無詠唱の俺、詠唱を知らなかった~転生SE(元25歳)、予測不能な仲間たちと『世界の理』を最適化する~

Gaku

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2年生編:調和とノイズの季節

第7話:星降る夜の『天体魔術』

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 夜空の底が抜けていた。

 昼間、あれほど地上を焼き尽くしていた太陽が沈むと、世界は急激に冷やされ、透明度を増していく。  アーリア魔法学園の屋上。  そこは今、吸い込まれそうな群青色のドームに覆われていた。  空気が澄んでいるせいで、星の一つ一つが氷の粒のように鋭く尖って見え、瞬くたびにチリチリという微かな音が聞こえてきそうだ。

 虫の声だけが、リンリンと涼やかに響く静寂の世界。

「……寒い」  リリアが自分の二の腕をさすりながら呟いた。  昼間の制服のままだと、夜風は少し肌寒い。 「昼間はあんなに暑かったのにな。世界ってのは極端すぎる」  ユウキが言うと、リリアは横目で彼を見た。 「ちょっと。こういう時は『寒くない? 上着貸そうか?』って聞くのが紳士の嗜みよ」 「あいにく、俺も半袖だ」 「……役立たず」

 そんな軽口を叩きながらも、二人の距離は昼間よりも少しだけ近い。  暗闇というのは不思議だ。視覚情報が減る分、隣にいる人の匂いや体温、衣擦れの音が、鮮明な輪郭を持って感じられる。

「注目。……静かにしろ。星が逃げる」

 低い声が響いた。  今日の担当はアーキバルド先生だ。彼はいつもの二日酔いの気配を消し、巨大な天体望遠鏡の横で、夜空を見上げていた。  その背中は、どこか寂しげで、哲学的だった。

「今日の授業は『天体魔術』。星を読む授業だ」

 先生は杖先で夜空をなぞった。すると、星々の間に光の線が結ばれ、幾何学模様が浮かび上がる。

「空を見ろ。あの星々は、止まっているように見えるか?」 「はい。……あ、でも、少し動いてます」  カイトが答える。

「そうだ。全ては動いている。一瞬たりとも同じ場所には留まらない」  先生の声が、夜気に溶けていく。 「星も、月も、この大地も、そして君たちの心もだ。固定された『何か』があるなんて思うな。全ては巨大な時計の針のように、ただ流れ、移ろい続けている」

 ユウキは空を見上げた。  圧倒的な広さ。数え切れないほどの光。  それを見ていると、今日の晩御飯のメニューで悩んでいたことや、明日の課題の心配が、砂粒のようにちっぽけなものに思えてくる。

「自分の悩みなんて、この広さに比べればゴミみたいなもんだろ? ……そう思えれば、少しは楽になる」  先生は自嘲気味に笑った。 「さあ、実習だ。男女ペアになって星図を作成しろ。星の位置から、今夜の魔力の『満ち引き』を計算するんだ」

          ***

 「男女ペア」という言葉に、屋上がざわついた。  これは青春イベントの予感か、それともただの拷問か。

「あー、ユウキ。……余ってるなら、組んであげてもいいわよ」  リリアがそっぽを向きながら言った。 「おう。俺も計算面倒だから、セレスティアと組もうかと思ってたけど」 「はぁ!? あんたねぇ……!」 「嘘だよ。頼む」

 結局、いつもの並びだ。  一台の望遠鏡を二人で覗き込む。  ユウキがレンズを調整し、リリアが羊皮紙に星の位置を記録していく。

「……ねえ、ユウキ」 「ん?」 「星ってさ、昔の光なんだよね」  リリアが望遠鏡から目を離さずに言う。 「今見えてるあの光は、何年も、何百年も前に放たれた光で、今のあの星はもう死んでるかもしれない。……なんか、切ないね」

「そうか? 俺は、ちょっといいなと思うけど」 「え?」 「過去の誰かが放った光が、長い時間をかけて、今ここで俺たちに届いてる。それって、手紙みたいだろ。『俺はここにいたぞ』っていう」

 リリアは望遠鏡から顔を上げ、ユウキを見た。  星明かりに照らされた彼女の瞳は、ガラス玉のように透き通っていた。 「……ロマンチスト」 「事実だろ」

 いい雰囲気だった。  静寂と、星空と、二人きり(のような気分)の世界。

 だが、その空気をぶち壊す男がいた。

「おおぉぉっ! 見ろ! あれが『大胸筋座(ペクトラリス・メジャー)』だ!」

 ゴードンだ。  彼は望遠鏡を使わず、肉眼で空を指差し、勝手に星座を作っていた。 「あの三つの星の並び……まさしくベンチプレスを上げる瞬間の僧帽筋の収縮! そしてあそこで輝く赤色巨星は、パンプアップした俺の心臓だ!」 「ゴードン、それはオリオン座だ。神聖な狩人を筋肉にするな」  セレスティアが冷たく突っ込むが、ゴードンは止まらない。 「宇宙(コスモ)……それは巨大な筋肉! 星々の重力とは、即ち引力! 引き合う筋肉の愛だ!」

