過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

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第一部:『悪役令令嬢編』

第十四話:春の凱旋と、遠い国の英雄譚

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使節団が旅立ってから、一月が過ぎた。
王国は、春の女神が、その気紛れな指先で、ありったけの生命を振り撒いたかのように、圧倒的なまでの、喜びに満ちた活気に満ち溢れていた。
王宮の庭園では、色とりどりの薔薇が、これでもかと咲き誇り、風が吹くたびに、むせ返るような、甘く、濃厚な香りを、王都中に、振りまいている。空は、どこまでも高く、青く澄み渡り、降り注ぐ陽光は、もはや、冬のそれとは違う、肌を心地よく温める、力強さを持っていた。

城下町は、かつての、あの、淀んだ空気が、嘘だったかのように、生まれ変わっていた。
道は、掃き清められ、家々の窓辺には、ささやかながらも、花が飾られている。市場には、活きのいい魚や、艶やかな野菜、そして、私たちの工房で織られた、美しい布地を、誇らしげに纏った人々が、笑顔で、行き交っていた。

その、中心にある、私たちの『前線基地』は、もはや、ただの配給所ではなかった。
子供たちが読み書きを習う、学び舎であり。女たちが、お茶を飲みながら、井戸端会議に花を咲かせる、社交場であり。男たちが、一日の仕事の汗を、エールで流す、酒場でもあった。
王国は、確かに、豊かになっていた。国庫が潤ったからではない。人々の心に、明日への希望と、自分たちの手で、未来は変えられるのだという、誇りが、宿ったからだ。

「…王女様、また、そのような、カロリーの低いものを…!このままでは、春の風にも、吹き飛ばされてしまわれますぞ!さあ、この、私が、七日七晩、祈りを込めて練り上げました、奇跡の不死鳥のコンソメスープを!」
「だから、そんな、UMAみたいな食材は、どこから調達してくるのよ、メイド長!」
「王女様への愛が、奇跡を、呼ぶのでございます!」
「その愛が、重いのよ!」

そんな、もはや、恒例行事となった、メイド長との、食を巡る仁義なき戦いを繰り広げていた、ある日の昼下がり。
その、吉報は、王都を、駆け巡った。

『使節団、本日、帰還!』

その一報に、王都は、お祭り騒ぎとなった。
人々は、仕事を放り出し、家の窓から、身を乗り出し、そして、王都の、正門へと、続く道へと、殺到した。
かつて、私が、初めて、城下町を視察した時、好奇と、侮蔑の目で、私を遠巻きにしていた、あの光景とは、全く違う。そこには、ただ、ひたすらに、純粋な、歓迎と、喜びの熱気が、渦巻いていた。

やがて、地響きと共に、その一団は、姿を現した。
先頭を、馬で、ゆっくりと進んでくるのは、カエルスだった。
旅の間に、日に焼けたその顔は、精悍さを増し、左遷されていた頃の、荒んだ影は、どこにもない。まるで、凱旋した、将軍のような、威風と、自信に、満ち溢れていた。
彼の後ろには、胸を張って、故郷に錦を飾る、商人たちの、誇らしげな顔、顔、顔。
そして、荷台に、隣国の、珍しい文物や、特産品を、満載した、馬車の列が、延々と、続いていた。

「「「うおおおおおおおっ!!!」」」
「おかえりー!」

民衆の、割れんばかりの、歓声。
私は、アレクシスと、そして、ゲルド師匠と共に、その、熱狂の渦の中にいた。
人々に、もみくちゃにされながら、懸命に、背伸びをする。
その、人垣の向こうで、カエルスが、私に、気づいた。
彼の、仏頂面が、ほんの、一瞬だけ、ふっと、和らいだのを、私は、見逃さなかった。
ただ、それだけのことで、私の胸は、同志の無事と成功を喜ぶ、熱い思いで、満たされた。

***

その日の夕方。
祝祭の喧騒が、少しだけ落ち着いた頃、私は、作戦司令室と化した自室で、カエルスからの、正式な帰還報告を受けていた。
部屋には、山と積まれた報告書や、壁に貼られた王国の地図。夕暮れの、オレンジ色の光が、窓から差し込み、空気中の埃を、キラキラと照らし出している。

「…今回の、使節団の成果、実に見事でした。あなたの働きに、心から、感謝します、騎士団長」
「…王女様が、お示しになった道筋と、民の力が、あったればこそです」

お互いに、統治者と、その腹心としての、言葉を交わす。
しかし、その、堅苦しい言葉の裏には、長い留守を預けた主君と、その期待に応えてみせた忠臣との間の、確かな、安堵と、喜びの空気が、流れていた。

