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シーズン4:混沌の調律者たち
第12話:『星の設計図と、食いしん坊な“結び目”』
しおりを挟む狭間の聖地、その最深部。
そこは、秋の風さえも遠慮して止まってしまうような、張り詰めた静寂に満ちていた。
僕たち一行が足を踏み入れたのは、巨大な鍾乳洞のような空間だった。だが、そこにあるのは岩や水ではない。
天井から床まで、無数の「光の糸」が、まるで柳の枝のように垂れ下がっているのだ。
青、緑、金、銀。
様々な色に輝くその糸は、脈打つように明滅し、触れ合うたびにチリン、チリンと、風鈴のような涼やかな音を奏でている。
「うわぁ……綺麗……。これ、全部そうめんだったら、一生食べ放題だね」
リナが目を輝かせて、涎(よだれ)を垂らしそうな顔で呟く。
「リナ、お前な……この幻想的な光景を見て、真っ先に出る感想が『そうめん』か?」
ジンが呆れたように突っ込むが、その顔もまた、圧倒的な美しさに引きつっていた。
僕には分かる。これは、ただの光じゃない。
この世界の「理(ことわり)」そのものだ。
火が熱いこと、水が冷たいこと、重力が物を落とすこと。そんな「当たり前の約束事」が、この光の糸として記述され、織り上げられている場所。
いわば、この星の「設計図」を保管する図書館だ。
「あら、ユウキ。見てごらんなさい。あそこの糸、少し絡まっていますわ」
ソフィアが指差した先では、赤い糸と青い糸が複雑に結ばれ、少しだけ火花を散らしていた。
「あれが、今の世界の状況……『ねじれ』ね。本来なら交わらないはずの『熱』と『冷』が絡まって、ぬるい火傷をするような矛盾が起きている」
ソフィアの説明に、僕は頷く。
この場所こそが、レイが言っていた「世界のソースコード」――もとい、「理(ことわり)の根源」だ。
僕たちは、この奥にあるはずの「ねじれの大元」を探しに来たのだが……。
「ねえ、ユウキ。なんか、変な匂いしない?」
サラが鼻をひくつかせた。「こう、古い紙が焦げたような、あるいは……牛乳を拭いた雑巾を三日放置したような……」
「サラ、例えが具体的すぎて一気に現実に引き戻されるからやめて!?」
だが、彼女の勘は(方向以外は)正しい。
光の森を抜けた先に、それはいた。
空間の中心。
輝く光の糸たちが、そこだけ不自然に途切れている。
ぽっかりと空いた空間に、真っ黒な「シミ」のようなものが浮かんでいた。
形は定まっていない。
ある時はトゲトゲしたウニのように、次の瞬間にはドロリとした泥のように。
子供が黒いクレヨンで画用紙を塗りつぶしたような、不吉な黒。
それが、周囲の美しい光の糸を、バリボリと音を立てて「食べて」いた。
「な、なんですかぁ、あれ……? 見てるだけで、目が回りますぅ……」
マリアが気分が悪そうに口元を押さえる。
無理もない。あれは存在しているだけで、周囲の景色を歪ませている。距離感が狂い、遠くにあるはずなのに目の前にあるように見える。
あれが、「創造主のバグ」――いや、「原初の矛盾」だ。
「ふん、なんだあの薄汚い泥団子は! 神聖な設計図を食い荒らすとは、不届き千万ですわ!」
セレスティアが杖を構え、一歩前に出る。
「わたくしが、ちょちょいと修正して差し上げますわ! あんな汚れ、洗濯機で丸洗いするようなものです!」
彼女は「銀閃(ぎんせん)」の異名を持つ天才だ。世界のねじれを感知し、最適化する力を持つ。
セレスティアの杖から、幾何学模様の魔法陣が展開される。
「『整列せよ(フォーマット)』! あるべき姿にお戻りなさい!」
放たれた純白の光が、黒いシミを包み込む。
本来なら、これで「ねじれ」が解け、正常な状態に戻るはずだ。
しかし。
ジュッ。
熱したフライパンに水滴を落としたような音がして、セレスティアの魔法が消えた。
いや、消えたのではない。「吸われた」のだ。
「……は?」
セレスティアが間の抜けた声を出す。
黒いシミは、魔法を飲み込んだ後、ゲフッと満足そうなげっぷ(のような振動)をした。
