾多の死線を潜り抜けた戦友たちに看取られながら、安らかに息を引き取ります 。彼の魂は、自らの人生を「一片の悔いなし」と誇り、死後は英雄にふさわしい永遠の安息が与えられると信じていました 。

しかし、彼が目覚めたのは、想像していた光に満ちた天国ではなく、音も光も生命の気配もない、完全なる静寂に包まれた広大な神殿でした 。そこにいたのは、夜の闇を纏った冷徹な冥府の王、ハデス 。ハデスは、アレスの生前の記録を淡々と読み上げ、彼の功績を認めた上で、衝撃的な宣告を言い放ちます 。

「勇者アレス。汝の魂を地獄へ送る」 

自らの人生、信念、そして存在意義そのものを一言で否定されたアレスは、怒りと混乱で激しくハデスに食ってかかります 。何億もの民を救った自分のどこに罪があるのか、と 。しかし、ハデスは取り合わず、これからアレスの「正義」を徹底的に検証すると告げ、物語は本格的な「魂の裁判」へと入っていきます 。

第一の罪：見捨てられた村の叫び
ハデスがまずアレスに突きつけたのは、彼の英雄譚の中で、最も誇り高く、そして最も残酷な決断でした 。それは、魔王軍が二手に分かれて進軍した際に、王都の百万の民を救うため、辺境の

エルム村の五百の命を「必要悪」として見捨てた過去です 。

回想は、雨降る森の中、アレスが苦悩の末に「王都へ向かう」と決断を下した瞬間に遡ります 。仲間の戦士ゴードンは、かつて村に助けられ、温かいもてなしを受けた恩義から強く反対しますが、アレスは「リーダーとは時に非情な決断を下さなければならない」と自らに言い聞かせ、大義を選びます 。そして、王都の百万の民からの熱狂的な称賛が、彼の罪悪感をかき消し、自らの決断が「正しかった」と信じ込ませていったのです 。

しかし、ハデスが見せたのは、アレスが目を背け続けてきたもう一つの真実でした 。

エルム村の五百人の村人たちは、「勇者アレスが必ず助けに来てくれる」という希望を胸に、素朴なバリケードを築き、必死に魔物たちを待ち受けていました 。宿屋の娘

サラは、アレスに手作りの花飾りを渡したことを誇りに思い、最後の最後まで彼の到来を信じ続けていました 。

しかし、現れたのは救いの英雄ではなく、鬼人族の軍勢でした 。絶望の中で、父親を目の前で殺されたサラは、最期にアレスの裏切りを悟り、か細い声で「どうして勇者、様？」と呟き、その命を終えます 。

この生々しい光景と、死してなおアレスを呪う五百の魂の叫びを直接魂に叩きつけられたアレスは、自らの正義が、実は五百の魂の墓碑の上に築かれた「砂上の楼閣」に過ぎなかったと悟ります 。彼は英雄ではなく、ただの冷酷な裏切り者であったという事実に打ちのめされ、誇りを失い、冥府の床に崩れ落ちました 。

第二の罪：善と悪の境界線
第一の罪で魂を打ち砕かれたアレスに、ハデスはさらなる問いを投げかけます 。

「お前は、なぜ魔族を悪だと断じた？」 

アレスは、これはあまりにも自明なことだと反発します 。魔族は人間を襲い、土地を焼く邪悪な存在であり、神殿の教えにも、歴史にも、そう記されているからだと 。ハデスは、そのアレスの信念がどのように作られたかを、再び回想として見せつけます 。

それは、若き日のアレスが大神官から「魔族は破壊と混沌の化身であり、言葉は通じず、慈悲は無用。根絶すべき悪だ」と教え込まれた光景でした 。そして、魔族への憎悪を煽る自身の演説に、民衆が熱狂的に応え、「魔族が悪である」という常識が、神意であり、民意でもあると確信した瞬間でした 。

しかし、ハデスの問いは、その「常識」の根幹を揺るがします 。アレスが信じてきた善と悪の明確な境界線が、実は人間の側によって勝手に引かれたものに過ぎないのではないか、と 。ハデスの冷徹な視線は、アレスが自身の正義を確立するために、いかに多くの外部からの情報（大神官の教え、民衆の熱狂）を、疑いもなく受け入れてきたかを見透かしていました 。

物語は、アレスが絶対的な「悪」として断じてきた魔族に、実は人間と同じような感情や文化、そして存在理由があったかもしれないという、新たな真実へと向かっていくことを示唆しています