夏空の鎮魂歌(レクイエム)は、君の的外れな推理から始まった

Gaku

文字の大きさ
5 / 21

第五話:監視者と夜の校舎と開かない心

しおりを挟む



橘晶から送られてきた、その短い、しかし絶望的な響きを持つメッセージを読んだ瞬間、俺の周りの世界から、ふっと音が消えた。

夕暮れの喧騒、家路を急ぐ生徒たちのざわめき、遠くで鳴り響く踏切の警報音。

それら全てが、分厚いガラスの向こう側の出来事のように、遠ざかっていく。

代わりに、自分の心臓がどく、どく、と耳元で大きく脈打つ音だけが、やけにリアルに響いていた。

監視されている。

たった一言が、俺たちの立ち位置を根底から覆してしまった。

これまで俺たちがやっていたのは、好奇心と少しの正義感を燃料にした、危険な「謎解きごっこ」だったのかもしれない。

だが、もう違う。盤上にいたはずの俺たちは、いつの間にか、盤の外にいる誰かの、観察対象になっていたのだ。

駒ではなく、虫眼鏡で覗き込まれる虫に。

街灯の光が作る、濃く、揺らめく影。建物の隙間の、全てを飲み込むような闇。

さっきまで何とも思わなかった風景の一つ一つが、急に牙を剥き、脅威的なものとして目に映り始めた。

風が草木を揺らす音が、誰かの忍び足のように聞こえる。

背中に突き刺さる、見えない誰かの視線。
ぞわり、と首筋に鳥肌が立った。

これは、本物の恐怖だ。

「……来たわね」

隣で、月読恋が静かに呟いた。


その声は、意外なほど落ち着いていた。

俺が恐怖で凍りついているというのに、彼女の瞳は、むしろ、これから起こるであろう新たな現象を前にして、好奇心に爛々と輝いている。

「"ウォッチャー(監視者)"よ。物語が、いよいよ次のステージに進んだ証拠だわ。私たちの存在が、隠された真実を揺り動かすだけの力を持ったということ。喜ぶべきことよ、天野君」

