34 / 91
3部
第三十四話:側近たちの仁義なき戦い
しおりを挟む
ユグドラシルの城、その応接間は、この国の成り立ちそのものを体現したような、混沌と活力に満ちた空間だった。
壁には、ドワーフが彫り込んだであろう、力強く、しかし精緻な幾何学模様のレリーフが施されている。そのレリーフの前には、エルフが育てたという、それ自体が淡い光を放つ蔦植物が、まるで意志を持っているかのように優雅な曲線を描いて絡みついていた。天井から吊るされた巨大なシャンデリアは、明らかに人間の王侯貴族が好みそうな豪奢なデザインだが、その蝋燭の代わりに灯っているのは、リリアが捕獲したという発光性のスライムが、瓶の中でぼんやりと明滅している光だった。
部屋の中央に置かれたテーブルと椅子は、獣人たちが森の巨木をそのまま切り出して作ったような、荒々しくも温かみのある作りで、その上には、竜族のイグニスが淹れたという、湯気からかすかに硫黄の香りがする不思議なお茶と、彼の鱗を削って作ったという、ありえないほど薄くて美しい茶器が並べられている。
あらゆる文化、あらゆる価値観が、誰の趣味を優先するでもなく、ただ「まあ、いいんじゃない?」「これも面白いだろ」という、大らかな諦めと好奇心の上にごちゃ混ぜに存在している。それは、調和とはほど遠い、しかし、奇妙な居心地の良さを感じさせる空間だった。
その、玉座と呼ぶにはあまりにも座り心地の良すぎる、ふかふかのリクライニングチェアに、ユウキは、まるで公開処刑を待つ罪人のように、ぐったりと身を沈めていた。彼のスローライフ絶対防衛戦線は、仲間たち(という名の裏切り者たち)の完璧な連携の前に脆くも崩れ去り、彼は今、人生で最も避けたいシチュエーション――高貴で、理屈っぽくて、面倒くさそうな来客との公式な対面――の真っ只中にいた。
その向かい側。
背筋をピンと伸ばし、完璧な姿勢で椅子に腰掛けているのは、ロゼンベルグ王国の王女、ソフィア・フォン・ロゼンベルグとその一行だった。
商人の娘というには、あまりにも気品が隠しきれていないソフィア。
用心棒というには、あまりにも鋭い眼光で部屋の隅々まで警戒を怠らないカエルス。
そして、学者というには、あまりにも興奮した目で、部屋の調度品からユウキの毛穴の一つ一つまで観察し、手元の羊皮紙に何かを猛烈な勢いで書きなぐっているアレクシス。
重く、そしてシュールな沈黙が、部屋を支配していた。
その沈黙を破ったのは、ソフィアだった。彼女は、優雅な仕草でティーカップを口に運ぶと、完璧な微笑みを浮かべて口火を切った。
「この度は、突然の訪問にもかかわらず、寛大なるご対応を賜り、心より感謝申し上げます。ユグドラシル国王、ユウキ陛下」
その声は、鈴を転がすように美しく、しかし、為政者としての揺るぎない芯を感じさせる響きを持っていた。
ユウキは、その声に、前世で最も苦手だった、完璧なプレゼンを行う女性役員の姿を幻視し、内心で(うわ、絶対ヤバい人だ……)と呻いた。
「あ、はあ。どうも」
絞り出した声は、自分でも情けないと思うほど、気の抜けたものだった。
その、あまりにも国王らしからぬ返答に、ソフィアの隣に控えていたカエルスの眉が、ぴくり、と動いた。彼の全身から、まるで鞘から抜き放たれる寸前の剣のような、鋭い圧が放たれる。
(この男……本当に、あの『山を消す王』だというのか。我が主君であるソフィア様に対し、なんと無礼な態度だ。ただのまぐれ当たりで力を得た、愚かな成り上がり者に違いあるまい)
カエルスの、ソフィアに対する絶対的な忠誠心と、王族(ただしソフィアは除く)への根深い不信感が、目の前の男への敵意となって燃え上がった。
その、カエルスから放たれる敵意を、敏感に察知した者がいた。
ユウキの背後に、仁王立ちで控えていたガンツだった。