そして、その表面に、セレスティアの魔法陣と同じ幾何学模様が浮かび上がり――次の瞬間、その模様がグニャリと歪んで、不気味な笑顔のような形に変わった。
「わ、わたくしの高尚な術式が……! あいつ、今、わたくしを馬鹿にしましたわよね!? 顔文字みたいにして!」
「挑発に乗るな、セレスティア! あいつ、ヤバいぞ!」
ジンが大剣「宵闇」を抜き放ち、地面を蹴る。
「理屈が通じねぇなら、物理で叩き潰すまでだ! オラァッ!」
音速の斬撃。岩をも両断するジンの剣が、黒いシミの中心を捉える――はずだった。
刃がシミに触れた瞬間。
ポヨン。
間の抜けた音が響いた。
「……は?」
今度はジンが声を上げた。
彼の手にあるはずの、伝説の魔剣「宵闇」。その刀身が、なぜか「ふにゃふにゃのゴム」のような質感に変わっていたのだ。
ペロン、と力なく垂れ下がった剣先が、ジンの膝をペチッと叩く。
「なっ、なんだこれ!? 俺の愛刀が、宴会芸グッズみたいに!?」
「ジン! 下がれ!」
僕は叫ぶが、遅かった。
黒いシミから、黒い触手が伸びる。
ジンが慌てて防御しようとするが、触手に触れた肩当ての金属が、一瞬で「シャボン玉」になって弾けた。
「うおおっ!? 防具が泡になったぞ!?」
「ジン君! そこをどいて!」
アンジェラが飛び込んでくる。彼女の手には、愛用のモーニングスター。
「我が推し(ユウキ)の敵は、神の敵! その薄汚い存在を、粉々に粉砕してあげる!」
豪快なフルスイング。
だが、鉄球がシミに当たる直前、鉄球は「花束」に変わった。
バサッ。
アンジェラは勢い余って、黒いシミに情熱的に花束をプレゼントする体勢になった。
「……あら? 私、いつからこの子にプロポーズを?」
「アンジェラ、惚けてる場合じゃない! 逃げろ!」
リナがワイヤーを飛ばし、アンジェラとジンを強引に引き戻す。
全員が距離を取り、息を飲む。
「なんなのよ、あいつ……!」
ソフィアが脂汗を流して睨みつける。
「魔法を無効化するだけじゃない。触れたものの『定義』を書き換えているわ。鉄をゴムに、金属を泡に、武器を花束に……。あそこだけ、世界のルールがデタラメになっている!」
僕も寒気がした。
あれは、単なるモンスターじゃない。
「矛盾」そのものだ。
硬いのに柔らかい。有るのに無い。
AでありながらBであるという、論理の破綻。
それが具現化した存在。
「ユウキ、どうする!? 斬れない、殴れない、魔法も効かないじゃ、手詰まりだぞ!」
ゴムになった剣を情けなく振るいながら、ジンが叫ぶ。
僕は頭をフル回転させる。
この世界は、複雑に絡み合った「縁(えん)」でできている。
原因があって結果がある。AだからBになる。それが「縁起(えんぎ)」というルールだ。
でも、あいつは、その「繋がり」を断ち切っている。
「剣で斬る」という原因があっても、「切れる」という結果に繋げず、「ゴムになる」というデタラメな結果に接続し直してしまう。
因果関係のクラッシャー。
その時、黒いシミが脈動した。
ズズズ……と、空間が軋む音がする。
シミが膨張した。
周囲の「光の糸」――世界の設計図を、さらに激しく食い破り始めたのだ。
「いけない……! あいつ、成長してる!」
セレスティアが叫ぶ。「わたくしの修正魔法(ロジック)を食べて、解析したんですわ! 『どうすれば世界を壊せるか』を学習しています!」
シミの一部が変形し、人の手のような形になった。
それが、近くにあった「重力の糸」をプチリと切った。
瞬間。
僕たちの体が、ふわっと浮き上がった。
「きゃああっ!?」
「うおっ、浮いた!?」
重力が消えた。いや、乱れた。
天井に向かって落ちていく感覚。
マリアが悲鳴を上げて、逆さまになったままバタバタと手足を動かす。
「スカァァァトがぁぁ! 重力さん、仕事してくださいぃぃ!」
ドタバタと宙を舞う仲間たち。
だが、笑い事じゃない。
あいつは今、試しに「重力」を切ってみただけだ。
もし、「酸素」の定義を切られたら? 「血液」の役割を書き換えられたら?
