夏空の鎮魂歌(レクイエム)は、君の的外れな推理から始まった

Gaku

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第八話:屋上という名の舞台と罪人たちの告解

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旧校舎の階段は、まるで地獄へと続く螺旋のようだった。
俺たちは、ただ無我夢中で駆け上がった。一段、また一段と、錆びついた鉄の階段を踏みしめるたびに、がん、がんと、自分たちの焦燥を増幅させるような鈍い音が響き渡る。壁に備え付けられた非常灯の、気味の悪い緑色の光が、必死の形相で駆け上がる俺たちの顔を、幽霊のように照らし出していた。窓の外では、さっきまで静かに浮かんでいた月が、薄い雲の向こうに姿を隠し、世界はより一層、深い闇に包まれている。
ひやりとした鉄の手すりの感触。壁のコンクリートの、むっとするような冷たい匂い。自分の喉から漏れる、獣のような荒い呼吸音。五感から入ってくる全ての情報が、これから起こるであろう破局を、否応なく俺に予感させていた。
「陽介、待て!」
後ろから、健太の切羽詰まった声が飛ぶ。
「落ち着け! この先に何があるかわかんねえんだぞ!」
「わかってる! けど、行かなきゃなんねえんだ!」
間に合ってくれ。
その言葉だけが、壊れたレコードのように、頭の中でぐるぐると回り続けていた。
一条のことも、高橋先輩のことも、俺にとっては、つい最近まで「顔と名前が一致する同級生」でしかなかった。だが、今は違う。俺は、知ってしまったのだ。彼らが背負う闇の、その一端を。もう、他人事ではいられない。
「……来たわ」
俺たちの前を走っていた月読が、足を止めた。その声は、いつになく真剣だった。
「これは、過去の清算のための儀式。誰かが、何かを終わらせようとしている。そして、始めようとしているのよ」
彼女の言葉の真意を問う余裕は、なかった。
目の前に、屋上へと続く、最後の一枚の扉が、口を噤んだように鎮座していた。
錆びつき、ペンキの剥げ落ちた、鉄の扉。
その隙間から、まるで生き物の呼吸のように、ひゅう、と冷たい夜風が漏れ出してきている。そして、風に乗って、誰かの話し声が、ごく微かに、俺たちの耳に届いた。
俺たちは、顔を見合わせ、頷いた。
健太が、ゆっくりと、音を立てないように、扉に手をかける。
ぎ、という、耳障りな蝶番の音を立てて、扉が内側に開いた。
そして、俺たちは、そこに広がる光景に、息を呑んだ。
広大な、コンクリートの海。
月明かりだけが、その無機質な床を、青白く、不気味に照らし出している。吹き付ける夜風が、フェンスを揺らして、ひゅう、ひゅう、と低い笛のような音を立てていた。遠くに見えるきらびやかな街の夜景が、まるで違う世界の出来事のように、非現実的に煌めいている。
その、だだっ広い舞台の中央に、数人の人影があった。
月光を浴びて、まるで演劇のワンシーンのように、彼らは立っていた。
一人は、一条雅。
彼は、いつもの完璧な笑顔を消し去り、毅然とした、しかし苦痛に満ちた表情で、そこに立っていた。
その彼の前に、一人の生徒が、力なく座り込んでいる。高橋誠先輩だった。彼は、何かにひどく怯えた様子で、焦点の合わない目で、虚空を見つめていた。
そして。
二人の前に立つ、第三の人物。
ゆったりとした黒いフード付きのパーカーを、目深に被っている。そいつが、監視者(ウォッチャー)。俺たちを恐怖に陥れた、悪意の正体。
俺たちが姿を現したことに気づき、その人物は、まるでスローモーションのように、ゆっくりとこちらを振り返った。
やがて、そいつは、自らの意思で、フードを、そっと下ろした。
月明かりの下に、晒される、その顔。
俺は、自分の目を疑った。
そこに立っていたのは、俺たちが全く予想だにしていなかった人物だった。
鋭い目つき、通った鼻筋。結城翔の、あの屈託のない笑顔の面影を残しながらも、その表情は、深い絶望と、燃えるような憎しみによって、冷たく歪んでいる。
写真で見た、あの頃の面影はない。だが、わかる。
「……結城……翔……?」
俺の口から、掠れた声が漏れた。
だが、その人物は、俺の言葉を、静かに、そして冷ややかに否定した。
「人違いだ。俺は、隼人。結城隼人。……翔の、兄だ」
結城隼人。翔の、兄。
その事実に、俺たちは言葉を失った。
「よく来たな、一条雅。そして――招かれざる客たちよ」
隼人は、俺たちを一瞥すると、再び一条へと視線を戻した。その瞳は、凍てついた湖のように、何の感情も映していない。
「やめろ、隼人さん!」
一条が、叫んだ。
「高橋先輩は、関係ない! これは、俺と、あんたの問題だ!」
「関係なくないさ」
隼人は、静かに首を振った。
「この男は、五年前、お前たちが――お前が、翔を殺した時、この場所にいたんだからな」
その、あまりにも衝撃的な言葉に、屋上の空気が、びりびりと震えた。
殺した? 一条が?
「違う!」
一条は、悲痛な声を上げた。
「あれは、事故だったんだ!」
「事故、だと?」
隼人は、嘲るように笑った。
「お前は、あの日、この場所で、翔と何を話していた? お前たちが、何故、言い争っていた? 翔が、何に苦しんでいたのか、お前は本当に知らなかったと、そう言い切れるのか!」
隼人の詰問に、一条は、唇を噛み締め、答えることができない。
隼人は、座り込んでいる高橋へと視線を落とした。