「む……!」
ガンツは、カエルスの視線を真正面から受け止めると、その巨体を震わせ、一歩前に出た。
「おい、そこの騎士殿。貴公、今、我が陛下に対し、侮辱の念を抱かなかったか?」
その声は、洞窟の奥から響いてくるような、重い重い重低音だった。
カエルスは、ガンツの巨体と、その鎧の隙間から覗く、尋常ならざる筋肉の量に一瞬だけ目を見張ったが、すぐに冷たい笑みを浮かべて言い返した。
「ほう。ただの筋肉ダルマかと思えば、多少は感覚も鋭いらしい。いかにも。貴公のその、やる気も威厳も感じられぬ主に、我が主君が礼を尽くす必要がどこにある?」
「な、なんだとぉ!?」
ガンツの顔が、怒りで真っ赤に染まる。
「貴様にはわかるまい!我が陛下はな、その偉大すぎる力を驕ることなく、あえて俗人のように振る舞われることで、我々民の心に寄り添ってくださるのだ!その深遠なるお考えも理解できぬとは、やはり貴族に飼われた犬は、視野が狭いと見える!」
「面白い。ならば、その深遠なるお考えとやらを、貴様のその自慢の筋肉で、私に説明してもらおうか!」
「望むところだ!言葉での対話は、時として無力!真の男は、筋肉で語り合うものなり!」
「フン、筋肉でしか語れぬ蛮族めが!」
「なんだと、この石頭!」
次の瞬間、二人は、誰に言われるでもなく、応接間の外にある広大な庭へと飛び出していった。そして、数秒後。
「うおおおおお!見よ、この我が、陛下への忠誠心によって鍛え上げられた上腕二頭筋を!」
「笑止!貴様のそれは、ただの虚仮威しの肉塊!真の強さとは、極限まで削ぎ落とされた、この鋼の肉体に宿るのだ!」
という、全くもって意味不明な叫び声と共に、ドゴォン!バキィ!という、庭の景観がものすごい勢いで破壊されていく音が、窓の外から聞こえてきた。
こうして、後に「第一次ユグドラシル筋肉会談」として歴史に(ごく一部の筋肉マニアの間で)語り継がれることになる、仁義なき代理戦争・武力の部の火蓋が、切って落とされた。
一方、その頃。応接間では、もう一つの、より静かで、しかし、遥かに高次元な戦いが始まろうとしていた。
アレクシスが、キラリ、と眼鏡の奥の目を光らせ、リリアに問いかけた。
「そこのご婦人。あなた、この国の魔導技術顧問か何かですかな?」
リリアは、アレクシスの全身を、まるで珍しい昆虫でも観察するかのように、ねめつけるような視線で舐め回すと、ふふん、と鼻を鳴らした。
「魔導、ですって?ふふ、古風な言葉をお使いになるのね、そこの古文書さん。わたくしは、この世界の真理を探究する、一介の科学者ですわ」
「科学、とな。面白い。ならば、単刀直入にお聞きしよう。先日、この国の王が観測させたという、大規模質量消失現象。あれを、どう説明する?私の計算では、既知のいかなる魔法体系、エーテル力学、マナ変換式に当てはめても、説明不能なエネルギーパラドックスが生じる。あれは、物理法則そのものを書き換える、あるいは、我々の知らない未知の次元からエネルギーを引き出さない限り、成立し得ない。さあ、貴殿の見解を聞かせていただきたい!」
アレクシスの言葉は、早口で、しかし、一言一句に知的な興奮が満ち満ちていた。
それに対し、リリアは、くすくすと、肩を揺らして笑った。
「あらあら。まだそんな、古典的なエネルギー保存則に囚われているのですか?あなた、ひょっとして、まだ世界が地・水・火・風の四元素でできているとでも信じているレベルですこと?」
「なっ……!四元素論は三百年前に否定されている!私を愚弄するか!」
「愚弄?いいえ、事実ですわ。あなたのその問いは、いわば、アリが人間の作るスマートフォンを見て、『これは一体、どんな魔法の粘土でできているのですか?』と聞いているようなもの。前提となるOSが、違いすぎるのですわ」
「OS、だと……?」
