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シーズン4:混沌の調律者たち
第5話:覚醒、バグ・フィクサー
しおりを挟む地下七階の隠された石室から、マギステル大図書館の地上広場へと駆け戻った一行の目の前に広がっていたのは、彼らが知る「秩序(ロジック)の都」の、無残な骸だった。
空は、世界のバグが引き起こした不自然なオーロラによって、病的な紫色に染まっている。広場の中央、芸術品であったはずの噴水は無残に砕け散り、そこから溢れ出した水が、石畳の上で意味のない模様を描きながら凍り付いていた。 そして、その中央に「それ」はいた。
論理獣(ロジック・ビースト)。 それは、生き物と呼べる存在ではなかった。 金属でも、肉でも、石でもない。それは、まるで光そのものを寸分の狂いもない幾何学模様に折り曲げて構築したかのような、巨大な結晶体だった。見る角度によってその形状は、完璧な正八面体になったかと思えば、次の瞬間には複雑なフラクタル模様へと自己変容する。 それは、このマギステルという街が数百年かけて培ってきた、「完璧な秩序であれ」「矛盾(バグ)を許すな」という、強すぎる願望(=渇愛)そのものだった。その歪んだ渇望が、ソフィアの失った神格によって不安定になった世界の理(ことわり)と結びつき、最悪の形で「創発」してしまったのだ。 『バグを検知。バグを検知。非論理的な存在を、排除(デリート)スル』 怪物は、あらゆる感情を排した合成音声を発しながら、光の触手を振り回す。 逃げ惑う学生たち。その「予測不能な」逃走経路こそが、論理獣にとっては排除すべき「バグ」だった。
「ふざけやがって!」 一番に飛び出したのは、ジンだった。 「俺たちの仲間が、やっと自分を見つけたってのによぉ! てめえみたいな無機物(テツクズ)が、その門出を邪魔するんじゃねえ!」 彼は、親友シオンとの和解を経て、もはや迷いはない。その剣閃は、音速を超える。 「喰らいやがれ! 疾風迅雷!」 ジンの必殺剣が、論理獣の光り輝く核(コア)へと、完璧な軌道を描いて突き刺さる。 ……はずだった。 しかし、剣先が触れる寸前、論理獣の表面が、水面のように揺らいだ。ジンの剣は、まるで幻影を斬りつけたかのように、手応えなく空を切り裂いた。 『攻撃(アタック)を解析。軌道(ベクトル)、速度(スピード)、質量(マス)を算出。攻撃を『無効化(ナル)』スル』 「なっ!?」 「ジンさん、危ない!」 体勢を崩したジンに対し、論理獣の触手が、今度はジンの動きを完璧に「予測」し、その未来位置へと叩きつけられる。 「ぐあっ!」 間一髪で回避したジンの頬を、光の鞭が掠め、石畳に深い溝を刻んだ。
「おのれ、秩序を乱す悪魔め! 神の光に裁かれなさい!」 アンジェラが、聖書を掲げて前に出る。 「聖なるかな、閃光の一撃(スマイト)!」 彼女の揺るぎない信仰(という名の思い込み)が生み出す、純粋な聖なる魔力が、論理獣へと突き進む。 『魔力(マナ)のパターンを解析。術式(フォーミュラ)の論理構造を逆算。構成(コンストラクト)を『分解(デコンパイル)』スル』 アンジェラの必殺魔法は、論理獣に届く直前で、まるで素数に分解されるかのように霧散し、無力化された。 「そ、そんな!? わたくしの、聖勇者様(ユウキ)への揺るぎない信仰(ロジック)が……!」 「あんたの信仰(ロジック)が、相手の土俵そのものなんだよ!」 ユウキのツッコミが響く。 この怪物は、物理的な攻撃も、魔法的な攻撃も、その行動原理(ロジック)を解析し、無効化してしまうのだ。 「きゃあっ!?」 逃げ遅れた学生の一人が、足をもつらせて転倒した。論理獣の無機質なセンサーが、その「バグ」を捉える。 『排除スル』 光の触手が、非情な刃となって振り下ろされた。
「――させませんわ!」 その声は、震えていた。しかし、確かに、強い意志が宿っていた。 セレスティアだ。 彼女は、学生の前に立ちはだかり、杖を構えた。 (わたくしの力は、『混沌の御子』。世界のバグを『最適化』する力……!) 石室で知った真実が、彼女の脳裏を駆け巡る。 (暴発じゃない。あれは『最適化』。ならば、わたくしは、もう失敗しない!) 彼女の心に、人生で初めて、「完璧に制御できるはずだ」という確信が満ち溢れていた。 (この街の『秩序(ロジック)』のバグが、あの怪物を生んだ。ならば、わたくしが、そのバグを『最適化』し、あの怪物を打ち消す!) 彼女は、マギステルの教科書通り、完璧な詠唱、完璧な魔力制御、完璧な術式構成で、論理獣の「論理(ロジック)」そのものに対抗する、カウンター魔法を放った。 「秩序(オーダー)は、あるべき姿に還りなさい! 『論理回帰(ロジック・リターン)』!」 セレスティアが放った、教科書通りの完璧な魔力の奔流が、論理獣へと直撃する。 だが。 『……同系統(どうけいとう)の論理(ロジック)を受信。システムに取り込み、自己(じこ)の強化(きょうか)に利用スル』 「え……?」 セレスティアの完璧な魔法は、論理獣に、まるで栄養ドリンクのように吸収されてしまった。怪物の幾何学模様は、さらに複雑さを増し、一回り巨大化する。 「そ……そん……な……」 セレスティアの膝が、ガクガクと震え始めた。 「なんで……? わたくしは、真実を知ったはずなのに……。わたくしは、『最適化』の力を、正しく使おうとしたのに……!」 (制御しようとしたのに、また失敗した!) (結局、わたくしは、あの頃から何も変わっていない!) (落ちこぼれ! 迷閃! 自滅!) かつてのトラウマが、彼女の心を再び黒く塗りつぶしていく。自らの才能を「正しく使おう」という、新たな「渇愛」が、彼女の心を再び地獄へと突き落とした。 「あ……あ……」 彼女は、その場に、へなへなと座り込んでしまった。