その、沈黙を、破ったのは、私だった。
「…あなたの机の上、少し、片付けておきましたよ。鳥の巣みたいになっていましたから」
私が、そう言って、彼の執務机を指差すと、そこには、旅立つ前に、私が、彼の机の上に、そっと置いておいた、あの、木の鳥のお守りが、文鎮として、使われていた。

「…ああ。助かる」
彼は、少し、照れくさそうに、言った。
「それから、そのスカーフ、少し、ほつれていますね。後で、繕っておきましょう」
私が、彼の首元を指差すと、そこには、私が贈った、あの、青いスカーフが、彼の騎士団の制服の一部であるかのように、自然に、巻かれていた。
「…いや、このくらいの方が、味があっていい」

その、何気ないやり取り。
恋仲の、甘い空気などではない。同じ釜の飯を食い、同じ戦場を駆け抜け、背中を預け合ってきた、戦友だけが、分かち合える、深く、そして、揺るぎない、信頼の絆。それが、私たちの間には、確かに、存在していた。

彼は、旅の出来事を、報告書にはない、細かなニュアンスを交えて、語ってくれた。役人の、官僚的な態度。商人たちの、したたかで、しかし、筋の通った、交渉術。そして、彼自身が、今まで、剣と、力の世界だけで生きてきた自分が、いかに、狭い世界しか、知らなかったかを。
その横顔は、一人の武人として、そして、一人の人間として、一回りも、二回りも、大きく、成長したように、見えた。

「…あなたがいなくて、正直、少し、不安でした」
私は、素直な、気持ちを、口にした。
「あの、脳筋なまでの、突破力が、ないと、どうにも、物事が、前に進まなくて」
「…フン。俺がいなくても、あんたなら、どうとでもしただろうさ」

彼は、そう、ぶっきらぼうに言った。
その言葉に、私は、思わず、笑ってしまった。そうだ。私たちは、もう、どちらかが、いなければ、成り立たないような、脆い関係ではないのだ。

***

報告の最後に、カエルスが、思い出したように、付け加えた。
「そういえば、一つ、妙な噂を、耳にしました」

アレクシスが、興味深そうに、顔を上げる。

「ヴァイスの港で、酒場に入り浸っている、吟遊詩人たちが、盛んに、歌にしていたのですが…。なんでも、大陸の西の方で、『英雄』と呼ばれる、冒険者の一団が、魔王軍の、最後の残党を、打ち破ったとか。そのリーダーは、伝説の、聖剣に、選ばれし勇者だ、とかなんとか」
彼は、心底、興味がなさそうに、言った。
「まあ、よくある、大げさな、英雄譚でしょう。酒の肴にするには、面白い話ですが」

『英雄』。『聖剣』。
その言葉を聞いた瞬間、私の心に、チクリと、小さな、しかし、鋭い、痛みが走った。
それは、まるで、忘れていたはずの、古い傷跡を、不意に、指でなぞられたかのような、奇妙な、感覚だった。

「…英雄、ですか」
「ええ。ですが、まあ、我々には、関係のない、遠い国の、おとぎ話ですな」

カエルスは、そう言って、肩をすくめた。
アレクシスが、何か、思考を巡らせるように、顎に手を当てていたが、やがて、「非論理的だ」と一蹴するように、興味を失ったようだった。

そうだ。関係ない。
関係ないはずだ。
私は、胸の奥の、小さな、ささくれのような、違和感を、無理やり、心の隅へと、押しやった。

今は、目の前の、勝利を、そして、この、奇跡のような、平和を、喜ぶべき時なのだ。
私たちは、祝杯を上げるために、部屋を後にした。

その夜、王宮では、盛大な、祝宴が開かれた。
私も、久しぶりに、心から、笑い、飲み、そして、民と共に、歌った。
豊かになった王国。信頼できる、仲間たち。そして、希望に満ちた、未来。
私は、全てを、手に入れたかのように、思えた。

しかし、その、祝宴の喧騒から、一人、離れ、月明かりの差す、バルコニーに出た時。
私の心には、再び、あの、小さな棘が、顔を出した。

アルバ公爵の、不気味なほどの、沈黙。
そして、吟遊詩人が歌う、遠い国の、『英雄』の物語。

それらは、この、完璧なまでに、幸福な夜に、似つかわしくない、二つの、小さな、染みのように、私の心を、曇らせる。

眼下には、灯りに照らされた、美しい王都が、広がっている。
私たちは、確かに、勝った。
だが、本当に、これで、物語は、終わりなのだろうか。

春の、心地よい夜風が、私の頬を、撫でていく。
その風が、なぜか、遠い、未来から、吹いてくるような、そんな、不思議な、感覚に、襲われた。

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