「ええ。あなた方が『魔法』と呼んでいる、その非効率で、不安定で、再現性の低いエネルギー体系とは根本的に異なる、より高次の法則。我が王、ユウキ様は、その法則そのものを、息をするように体現されている、歩く特異点(シンギュラリティ)なのです。その存在を、あなたのその古びた物差しで測ろうなど、一万年早いですわよ、古文書さん」
「……面白い!実に、面白い!つまり、君は、この世界には、我々がまだ発見していない、全く新しい物理法則、あるいは、それを記述するための新しい数学が存在すると、そう言うのだな!ならば、その法則の片鱗だけでもいい!ヒントを!数式を!概念モデルを提示したまえ!」
「いやですわ。なぜ、わたくしが苦労して集めた、世界で最も貴重なサンプル(ユウキ様)のデータを、あなたのような、どこの馬の骨とも知れない研究者に、無償で提供しなければならないのです?まずは、あなたのその頭脳が、わたくしの知的好奇心を満足させるに値するかどうか、試させていただきませんとね!」
そこから先は、もはや常人の理解を超えていた。
「ならば問う!虚数空間におけるマナ粒子の振る舞いを記述した、第五魔方陣の欠陥について、君の見解は!」
「陳腐ですわね!そんなものは、時空連続体に非ユークリッド幾何学を適用すれば、小学生でも解ける問題ですわ!それより、生命情報がエーテル体に転写される際の、魂の量子もつれに関する、あなたの理論を聞かせていただきたいものですわね!」
「なんだと!?」
「なんですの!?」
二人の間を、目に見えない知性の火花が、バチバチと激しく飛び交う。その会話の密度と速度は、もはや人間のそれを超え、超高速でチャットを繰り返す二台のスーパーコンピュータのようだった。
仁義なき代理戦争・知力の部。その戦いは、誰にも止められない、終わりなき知のデスマッチへと突入していった。
そして、その、カオスと狂乱の応接間の中心で。
当の本人たちは、何をしていたかというと。
「……ん、このお菓子、うまいな」
ユウキは、イグニスが差し出した、竜の炎で軽く炙ったという、外はカリカリ、中はふんわりの不思議なクッキーを、もしゃもしゃと頬張りながら、庭で繰り広げられる筋肉の祭典を、ぼーっと眺めていた。
「まあ、すごい。元気な方々ですこと」
ソフィアは、メイド長がいつの間にか用意していた、極上のロゼンベルグ産紅茶を、優雅に一口飲むと、くすくすと楽しそうに笑いながら、アレクシスとリリアの超次元ディベートに耳を傾けていた。
ユウキは、目の前の少女が、この異常事態を全く意に介していないことに、少しだけ驚いていた。
(普通、引くだろ、この状況。自分の部下が、よその国で、いきなり庭の岩とか壊し始めたら。なんか、やけに、楽しそうだな、このお姫様……)
彼にとって、部下たちの忠誠心アピール合戦は、前世でさんざん経験した、部長や役員へのゴマすり合戦や、派閥争いを彷彿とさせる、ただただ面倒くさい、エネルギーの無駄遣いにしか見えなかった。
一方、ソフィアは、目の前の男の、そのあまりの「動じなさ」に、深い興味を抱いていた。
(普通、動揺くらいするでしょうに。自分の側近が、初対面の相手と、あんな野蛮な争いを始めたというのに。まるで、他人事……いいえ、本当に、他人事だと思っているのね、この方は)
彼女には、わかっていた。庭で繰り広げられている筋肉のぶつかり合いも、室内で飛び交っている知性の火花も、その根源にあるのは、「自分の主こそが至高である」という、強烈な自負と執着、つまりは「我」のぶつかり合いだ。それは、忠誠心という美しい衣をまとってはいるが、本質的には、自分の価値観を相手に認めさせたいという、極めて人間的な、そして、苦しみを生みやすい感情の発露だった。
だが、目の前の男は、その「我」の土俵から、完全に降りている。
