無詠唱の俺、詠唱を知らなかった~転生SE(元25歳)、予測不能な仲間たちと『世界の理』を最適化する~

Gaku

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2年生編:調和とノイズの季節

第8話:『錬金術基礎』と等価交換の嘘

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 理科準備室の匂いがした。
 焦げた砂糖と、消毒液と、古い本が混ざり合ったような、あの独特の匂い。

 放課後の第3実験室。
 窓から差し込む夕日は、ビーカーやフラスコの中でポコポコと沸き立つ液体を透過し、教室中にオレンジ色の怪しげな光を乱反射させている。

「いいか、お前ら。錬金術ってのは『魔法の打ち出の小槌』じゃない」

 白衣を羽織ったイライザ先生が、黒板を指し棒(なぜか巨大なスプーン)で叩いた。
 今日の彼女は、実験用ゴーグルを額に乗せ、髪を無造作に束ねている。マッドサイエンティスト感がすごい。

「鉛を金に変える? そんな都合のいい話はない。錬金術の本質は『分解』と『再構築』だ。ある物質を一度バラバラにして、別の形に組み直す。積み木のお城を崩して、車を作るようなもんだ」

 先生は手元の氷をビーカーに入れた。
 指を鳴らすと、氷は溶けて水になり、さらに沸騰して水蒸気へと変わる。

「氷、水、湯気。見た目は全然違うが、中身は全部『水』だろ? モノに『絶対の形』なんてない。条件さえ変われば、何にでもなる。……大事なのは、『何になりたいか』という意志と、それに見合う『代償(材料)』だ」

 今日の課題は『物質変換』。
 自分が持ってきた「大切なもの」を、別の「新しい形」に作り変えるという実習だ。

「ただし、『等価交換』の原則を忘れるなよ。100の材料から、200のモノは作れない。何かを得るには、同等の何かを差し出さなきゃならない。……ま、やってみな」

          ***

 実験台の上には、生徒たちが持ち寄った「素材」が並んでいた。

「俺はこれだ! 愛用のダンベル!」
 ゴードンがドスンと鉄塊を置いた。
「こいつを錬金術で……『飲むダンベル(液体金属プロテイン)』に変える! そうすれば、体の内側から筋肉を鍛えられるはずだ!」
「やめろゴードン。それはただの水銀中毒になるぞ」
 ユウキが冷静に止める。

「僕はこれかな」
 カイトが出したのは、履き潰したスニーカーだ。
「もっと速く走れる『風の靴』にしたいんだけど……どうやるんだろ。とりあえず混ぜてみる?」
 彼は適当な薬品を混ぜ合わせ、ボフッという爆発と共にアフロヘアーになっていた。

 そんな中、リリアだけは真剣な表情で、実験台に向かっていた。
 彼女の前に置かれているのは、ボロボロのぬいぐるみだ。
 片耳が取れかけ、中の綿が飛び出し、元がウサギだったのかクマだったのかも分からないほど薄汚れている。

「……それ、大事なものなのか?」
 ユウキが声をかけると、リリアは恥ずかしそうに頷いた。
「うん。小さい頃、おばあちゃんに貰ったの。『ウサギさん』って呼んでて……。でも、もうボロボロでしょ? だから、錬金術で新品みたいに直してあげたいの」

 リリアは、ぬいぐるみをフラスコの中に入れた(無理やり押し込んだ)。
 そして、魔法陣を展開する。

「いくわよ……。私の魔力を代償に、ウサギさんを最強に可愛く再構築して!」

 リリアの杖から、赤い光が溢れ出す。
 彼女の想いは強い。「可愛くなれ、強くなれ、ずっと一緒にいて」という強烈な執着にも似た愛情が、魔力となってフラスコに注がれる。

 だが。
 錬金術において、「強すぎる想い」は劇薬だ。
 等価交換のバランスを崩すノイズになる。

 ボコッ……ボコボコボコッ!

 フラスコの中の液体が、不気味な紫色に変色し、激しく泡立ち始めた。
「あれ? ちょっと、なんか色が……?」
「おいリリア、魔力を込めすぎだ! それじゃ『修復』じゃなくて『変異』になるぞ!」
 ユウキが叫ぶが、もう遅い。

 パリーン!!

