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2年生編:調和とノイズの季節
第10話:夏祭り前夜と『無指揮演奏(インプロビゼーション)』
しおりを挟む夜の空気は、焦がしたソースと綿菓子の匂いがした。
アーリア魔法学園の前期終了を祝う「夏祭り」。
広大なキャンパスには無数の提灯(魔法の光)が灯り、屋台が軒を連ね、浴衣姿の生徒たちが行き交っている。
昼間の茹だるような暑さは夜風に洗われて少し和らいだが、代わりに人々の熱気が渦を巻き、祭特有の浮かれた高揚感が地面を揺らしていた。
遠くから聞こえる祭囃子(まつりばやし)の音。
氷水の中で冷やされたラムネの瓶が触れ合う涼やかな音。
カランコロン、という下駄の音。
だが、そんな平和な喧騒から離れた時計塔の屋上だけは、葬式のような空気に包まれていた。
「……終わった」
ユウキは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「終わりましたわ……。私の計算では、この状況からのリカバリー率は0.001%です」
浴衣姿のセレスティアも、顔面蒼白で扇子を落とした。
彼ら「補習仲間チーム」に課せられた任務は、祭りのフィナーレを飾る「魔法花火」の打ち上げだ。
だが、本番開始10分前。
最大のトラブルが発生した。
「うぅ……頭が……割れる……」
指揮役であるアーキバルド先生が、屋上の隅で酒瓶を抱えて伸びていたのだ。
しかも、打ち上げの手順が書かれた「魔導楽譜(スコア)」を枕代わりにして寝てしまったせいで、ヨダレで文字が滲んで解読不能になっている。
「指揮者なし、楽譜なし、予備の火薬なし! あるのは筋肉と気合だけだ!」
ゴードンが法被(はっぴ)姿で仁王立ちしているが、何の解決にもなっていない。
「どうすんのよこれ! 下の広場には全校生徒と街の人たちが待ってるのよ!?」
リリアが叫ぶ。彼女の浴衣は鮮やかな金魚柄で、アップにした髪から覗くうなじが綺麗だが、今はそれどころではない。
「逃げるか?」とカイトが提案するが、イライザ先生(今日は浴衣ではなく、和柄のアロハシャツだ)に首根っこを掴まれた。
「逃げたら殺す。……いいか、お前ら。これはテストだ」
先生はニヤリと笑い、眼下に広がる光の海(観客たち)を指差した。
「楽譜がないなら、作ればいい。指揮者がいないなら、全員で指揮すればいい。今まで学んだことの総決算だ。『無指揮演奏(ジャム・セッション)』を見せてみな」
***
無指揮演奏。
それは、合図を出すリーダーを置かず、演奏者全員がお互いの呼吸だけを頼りに音を合わせる、即興の魔法技術だ。
ほんの少しでもタイミングがズレれば、花火は暴発し、大事故になる。
「無理よ! 私たち、ただでさえバラバラなのに!」
リリアが弱音を吐く。
確かにそうだ。属性も、性格も、得意分野もてんでバラバラな問題児集団。
だが、ユウキは夜空を見上げていた。
星は見えない。祭りの灯りが明るすぎるからだ。
でも、星が消えたわけじゃない。見えないだけで、空の奥には無数の星が広がっている。
「……合わせようとするな」
ユウキは静かに言った。
「え?」
「相手の顔色を見て、タイミングを計ろうとするからズレるんだ。『今かな?』『まだかな?』っていう思考(ノイズ)が邪魔をする」
ユウキは、胸の奥を指差した。
仏教でいう『阿頼耶識』。
意識のずっと奥深く、個人の殻を破った先にある、巨大な「心の貯蔵庫」。そこでは、全ての命が根っこで繋がっているとされる。
「考えなくていい。ただ、感じるんだ。俺たちは半年間、同じ釜の飯を食って、同じ泥にまみれて、同じ景色を見てきた。……言葉にしなくても、深い場所で繋がってるはずだろ?」
ユウキは全員の顔を見た。
リリアの強気な瞳の奥にある不安。
カイトの軽薄さの裏にある優しさ。
ゴードンの筋肉の下にある誠実さ。
シノの頑固さの中にある献身。
セレスティアの理屈の隙間にある情熱。
ルーンの無機質さに宿り始めた温度。
それら全部を知っている。
なら、合図なんていらない。
「いくぞ。俺が土台を作る。あとは好きに乗っかってこい!」
ドォォォン……!
開始の合図となる大太鼓が、広場から響いてきた。
ユウキは屋上の縁に立ち、両手を夜空へ突き出した。
無詠唱。
イメージするのは、巨大な「キャンバス」だ。夜空という黒い画用紙を、魔力で固定する。
そこに、一番手のリリアが飛び出した。
「もう、知らないから! 燃え尽きなさい!」
彼女が放ったのは、爆発的な炎の渦。
普段なら制御不能で暴れるだけの炎だが、今日は違った。
その炎を、カイトの風が優しく包み込む。
「はいはい、お姫様のエスコートは僕の役目!」
風が炎を螺旋状に巻き上げ、空高くへと運ぶ。
「色彩調整、緑と紫の補色関係を適用!」
セレスティアが光の屈折率をいじる。炎の色が、毒々しい赤から、幻想的なオーロラ色へと変化する。
「輝きが足りん! マッスル・フラッシュ!」
ゴードンが自らの魔力を閃光に変えて打ち込む。それは星屑のようなグリッターとなり、花火に煌めきを与える。
「拡散防止。結界展開」
シノが光の膜を張り、花火の形が崩れないように枠を作る。
そして、ルーン。
「……ノイズ除去。純度100%へ」
彼が杖を振ると、魔法の中に混じっていた不純物(恐怖や迷い)が消去され、色が透き通るような鮮やかさを得た。
言葉はない。目配せすらない。
でも、誰かが動けば、自然と次の誰かがそこを埋める。
まるで、一つの巨大な生き物が呼吸をするように。
個々バラバラだった音が、空の上で混ざり合い、信じられないほど美しい和音(コード)を奏で始めた。
ヒュルルルル……
全員の魔力が一つになり、夜空の頂点へ達する。
ドンッ!!!!!
咲いた。
それは、見たこともない花火だった。
炎と風が織りなす幾何学模様。光の雨。
一度消えたかと思えば、別の色で再び咲き誇る。
赤、青、緑、金。
それぞれの個性がぶつかり合うことなく、互いを引き立て合い、夜空というキャンバスいっぱいに「調和」という名の絵を描き出した。
わぁぁぁぁぁ……!
地上から、地鳴りのような歓声が上がった。
「……すっげ」
カイトが口を開けたまま呟く。
「これ、俺たちがやったの?」
「計算不能ですわ……。美しさのパラメータが測定限界を超えています」
セレスティアが涙目で空を見上げている。
成功だ。
誰かの指示に従うのではなく、自分たち自身の感覚を信じて生み出した、最高傑作。
***
花火は続いていた。
次々と打ち上がる光の下、屋上は祭りの後のような心地よい疲労感に包まれていた。
ユウキは手すりにもたれ、その光景を眺めていた。
横に、リリアが並ぶ。
浴衣の袖が風に揺れ、甘いような、火薬の焦げたような匂いが鼻をくすぐる。
彼女の横顔が、花火の色に合わせて、赤く、青く染まる。
「……綺麗ね」
「ああ」
「なんか、不思議。私、何も考えてなかったのに、自然と体が動いたの。ユウキがこうするだろうなって、分かった気がした」
リリアがそっと、ユウキの手の甲に自分の手を重ねた。
触れた部分から、じんわりと熱が伝わってくる。
ユウキは手を裏返し、彼女の指を軽く握り返した。
「俺もだ。……繋がってるんだな、俺たち」
「……うん」
言葉はいらなかった。
ただ、重なった手の温もりと、空に咲く大輪の花。
それだけで、胸がいっぱいだった。
世界は美しく、そして優しい。そう思えた。
だが。
その光と影の境界で、不穏なノイズが走った。
ドンッ……!
ひときわ大きな花火が炸裂し、その轟音が鼓膜を揺らした瞬間。
屋上の隅に立っていたルーンが、空の彼方を見つめながら、ボソリと呟いた。
その声は小さく、花火の音にかき消されそうだったが、ユウキの耳には奇妙なほどはっきりと届いた。
「……観測した」
ルーンの無機質な瞳が、花火の光ではなく、その向こうにある「夜空の亀裂」のようなものを見据えている。
「世界の『歪み』が、許容限界を超えて拡大している。……崩壊の予兆(フラグ)を確認」
ユウキはハッとしてルーンの方を向いたが、次の瞬間には、ルーンはいつもの無表情に戻り、何事もなかったかのように夜空を見上げていた。
「ユウキ? どうしたの?」
リリアが不思議そうに顔を覗き込む。
「……いや、なんでもない」
ユウキは笑って誤魔化したが、握ったリリアの手を、無意識に強く握りしめていた。
祭りの熱気の裏側で、何かが静かに、確実に狂い始めている。
そんな予感が、背筋を冷たく撫で上げていった。
最後の花火が打ち上がり、柳のように垂れて消えていく。
あとに残ったのは、網膜に焼き付いた残像と、少し寂しい火薬の匂い。
夏が終わる。
そして、彼らの「平穏な季節」もまた、終わりを告げようとしていた。
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