「……うるさいわね、あいつ」  リリアがため息をつく。  ユウキも苦笑するしかない。「まあ、あいつも楽しそうで何よりだ」

 その時だった。  夜空の一角が、カッと強く光った。

「……あれ、流れ星?」  カイトが指差す。  一筋の光が、尾を引いて落ちてくる。  願い事をしよう、なんて雰囲気ではない。  光はどんどん大きくなり、そして「ヒュオオオオオ!」という大気を切り裂く音を立て始めた。

「ま、待て。あれ、こっちに向かってないか?」  ユウキが立ち上がる。  アーキバルド先生が色めき立った。 「総員退避! あれはただの隕石じゃない! 『魔力の塊(マナ・ストーン)』だ! 直撃すれば屋上が吹き飛ぶぞ!」

 パニックになる生徒たち。  だが、逃げる時間はなさそうだ。光の塊は、意志を持ったように学園めがけて急降下してくる。

「迎撃する! 全員、構えろ!」  ユウキが叫んだ。  逃げられないなら、受けるしかない。

「セレスティア、落下軌道の計算!」 「算出済みですわ! 入射角85度、衝突まであと3秒!」 「ゴードン、衝撃に備えろ! カイト、風で軌道をずらせ!」 「任せろ! 筋肉クッション!」 「うおぉぉ! あっち行けぇぇ!」

 生徒たちが一斉に魔法を放つ。  風が渦を巻き、筋肉の壁ができ、数式が障壁となる。  だが、落下の勢いは凄まじい。

「くっ……足りない!」  ユウキは舌打ちした。  このままでは直撃する。特に、逃げ遅れたリリアの場所に。

「リリア!」

 ユウキはとっさにリリアの方へ飛び込んだ。  彼女を抱き寄せ、自分の背中を空に向ける。  同時に、意識を集中させる。  「硬く」「弾け」「守れ」。  無詠唱で、背中に多重の防護膜(シールド)を展開する。

 ズドオォォォォン!!

 閃光と衝撃。  屋上が激しく揺れ、砂煙が舞い上がる。  耳鳴りがする。

「……ユウキ! ユウキ!」

 リリアの声で、ユウキは目を開けた。  自分はリリアに覆いかぶさるように倒れていた。  背中がジンジンと痛むが、骨は折れていないようだ。  腕の中には、目を見開いたリリアがいる。無傷だ。

「……大丈夫か?」 「バカ! あんた、背中……服が焦げてるじゃない!」  リリアが泣きそうな声で叫ぶ。

 周囲の煙が晴れていく。  屋上の真ん中には、バスケットボールほどの大きさの、青白く光る石が転がっていた。  魔力の塊。燃え尽きずに残った、宇宙からの贈り物。

「……ふう。間一髪だったな」  アーキバルド先生が、光る石を杖でつつきながら安堵の息をついた。

 ユウキはゆっくりと体を起こそうとしたが、リリアが彼の服の裾を掴んで離さなかった。  彼女の手が、震えている。

「怖かった……」  小さな声。 「死ぬかと思った……。なのに、あんた……」

 ユウキは、彼女の手をそっと握り返した。  夜風に冷やされた指先。でも、その奥にある体温は驚くほど温かい。

「悪かったな、怖がらせて」 「……あったかい」  リリアが呟いた。 「ユウキの手、あったかいね」

 星空の下。  破壊された屋上の片隅で、二人は手を繋いだまま、互いの体温を確かめ合っていた。  宇宙の広大さに比べれば、人間なんてちっぽけな存在だ。  明日死ぬかもしれないし、世界はいつか終わるかもしれない。  けれど。  だからこそ、今ここにある「温もり」だけは、確かな真実として胸に刻まれる。

「……お前の手もな」  ユウキが返すと、リリアは涙目で、でも嬉しそうに笑った。

 その光景を、給水タンクの陰から見つめる影があった。  シノである。  彼女はハンカチを口に当て、プルプルと震えていた。

「……尊い(とうとい)」  シノは小声で呟いた。 「星空、危機一髪、自己犠牲、そして手の温もり……。完璧な構図です。ご馳走様でした……」  彼女はそのまま、静かに尊死(気絶)した。

 頭上には、変わらず満天の星空。  流れ星が運んできたのは、小さなトラブルと、大きな進展だった。  夏草の匂いが混じる夜風が、二人の熱を冷ますように優しく吹き抜けていった。
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