「……くそっ! 万事休すか!」 ユウキが、ギリ、と奥歯を噛み締めた。 論理獣(ロジック・ビースト)は、セレスティアの魔力を吸収し、さらに強力な触手を生成。広場の学生たちを一網打尽にすべく、それを高々と振り上げた。 もはや、誰もが絶望に目を閉じた。 その、瞬間だった。 「セレスティアアアアアア!!」 ユウキの、喉が張り裂けんばかりの絶叫が、戦場に響き渡った。 「え……? し、師匠……?」 座り込んだままのセレスティアが、涙に濡れた顔を上げる。 ユウキは、彼女を真っ直ぐに指差して、叫んだ。
「狙うんじゃない! いつものお前みたいに、盛大に暴発させろ!」
「……へ?」 セレスティアの思考が、完全に停止した。 (……ぼう、はつ? させろ……?) 何を言っているんだ、この師匠は。わたくしは、今、それを克服しようとして、失敗したのに。 そんな彼女の混乱を、ユウキの怒鳴り声が、さらにかき乱す。 「いいか! あの怪物は、『完璧な論理(ロジック)』そのものなんだ! だから、こっちの『論理的(ただ)しい』攻撃は、全部、計算されて無効化される!」 ユウキは、脳が焼き切れるほどの速度で、この絶望的な状況(=一切皆苦)を分析していた。 (こいつは、予測可能なものには無敵だ) (だが、予測不能なものには、どうだ?) (こいつは、一個の行動(ロジック)は計算できる。だが、無関係な、複数の、ポンコツな行動(バグ)が、同時に、無目的に行われた時、その『関係性』から生まれる『結果(カオス)』は、計算できるのか?) (複雑系だ! こいつの完璧なOS(オペレーティング・システム)を、意味不明なバグ(コマンド)の連続で、クラッシュさせてやる!)
ユウキは、天を仰いで、叫んだ。 「全員、聞け! 今から、俺の、めちゃくちゃな指揮に付き合ってもらうぞ!」 「おうよ! 待ってたぜ、そいつをよ!」 ジンが、待ってましたとばかりに、泥だらけの顔で笑う。 「ジンさん! あの怪物の、右足に向かって、全力で『土下座(どげざ)』しろ! 謝るんだ!」 「はぁ!? 土下座!? 誰に……」 「いいからやれ! 全力でだ!」 「くそっ! 訳わかんねえが、任せろ!」 ジンが、猛然とダッシュし、論理獣の光の足元に、スライディング土下座を敢行した。
「リナ! あの塔のテッペンにある避雷針! あれを盗んでこい!」 「はあ!? あんなデカいの、どうやって……」 「いいから、今すぐ行け!」 「ちっ! むちゃくちゃ言いやがるぜ、師匠は!」 リナが、猫のような身軽さで、建物の壁を駆け上がっていく。
「アンジェラさん! 聖書を逆さに持って、さっきのズレた神学論争を、大声で再開しろ!」 「なっ! 神を冒涜する……! しかし、聖勇者様(ユウキ)の命令とあらば! (スッ)……聞け、悪魔よ! 女神とは、すなわちパスタである!」
「マリア! そこの、凍った水たまりに、全力で『回復魔法』をかけ続けろ!」 「えっ!? 水たまり、ですか? でも、それ、アンデッドじゃ……」 「いいんだ! 浄化するなよ! 蘇生させる勢いで、全力でだ!」 「は、はいぃぃ!」
『……!?』 論理獣(ロジック・ビースト)の動きが、初めて、明らかに停止した。 その光り輝く核が、不規則に明滅を始めた。 (土下座 = 目的不明。論理的帰結 = ゼロ) (避雷針窃盗 = 目的不明。戦闘への寄与率 = ゼロ) (逆さ聖書 = 目的不明。論理破綻。エラー) (氷への回復 = 目的不明。意味 = ゼロ) (……エラー。エラー。理解不能。解析不能) 論理獣(ロジック・ビースト)の完璧なシステムが、ユウキ一行という、あまりにも無軌道で、あまりにも無意味な「バグ」の奔流に晒され、激しいフリーズ(処理停止)を起こしていた。
「セレスティア! 今だ!」 ユウキが、最後の絶叫を放つ。 「お前の力は、『最適化』なんだろ!? だったら、この『滅茶苦茶(カオス)』な状況を、丸ごと『最適化』してみせろ!」 「……!」 セレスティアは、その瞬間、全てを理解した。 (そうか……。わたくしは、また『枠』に囚われていた……) この街に、「完璧な魔導士であれ」という『秩序(ロジック)』の枠に。 そして、今度は、「完璧な『最適化』をしろ」という、自分自身が作り上げた、新しい『枠』に。 (どちらも、違う……) (思い通りになんて、ならなくていい) (制御なんて、しなくていい) (わたくしは、ただ、この『今、ここ』にある、全ての『縁』――師匠の声、ジンさんの土下座、リナの疾走、アンジェラさんの論争、マリアの祈り、そして、あの怪物の『論理(ロジック)』――その全てを、ただ、受け入れる!)