「こいつは、見ていたのさ。一部始終をな。だから、俺はこいつに思い出させてやろうとしたんだ。脅し、追い詰め、記憶の底に沈んだ、あの日の光景を。だが、こいつの心は、俺が思ったよりも脆かったらしい。真実と向き合う前に、壊れてしまった」
隼人は、まるで壊れた玩具を見るような目で、高橋を見下ろした。
「そして、こいつは、罪の意識から、翔のデータを調べていた。……ご苦労なことだ」
彼は、ゆっくりと語り始めた。それは、この場所にいる全ての人間を、五年前の、あの日に引き戻す、呪いの言葉だった。
「五年前の、あの日。翔は、追い詰められていた」
隼人の声が、夜風に乗って、屋上を滑る。
「あいつには、才能があった。お前も、知っていただろう、一条。あいつの作る曲は、人の心を動かす力があった。そして、その才能に、一人の大人が目をつけた。有名な音楽プロデューサーだ。そいつは、翔に言ったらしいな。『君の才能は本物だ。だが、君の隣にいる少年は、凡人だ。彼を切り捨てなければ、君はプロにはなれない』と」
隼人は、一条を、射抜くような目で見つめた。
「翔は、悩んだ。お前との友情と、自分の夢との間でな。そして、あいつは、お前に全てを打ち明けようと、この場所に呼び出した。だが、お前は、あいつの苦しみを理解しようとしなかった。自分の知らないところで話が進んでいたことに、プライドを傷つけられ、翔を責めた。そうだろう?」
一条は、顔を覆い、小さく「違う」と呟いた。
「言い争い、もみ合いになった。そこへ、もう一人、割って入ってきた女がいたな」
隼人の視線が、俺たちの後ろ、扉の影に立つ、一人の人影を捉えた。
いつの間にか、そこにいた。氷川凛だった。彼女は、泣き出しそうな顔で、震えながら立っていた。
「氷川凛。お前は、翔のことが好きだった。だから、二人の言い争いを止めようとした。だが、その結果、バランスを崩した翔は、お前をかばうようにして、このフェンスを乗り越えた。……そうだな?」
氷川は、こく、こくと、嗚咽を漏らしながら頷くことしかできない。
「あれは、事故だった。誰も、悪くない。もし、誰かが、その場で、たった一言、『事故だった』と叫んでいれば、全ては違っていたのかもしれない。だが、お前は、恐怖のあまり、声が出なかった。違うか?」
氷川は、その場に崩れ落ちた。
「そして、お前だ、一条雅」
隼人は、再び一条に向き直る。
「お前は、親友が目の前で死んだというのに、保身に走った。お前の、有力者である父親が、学校に圧力をかけ、全てを闇に葬った。翔の死は、ただの『不慮の事故』から、『家庭の事情による退学と、その後の自殺』として、処理された。お前は、翔の死だけでなく、あいつの名誉まで、汚したんだ。それが、お前の犯した罪だ」
一条は、膝から崩れ落ちた。
「……違うんだ。俺は、ただ、どうすればいいのか、わからなくて……」
「そして、高橋誠。お前は、その一部始終を、偶然、見ていた。だが、お前は口をつぐんだ。一条の家と、学校を敵に回すことを恐れてな。それが、お前の罪だ」
隼人の言葉は、まるで裁きの槌のように、一人一人の罪を暴き、断罪していく。
屋上は、告解室と化した。誰もが、声を出せずに、自分の罪の重さに打ちひしがれていた。
「だがな」
隼人は、続けた。
「俺が本当に憎いのは、お前たちじゃない。お前たちは、弱く、愚かだっただけだ。俺が憎いのは、翔の才能を利用し、追い詰め、そして、死に追いやった、あの男。……翔を裏切るように仕向けた、あの音楽プロデューサーだ」
彼の声に、初めて、燃え盛るような憎悪の色が宿った。
「翔は、全てを記録していた。あの男との、音声でのやり取りを。それを、マイクロSDカードに隠して、お前との思い出のタイムカプセルに託したんだ、一条。万が一の時の、保険としてな。俺は、そのデータが、どうしても必要なんだ。あの男に、復讐するために」
そういうことだったのか。全ての謎が、繋がった。
「違う……!」
その時、それまで静かだった月読が、叫んだ。
「この人の後ろに、もっと大きな、冷たい影が見える……。この人自身も、何かに操られている……! 利用されているだけよ!」
彼女の言葉に、隼人は、一瞬だけ、虚を突かれたような顔をした。
だが、すぐに、彼は冷たい笑みを浮かべた。
「さあ、始めようか。最後のセッションを」
彼は、懐から、黒く、小さな機械を取り出した。それは、カードリーダーのようにも、あるいは、何か別の、危険な装置のようにも見えた。
「一条。そのSDカードを、ここに。さもなくば……」
彼の視線が、座り込んでいる高橋へと移る。
絶体絶命。
俺たちが、動けずにいる、その時だった。
ばん!
背後で、屋上の扉が、信じられないような勢いで、壁に叩きつけられた。
そして、そこに立っていたのは。
「――てめえら、人の学校で、何やってやがる!!」
息を切らし、肩で呼吸をしながら、金属バットを握りしめた、健太の姿だった。彼は、俺たちを追って、一人、ここまで駆け上がってきたのだ。
健太の乱入に、一瞬、その場の全員の意識が逸れる。
その、一瞬の隙を、一条雅は見逃さなかった。
彼は、隼人に向かって、稲妻のように駆け出した。
「やめろ、一条!」
俺の叫びも、もう届かない。
二つの影が、屋上の中央で、激しく、ぶつかり合った。
月の光が、雲に完全に覆われ、世界は、本当の闇に、沈んだ。

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