4 / 21
第四話:置き去りの花壇と錆びた記憶の缶詰
しおりを挟む週末という名の短い停戦期間が終わり、再び戦場へと戻る月曜日の朝。
空は、昨日までの雨が嘘だったかのように、からりと晴れ渡っていた。
まるで、洗いざらしの青いリネンのシャツみたいに、どこまでも澄んでいる。
週末の間に、季節はまた一歩、その歩みを進めたようだった。
木々の葉の緑は一層その深みを増し、ぎらぎらと照りつける太陽の光は、慈悲のかけらもなく肌を刺す。
風の中に、夏の匂いが明確に混じり始めていた。
アスファルトの照り返しが、視界を蜃気楼のように揺らしている。
どこか遠くで、気の早い蝉が、まだ辿々しい調子で鳴き声の練習を始めていた。
「――おい、陽介。聞いてんのか?」
朝練を終え、汗だくのまま教室の自分の席に座り込んだ俺の耳に、健太の呆れたような声が届いた。
俺は、窓の外の景色を眺めながら、無意識のうちに金曜日の放課後の光景を反芻していたらしい。
「ああ、悪い。聞いてる聞いてる」
「嘘つけ。ぜってー上の空だっただろ。お前、最近マジでどうしたんだよ。月読とつるみ始めてから、魂半分どっかに置いてきたみたいな顔してるぜ。今度は一条のことまで考え始めて、いよいよだな」
健太は、ペットボトルの水を豪快に煽りながら、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「……別に、そういうんじゃねえよ」
俺は、曖昧に言葉を濁した。
雨上がりの夕暮れ。虹を背負い、荒れた花壇の前に跪く一条雅の姿。
あの姿が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
彼は、あの土の中に、一体何を見つけようとしていたのだろう。
「天野君」
思考の海に沈んでいた俺を、凛とした声が引き上げた。
振り返ると、いつの間にか月読恋が、俺の机の横に立っていた。
朝の強い光が、彼女の漆黒の髪を淡く縁取っている。
「昨日の雨で、大地の霊的なエネルギー、すなわち"龍脈"が活性化したわ。
一条君が花壇で土をいじっていたのは、おそらく乱れた龍脈を鎮めるための儀式。
彼は、高名な風水師の一族に違いないわ」
彼女は、こともなげに、しかし絶対の自信を持って言い切った。
その瞳は、真実を発見した科学者のように輝いている。
「風水師……」
もはや、ツッコむ気力さえ湧いてこない。
俺は疲れたようにため息をついた。
「まあ、地脈かどうかは知らねえけど、あいつが何かを探してたのは確かだ。……行くぞ、月読」
「どこへ?」
「決まってんだろ。あいつが見つけようとしてたものを、俺たちが見つけに行くんだよ」
俺は、立ち上がった。
窓の外では、蝉の声が、さっきよりも少しだけ、大きくなったような気がした。
昼休み。
喧騒に満ちた校舎を抜け出し、俺と月読は、問題の旧校舎裏の花壇へと向かった。
じりじりと照りつける太陽が、容赦なく首筋を焼く。
むわりとした草いきれが、熱気と共に立ち上っていた。
その花壇は、忘れ去られた時間の墓標のように、ひっそりとそこに存在していた。
人の背丈ほどもある雑草が、好き放題に生い茂っている。
蝶や蜂が、その合間を気ままに飛び交っていた。
かつては色とりどりの花が咲き誇っていたであろう面影は、もうどこにもない。
ただ、よく見ると、強い雑草の生命力に負けじと、枯れかけたマリーゴールドや、忘れな草が、数本だけ、健気にその花をつけていた。
誰かが昔、ここに込めた愛情の、最後の名残のようだった。
そして、花壇の中央付近。
そこだけ、明らかに土が新しく、柔らかそうだった。誰かが最近、ここを掘り返した痕跡だ。
一条雅の、金曜日の行動の証。
「……ここだな」
俺は、意を決して、その湿った土に手を伸ばした。
ひんやりとした土の感触が、指先から伝わってくる。
「待って、天野君」
月読が、俺の手を制した。
「ここは、物理的なアプローチだけでは危険よ。過去の記憶が、強い怨念となって渦巻いているわ。せめて、霊的な波動を中和しないと……」
彼女が、ポケットから数珠のようなものを取り出そうとした、その瞬間だった。
こつり、と俺の指先が、土の中で何か硬いものに触れた。
「……あった」
俺は、彼女の制止を無視して、夢中で土を掻き出した。
やがて、その全貌が姿を現す。