 フラスコが割れ、中から紫色の煙が噴き出した。
 煙の中から現れたのは、新品の可愛いウサギ……ではなかった。

 「グオオオオオオッ!!」

 身長2メートル。筋肉隆々。全身の毛が針金のように逆立ち、目は赤く光り、口からは鋭い牙が覗く。
 それは、ウサギの耳を生やした「破壊の権化」だった。

「いやぁぁぁっ! なにこれぇぇぇ!?」
 リリアが悲鳴を上げる。
「可愛くない! 全然可愛くない! むしろゴードンみたいになってる!」
「なんだと!? 俺への賛辞か!?」

 暴走した「ウサギさん(改)」は、実験室で大暴れし始めた。
 机をひっくり返し、薬品棚をなぎ倒す。
「ふんごぉぉぉ!(愛が! 愛が重いぃぃぃ!)」
 ウサギさんはそう叫んでいるように聞こえた。

「止めろ! このままじゃ実験室が崩壊する!」
 ユウキが前に出る。
 だが、下手に攻撃すれば、リリアの大切なぬいぐるみが消し炭になってしまう。

「どうすれば……!」
 その時、イライザ先生がスプーンを持って割り込んできた。

「どきな! ……まったく、愛が重すぎて形が歪んでやがる」
 先生はウサギさんの前に立つと、スプーンでその眉間(?)をデコピンした。
 パチン。
 軽い音がした瞬間、先生はスプーンを指揮棒のように振った。

「形にこだわるな。大事なのは『中身』だろ? リリア、お前が本当に残したかったのは、このボロ切れ(物質)か? それとも『おばあちゃんとの思い出(記憶)』か?」

 リリアはハッとした。
「……思い出……です」
「なら、それをイメージしろ! 『可愛くしたい』とか『新品にしたい』なんて欲を捨てて、ただ『懐かしい』という感覚だけを思い出せ!」

 リリアは目を閉じ、杖を握り直した。
 おばあちゃんの膝の上。日向の匂い。抱きしめた時の安心感。
 形なんてどうでもよかった。ただ、それがそこにあるだけでよかったんだ。

 リリアの魔力の色が、激しい赤から、優しいオレンジ色に変わる。
 光が暴走ウサギを包み込む。
 筋肉が削ぎ落とされ、牙が引っ込み、巨大な体が縮んでいく。

 光が収まった時。
 そこには、元の「ボロボロのぬいぐるみ」が転がっていた。
 ただし、取れかけていた耳はしっかりとくっつき、飛び出していた綿は綺麗に収まっている。
 新品ではない。継ぎ接ぎだらけだ。でも、どこか誇らしげに見えた。

「……ウサギさん」
 リリアはそれを拾い上げ、抱きしめた。
「ごめんね。変な風にして」

          ***

 騒動の後。
 生徒たちは散乱した実験室の片付けに追われていた。
 夕日は沈みかけ、教室は深い青色と茜色のグラデーションに染まっている。

 ユウキは窓際で、ほうきを手に休んでいた。
 ふと、自分の手を見る。
 無詠唱。手順を飛ばして、結果だけを得る力。
 リリアの失敗を見て、思った。
 自分もまた、「過程」を無視しているのではないか。
 手順(プロセス)には、意味があるんじゃないか。それを飛ばすことで、何か大切なもの――例えば「情緒」とか「重み」といったもの――を、知らず知らずのうちに代償として支払っているのではないか。

「……俺は、何かを失ってるのかな」
 独り言のように呟く。

「失っているのではない。省略しているだけだ」

 不意に、隣から声がした。
 ルーンだ。彼はいつの間にかそこにいて、無表情で夕焼けを見ていた。手には雑巾を持っている。

「君の魔法は、山頂へ向かうヘリコプターだ。最短距離で、誰よりも速く結果にたどり着く。それは効率的で、正しい」
 ルーンは淡々と言う。
「だが、徒歩で登る者だけが見る景色――道端の花や、足の痛みや、すれ違う人との会話――を、君は知らない。それを『損失』と呼ぶか、『無駄の排除』と呼ぶかは、定義次第だ」

 ユウキはルーンを見た。
 この不思議な同級生は、時々、核心を突くことを言う。

「……お前は、どっちがいいと思う?」
「僕に感情はない。だから効率を選ぶ。……だが」
 ルーンは視線を、ぬいぐるみを抱いて笑っているリリアの方へ向けた。
「彼女のあの笑顔は、失敗という『遠回り』をしたからこそ、生まれた出力結果に見える。……非効率だが、美しいな」

 ルーンの口元が、ほんの数ミリだけ、上がったように見えた。

「……そうだな」
 ユウキは納得した。
 自分はショートカットできる。でも、あえて歩くこともできる。
 その選択肢があること自体が、魔法なのかもしれない。

 片付けが終わり、完全に夜になった校舎を出る。
 リリアが駆け寄ってきた。
「見てユウキ! ウサギさん、ちょっと焦げちゃったけど、いい匂いがするの!」
「どんな匂いだよ」
「お日様の匂いと……あと、ちょっと火薬の匂い」
「それ、危ないやつじゃないか?」

 笑い合う声が、夜風に溶けていく。
 形あるものはいつか壊れる。ぬいぐるみも、この校舎も、自分たちの体さえも。
 でも、そこに込めた「想い」だけは、形を変えて巡っていく。
 ユウキは夜空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。
 少し涼しくなった風に、秋の気配が混じっていた。

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