幽霊も助手も厄介すぎる!クールなゴーストバスターの騒がしくて泣ける日常

Gaku

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第11話:再会、そして忘却

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 九月最初の朝。俺たちは、夜明け前のひんやりとした空気の中、静まり返った事務所を後にした。東の空が、深い藍色から、徐々に紫、そして燃えるようなオレンジ色へと、その表情を刻一刻と変えていく。昇り始めた太陽が、俺たちの背後から、これから進むべき道を照らし出すかのように、長く、長く、三つの影を伸ばしていた。
 新幹線のホームは、まだ眠りから覚めきらない都会の喧騒と、旅立ちの前の静かな高揚感が混じり合った、独特の空気に満ちていた。滑り込んできた白い流線形の車体に乗り込むと、俺たちは、サキの数十年にわたる長い物語に終止符を打つための、最後の旅を始めた。
 車窓の外を流れていく景色は、まるで早送りの映画のようだった。見慣れたビル群はあっという間に遠ざかり、広大な関東平野の、黄金色に色づき始めた田園風景が広がる。風に揺れる稲穂が、さざ波のように光を反射させていた。
「見てください師匠!おっきな虹!」
 駅弁の最後の一口を幸せそうに頬張りながら、ミソラが子供のようにはしゃいで窓の外を指さした。進行方向の先、これから俺たちが越えていく山々の稜線に、大きな虹が架かっている。それは、俺たちの旅の門出を祝福する、壮大なアーチのように見えた。
 俺の隣では、サキの気配が、そわそわと、そして嬉しそうに揺れていた。初めて乗る新幹線、初めて見る車窓の風景。そして何より、これから始まる、彼女の長い待ち時間の終着点への旅。そのすべてが、彼女の純粋な魂を、希望で満たしているのが、痛いほど伝わってくる。時折、彼女の生前の記憶の断片――桜並木や、オルゴールの音色が、俺の脳裏を懐かしく掠めては消えた。
 いくつもの長いトンネルを抜けるたび、空の色と、空気の匂いが、少しずつ変わっていくのを感じた。そして、最後の、最も長いトンネルを抜けた瞬間、俺たちの目の前に、まったく違う世界の景色が広がった。
 どこまでも続く、穏やかで、しかしどこか物憂げな、鉛色の海。太平洋の、生命力に満ちた青とは違う、静かで、深く、すべてを飲み込むような、日本海の色だった。
 ローカル線に乗り換え、さらに一時間。列車は、まるで時間を遡るかのように、単線の線路を、ごとん、ごとんと、心地よいリズムを刻みながら進んでいく。車内には、俺たちの他に、数人の地元客がいるだけだった。
 目的の駅に降り立った瞬間、潮の香りと、微かに混じる金木犀の甘い香りが、俺たちの鼻腔をくすぐった。東京の、アスファルトと排気ガスに満ちた空気とはまったく違う、どこまでも透き通った初秋の空気が、肺の隅々までを満たしていく。空には、数えきれないほどの赤とんぼが、スイスイと気持ちよさそうに舞っていた。
 そこは、時間が、東京の数分の一の速さで流れているかのような、小さな漁港の町だった。背後には、緑深い山々が、まるで町を守るようにしてそびえ、目の前には、鏡のように穏やかな湾が広がっている。防波堤に、チャプン、チャプンと、静かな波が打ち寄せる音。遠くで、漁船のエンジン音が、のんびりと響いている。
 俺たちは、駅前に一台だけ停車していたタクシーに乗り込み、結城悠が暮らすという、老人ホームの名前を告げた。
「おお、『うみねこハイツ』かね。あそこは、この町で一番、見晴らしがええんじゃよ」
 しわくちゃの顔に人の良い笑みを浮かべた運転手は、そう言って、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