それは、子供の頃に誰もが一度は宝物を隠したことがあるような、クッキーが入っていたであろう、古びたブリキの缶だった。
表面の絵柄は錆びついてほとんど消えかかっているが、蓋はテープで厳重に密封されている。
タイムカプセルだ。
俺は、爪の間に土が入り込むのも構わずに、そのテープを必死に剥がした。
ぱこん、と間の抜けた音を立てて、缶の蓋が開く。
中は、驚くほど綺麗な状態だった。湿気も、虫が入った形跡もない。
そして、その中には、いくつかの品物が、まるで眠るように収められていた。
一つは、色褪せた一枚の写真。
ポラロイドだろうか。
その写真は、夏の強い日差しの中で撮られたものらしかった。
楽しそうに、屈託なく笑う二人の少年が写っている。
一人は、今よりも少しだけ顔つきが幼い、一条雅だった。
そして、その隣で、彼以上に眩しい笑顔を浮かべている少年。
日に焼けた肌、少し癖のある髪。
おそらく、彼こそが。
「結城、翔……」
俺は、思わずその名前を呟いた。
もう一つは、古い銀色のロケットペンダント。
繊細な細工が施されているが、今は黒く変色してしまっている。
そして、最後に、四つ折りにされた一枚のメモ。
俺は、震える指で、そのメモをゆっくりと開いた。
そこには、少し丸みを帯びた、少年らしい文字で、こう書かれていた。
『約束の場所で待ってる。 翔より』
約束の場所。
それは、どこなんだ。
そして、このタイムカプセルは、なぜ、ここに。
一条は、結城翔と親友だったのか。
だとしたら、なぜ彼は、今になってこれを掘り返そうとしていたんだ?
錆びついた記憶の缶詰は、俺たちの前に、あまりにも多くの、そして重い謎を投げかけてきた。
放課後。
俺たちは、橘晶に連絡を取るため、再びPCルームを訪れた。
「……なるほど。そういうことだったのか」
俺たちから事の経緯を聞き、タイムカプセルの中身の写真をデータで受け取った晶は、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「このロケットペンダント、それにメモ。何か手がかりがあるかもしれない。解析してみる。少し時間をちょうだい」
彼女はそう言うと、再びキーボードに向き直った。その背中は、いつもより少しだけ、頼もしく見えた。
教室に戻る途中、俺は廊下で氷川凛の姿を見かけた。彼女は、窓の外を、どこか遠い目をして眺めている。
俺は、意を決して彼女に声をかけた。
「氷川先輩」
彼女は、ゆっくりとこちらを振り返った。
その表情は、いつものように冷たい仮面に覆われている。
「……あなたたち、まだあの件を調べているの」
「ええ。あんたが、何か知ってるんじゃないかと思ってね」
俺は、少し挑発的に言った。
すると、彼女の表情が、初めて明確に変わった。
それは怒りでも、侮蔑でもなく、深い、悲しみのような色をしていた。
「……あなたたち、あまり首を突っ込みすぎない方がいいわ」
その声は、警告だった。
これまでとは違う、本気の。
「それは、あなたたちのような部外者が、安易に触れていい領域じゃないの」
彼女は、一度目を伏せると、絞り出すような声で言った。
「結城君は……太陽みたいな人だった。誰にでも優しくて、いつも笑っていて。一条君とは、本当の、血の繋がった兄弟のようだったわ」
その言葉に、俺はハッとした。
彼女もまた、彼らの友人だったのだ。
彼女の、月読への棘のある態度の裏には、過去を共有する者としての、複雑な感情が渦巻いていたのかもしれない。
氷川は、それだけ言うと、俺の横をすり抜けて去っていった。
その小さな背中が、何か重いものを背負っているように見えた。
部活に向かうと、健太が体育館の入り口で、深刻そうな顔をして俺を待っていた。
「陽介、大変だ」
「どうしたんだよ」
「高橋先輩、退院したらしい。けど、やっぱり記憶が戻らなくて、学校にはまだ来られないみたいだ。でな、先輩の親が、"あの人"を連れて学校に乗り込んできたらしい」
「あの人?」
「一条の親父さんだよ。有名な弁護士で、ウチの学校の理事もやってる、あの」
健太の言葉に、俺の背筋を冷たいものが走った。
事件に、大人の、それも学校の権力者が絡んできた。
高橋先輩の親は、学校側の管理責任を問うつもりなのか。
そして、なぜ、そこに一条の父親が?