彼は、自分の側近が勝とうが負けようが、心底、どうでもいいのだ。だから、この状況を、ただの「面白い見世物」として、クッキーを食べながら眺めていられる。
それは、無関心なのではない。無責任なのでもない。
ただ、執着がないのだ。
(この方こそ、真の……)
ソフィアが、何かを確信しかけた、その時だった。
庭で、ひときわ大きな破壊音がしたかと思うと、ガンツとカエルスが、互いに巨大な庭石を担いだまま、ぷるぷると震えながら動けなくなっているのが見えた。どうやら、謎の我慢比べの末に、両者、限界を迎えたらしい。
室内では、アレクシスとリリアが、同時に、ぐふっ、と呻いて、テーブルに突っ伏した。どうやら、短時間で脳を酷使しすぎた結果、二人そろって、知恵熱でシャットダウンしてしまったようだった。
嵐のような代理戦争は、唐突に、そして、極めて締まらない形で、一時休戦を迎えた。
しん、と静まり返った応接間で、ユウキは、クッキーの最後の一口を飲み込むと、こてん、と首を傾げて、ソフィアに言った。
「で、なんか、用だっけ?」
その、あまりにも間の抜けた一言に、完璧な淑女の仮面を貼り付けていたソフィアは、思わず、ぷっ、と吹き出してしまった。
そして、ひとしきり笑った後、彼女は、悪戯っぽく輝く瞳で、目の前の、不思議な王を見つめ返した。
「ええ、もちろん。あなたという、この世界で最も大きな『謎』を、解き明かしに参りましたのよ」
その言葉に、ユウキは、心底、面倒くさそうな顔で、盛大なため息をついた。
彼のスローライフへの道は、どうやら、想像を絶するほど、遠く、そして、険しいものになりそうだった。
壁には、ドワーフが彫り込んだであろう、力強く、しかし精緻な幾何学模様のレリーフが施されている。そのレリーフの前には、エルフが育てたという、それ自体が淡い光を放つ蔦植物が、まるで意志を持っているかのように優雅な曲線を描いて絡みついていた。天井から吊るされた巨大なシャンデリアは、明らかに人間の王侯貴族が好みそうな豪奢なデザインだが、その蝋燭の代わりに灯っているのは、リリアが捕獲したという発光性のスライムが、瓶の中でぼんやりと明滅している光だった。
部屋の中央に置かれたテーブルと椅子は、獣人たちが森の巨木をそのまま切り出して作ったような、荒々しくも温かみのある作りで、その上には、竜族のイグニスが淹れたという、湯気からかすかに硫黄の香りがする不思議なお茶と、彼の鱗を削って作ったという、ありえないほど薄くて美しい茶器が並べられている。
あらゆる文化、あらゆる価値観が、誰の趣味を優先するでもなく、ただ「まあ、いいんじゃない?」「これも面白いだろ」という、大らかな諦めと好奇心の上にごちゃ混ぜに存在している。それは、調和とはほど遠い、しかし、奇妙な居心地の良さを感じさせる空間だった。
その、玉座と呼ぶにはあまりにも座り心地の良すぎる、ふかふかのリクライニングチェアに、ユウキは、まるで公開処刑を待つ罪人のように、ぐったりと身を沈めていた。彼のスローライフ絶対防衛戦線は、仲間たち(という名の裏切り者たち)の完璧な連携の前に脆くも崩れ去り、彼は今、人生で最も避けたいシチュエーション――高貴で、理屈っぽくて、面倒くさそうな来客との公式な対面――の真っ只中にいた。
その向かい側。
背筋をピンと伸ばし、完璧な姿勢で椅子に腰掛けているのは、ロゼンベルグ王国の王女、ソフィア・フォン・ロゼンベルグとその一行だった。
商人の娘というには、あまりにも気品が隠しきれていないソフィア。
用心棒というには、あまりにも鋭い眼光で部屋の隅々まで警戒を怠らないカエルス。
そして、学者というには、あまりにも興奮した目で、部屋の調度品からユウキの毛穴の一つ一つまで観察し、手元の羊皮紙に何かを猛烈な勢いで書きなぐっているアレクシス。