「喜べるか、こんな状況で!」

俺は、ようやく絞り出した声で叫んだ。

「お前、わかってんのか!? 冗談じゃ済まなくなってるんだぞ!」

「ええ、わかっているわ。だからこそ、面白いんじゃない」

彼女は、闇の中で、くすりと笑った。

その姿は、肝が据わっているというより、単に恐怖という感情の回路が欠落しているように見えた。

だが、その常軌を逸した冷静さが、パニックに陥りかけていた俺の心を、不思議と少しだけ落ち着かせてくれた。

「……行くぞ」

「どこへ?」

「決まってる。橘さんのところだ。俺たちが、のんきに帰り道を歩いている間も、あいつは一人で、そいつと戦ってるのかもしれないんだぞ」

俺は踵を返し、今来たばかりの道を、学校へと向かって走り出した。

月読も、黙ってその後に続く。

俺たちの、ささやかな日常は、もう完全に終わってしまった。

そして、これから始まるのは、得体の知れない敵との、本当の戦いだ。

夜の学校は、昼間とは全く違う顔をしていた。

俺たちは、警備員に見つからないよう、裏手のフェンスを乗り越えて敷地内に侵入した。

閉門後の校舎は、巨大な生き物が眠りについているかのように、静まり返っている。

月明かりが、ガラス窓をぼんやりと青白く照らし出し、廊下の向こうの闇を、より一層深く見せていた。

自分たちの上履きの足音だけが、しんとした廊下に、ぱた、ぱたと大きく響き渡る。

その音が、誰か別の人間が後ろからついてきているような錯覚を引き起こし、俺は何度も背後を振り返った。

壁にかけられた肖像画の目が、俺たちを追っているような気さえする。

「夜の校舎は、昼間の顔とは違う。

ここは、昼間は生徒たちのものだけど、夜は、この場所に積もった記憶や、想念たちのものになるのよ」

月読が、囁くように言った。

その声が、やけに不気味に響く。

「やめろよ、そういうこと言うの」

「あら、怖いの? 天野君」

「怖いに決まってんだろ!」

軽口を叩きながらも、心臓は早鐘のように鳴っていた。

PCルームの扉は、鍵が開いていた。俺たちがそっと中へ入ると、そこには、異様な緊張感が満ちていた。

部屋の隅で、橘晶が鬼気迫る表情でキーボードを叩いている。

ディスプレイの青白い光が、彼女の顔を能面のように照らし出し、眼鏡のレンズに無数の緑色の文字列を反射させていた。

カタカタカタ、と部屋に響き渡る、常軌を逸した速度のタイピング音。

サーバーの低い唸り声が、まるで追い詰められた獣の呻き声のように聞こえる。

「橘さん!」

俺が声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返った。

その目の下には、濃い隈が浮かんでいる。


「姫……陽介さん……」

「大丈夫か!? "ウォッチャー"は!?」

月読が尋ねる。

「相手は、相当なプロだ。私が何重にも張ったファイアウォールを、まるで薄紙を剥がすように、次々と突破してくる。目的は、私たちがタイムカプセルのデータを手に入れたことの確認と、その中身の強奪。間違いない」

晶は、乾いた唇を舐めた。

「見てて。今も、来てる」

彼女が指差すモニターには、俺には到底理解できない、複雑なコードの羅列が滝のように流れていた。

だが、その中の一部が、まるでウイルスに侵された細胞のように、次々と赤く変色していく。

「これは、敵の侵攻ルート。私の防御壁が、リアルタイムで破壊されてる」

「なんてこと……。敵は"電子の幽霊(デジタル・ゴースト)"ね。物理的な防御は意味をなさないわ。晶、相手の"気"の流れを読んで! その動きの先に、カウンターを仕掛けるのよ!」

月読が、いつもの調子で、しかし必死な声で叫ぶ。

晶は、そんな彼女の的外れなアドバイスに、「無茶言うな!」と叫び返しながらも、その指の速度をさらに上げた。

カタカタカタカタ!

尋常ではないタイピング音が、部屋の緊張感を極限まで高める。

赤く変色する領域が、どんどん広がっていく。

まるで、黒い紙の上に落ちたインクの染みが、じわじわと広がっていくように。

もう、ダメか。

俺がそう思った瞬間、晶は最後の力を振り絞るように、エンターキーを力強く叩きつけ、そして、おもむろにPC本体の裏側に手を伸ばし、ネットワークケーブルを物理的に引き抜いた。