セレスティア・フォン・マギウスは、ゆっくりと立ち上がった。 その顔には、もう涙も、怯えも、焦りもなかった。 ただ、嵐の目のような、静かな微笑みだけがあった。 彼女は、杖を天に掲げた。 詠唱はない。 狙いもない。 制御も、ない。 彼女は、自らの存在そのものを、この世界の「バグ」と、仲間たちの「カオス」の、奔流に、ただ、委ねた。 「……これが、わたくしですわ」 彼女の身体から、凄まじい魔力の嵐が、解放された。 それは、炎でも、氷でも、雷でもなかった。 それは、あらゆる色彩が混ざり合い、あらゆる可能性が渦巻く、純粋な「混沌(カオス)」そのものだった。
『……!!! エラー! エラー! 解析不能! 論理崩壊!』 論理獣(ロジック・ビースト)が、初めて苦痛の合成音声を上げた。 セレスティアが放った「混沌(カオス)」は、論理獣(ロジック・ビースト)を攻撃しなかった。 それは、この街と世界を覆っていた、根本的な「バグ」そのものに干渉した。 怪物を生み出していた、世界の理の「歪み」そのものを、強制的に「最適化」し、あるべき姿へと「修正」し始めたのだ。 『ソンナ……。ワタシノ……『秩序(ロジック)』ガ……』 拠り所となる「バグ」を失った論理獣(ロジック・ビースト)は、その完璧な幾何学模様の輪郭を保てなくなり、グズグズと、まるで砂糖菓子が溶けるかのように、崩れ始めた。 その存在基盤そのものが、破壊されたのだ。 『……バグ……ヲ……サイテキカ……。ソレコソガ……ワタシガ……モトムベキ……シンノ……『秩序(ロジック)』……ダッタノカ……』 最後に、まるで悟りを開いたかのような、静かな合成音声を残し、論理獣(ロジック・ビースト)は、一粒の光も残さず、完全に消滅した。
「…………」 あとに残されたのは、破壊された広場と、呆然と立ち尽くす学生たち。 そして。 「(……やった)」 泥だらけで土下座したままのジン。 「(……なんでアタシ、避雷針なんか持ってんだろ)」 巨大な避雷針を肩に担いだリナ。 「(……女神は、パスタ……)」 聖書を逆さに持ったまま、恍惚の表情で呟くアンジェラ。 「(……水たまりが、凍ったまま、輝いてます……)」 意味のない行為に全力を尽くしたマリア。 「(……あ、壁に扉がありました)」 なぜか壁の中から発見されたサラ。 そして、その中央で、杖を握りしめ、静かに立ち尽くす、一人の魔導士。 「……はぁ」 ユウキは、その場に、大の字に寝転がった。 「勝った……。勝ったよな……? これ……」 ユウキの呟きに、セレスティアが、ゆっくりと振り向いた。 彼女は、自分の「暴発」という名の「欠点」を、今、初めて、自らの「最強の武器」として、受け入れた。 その顔には、もう、「落ちこぼれ」の影はどこにもなかった。 「師匠!」 彼女は、今までに見たことのない、最高の笑顔で、ユウキに駆け寄った。 「やりましたわ! わたくし、やりましたわ!」 彼女は、自らの力を、自らの手で、真の魔導士へと、覚醒させたのだ。 その喜びの姿を、広場の片隅で、二つの人影が、冷ややかに見つめていた。 「……信じられませんわ、ブルーノ。あの『落ちこぼれ』が、論理獣(ロジック・ビースト)を、たった一人で……?」 「……見ただろ、ラウラ。あれは、魔法じゃない。術式も、論理(ロジック)もなかった。……あれは、禁断の『混沌(カオス)』そのものだ」 ラウラとブルーノの顔から、完全に、嘲笑の色が消えていた。
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