重く、そしてシュールな沈黙が、部屋を支配していた。
その沈黙を破ったのは、ソフィアだった。彼女は、優雅な仕草でティーカップを口に運ぶと、完璧な微笑みを浮かべて口火を切った。
「この度は、突然の訪問にもかかわらず、寛大なるご対応を賜り、心より感謝申し上げます。ユグドラシル国王、ユウキ陛下」
その声は、鈴を転がすように美しく、しかし、為政者としての揺るぎない芯を感じさせる響きを持っていた。
ユウキは、その声に、前世で最も苦手だった、完璧なプレゼンを行う女性役員の姿を幻視し、内心で(うわ、絶対ヤバい人だ……)と呻いた。
「あ、はあ。どうも」
絞り出した声は、自分でも情けないと思うほど、気の抜けたものだった。
その、あまりにも国王らしからぬ返答に、ソフィアの隣に控えていたカエルスの眉が、ぴくり、と動いた。彼の全身から、まるで鞘から抜き放たれる寸前の剣のような、鋭い圧が放たれる。
(この男……本当に、あの『山を消す王』だというのか。我が主君であるソフィア様に対し、なんと無礼な態度だ。ただのまぐれ当たりで力を得た、愚かな成り上がり者に違いあるまい)
カエルスの、ソフィアに対する絶対的な忠誠心と、王族(ただしソフィアは除く)への根深い不信感が、目の前の男への敵意となって燃え上がった。
その、カエルスから放たれる敵意を、敏感に察知した者がいた。
ユウキの背後に、仁王立ちで控えていたガンツだった。
「む……!」
ガンツは、カエルスの視線を真正面から受け止めると、その巨体を震わせ、一歩前に出た。
「おい、そこの騎士殿。貴公、今、我が陛下に対し、侮辱の念を抱かなかったか?」
その声は、洞窟の奥から響いてくるような、重い重い重低音だった。
カエルスは、ガンツの巨体と、その鎧の隙間から覗く、尋常ならざる筋肉の量に一瞬だけ目を見張ったが、すぐに冷たい笑みを浮かべて言い返した。
「ほう。ただの筋肉ダルマかと思えば、多少は感覚も鋭いらしい。いかにも。貴公のその、やる気も威厳も感じられぬ主に、我が主君が礼を尽くす必要がどこにある?」
「な、なんだとぉ!?」
ガンツの顔が、怒りで真っ赤に染まる。
「貴様にはわかるまい!我が陛下はな、その偉大すぎる力を驕ることなく、あえて俗人のように振る舞われることで、我々民の心に寄り添ってくださるのだ!その深遠なるお考えも理解できぬとは、やはり貴族に飼われた犬は、視野が狭いと見える!」
「面白い。ならば、その深遠なるお考えとやらを、貴様のその自慢の筋肉で、私に説明してもらおうか!」
「望むところだ!言葉での対話は、時として無力!真の男は、筋肉で語り合うものなり!」
「フン、筋肉でしか語れぬ蛮族めが!」
「なんだと、この石頭!」
次の瞬間、二人は、誰に言われるでもなく、応接間の外にある広大な庭へと飛び出していった。そして、数秒後。
「うおおおおお!見よ、この我が、陛下への忠誠心によって鍛え上げられた上腕二頭筋を!」
「笑止!貴様のそれは、ただの虚仮威しの肉塊!真の強さとは、極限まで削ぎ落とされた、この鋼の肉体に宿るのだ!」
という、全くもって意味不明な叫び声と共に、ドゴォン!バキィ!という、庭の景観がものすごい勢いで破壊されていく音が、窓の外から聞こえてきた。
こうして、後に「第一次ユグドラシル筋肉会談」として歴史に(ごく一部の筋肉マニアの間で)語り継がれることになる、仁義なき代理戦争・武力の部の火蓋が、切って落とされた。
一方、その頃。応接間では、もう一つの、より静かで、しかし、遥かに高次元な戦いが始まろうとしていた。
アレクシスが、キラリ、と眼鏡の奥の目を光らせ、リリアに問いかけた。
「そこのご婦人。あなた、この国の魔導技術顧問か何かですかな?」
リリアは、アレクシスの全身を、まるで珍しい昆虫でも観察するかのように、ねめつけるような視線で舐め回すと、ふふん、と鼻を鳴らした。
「魔導、ですって?ふふ、古風な言葉をお使いになるのね、そこの古文書さん。わたくしは、この世界の真理を探究する、一介の科学者ですわ」
「科学、とな。面白い。ならば、単刀直入にお聞きしよう。先日、この国の王が観測させたという、大規模質量消失現象。あれを、どう説明する?私の計算では、既知のいかなる魔法体系、エーテル力学、マナ変換式に当てはめても、説明不能なエネルギーパラドックスが生じる。あれは、物理法則そのものを書き換える、あるいは、我々の知らない未知の次元からエネルギーを引き出さない限り、成立し得ない。さあ、貴殿の見解を聞かせていただきたい!」
アレクシスの言葉は、早口で、しかし、一言一句に知的な興奮が満ち満ちていた。
それに対し、リリアは、くすくすと、肩を揺らして笑った。
「あらあら。まだそんな、古典的なエネルギー保存則に囚われているのですか?あなた、ひょっとして、まだ世界が地・水・火・風の四元素でできているとでも信じているレベルですこと?」
「なっ……!四元素論は三百年前に否定されている!私を愚弄するか!」
「愚弄?いいえ、事実ですわ。あなたのその問いは、いわば、アリが人間の作るスマートフォンを見て、『これは一体、どんな魔法の粘土でできているのですか?』と聞いているようなもの。前提となるOSが、違いすぎるのですわ」
「OS、だと……?」
「ええ。あなた方が『魔法』と呼んでいる、その非効率で、不安定で、再現性の低いエネルギー体系とは根本的に異なる、より高次の法則。我が王、ユウキ様は、その法則そのものを、息をするように体現されている、歩く特異点(シンギュラリティ)なのです。その存在を、あなたのその古びた物差しで測ろうなど、一万年早いですわよ、古文書さん」
「……面白い!実に、面白い!つまり、君は、この世界には、我々がまだ発見していない、全く新しい物理法則、あるいは、それを記述するための新しい数学が存在すると、そう言うのだな!ならば、その法則の片鱗だけでもいい!ヒントを!数式を!概念モデルを提示したまえ!」
「いやですわ。なぜ、わたくしが苦労して集めた、世界で最も貴重なサンプル(ユウキ様)のデータを、あなたのような、どこの馬の骨とも知れない研究者に、無償で提供しなければならないのです?まずは、あなたのその頭脳が、わたくしの知的好奇心を満足させるに値するかどうか、試させていただきませんとね!」
そこから先は、もはや常人の理解を超えていた。
「ならば問う!虚数空間におけるマナ粒子の振る舞いを記述した、第五魔方陣の欠陥について、君の見解は!」
「陳腐ですわね!そんなものは、時空連続体に非ユークリッド幾何学を適用すれば、小学生でも解ける問題ですわ!それより、生命情報がエーテル体に転写される際の、魂の量子もつれに関する、あなたの理論を聞かせていただきたいものですわね!」
「なんだと!?」
「なんですの!?」
二人の間を、目に見えない知性の火花が、バチバチと激しく飛び交う。その会話の密度と速度は、もはや人間のそれを超え、超高速でチャットを繰り返す二台のスーパーコンピュータのようだった。
仁義なき代理戦争・知力の部。その戦いは、誰にも止められない、終わりなき知のデスマッチへと突入していった。
そして、その、カオスと狂乱の応接間の中心で。
当の本人たちは、何をしていたかというと。
「……ん、このお菓子、うまいな」
ユウキは、イグニスが差し出した、竜の炎で軽く炙ったという、外はカリカリ、中はふんわりの不思議なクッキーを、もしゃもしゃと頬張りながら、庭で繰り広げられる筋肉の祭典を、ぼーっと眺めていた。
「まあ、すごい。元気な方々ですこと」
ソフィアは、メイド長がいつの間にか用意していた、極上のロゼンベルグ産紅茶を、優雅に一口飲むと、くすくすと楽しそうに笑いながら、アレクシスとリリアの超次元ディベートに耳を傾けていた。
ユウキは、目の前の少女が、この異常事態を全く意に介していないことに、少しだけ驚いていた。
(普通、引くだろ、この状況。自分の部下が、よその国で、いきなり庭の岩とか壊し始めたら。なんか、やけに、楽しそうだな、このお姫様……)
彼にとって、部下たちの忠誠心アピール合戦は、前世でさんざん経験した、部長や役員へのゴマすり合戦や、派閥争いを彷彿とさせる、ただただ面倒くさい、エネルギーの無駄遣いにしか見えなかった。
一方、ソフィアは、目の前の男の、そのあまりの「動じなさ」に、深い興味を抱いていた。
(普通、動揺くらいするでしょうに。自分の側近が、初対面の相手と、あんな野蛮な争いを始めたというのに。まるで、他人事……いいえ、本当に、他人事だと思っているのね、この方は)
彼女には、わかっていた。庭で繰り広げられている筋肉のぶつかり合いも、室内で飛び交っている知性の火花も、その根源にあるのは、「自分の主こそが至高である」という、強烈な自負と執着、つまりは「我」のぶつかり合いだ。それは、忠誠心という美しい衣をまとってはいるが、本質的には、自分の価値観を相手に認めさせたいという、極めて人間的な、そして、苦しみを生みやすい感情の発露だった。
だが、目の前の男は、その「我」の土俵から、完全に降りている。
彼は、自分の側近が勝とうが負けようが、心底、どうでもいいのだ。だから、この状況を、ただの「面白い見世物」として、クッキーを食べながら眺めていられる。
それは、無関心なのではない。無責任なのでもない。
ただ、執着がないのだ。
(この方こそ、真の……)
ソフィアが、何かを確信しかけた、その時だった。
庭で、ひときわ大きな破壊音がしたかと思うと、ガンツとカエルスが、互いに巨大な庭石を担いだまま、ぷるぷると震えながら動けなくなっているのが見えた。どうやら、謎の我慢比べの末に、両者、限界を迎えたらしい。
室内では、アレクシスとリリアが、同時に、ぐふっ、と呻いて、テーブルに突っ伏した。どうやら、短時間で脳を酷使しすぎた結果、二人そろって、知恵熱でシャットダウンしてしまったようだった。
嵐のような代理戦争は、唐突に、そして、極めて締まらない形で、一時休戦を迎えた。
しん、と静まり返った応接間で、ユウキは、クッキーの最後の一口を飲み込むと、こてん、と首を傾げて、ソフィアに言った。
「で、なんか、用だっけ?」
その、あまりにも間の抜けた一言に、完璧な淑女の仮面を貼り付けていたソフィアは、思わず、ぷっ、と吹き出してしまった。
そして、ひとしきり笑った後、彼女は、悪戯っぽく輝く瞳で、目の前の、不思議な王を見つめ返した。
「ええ、もちろん。あなたという、この世界で最も大きな『謎』を、解き明かしに参りましたのよ」
その言葉に、ユウキは、心底、面倒くさそうな顔で、盛大なため息をついた。
彼のスローライフへの道は、どうやら、想像を絶するほど、遠く、そして、険しいものになりそうだった。
1
あなたにおすすめの小説
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
ファンタジー
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」
新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは――
※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
MP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる