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第七部:天空の要塞と偽りの正義
第68話:天墜ちの真犯人
しおりを挟む形勢は、ひっくり返った。
ほんの数分前まで、そこには「神と虫けら」という、絶望的な戦力差があったはずだ。
けれど今、至聖所(しせいじょ)で繰り広げられているのは、泥臭くて、騒がしくて、そして互角以上の「喧嘩」だった。
「右だ! 珠(たま)さん、あいつの右足が浮いてる!」
相川海斗(あいかわ かいと)の声が飛ぶ。
その声が耳に届くより早く、猫又の珠が反応した。
「へいよっ!」
彼女は残像を残すほどのスピードで床を滑り、カマエルの右足首を強烈なローキックで刈り取る。
「ぐっ……!」
カマエルが体勢を崩す。
かつて鉄壁を誇った純白の鎧は、マナの「調和の光」によって分解され、今はただの白い布きれのような姿だ。物理的な防御力も、あの理不尽なほどの魔法耐性も、もうない。
「おやおや、足元がお留守だよ、元・完璧超人さん」
そこへ、悪魔王パイモンが優雅にステッキを振るう。
空中に描かれた幾何学模様から、無数の火の玉が機関銃のように放たれた。
カマエルは慌てて光の障壁を展開しようとするが、その指先が震えている。
海斗という「予測不能なバグ」にかき乱され、鎧を失った動揺で、彼の完璧だった計算(リズム)はズタズタになっていた。
ドカカカカッ!
炎が障壁を突き破り、カマエルを吹き飛ばす。彼は無様に床を転がり、白い衣を煤(すす)で汚しながら立ち上がった。
その顔には、今まで見たこともない感情――「焦り」と「屈辱」が張り付いている。
「なぜだ……なぜ、当たらない! なぜ、防げない!」
カマエルが叫び、デタラメに光の矢を乱射する。
だが、その攻撃は海斗たちに届かない。
マナが、七色の光を纏(まと)って前に立ちはだかるからだ。
「その力は、傷つけるためのものじゃありません!」
マナが手をかざすと、カマエルの放った光の矢は、空中でふわりと花びらに変わり、無害なシャワーとなって降り注いだ。
「調和」の力。
それは、相手の力を無理やりねじ伏せるのではなく、「あ、そんなに尖らなくていいんだよ」と優しく諭して、無力化してしまう力だ。
カマエルの「正義の怒り」というエネルギーが、マナの「受容」によって中和されていく。
「くそっ、くそっ! 我は神の代行者だぞ! この世界の正義そのものだぞ!」
カマエルは髪を振り乱し、ただの駄々っ子のように叫んだ。
その姿は、あまりにも滑稽で、そしてどこか哀れだった。
海斗は、冷静にその様子を見ていた。
(あいつは今、パニックになってる)
海斗には分かる。今のカマエルは、プログラムのエラーを起こしたコンピューターと同じだ。
「完璧な正義」という前提が崩れ、自分が何者なのか、どう動けばいいのか、分からなくなっているのだ。
「珠さん、パイモン! 次で決めるぞ!」
「おうよ!」
「フィナーレと行こうか!」
三人が同時に動く。
珠が視界を奪い、パイモンが動きを封じ、海斗がマナと共に正面から踏み込む。
「これで、終わりだ!」
カマエルは、床に膝をついた。
海斗たちに取り囲まれ、喉元には珠の鋭い爪が、背後にはパイモンの魔法が突きつけられている。
勝負あり、だ。
「……殺せ」
カマエルは、床を睨みつけたまま、絞り出すように言った。
「穢(けが)れに屈するくらいなら、消滅を選ぶ。それが我の正義だ」
その言葉に、海斗はため息をついた。
こいつはまだ、そんなことを言っているのか。
海斗は、カマエルの前にしゃがみ込んだ。目線を合わせる。
かつて見上げた時は、あんなに巨大で恐ろしかった存在が、今はただの、迷子になった青年(天使だけど)にしか見えなかった。
「なぁ、カマエル」
海斗は静かに言った。
「お前の言う『正義』ってさ、本当に『お前自身』の考えなのか?」
カマエルが顔を上げる。
「……なに?」
「お前はずっと言ってたよな。『神の意志だ』『世界の秩序だ』『システムのためだ』って。でもさ、そこにお前自身の『好き』とか『嫌い』とか、『こうしたい』っていう気持ちはあったのかよ?」
海斗の言葉は、仏教でいう「諸法無我(しょほうむが)」の問いかけだった。
「自分」だと思っていたものは、実は「他人の言葉」や「役割」、「肩書き」の寄せ集めに過ぎないのではないか?
カマエルのアイデンティティである「正義」は、本当に彼自身の内側から湧き出たものなのか。
「愚問だ。我は神の道具。個人の感情など不要――」
言いかけたカマエルの言葉を、マナが遮った。
彼女は、そっとカマエルの肩に手を置いた。
「いいえ、カマエル。あなたは道具じゃありません」
マナの手から、温かい光が流れ込む。
それは攻撃のための光ではない。記憶の扉を開く、共鳴の光だ。
「思い出して。私たちが天界にいた頃のこと。あの評議会の日のこと。……あなたは本当は、どう思っていたの?」
マナとカマエル。
二つの強大な神性が、至近距離で接触する。
その瞬間、パズルの最後のピースが埋まるように、封印されていた記憶のダムが決壊した。
ドクン。
海斗、珠、パイモン。そしてカマエル自身。
その場にいる全員の視界が、白い光に飲み込まれた。
気がつくと、彼らは「視点」だけの存在になっていた。
目の前に広がっているのは、目がくらむほど豪華で、そして寒々しいほど広い、円形のホールだった。
天界の最高意思決定機関、「評議会」だ。
ずらりと並んだ高い席に、顔の見えない高位の天使たちが座っている。
その中央、まるで被告人席のような場所に、かつてのマナと、カマエルが立っていた。
『この世界には、バグが増えすぎました』
過去のカマエルが、熱弁を振るっていた。
その表情は真剣そのもので、一点の曇りもない。
『感情、自由意志、変化……これらはすべて、完全なる調和を乱すノイズです。一度すべてをリセットし、神のシナリオ通りに動く世界に再構築すべきです。それが「大浄化」計画です!』
それに対し、過去のマナが反論する。
『違います! 不完全だからこそ、生命は輝くのです。失敗し、悩み、それでも明日へ向かおうとする「ゆらぎ」の中にこそ、本当の美しさがあるのです! 静止した完璧な世界なんて、死んでいるのと同じです!』
議論は平行線だ。
周りの天使たちは、ざわざわと私語を交わしている。
どっちつかずの無責任な意見ばかりが飛び交う中、ホールの一番高い場所にある「玉座」から、声が響いた。
『――静粛に』
その声は、男のものでも女のものでもなく、あるいは老人でも子供でもない。
ただ、絶対的な「ルール」そのもののような、重く響く声だった。
姿は見えない。強烈な逆光の中に、人型のシルエットだけが浮かんでいる。
神の代理人、最高天使メタトロン。
『議論は尽きました』
メタトロンが告げる。
『マナよ。あなたの思想は、調和を乱す危険なウイルスです。よって、あなたの権能を剥奪し、天界の最奥に幽閉(ゆうへい)します』
『そんな……っ!』
マナが絶望に顔を歪める。
一方、カマエルは誇らしげに胸を張った。自分の正義が認められたと思ったのだ。
『そしてカマエルよ。あなたも行き過ぎです』
メタトロンの声が、冷水を浴びせる。
『あなたの過激な思想は、今の天界には早すぎる。しばらく謹慎し、頭を冷やしなさい』
『な……!?』
カマエルもまた、梯子(はしご)を外された形になった。
評議会は解散した。残されたのは、絶望する二人の天使だけ。
場面が切り替わる。
薄暗い回廊。カマエルが一人、悔しさに拳を震わせて歩いていると、背後の闇から「声」がかかった。
『……カマエルよ』
メタトロンのシルエットだ。
彼は、評議会の時とは違う、甘く、親密な声で囁いた。
『私は、本当は君の意見に賛成なのだよ。あの老いぼれた評議員たちは、変化を恐れる臆病者ばかりだ』
『メタトロン様……!』
カマエルが顔を上げる。
『だが、あの異分子(マナ)がいる限り、君の理想とする世界は作れない。……どうだね? 神の代理人として、君に極秘任務を与えよう』
メタトロンは、カマエルの耳元で、悪魔のように囁いた。
『彼女は今、地上への逃亡を図ろうとしている。君の手で、彼女を始末しなさい。それが「真の正義」への第一歩だ』
『……! は、はい! この命に代えても!』
カマエルは歓喜した。自分の正義が、最高権力者に認められたのだ。彼は疑うことなど知らなかった。自分がただの「使い捨てのナイフ」として選ばれたことになど、気づきもしないで。
――場面が、また切り替わる。
今度は、マナの視点だ。
幽閉される直前、彼女の元にも、メタトロンが現れていた。
『マナよ。可哀想に』
メタトロンは、慈父のような優しさでマナに語りかけた。
『評議会の決定は間違っている。君の思想こそが、未来には必要なのかもしれない。……逃げなさい。私が手引きをしよう』
『メタトロン様……ありがとうございます!』
マナもまた、彼を信じた。
彼女はメタトロンに教えられた通り、人目を忍んで天界の端にある「転移門」へと向かった。
そして、運命の瞬間。
転移門の前。眼下には、遥か遠く、青い地球が輝いている。
『さあ、ここから飛びなさい』
メタトロンが促す。
『はい。本当に、感謝します』
マナは、彼に背を向け、門へと足をかけた。
その時だ。
『――さようなら、愛すべきバグよ』
背後で、冷徹な声がした。
振り返ろうとしたマナの背中に、光の刃が突き立てられた。
カマエルではない。
そこに立っていたのは、無表情で見下ろす、メタトロン本人だった。
『あ……?』
激痛。翼が根元から焼き切られる音。
信じていた相手に刺された衝撃で、マナの思考が真っ白になる。
『カマエルには、君を追わせている。彼が到着する前に、私が処理してしまえば、「カマエルが暴走して君を殺した」という筋書きになる。……厄介な過激派と、危険な改革派。両方を一度に排除できる。これぞ、最も効率的な「整理整頓」だろう?』
メタトロンは、ゴミでも捨てるように、マナの体を蹴り落とした。
『あああああああああっ!』
マナの絶叫が遠ざかっていく。
直後、息せき切って駆けつけてきたカマエルが、誰もいない転移門を見て呆然とする。
そこへ、メタトロンが悲しげな顔を作って現れるのだ。
『遅かったか、カマエル。彼女は自ら堕ちたようだ。……追うのだ。そして、確実に息の根を止めなさい』
すべては、仕組まれていた。
正義も、思想も、忠誠心も。
すべては、たった一人の管理者が、自分の手を汚さずに邪魔者を消すために描いた、悪趣味な台本だったのだ。
プツン。
映像が途切れ、意識が現実の至聖所に戻ってきた。
全員が、言葉を失っていた。
あまりにも残酷で、あまりにも救いのない真実。
「……う、そだ」
カマエルが、震える声で呟いた。
彼は、自分の手を見つめていた。
この手で、正義を行ってきたつもりだった。
世界を救うために、心を殺し、感情を捨て、ただひたすらに神の意志に従ってきた。
そのすべてが、嘘だった?
「我は……利用されていただけ、なのか? 我の正義は……我の生涯は……すべて、あやつの掌(てのひら)の上での道化芝居だったというのか!?」
彼のアイデンティティ(自分らしさ)の根幹にあった「正義の執行者」という柱が、音を立てて粉々に砕け散った。
仏教でいう「諸行無常」。永遠に続くものなどない。彼が信じた絶対的な正義さえも、幻だった。
「あ、ああ……あああああああっ!!」
カマエルは、頭を抱えて絶叫した。
それは、戦いに負けた悔しさではない。
自分が何者なのか分からなくなった、魂の崩壊の音だった。
彼は床に突っ伏し、子供のように泣き崩れた。威厳も、誇りも、何もかもかなぐり捨てて。
その姿を見て、珠が「へっ、ざまあないね」と吐き捨てるように言ったが、その表情は苦そうだった。
パイモンも、いつもの皮肉を言う気力さえなさそうに、深くため息をついた。
「やれやれ。とんだ茶番劇を見せられたものだ。……神様ってのは、悪魔よりたちが悪いね」
海斗は、泣き崩れるカマエルを見下ろして、胸が締め付けられるような思いだった。
敵だった。憎かった。
でも、こいつはこいつなりに、必死だったのだ。
信じるもののために、すべてを捧げてきたのだ。
それが全部「嘘」だったと知らされた時、人はどれほど絶望するのだろう。
「……カマエル」
マナが、そっと彼に近づこうとした。
その時だ。
**『――観測終了』**
唐突に。
空間そのものが軋むような、不快な高周波音が響き渡った。
至聖所の天井が、まるでバグったゲーム画面のように激しく明滅する。
「なっ、なんだ!?」
海斗が耳を塞いで叫ぶ。
天井が、ガラスのように砕け散った。
その向こうに見えたのは、空ではなかった。
無数の光のラインが幾何学模様を描いて明滅する、まるで電子回路のような、異様な空間。
そこから、感情の一切ない、けれど圧倒的な「圧」を持った声が降ってきた。
**『予測不能なバグ(海斗たち)の発生を確認。及び、耐用期限切れのコンポーネント(カマエル)の機能不全を確認』**
その声を聞いた瞬間、床に伏していたカマエルが、ビクリと震えて顔を上げた。
その目には、恐怖と、そして絶望的な理解の色が浮かんでいた。
「メ……メタトロン……様……?」
**『役目を終えた駒は、盤上から速やかに取り除かねばなりません。システムの安定のために』**
姿は見えない。
だが、その声の主は、海斗たちにも、そしてかつての忠実な下僕だったカマエルにも、等しく冷徹に「死」を宣告した。
**『これより、当該セクターの物理的消去(デリート)を実行します。バグも、壊れた駒も、すべて等しく、無に還れ』**
ズズズズズ……!!
地響きと共に、天空の要塞全体が悲鳴を上げた。
床が傾く。壁が裂ける。
最強の敵を倒したと思ったその瞬間、彼らは、世界そのものを敵に回すことになったのだ。
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