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第五部:女神の遺産と人の叡智
第48話:殺生石解放
しおりを挟む下野国、那須野ヶ原。
その地は、訪れる者に世界の終わりを予感させた。殺生石と呼ばれる、禍々しい妖気を放つ巨岩を中心に、大地は生命の営みを完全に拒絶していた。黒く焼けただれた土くれがどこまでも広がり、草木一本生えてはいない。大気の代わりに空気を満たしているのは、鼻腔を突き、肺を灼く硫黄の匂いと、魂そのものをゆっくりと腐らせていくような、濃密な瘴気だった。風が吹いても木々の葉擦れの音はなく、ただ、死んだ大地の上を空虚な音が滑っていくだけだ。
その死の大地で、この星の理から外れた、二つの軍勢が静かに対峙していた。
天の軍勢。
上空には、完璧な幾何学模様の陣形を敷いた、数百に及ぶ天使の軍団が光り輝いていた。純白の翼、寸分の狂いもなく磨き上げられた鎧、そして感情の揺らぎを一切感じさせない、冷徹なまでに美しい顔。彼らを率いるのは、カマエルの腹心の一人である熾天使(セラフ)級の天使。その純粋で絶対的な存在感は、この穢れきった大地とはあまりにも不釣り合いで、異質だった。
地の軍勢。
地上には、ぬらりひょんが率いる日本の妖怪たちの「百鬼夜行」が集結していた。鬼の剛腕、天狗の翼、河童の甲羅。多種多様な妖怪たちが、統率などないかのように思い思いの陣形を取り、荒々しい妖気を隠そうともせずに天の軍勢を睨みつけている。その様は、洗練されたオーケストラに対する、原始的で混沌とした祭囃子のようだった。
沈黙を破ったのは、天の軍勢を率いる熾天使だった。その声は、拡声器を通したかのように、しかし感情の起伏なく、戦場全体に響き渡った。
「愚かなる土くれの者どもよ。その穢れた石は、我らが神の光で浄化する。お前たちごと、この大地から消え去るがいい」
宣告と共に、熾天使が右手を静かに天へ掲げた。それを合図に、数百の天使たちが一斉に荘厳な詠唱を開始する。それは、殺生石を内部の「女神の涙」ごと破壊し、玉藻前の魂魄を完全に消滅させるための、大規模な天界儀式だった。詠唱が進むにつれて、那須野の上空に、巨大で複雑な光の魔法陣がゆっくりと形成されていく。世界そのものを書き換えるような、圧倒的な神聖な力が、大地に向けて収束し始めていた。
「くそっ! 結界が硬ぇ!」
鬼の一族が放った渾身の金棒の一撃が、殺生石の周囲に展開された聖なる結界に触れた瞬間、轟音と共に弾き返された。妖怪たちの妖術や物理攻撃は、その清浄な光の壁に触れた途端、まるで水が蒸発するように霧散してしまう。
ぬらりひょんの隠れ里から、この戦場を遠隔で監視している海斗たちの本陣に、焦りの色が浮かぶ。モニターに映し出された戦況は、絶望的の一言だった。
「このままじゃジリ貧だ……儀式が完成すれば、すべてが終わる」
海斗は、唇を噛み締めながら、モニターに映る光の魔法陣と、それを防げずにいる妖怪たちの姿を交互に見つめていた。彼の共感能力が、戦場の焦り、恐怖、そして天使たちの揺るぎない「正義」の感情を、痛いほどに伝えてくる。
カマエルも、この熾天使も、完璧すぎる。彼らの行動には一切の無駄がなく、予測不能な要素がない。それはまるで、完璧に組まれたプログラムのようだ。プログラム……そうだ、プログラムなら。
その瞬間、海斗の脳裏に、一つの、あまりにも常軌を逸した作戦が閃いた。それは、勝つための作戦ではない。盤上そのものをひっくり返すための、狂気の賭けだった。
海斗は、司令室の通信機に向かって絶叫した。その声は、切迫しながらも、不思議なほどの確信に満ちていた。