僕たちは一瞬で終わる。
「させないっ!」
マリアが、空中で杖を構える。
「さっきみたいに……『引き算』です! あの子の暴走を、静かにさせてみせます!」
彼女の周囲に、静謐(せいひつ)な青い光が集まる。
前話で見せた、覚醒した力。対象のエネルギーを鎮静化させる「お片付け」の光だ。
「お願い、静まって……『静寂の祈り(レクイエム)』!」
透明な波紋が、黒いシミに向かって放たれる。
それは確実に命中した。
暴れ回っていたシミの動きが、一瞬、ピタリと止まる。
「やったか!?」
ジンが叫ぶ。
しかし。
黒いシミは、プルプルと震えると、マリアの放った静寂の波紋を、まるでジュースでも飲むように「ストローのような触手」で吸い尽くしてしまった。
「え……?」
マリアが絶句する。
シミは、さらにどす黒く、巨大になった。
そして、空間全体に響くような、不快なノイズ音を発した。
それは、まるで嘲笑(あざわら)うかのような音だった。
『足りない、足りない、足りない』
声ではない。直接、脳内に響く「意味」の奔流。
『有(う)も無(む)も、苦(く)も楽(らく)も、全ては虚しい。消せ。消せ。消せ。矛盾だらけの物語(セカイ)を、真っ白な更地(さらち)に戻せ』
圧倒的な虚無感。
あいつは、「静けさ」さえも食らうのか。
マリアの祈りは「穏やかな静寂」だが、あいつが求めているのは「完全な消滅」だ。
生きていることの苦しみ、思い通りにならない「一切皆苦(いっさいかいく)」を終わらせるために、存在そのものを消し去ろうとする、破滅的な救済願望。
「くそっ……! デタラメすぎるだろ!」
僕は無重力空間で体勢を立て直そうともがく。
シミはさらに触手を伸ばす。
今度は、僕たち全員をまとめて「消しゴム」で消すつもりだ。
逃げ場はない。四方八方、上下左右、空間そのものがシミに侵食され、黒く塗りつぶされていく。
「ユウキ!」
ソフィアが僕の手を掴む。その手は氷のように冷たく震えていた。
万能だったはずの元女神でさえ、この「理屈の通じない暴力」の前では無力だった。
(ここで終わりなのか……?)
せっかくここまで来たのに。
マリアが強くなったのに。
ジンの呪いが解けたのに。
セレスティアが自信を取り戻したのに。
そのすべてが、「意味がないから消します」なんていう、ふざけた理由で帳消しにされるのか?
ふざけるな。
そんな「お片付け」は認めない。
その時。
絶望的な黒に塗りつぶされそうになった視界の端で、キラリと光るものが見えた。
それは、空間の裂け目。
そこから、見覚えのある「白いコート」の裾(すそ)が翻(ひるがえ)った。
『――やれやれ。散らかし放題だな、僕の箱庭で』
呆れたような、でもどこか楽しそうな声が、脳裏ではなく、鼓膜を直接叩いた。
次の瞬間、世界を塗りつぶそうとしていた黒い触手が、見えない壁に阻まれたように弾き返された。
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