 タクシーは、入り組んだ細い坂道を、ゆっくりと登っていく。古い木造の家々の軒先には、干し柿が吊るされ、石垣の隙間からは、コスモスや彼岸花が、たくましく咲いていた。すべてが、長い年月をかけて、この町の風景に溶け込んでいる。俺は、窓の外の景色を眺めながら、サキの故郷も、きっとこんな、穏やかで、優しい場所だったのだろうな、と、ぼんやり考えていた。
 やがて、タクシーは、海を見下ろす高台に建つ、白くて綺麗な三階建ての建物の前で停まった。
『うみねこハイツ』
 それが、俺たちの長く、険しい旅の、最終目的地だった。
 ◇
 老人ホームの中は、清潔で、そして、ひどく静かだった。消毒液とお茶、そして、ひなたのような温かい匂いが混じり合っている。大きな窓が取られた談話室では、数人の老人たちが、テレビを見たり、編み物をしたり、あるいはただ、窓の外の景色を眺めたりして、穏やかな午後を過ごしていた。窓の外には、きらきらと光る穏やかな日本海が、一枚の絵画のように、どこまでも広がっている。
 俺たちは、受付で結城悠さんへの面会を申し込んだ。対応してくれた介護士の女性は、俺の腕の傷跡(まだうっすらと残っている)と、ミソラの真剣な表情を見て、少し驚いたような顔をしたが、「結城さん、きっと喜ばれるわ。最近は、訪ねてくる方もいらっしゃらなかったから」と、優しく微笑んでくれた。
 ロビーのソファで、俺たちは、その時を待った。
 期待が、緊張が、この場の空気を支配していた。時計の秒針の音だけが、やけに大きく聞こえる。
 ミソラは、固唾を飲んで、祈るように両手を固く組んでいる。その顔には、「上手くいきますように」と、はっきりと書いてある。
 俺の隣のサキの気配は、喜びと期待で、今にも光り輝きそうなほどに、強く、明るく震えていた。数十年間、夢にまで見た瞬間。彼女の物語が、最高の形で終わる。俺も、ミソラも、そして、きっとサキ自身も、誰もが、そう信じて疑わなかった。
 俺は、静かに目を閉じ、覚悟を決めた。この瞬間のために、俺たちは、ここまで来たのだ。
「――お待たせいたしました。結城さん、お連れしましたよ」
 介護士の声に、俺たちははっと顔を上げた。
 談話室の奥から、一人の老人が、車椅子を押されて、こちらにやってくる。
 真っ白な髪、顔に深く刻まれた、穏やかな皺。そして、子供のように屈託がなく、人の良さそうな笑顔を浮かべている。彼が、サキの記憶の中にいた、あの快活な少年、結城悠の、現在の姿だった。
「やあやあ、こんにちは。わしに、わざわざ、遠いところからお客さんかね?」
 ユウ君――結城さんは、にこにことした笑顔で、俺たちに話しかけてきた。その声は、歳を重ねたなりのしゃがれはあったが、穏やかで、温かかった。
 俺は、彼の前に進み出た。ミソラも、サキの気配も、俺の背後で、息を殺して成り行きを見守っている。
「結城悠さん、ですね」
 俺は、できるだけ穏やかな声で切り出した。
「はじめまして。神山ジンと申します。我々は、昔、あなたが武驍野の桜並木の近くに住んでいた頃のことで、少し、お話を伺いに参りました」
 俺は、彼の反応を窺った。
「ほう、武蔵野かね。懐かしいのう。もう、ずいぶん昔のことじゃ。あの頃は、わしも、若かった」
 彼は、目を細めて、遠い昔を懐かしむような表情を見せた。いける。俺は、そう確信した。
「サキ、という女性を、覚えていらっしゃいますか。あなたの、お隣に住んでいた、病弱な女の子です」
 その名前を口にした瞬間、俺の背後で、サキの気配が、喜びのあまり、ぱっと光を放った気がした。待ち焦がれた、その瞬間。
 だが。
 結城さんの反応は、俺たちのその純粋な希望を、最も残酷で、最も無慈悲な形で、裏切るものだった。
 彼は、にこにことした、人の良い笑顔のまま、不思議そうに、こてんと首を傾げた。
「……さきちゃん?……さあ。どなたのことかなあ」
「……え?」
「いやあ、すまんのう。わしは、もう、昔のことは、みんな、綺麗さっぱり忘れちまったんじゃよ」
 時が、止まった。
 世界から、音が消えた。
 彼の言葉は、何の悪意も、偽りも、隠し立てもない、純粋で、無垢で、そして、どうしようもなく決定的な、「忘却」の事実だった。認知症。その、誰にでも訪れる可能性のある、時の流れの残酷さが、彼の記憶の書物から、サキという少女の名前が記されたページを、跡形もなく、消し去ってしまっていたのだ。
 俺の背後で、ミソラが「そんな……」と、か細い声を漏らしたのが聞こえた。
 サキの、喜びで輝いていた気配が、すっと、凍りついたのが分かった。光が、一瞬にして消えた。
 俺は、諦めきれなかった。認めたくなかった。
「オルゴールのことを、覚えていませんか!あなたが、彼女のために作った、桜の飾りがついた……!」
「手紙を書くと、約束したはずだ!毎日書くって、そう言ったじゃないか!」
 俺は、必死に、記憶の断片を彼にぶつけた。それは、もはや、依頼のためではなかった。ただ、隣で絶望に凍りついている、一人の少女の魂を、救いたい一心だった。
 だが、結城さんは、困ったように眉を下げながらも、やはり、にこにこと笑っているだけだった。
「ほう、オルゴールかね。手紙。なんだか、綺麗な物語のようだねえ」
 まるで、初めて聞く、他人の恋物語に相槌を打つかのように。
「わしも、そんな、素敵なことを、したことがあったんかのう。だとしたら、なんだか、嬉しいなあ。あはは」
 その、無邪気で、残酷な笑い声が、最後の引き金になった。
 ◇
 凍りついていたサキの気配が、次の瞬間、凄まじい絶望と共に、黒く、濃密なものへと、変貌した。
 喜びと期待に満ちていた光が、一瞬にして、すべてを飲み込む闇へと、反転したのだ。
 数十年間、ただ一人の記憶だけを、その約束だけを、生きる支えにしてきた。その支えが、今、根底から、何の悪意もなく、ただ、時の流れという、どうしようもない現実によって、粉々に、砕け散ったのだ。
 ひゅう、と、部屋の温度が、急激に下がった。談話室の空気が、まるで真冬の氷のように、肌を刺す。
 ミシッ、ミシッ……!
 老人ホームの、大きな窓ガラスが一斉に震えだし、数枚が、甲高い、耳をつんざくような音を立てて、粉々に砕け散った。
「きゃあああっ!」
 談話室にいた老人たちや、介護士たちの悲鳴が上がる。
 天井の照明が、火花を散らしながら激しく明滅し、テレビや音響機器が、次々と黒い煙を上げて沈黙していく。
「な、なんじゃ、これは!?」
 結城さんの車椅子が、見えない力で、ガタガタと激しく揺さぶられ始めた。
「サキ!やめろ!落ち着け!」
 俺は、必死に叫んだ。だが、絶望の闇に飲み込まれた彼女には、もう、俺の声は届いていなかった。彼女の周りに渦巻く気配は、もはや、悲しみに囚われた少女のものではなかった。ただ、すべてを憎み、すべてを破壊しようとする、憎悪と絶望の塊。彼女は、悪霊へと、変貌しかけていた。
 黒崎の言葉が、脳裏をよぎる。
『その感傷は、いつか必ず、君自身を滅ぼすことになるぞ』
 まさに、その言葉が、現実になろうとしていた。
 俺は、ミソラと、何が起こっているのか分からず、ただ怯える結城さんを守るために、二人の前に立ちはだかった。
 そして、暴走するサキ――かつて俺が、必ず救うと誓った、その少女の、絶望に満ちた闇と、真正面から、対峙した。
 物語は、最悪の形で、クライマックスの幕を開けてしまったのだ。
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