「このままじゃジリ貧だ! 奴らの儀式が完成する前に、俺たちの手で殺生石を壊す! 九尾の狐を、現代に解き放つんだ!」
その言葉に、司令室の空気が凍りついた。最初に我に返ったのは珠だった。
「正気か小僧ッ! あの化け狐を解放したら、俺たちだって無事じゃ済まねぇぞ! 下手すりゃ、天使どもより先に俺たちが喰われる!」
珠の絶叫は、もっともな意見だった。伝説の大妖怪を、敵軍の目の前で解き放つなど、自殺行為に等しい。だが、その狂気の提案に、歓喜の声を上げた者がいた。
「フッ、フハハハ! 最高だ! 実に美しいッ!」
パイモンが、腹を抱えて高笑いした。その瞳は、恍惚とした光で爛々と輝いている。
「完璧な秩序(カマエル)に、予測不能な混沌(玉藻前)をぶつけるだと? 君は、最高の悪魔だよ、相川海斗!」
ぬらりひょんもまた、モニターの向こうで不敵な笑みを浮かべていた。
「面白い。その賭け、乗った!」
海斗は、仲間たちの反応に頷くと、決意を込めて続けた。
「完璧なプログラムで動く奴らにとって、制御不能なバグの出現こそが最大のエラーなんだ! 天使軍も、玉藻前も、俺たちも、三つ巴で潰し合う混沌(カオス)を作り出す! その混乱の中にしか、俺たちの勝機はない!」
海斗の指示が、前線の妖怪たちに伝わる。作戦内容は、単純明快。敵の殲滅ではない。結界の一点に、全エネルギーを集中させ、穴を開けること。
その指示を理解した妖怪たちは、一瞬の戸惑いの後、獰猛な笑みを浮かべた。どうせ死ぬなら、派手に事を荒立ててからの方が面白い。
「「「オオオオオオオッ!!」」」
百鬼夜行の総攻撃が始まった。鬼の金棒が、天狗の突風が、河童の水撃が、無数の妖怪たちの妖力が、海斗がモニター越しに示した結界の、ただ一点へと収束していく。
結界が、凄まじいエネルギーの集中に耐えきれず、ガラスのように軋み、ひび割れる。
「今だッ!」
海斗の叫びと共に、ぬらりひょんの隠れ里で待機していた精鋭チームが動いた。
マナが掲げた両手から「調和」の光が、パイモンの指先から地獄の業火が、珠の爪から音速の斬撃が、そしてセレスの翼から最後の力を振り絞った聖なる光が、一本の巨大な光の槍となって、モニターの向こうの那須野へと放たれた。
それは、時空を超えた一撃だった。
妖怪たちがこじ開けた結界の亀裂を寸分の狂いもなく突き抜け、天で完成しつつあった天界儀式の光と、ほぼ同時に、殺生石の心臓部へと着弾した。
時が、止まった。
次の瞬間、那須野ヶ原全体が、音のない光に包まれた。
凄まじい衝撃波が、天と地の全てを吹き荒らす。殺生石は、内側から目覚めようとする膨大な妖力と、外側から注がれた神聖な力の衝突に耐えきれず、甲高い悲鳴のような音を立てて、粉々に砕け散った。
濛々と立ち昇る黒い瘴気の中心に、静かに立つ一つの人影があった。
まるで夜の闇を溶かして固めたかのような、艶やかな黒髪。雪のように白い肌。そして、その唇は、見る者を凍てつかせるほどに冷たい、しかし妖艶な笑みを浮かべていた。
何よりも目を引くのは、その背後で、まるで生き物のように優雅に揺れる、九本の巨大な尾だった。
千年の眠りから覚めた、伝説の大妖怪、玉藻前。
その金色の瞳が、ゆっくりと開かれる。
「――ああ、五月蝿いのぅ。妾(わらわ)の眠りを妨げた罪、万死に値するぞえ、天の童子(わらし)ども、そして、人間よ」
その憎悪は、敵味方の区別なく、その場にいる全ての生命に向けられていた。
天使軍、玉も前、そして海斗たちによる、三つ巴の絶望的な大混戦が、今、始まろうとしていた。
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