無詠唱の俺、詠唱を知らなかった~転生SE(元25歳)、予測不能な仲間たちと『世界の理』を最適化する~

Gaku

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2年生編:調和とノイズの季節

第9話:嵐の前の『防御指揮法・応用』

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 空が、沸騰していた。

 夏休み目前のアーリア魔法学園。
 頭上には、押しつぶされそうなほど巨大な入道雲(積乱雲)が湧き上がり、太陽を遮っているにもかかわらず、気温は下がるどころか湿度を増していた。
 ジジジジジ……と、油で揚げられるような蝉(せみ)の鳴き声が、脳内の血管を圧迫する。
 肌にまとわりつくシャツの不快感。地面から立ち上るアスファルトの熱気。
 そして、遠くの空で時折「ゴロゴロ……」と低い腹の音が鳴っている。夕立が来る。それも、とびきり激しいやつが。

「……暑い。暑すぎて、俺の思考回路がショートしそうだ」
 カイトがグラウンドの芝生の上で溶けていた。もはや人の形を保っていない。
「風魔法で自分を冷やせばいいじゃない」
「やったよ……でも、ドライヤーの熱風しか来ないんだよ……」

 そんな茹(う)だるような暑さの中、ゴードンだけは違った。
「素晴らしい! この湿度! 筋肉が『蒸し焼き(スチーム)』にされている! これぞ天然のサウナ! 汗と共に老廃物が流れ出るのを感じるぞ!」
 彼は滝のような汗を流しながら、巨大な岩を持ち上げてスクワットをしている。その汗が飛び散るたびに、周囲の温度がさらに上がっている気がしてならない。

「……静かにしてくださる? 集中力が乱れますわ」
 日傘を差したセレスティアが、氷の結晶を扇風機代わりに回しながら冷たい声で言った。

 今日は、他校との交流戦に向けた特訓の日だ。
 相手は、魔法界のエリート養成所「王立魔導院」。
 エリート相手に、この「落ちこぼれ(補習)チーム」が勝てる見込みは薄い。だが、イライザ先生は「負けたら夏休み返上で補習だ」と無慈悲な宣告をしている。

「いくぞ! 防御陣形(フォーメーション)C!」
 ユウキが声を張り上げた。

 その瞬間、シノが動いた。
 彼女は目にも止まらぬ速さでチームの前に飛び出し、刀と魔法で障壁を展開する。
「させません! 皆さんは私が守ります!」

 彼女の気迫は凄まじかった。
 仮想敵(練習用のゴーレム)が放つ魔法弾を、すべて一人で弾き、斬り、受け止める。
 だが、その動きはあまりに悲壮だった。
 彼女は「守っている」というより、「捨て身」だった。

「シノちゃん、下がりなさい! それじゃ持たないわ!」
 リリアが叫ぶが、シノは止まらない。
「いいえ! 私は盾です! 私が傷つくことで、皆さんが無傷なら、それが最良の計算です!」

 ドガァァン!
 ゴーレムの一撃が、シノの障壁を砕いた。
 衝撃が彼女の小さな体を吹き飛ばす。
「ぐっ……まだ、です……!」
 シノはふらりと立ち上がろうとして――そのまま、糸が切れたように崩れ落ちた。

「シノ!!」

          ***

 保健室は、外の熱気が嘘のように静かで、消毒液の冷たい匂いがした。
 ベッドに横たわるシノは、点滴を受けながら、天井をぼんやりと見つめていた。
 魔力欠乏(ガス欠)と熱中症。命に別状はないが、絶対安静だ。

「……申し訳、ありません」
 見舞いに来たユウキたちに、シノは消え入りそうな声で謝った。
「私が未熟なせいで……。もっと強くならなければ。もっと完璧な盾にならなければ……」

 ユウキは、パイプ椅子に座ってため息をついた。
「なあ、シノ。なんでそんなに、自分を粗末にするんだ?」
「粗末など……。私は、皆さんの役に立ちたいのです。私には攻撃力(リリア)もない、機動力(カイト)もない、耐久力(ゴードン)もない。あるのは、この身を挺して時間を稼ぐことだけ……」

 彼女の根底にあるのは、「自分には価値がない」という思い込みだ。
 かつて暗殺者の道具として育てられた彼女は、誰かのために消費されることでしか、自分の存在意義を感じられないでいる。

「それは『守る』とは言わないよ」
 ユウキは静かに言った。
「お前がボロボロになって、俺たちが無傷で勝ったとして。……俺たちが喜ぶと思うか?」

 シノは言葉に詰まった。
「それは……」

「守るっていうのはさ、『痛みを受け止める』ことじゃない。『痛みを取り除く』ことだろ?」
 ユウキは窓の外を見る。
 入道雲がさらに厚くなり、空が暗くなってきた。

「お前が傷つくことは、俺たちにとって一番の『痛み』なんだよ。……それを分かってないなら、お前は誰も守れてない」

 厳しい言葉だったかもしれない。
 でも、言わなければならなかった。
 自己犠牲は、美しいように見えて、実は周りに「助けられなかった」という後悔を背負わせる、残酷な行為でもあるからだ。

 シノの目から、一筋の涙が流れた。
「……では、どうすれば……」
「簡単だ。一人で背負うな。俺たちを使え」
 ユウキはニカっと笑った。
「俺たちはチームだ。お前を守るために、俺たちがいるんだよ」

          ***

 翌日。交流戦の本番。
 天気は最悪だった。
 黒い雲が空を覆い尽くし、遠雷が絶え間なく鳴り響いている。空気は重く、今にも雨が降り出しそうだ。
 対戦相手の「王立魔導院」チームは、純白の制服に身を包み、整然と並んでいた。
 彼らの杖は高級品で、魔力の輝きも洗練されている。

「ふん。噂の『落ちこぼれクラス』か。怪我をしないうちに棄権したらどうだ?」
 相手のリーダーらしきキザな男が、髪をかき上げながら言った。
「我々の魔法は、君たちとは品格が違う」

「へえ。品格で勝負が決まるなら、うちはゴードンがいる時点で負けだな」
 ユウキが軽口を叩くと、ゴードンが「なぬっ!? 筋肉の品格(マッスル・ディグニティ)を知らんのか!」と怒った。

「試合開始!」
 審判の合図と共に、エリートたちが動いた。
 彼らの戦術は教科書通りかつ完璧だった。
 後衛からの斉射。一糸乱れぬ連携。
 狙いは一点。チームの守りの要であるシノだ。

「まずは盾を砕く! 集中砲火!」
 数多の魔法弾が、シノに向かって殺到する。

 昨日までのシノなら、ここで前に出て、歯を食いしばって耐えていただろう。
 だが、今日のシノは違った。

「……お願いします、皆さん!」
 シノは叫び、あえて一歩「下がった」。

 その瞬間、彼女の前に巨大な壁が現れた。
「ぬんっ!! マッスル・キャッスル(筋肉城)!!」
 ゴードンだ。彼は魔法障壁など使わない。鍛え上げられた肉体に魔力を纏わせ、物理的に魔法弾を弾き返したのだ。
「痛くない! 蚊が刺した程度だ! むしろマッサージ効果で血行が良くなった!」

「なっ……魔法を体で受け止めた!?」
 エリートたちが驚愕する隙に、シノが指揮棒(刀)を振る。
「カイト殿、右翼へ撹乱を!」
「了解! 俺を捕まえられるかな~?」
 カイトが風となってフィールドを駆け回る。砂煙を巻き上げ、相手の視界を奪う。

「リリア殿、中央突破の準備を! セレスティア殿は座標計算を!」
「任せなさい!」
「計算通りですわ!」

 シノは守っていなかった。
 彼女はチームの中心(コア)にいて、全員の動きをコントロールしていた。
 彼女が守られているからこそ、彼女は全体を見渡し、最適な指示を出せる。
 「守られること」で初めて発揮される、「守る力」。

「くそっ、ちょこまかと! なら、これで終わりだ!」
 相手リーダーが、特大の雷撃魔法を詠唱し始めた。
 空の雷雲とリンクし、回避不可能な落雷を落とす大技だ。

「シノ! 来るぞ!」
 ユウキが叫ぶ。
 その雷は、ゴードンでも受けきれないかもしれない。

 シノは空を見上げた。
 怖い。足がすくむ。
 でも、もう一人じゃない。

「……移動要塞(モバイル・フォートレス)、陣形展開!」

 シノの号令で、全員が動いた。
 ユウキが全員の魔力をリンクさせる。
 ゴードンが土台となり、リリアが熱で空気を膨張させ、カイトが風の膜を作り、セレスティアが光を屈折させる。
 そしてシノが、その全てを統合する「核」となる。

 ドォォォォォン!!!

 落雷が直撃した。
 目も眩むような閃光。
 だが、光が晴れた時、そこに立っていたのは、無傷のユウキたちだった。
 彼らの周りには、虹色に輝く多重構造のドームが展開されていた。

「……反射(リフレクション)!?」
 相手リーダーが呆然とする。
 シノの刀が、キラリと光った。
「ただ耐えるだけではありません。皆さんの力を合わせれば、受け流すこともできる!」

 シノが刀を振り下ろす。
 ドームが弾け、蓄積されたエネルギーが相手チームへと逆流した。
「い、いやぁぁぁっ!」
 エリートたちは自分たちの魔法の余波で吹き飛ばされ、華麗な制服を焦がして伸びてしまった。

 ピーッ!
「勝者、アーリア魔法学園!」

          ***

 試合終了と同時に、ポツリ、と雨が落ちてきた。
 それはすぐに激しい夕立となり、熱せられた大地を叩いた。
 ザアァァァッ……!
 猛烈な雨音。でも、それは暑さを洗い流す、心地よいシャワーだった。

「やったー! 勝ったー!」
 カイトとリリアが雨の中で抱き合って喜んでいる。
 ゴードンは雨に向かって咆哮し、セレスティアは髪が濡れるのを気にしながらも笑っていた。

 シノは、へなへなと地面に座り込んでいた。
 ユウキが近づき、手を差し出す。

「立てるか?」
「……はい。足の力が、抜けちゃって」

 シノはユウキの手を借りて立ち上がった。
 その顔は、雨と涙でぐしゃぐしゃだったが、今までで一番晴れやかだった。

「ユウキ殿。……私、守られました」
「ああ」
「守られるって……温かいんですね」

 シノは自分の胸に手を当てた。
 そこにあるのは、自己犠牲の冷たい痛みではなく、仲間と繋がった熱い鼓動だった。
 誰かの痛みを取り除くこと。そして、自分の痛みも誰かに預けること。
 それが本当の「慈しみ」なのだと、彼女は知った。

「帰ろうぜ。イライザ先生が焼肉奢ってくれるらしいぞ」
「肉! 肉だ!」
 ゴードンが復活した。

 雨上がりの空には、まだ黒い雲が残っているが、その隙間から強烈な西日が差し込んでいた。
 濡れたグラウンドが鏡のように光り、ユウキたちの影を長く伸ばしている。
 嵐は過ぎ去ったわけではない。
 だが、どんな嵐が来ても、この仲間となら傘を差し合って歩いていける。
 ユウキはびしょ濡れの髪をかき上げながら、夏草と雨の匂いが充満する空気を目一杯吸い込んだ。

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