物語は、俺たちの知らないところで、より複雑な様相を呈し始めていた。
部活を終え、空が深い茜色に染まる頃、俺は一人、帰り道を歩いていた。
隣には、いつの間にか月読が並んでいる。
街灯がぽつり、ぽつりと灯り始め、俺たちの影をアスファルトの上に長く、長く伸ばしていた。
今日の出来事が、頭の中でぐるぐると渦巻いている。
タイムカプセル、二人の少年の笑顔、氷川の悲しげな横顔、そして、一条の父親の影。
事件は、俺たちが思っていたよりも、ずっと根が深い。
俺たちの手に負えるものじゃないのかもしれない。
そんな、少しの恐怖が、胸をよぎる。
「タイムカプセルはね、天野君」
隣を歩く月読が、静かに語りかけた。
「過去の"愛"を封じ込めた、魔法の箱よ。友情という名の、純粋な愛。でも、誰かが、その箱を無理やりこじ開けようとしている。忘れてはいけないわ。過去というものは、安易に触れると、呪いとなって現代に蘇るものなのだから」
彼女の言葉が、なぜか、妙に真実味を帯びて、俺の心にすとんと落ちてきた。
その時だった。
俺のズボンのポケットで、スマホがぶ、と短く震えた。
取り出して画面を見ると、橘晶からのメッセージだった。
『ペンダント、解析完了。これ、ただのロケットじゃない。中に、マイクロSDカードが隠されてる』
心臓が、どくんと大きく跳ねた。
『でも、データは強力なパスワードでロックされてて、私にも開けない』
そして、立て続けにもう一通。
その文面を見て、俺は全身の血の気が引くのを感じた。
『それと、ヤバいことわかった。私のPC、外部からハッキングされてる。今朝からずっと。何者かが、こっちの動きをずっと監視してる――』
ぞわり、と強烈な悪寒が背筋を駆け上がった。
街灯の光が作る、自分の影の後ろ。
その、さらに深い闇の奥から、誰かが、じっと、俺たちのことを見ているような気がした。
蝉の声が、いつの間にか、ぴたりと止んでいた。
俺たちの、ささやかな謎解きごっこは、もう終わったのだ。
これは、ゲームじゃない。
俺たちは、本当に危険な領域に、足を踏み入れてしまったのかもしれない。
10
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺は陰キャだったはずなのに……なぜか学園内でモテ期が到来した件
こうたろ
青春
友人も恋人も居ないボッチ学生だった山田拓海が何故かモテだしてしまう。
・学園一の美人で、男女問わず憧れの的。
・陸上部のエースで、明るく活発なスポーツ女子。
・物静かで儚げな美術部員。
・アメリカから来た金髪碧眼でハイテンションな留学生。
・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。
拓海の生活はどうなるのか!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる