「彼女を拾うな」――謎の忠告を無視した俺の日常は崩壊した。記憶喪失の少女は世界を滅ぼす女神の『鍵』。

Gaku

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第七部:天空の要塞と偽りの正義

第67話:二つの正義

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「起きろおおおおおおおおっ!!!」

相川海斗(あいかわ かいと)の、喉が裂けそうなほどの絶叫。
それは、真っ白で静まり返っていた「至聖所(しせいじょ)」の空気を、まるで泥ついた靴で踏み荒らすように、乱暴に、そして熱く震わせた。

その声は、見えない糸となって、それぞれの悪夢の中に閉じ込められていた仲間たちの耳元に届く。

(……ああん? なんだい、この騒がしい声は)

猫又の珠(たま)は、燃え盛る炎の中にいた。
そこは彼女の記憶が作り出した、数百年前の火事場。守れなかった少女の幻影を前に、自分の無力さを呪い続けるだけの場所。
けれど、空から降ってきた海斗の間抜けな叫び声が、その熱気を吹き飛ばした。
珠は顔を上げる。揺らぐ炎の向こうに、いつもへっぴり腰で、でも肝心な時だけは引かない、あの生意気な小僧の顔が浮かぶ。

(……まったく。師匠が弟子に心配かけちゃ、おしまいだねぇ)

珠は、口元をニヤリと歪めた。
彼女は、目の前で泣いている少女の幻影に、優しく、でもきっぱりと背を向けた。
「あばよ。あたしは行くよ。今、あたしを呼んでる馬鹿タレがいるんでね」
彼女が地面を強く踏みしめると、燃え盛る屋敷は、薄いガラスが割れるようにパリンと砕け散った。

一方、光あふれる天界から、暗い奈落へと突き落とされていた悪魔王パイモン。
彼もまた、落下し続ける闇の中で、その声を聞いた。
(……ほう。あの脆弱な人間が、神の作った完璧な牢獄を破ったというのか?)
彼の端正な顔に、皮肉ではない、純粋な歓喜の笑みが広がる。
(論理も、計算も、すべて無視した感情の爆発。……美しい。実に美しい混沌(カオス)だ! 最高の喜劇じゃないか!)
彼は優雅に指を鳴らした。
パチン。乾いた音が、無限の闇を幕引きのように切り裂いた。

現実世界。至聖所。
海斗の捨て身のタックルを受け、さらに自分の最強の兵器が破られたことに呆然としていたカマエル。
彼が我に返り、再びその手に光を集めようとした、その刹那。

「させるかよ、この石頭!」
「美しくないねぇ、不意打ちは!」

左右から、黒い疾風と、紅い炎が殺到した。
復活した珠が、猫のようなしなやかさでカマエルの死角――右斜め後ろへ回り込む。
「にゃろうっ!」
彼女の強烈な回し蹴りが、カマエルの端正な顔面にクリーンヒットした。
ゴッ、という鈍い音。
神の顔が歪み、その美しい身体がボールのように吹き飛ぶ。

「なっ……!?」

体勢を立て直そうとするカマエルの平衡感覚を、今度はパイモンの魔術が襲う。
彼がステッキを一振りすると、カマエルの周囲の空間が万華鏡のようにぐにゃりと歪んだ。上下左右が逆転し、床が天井になり、天井が壁になる。
「ぐうっ……!」
無敵を誇ったカマエルが、初めてたたらを踏み、無様に膝をついた。
彼を守っていたはずの完璧な「守りの光」は、海斗という予想外の異物(イレギュラー)に気を取られ、展開が一瞬遅れたのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

海斗は、へたり込みそうになる膝を拳で叩いて、無理やり立ち上がった。
胸のポケットに入っていた身代わりの石は砕け、肋骨のあたりがズキズキと痛む。
でも、生きてる。
視界の端で、珠が尻尾をピンと立ててウィンクしてくる。パイモンが、シルクハットの埃を払いながら不敵に微笑む。

「……みんな」

海斗の目頭が熱くなる。
間に合った。届いた。
完璧で冷たい神様の理屈に、俺たちの泥臭い「生」が勝ったんだ。

そして、もう一人。
心の牢獄から解き放たれた少女がいた。

マナの意識は、海斗の血まみれの幻影から覚め、現実へと戻っていた。
目の前には、ボロボロになりながらも仁王立ちしている海斗の背中。
「海斗……」
彼女の声に、海斗が振り返る。その顔は泥と煤(すす)で汚れ、あちこち擦り傷だらけだったが、太陽のように笑っていた。

「マナ! 無事か!」

その笑顔を見た瞬間、マナの心の中で、何かがカチリと音を立てて嵌(は)まった。

カマエルは言った。「愛や感情は、心を乱すノイズだ」と。
確かにそうかもしれない。愛するからこそ、失うのが怖い。大切だからこそ、傷つくのが辛い。その心の揺らぎは、完璧な静けさを邪魔する嵐だ。
でも。
その嵐の中にこそ、決して折れない強さがあるとしたら?

(私は、神様としての「みんなを救いたい心」も捨てない。人間としての「海斗を愛する心」も捨てない。どちらか一つなんて選べない。だって、それが「私」だから!)

矛盾していてもいい。迷ってもいい。
そのぐちゃぐちゃで、割り切れない心の形こそが、世界のあるがままの姿(調和)なのだから。

マナは、胸元にある首飾りをぎゅっと握りしめた。
そこには、これまでの旅で集めた「女神の涙」の欠片(かけら)が五つ、連なっている。
本来なら七つ集めなければ力は発揮されないはずだった。まだ不完全な、欠けた状態だ。
けれど。

「応えて……!」

マナの叫びに呼応するように、五つの石が、ありえない輝きを放ち始めた。
赤、青、緑、黄、紫。
それぞれの色が混じり合い、共鳴し、本来そこにはないはずの色までをも補完して、眩い「七色の光」となって溢れ出す。
「一足す一」が二ではなく、無限にさえなる。これが、異なるものが響き合う「複雑系」の奇跡。

「カマエル。あなたの正義は、もう終わりです!」

マナの手から放たれた光の奔流が、至聖所を七色に染め上げた。

「なんだ……この光は!?」

カマエルは、迫りくる光の波に対し、とっさに両腕を交差させて防御の構えを取った。
彼が身に纏(まと)っているのは、天界最強の防具「熾天使(してんし)の武具」。
あらゆる物理攻撃を弾き、魔法を無効化する、神の威光そのものだ。
この光もまた、鏡のように弾き返されるはずだった。

しかし、光は彼を傷つけなかった。
七色の光は、カマエルの体に優しくまとわりつくと、まるで硬く結ばれた紐(ひも)をほどくように、彼の鎧の隙間へと染み込んでいく。

パキン。
小さな音がした。
カマエルの肩当てに、ヒビが入る。
続いて、胸当て、籠手(こて)、脚甲。
鉄壁を誇った純白の鎧が、次々とガラス細工のように砕け、光の粒子となって空中に溶け出してゆく。

「ば、馬鹿な……! 我が武具が、なぜ!?」

カマエルが裏返った声で叫ぶ。
パイモンが、面白そうに喉を鳴らした。
「忘れたのかい、カマエル? その武具を最初に設計したのは、誰だったかを」

そう。かつて天界にいた頃、世界の調和を守るためにその武具を生み出したのは、他ならぬマナ――「調和の女神」自身だったのだ。
武具は知っていたのだ。誰が本当の持ち主であるかを。
マナの放った光は、破壊の力ではない。
「もう、戦わなくていいのよ」という、道具たちへの優しい「労(ねぎら)い」と「解除」の信号だった。

「やめろ! 消えるな! 我を守れ!」

カマエルは必死に鎧の破片を掴もうとするが、光の粒子は指の隙間からサラサラと零(こぼ)れ落ちていく。
数秒後、そこには、ただの白い簡素な衣を纏っただけの、一人の華奢な天使が立っていた。
最強の鎧も、絶対の槍も失った、無防備な姿。

「……っ」

カマエルは、わなわなと震える手で自分の体を見下ろした。
力がない。圧倒的な優位性がない。
生まれて初めて感じる、「心細さ」という感覚。
彼は、恐怖に顔を引きつらせながら、じりじりと後ずさりをした。

形勢は、完全に逆転した。

海斗は、痛む脇腹を押さえながら、一歩前に出た。
彼の背後には、七色の光を纏ったマナ。
右には、爪を研ぎながら不敵に笑う珠。
左には、新しい手品を見せる前のようにステッキを回すパイモン。

ボロボロで、泥だらけで、統一感のかけらもないチーム。
けれど、今の彼らは、どんな完璧な神様よりも強く、頼もしく見えた。

「さて、カマエル」

海斗は、まっすぐにカマエルを見据えた。
その瞳には、もはや恐怖はない。
あるのは、相手の動きの「揺らぎ」を見逃さない、司令塔としての冷静な観察眼と、仲間を信じる熱い意志だけだ。

「ここからは、俺たちのターンだ。覚悟はいいか?」

海斗の合図とともに、珠とパイモンが大地を蹴る。
マナが祈りを込めて光を放つ。
白亜の静寂は終わりを告げた。
今、泥臭くて騒がしい、最強の反撃が幕を開ける。

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