途端に、モニター上の全ての動きが止まり、部屋には静寂が戻った。

「……はあ、はあ……」
晶は、椅子に深くもたれかかり、荒い息をついている。
「とりあえず、物理的に回線を切断した。データは、守れたはずだ。けど……」
彼女は、悔しそうに唇を噛んだ。
「相手は、こっちの正体を掴んだと思う。少なくとも、私がこの学校の生徒で、このPCルームからアクセスしていたことは、バレた。……もう、学校の設備を使うのは危険すぎる」
その言葉は、俺たちの唯一の情報源であったサイバー空間からのアプローチが、完全に断たれたことを意味していた。
翌日。学校の空気は、いつもと何も変わらなかった。
生徒たちは笑い、教師たちは授業を進める。だが、俺の世界は、昨日までとはまるで違って見えていた。誰もが、監視者である可能性を否定できない。すれ違う生徒の何気ない視線さえもが、値踏みされているように感じてしまう。
サイバー攻撃がダメなら、残された道は一つしかない。
物理的な情報源。つまり、「人間の記憶」だ。
俺は、昼休み、一人で氷川凛を屋上へと呼び出した。
吹き付ける風が、彼女の長い髪を激しく揺らしている。フェンスの向こうには、ミニチュアのような街並みが広がっていた。
「何の用かしら。私は、あなたたちと馴れ合うつもりはないと、言ったはずよ」
氷川は、腕を組んで、相変わらずの冷たい態度で言った。
「あんたがどう思おうと勝手だ。けどな、もうこれは、俺たちの手にも、あんた一人の手にも負えるような話じゃなくなってる」
俺は、単刀直入に切り出した。
「俺たちは、監視されてる。正体不明の、悪意を持った誰かにな。これはもう、遊びじゃないんだ。あんたが知っていることを、教えてほしい」
俺は、真っ直ぐに彼女の目を見た。俺の真剣な眼差しに、彼女の瞳が、ほんの少しだけ揺らいだ。
彼女は、ふいと顔を背け、フェンスの向こうの景色に目をやった。長い沈黙が、風の音にかき消される。
やがて、彼女は、諦めたような、深い溜め息をついた。
「……結城君の死は、ただの事故じゃなかったわ」
ぽつり、と彼女が漏らした言葉に、俺は息を呑んだ。
「あの日……私たちは、彼を止めることができなかった。ただ、それだけよ」
「止める? 一体、何があったんですか」
「言えない。言ったら、あなたたちも、私たちと同じになる」
「同じって、どういう……」
「罪を背負うのよ」
氷川は、絞り出すように言った。その横顔は、深い後悔と、悲しみに彩られていた。
「一条君も、私も、あの日からずっと、重い罪を背負って生きてるの。だから、あなたたちを巻き込みたくない。……もう、私たちに関わらないで」
彼女は、それだけ言うと、俺に背を向けて屋上から去っていった。
罪。彼女が言ったその言葉が、鉛のように重く、俺の心にのしかかった。
一条雅は、その日、学校を休んでいた。「家の都合」ということだったが、そのタイミングの良すぎる不在は、かえって彼の存在を、俺の中でより一層大きなものにしていた。
放課後。俺は、まるで何かに引き寄せられるように、一人、あの旧校舎裏の荒れた花壇の前に立っていた。
日が傾き始め、あらゆるものの影が、地面の上を長く伸びている。
氷川の言葉が、頭の中で何度も反響していた。「罪を背負っている」。あの日、彼らの間に、一体何があったというのだろう。
「……やはり、ここに来ていたのね」
声がして振り返ると、いつの間にか、月読が後ろに立っていた。
「氷川さんは、過去の"呪い"に縛られているのよ。自らが犯した(あるいは、犯せなかった)ことへの後悔という名の、強力な呪いにね。そして、一条君は、その呪いを解くために、たった一人で戦っているのかもしれないわ」
彼女は、花壇を見つめながら、静かに言った。
「だとしたら、高橋先輩が狙われたのは、決して偶然じゃない。彼もまた、この"呪い"に関わる、重要な登場人物だったということになる」
彼女の推理は、いつものようにオカルトがかっていた。だが、不思議と、その言葉の一つ一つが、ばらばらだった事件のピースを繋ぎ合わせていくような気がした。
俺は、ポケットから、タイムカプセルに入っていたメモを取り出した。
『約束の場所で待ってる。 翔より』
氷川の後悔も、一条の謎の行動も、高橋先輩の事件も、そして、この監視者の存在も。全てが、このメモに記された「約束の場所」へと繋がっている。そんな確信にも似た予感が、胸をよぎった。
その、瞬間だった。
かさり。
すぐ背後の茂みで、草が揺れる音がした。
俺は、弾かれたように振り返った。
風か? いや、違う。今の音は、もっと重く、明確な意思を持っていた。
そこには、誰もいない。
だが、いる。
確かに、誰かの気配が、すぐそこに。
ネットの向こう側にいたはずの、監視者。その冷たい視線が、今、物理的な距離を持って、俺の背中に突き刺さっている。
息が、詰まる。
心臓が、凍りついたように動きを止める。
闇の中から、得体の知れない何かが、じっと、こちらを覗いている。
俺たちの、ささやかな学園ミステリーは、ここで終わりを告げたのだ。
そして、ここから始まるのは、出口のない、恐怖の物語だった。
(第五話 了)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺は陰キャだったはずなのに……なぜか学園内でモテ期が到来した件

こうたろ
青春
友人も恋人も居ないボッチ学生だった山田拓海が何故かモテだしてしまう。 ・学園一の美人で、男女問わず憧れの的。 ・陸上部のエースで、明るく活発なスポーツ女子。 ・物静かで儚げな美術部員。 ・アメリカから来た金髪碧眼でハイテンションな留学生。 ・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。 拓海の生活はどうなるのか!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

処理中です...