「彼女を拾うな」――謎の忠告を無視した俺の日常は崩壊した。記憶喪失の少女は世界を滅ぼす女神の『鍵』。

Gaku

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第五部:女神の遺産と人の叡智

第45話:崇徳天皇の影

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次の「女神の涙」が眠る地は、四国、讃岐の白峯。その報せをぬらりひょんから受けた時、珠の顔から、いつもの軽口が消えた。パイモンでさえ、その地名を聞いて眉根を寄せた。そこは、ただの聖地ではない。日本という国が持つ、最も深く、最も癒えぬ傷の一つが眠る場所だった。

一行が四国へ渡り、その山へ近づくにつれて、世界の色彩は徐々に失われていった。さっきまで聞こえていた鳥の声が途絶え、風の音も止み、まるで分厚いガラスの中に閉じ込められたかのような、耳が痛くなるほどの静寂が支配する。秋の豊かな実りを見せていたはずの木々は、まるで冬に逆戻りしたかのように葉を落とし、枯れ枝が空に向かって助けを求めるように伸びていた。空は、どんよりとした鉛色の雲に覆われ、太陽の光さえも、この土地を避けているかのようだ。

「……っ!」

海斗は、突然襲ってきた激しい頭痛と吐き気に、思わず膝をついた。空気が、まるで毒のように重い。彼の共感能力が、この土地に満ちる、純粋で、凝縮された負の感情を、防御の暇もなく受信してしまっていた。それは、単なる怒りや憎しみではない。千年の時を経て熟成された、絶望、悲嘆、そして裏切られた者の、底なしの孤独。あまりに強大な感情の奔流が、彼の精神を直接蝕んでいく。

「小僧、しっかりしろ! 下手に気を合わせるんじゃないよ!」

珠が、海斗の肩を強く揺さぶる。その声には、焦りと、そして純粋な畏怖の色が滲んでいた。セレスもまた、天界の住人である彼女にとって毒とも言える不浄な気に当てられ、青ざめた顔で自らの胸を押さえている。

一行は、その異様な気配の中心――白峯寺の奥にひっそりと佇む、崇徳天皇の御陵――にたどり着いた。苔むした石段、風化した石灯籠。そこだけが、世界の淀みから切り離されたかのように、静まり返っている。しかし、その静寂こそが、嵐の中心の不気味さを物語っていた。五つ目の欠片は、この御陵のどこかに眠っている。

マナが、意を決して石段に一歩足を踏み入れた、その瞬間だった。
彼女が持つ四つの「女神の涙」が、胸元で激しく共鳴を始めた。清浄な神聖な光が、彼女の身体から迸る。しかし、それはこの土地の淀みを払うのではなく、むしろ地の底に眠る、巨大な負のエネルギーの核を、直接刺激してしまった。

ゴゴゴゴゴゴ……!

地響き。地面が割れ、御陵の石積みの隙間から、禍々しい黒い瘴気が、まるで間欠泉のように噴き出した。地の底から、地の底から響いてくるような、低く、怨嗟に満ちた声が、一行の魂を直接震わせた。

「誰だ……我の眠りを妨げるは……」

瘴気が、一つの巨大な人型を形作る。それは、古の衣冠束帯を身に纏い、しかしその背からは巨大な黒い翼を生やした、大天狗の姿だった。その顔には、深い皺が刻まれ、その瞳の奥には、千年の孤独と、決して消えることのない憎しみの炎が揺らめいていた。

「馬鹿な……本当に目覚めちまったのかよ……」

珠が、恐怖に引き攣った声で呟いた。
「日本三大怨霊 ……保元の乱に敗れ、この地に流され、この世の全てを呪いながら果てた帝……崇徳上皇 !」

生への執着、帝位への渇望、そして信じた者たちに裏切られた深い憎しみ。その強烈な「私」への執着(我執)が生み出した苦しみが、千年もの間この地で燻り続け、神をも喰らうほどの、日本史上最悪の怨霊と化していた。

その怨霊――崇徳上皇が、その虚ろな瞳を、ゆっくりとマナに向けた。彼女から放たれる清浄な神聖な気を、彼は「天つ神の気配」と誤認したのだ。

「……天の者か。また我から奪いに来たか。この千年、我の苦しみが分からぬか。我を裏切り、貶め、この地に打ち捨てた、貴様ら天の者どもが、今更何の用だッ!」

激昂。その叫びは、物理的な衝撃波となって周囲の木々をなぎ倒し、大地を震わせた。彼は、一行の言葉など聞く耳を持たない。ただ、自らの眠りを妨げ、かつて自分を貶めた者たちと同じ気配を持つ存在を、滅することしか考えていなかった。

「許さぬ。許さぬぞッ!」

崇徳上皇が右手を薙ぐと、黒い瘴気が巨大な爪となって一行に襲いかかる。パイモンの魔術障壁がそれを防ぐが、障壁は怨念の力に触れた箇所から、ガラスのようにひび割れていく。

「いけない! 私の魔術体系と、この怨念の力の法則(ルール)は、根本的に質が違う! 相性が最悪だ!」

パイモンの焦燥に満ちた声が響く。珠の音速の斬撃も、怨霊の身体を霧のようにすり抜けるだけで、何の手応えもない。天使であるセレスは、神聖な力と真逆の怨念の気に全身を焼かれるような苦痛を感じ、立っていることさえままならなかった。

崇徳上皇は、ただの一度も動くことなく、その憎しみの念だけで、一行を圧倒していた。これは、戦いではなかった。天災だった。千年の時を経て凝縮された、一個の魂が抱く、純粋な「苦しみ」そのものだった。

その、絶望的な光景の中で、マナだけが、身動きもせずに、崇徳上皇の姿をじっと見つめていた。彼の、憎悪に燃える瞳の奥。そのさらに奥の、魂の深淵。そこに渦巻いている、憎しみよりも遥かに巨大で、そして純粋な、深い深い「悲しみ」の色を、彼女だけが見ていた。

(この人は、悲しいんだ。ただ、悲しいんだ……)

天界で最も信頼していた者に裏切られ、全てを奪われ、光の世界から堕とされた、自らの記憶。目の前の怨霊が放つ魂の叫びは、あの時の自分の叫びと、痛いほどに重なって聞こえていた。

力ずくでねじ伏せることは、不可能。この千年の苦しみを鎮めるには、彼の魂の叫びそのものと向き合うしかない。しかし、その術は、まだ誰にも分からなかった。

崇徳上皇が、天に向かって咆哮を上げる。それに呼応するように、鉛色の空が唸りを上げ、大粒の、氷のように冷たい雨が、一行の身体と、そして心を、容赦なく打ち据え始めた。
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