夏空の鎮魂歌(レクイエム)は、君の的外れな推理から始まった

Gaku

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第九話:夜明けの告解と砕け散る呪い

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ばん!
健太の乱入と、一条と隼人が激突した、その瞬間。
まるで芝居の幕が下りる合図のように、それまでかろうじて屋上を照らしていた月が、分厚い雲の向こうへと、完全にその姿を隠した。
世界から、光が消えた。
訪れたのは、視覚がほとんど意味をなさない、絶対的な闇。遠くで煌めく街の夜景だけが、まるで手の届かない別世界の光景のように、非現実的な光を放っている。
だが、静寂は訪れなかった。
闇に閉ざされた屋上は、逆に、聴覚と触覚を異常なまでに鋭敏にさせた。
ひゅう、と骨に染みるような夜風が、フェンスを揺らして泣いている音。
はっ、はっ、と、誰かの荒い息遣い。
コンクリートの床を、スニーカーが擦る、しゃ、という乾いた音。
そして、ご、という鈍い打撃音と、誰かの呻き声。
「くそっ、どこだ!」
健太の、怒声に近い叫びが響く。彼は、闇の中で手探りになりながらも、持ち前の勘と度胸で、もつれ合う二つの影に割って入ろうとしていた。
「やめろ!二人とも!」
一条の声。隼人の声。二人の声が、闇の中でぶつかり合い、火花を散らす。それはもう、会話ではなかった。過去の友情と、現在の憎しみと、そして深い後悔が入り混じった、獣の咆哮にも似た叫びだった。
俺は、恐怖で動けない高橋先輩の前に立ち、ポケットからスマホを取り出した。震える指で、ライトのアイコンをタップする。
パッと、細く、しかし強力な光の筋が、闇を切り裂いた。
俺が照らし出した光の中に、一瞬、激闘の場面がストロボのように浮かび上がる。
汗だくで肩を掴み合う、一条と隼人。その間に割って入り、二人を引き離そうとする健太。それは、まるで一枚の、歪んだ絵画のようだった。
「やめろ、一条! もう、やめるんだ!」
俺は叫んだ。
「こんなことしても、何も変わらない!」
「うるさい!」
光に照らされ、一瞬動きを止めた隼人が、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけた。
「お前のような部外者に、何がわかる! 俺の、俺たちの、五年間の地獄が!」
彼は、再び一条に掴みかかろうとする。
その時だった。
俺たちの乱闘の熱量を嘲笑うかのように、ゆっくりと、しかし確実に、雲が流れ始めた。隠されていた月が、再びその青白い顔を覗かせる。
そして、月光が、再び屋上を照らし出した時、俺たちは見た。
もつれ合ったはずみで、一条の首にかかっていたロケットペンダントが、そのチェーンを引きちぎられ、甲高い音を立てて、コンクリートの床を滑っていくのを。
からん、からん、と、それはまるで運命のサイコロが転がるように、数メートル先で、ぴたりと止まった。
全員の動きが、止まった。
全ての視線が、闇の中に鈍い光を放つ、その小さな銀色のロケットに、釘付けになった。
静寂。
風の音だけが、やけに大きく聞こえる。
その静寂を破ったのは、隼人だった。彼は、まるで餓えた獣のように、ロケットに向かって手を伸ばそうとした。
だが、その手がロケットに届くよりも、早く。
「――そのくらいにしておきなさい」
凛とした、そして有無を言わせぬ威圧感をまとった声が、屋上全体に響き渡った。
全員が、弾かれたように声のした方、屋上の入り口へと振り返る。
そこに立っていたのは、一人の、中年男性だった。
高価そうな、仕立ての良いスーツを、寸分の隙もなく着こなしている。白髪の混じった髪は、綺麗に整えられ、その知的な顔立ちには、感情というものが一切浮かんでいない。
一条雅の父親。高名な弁護士にして、この学園の理事。
一条正臣。
その人だった。
「……親父」
一条雅が、愕然とした表情で呟く。
「みっともない真似は、おやめなさい、雅。お前は、一条家の人間だろう」
正臣は、息子を一瞥すると、次に、隼人へとその冷たい視線を向けた。
「結城隼人君。君の行動は、全て把握させてもらっていたよ。君の、その哀れな復讐計画もね」
「……どういうことだ」
隼人が、警戒するように低く唸る。
「君が、橘晶君という女子生徒のPCにハッキングを仕掛けていた頃、我々もまた、君のPCを監視させてもらっていた。君が、この場所で、このような茶番を演じることも、全てお見通しだったというわけだ」
一条正臣の言葉に、俺たちは戦慄した。
橘晶と、夜通しサイバー空間で攻防を繰り広げていた「ウォッチャー」。その正体は、結城隼人ではなかった。隼人自身もまた、監視されていたのだ。
一条正臣が雇った、探偵か、あるいはプロのハッカーチームに。
「……なぜ、そんなことを」
「決まっているだろう」
正臣は、まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるように、静かに言った。
「私の可愛い息子、雅を、五年前の忌まわしい過去の呪縛から、完全に解き放ってやるためだ。そして、そのためには、全ての火種を、今度こそ完全に消し去る必要がある。――あのロケットの中に眠る、マイクロSDカードも、含めてね」
月読が、はっと息を呑んだ。
「……あなたのことだったのね。隼人さんの背後に見えた、もっと大きくて、冷たい影、というのは」
一条正臣は、その掌の上で、全てを転がしていたのだ。隼人の復讐心さえも、自分の目的を達成するための駒として。
「それだけではない」
正臣は、続けた。その声には、一切の淀みがない。
「隼人君。君が、弟の仇として憎んでいる音楽プロデューサー。彼は、私のビジネス上の政敵でね。私を失脚させるために、私の息子である雅に近づき、そして、君の才能ある弟を利用しようとしていたのだよ。私からすれば、君の弟の死は、結果的に、我が家の未来に迫っていた災厄を取り除いてくれた、いわば"必要だった犠牲"だ。そして、その事実を隠蔽したのは、父親として、未来ある息子を守るための、最も"正しい判断"だったと、今でも信じている」
その言葉は、あまりにも冷酷で、身勝手で、そして、絶対的な力を持つ者の論理だった。
「……ああ……」
一条雅が、膝から崩れ落ちた。
自分の、五年間の苦しみも、親友の死に対する罪悪感も、全ては、父親のビジネスと、その歪んだ愛情のための、ちっぽけな駒でしかなかった。その事実が、彼の心を、完全にへし折った。
「そんな……」
隼人もまた、打ちのめされていた。自分の復驚は、結局、本当に憎むべき相手の、その掌の上で踊らされているだけだったのだ。憎しみの矛先を失い、彼は、ただ呆然と立ち尽くす。
この、大人の、あまりに身勝手な論理。それに、無慈悲に踏み潰されていく、友人たちの心。
俺の中で、何かが、ぷつりと、切れた。
「――ふざけるなッ!!」
俺は、叫んでいた。自分でも驚くほどの、大声で。
「あんたたちが勝手に決めたルールで、俺たちのダチの人生を、めちゃくちゃにしていいわけねえだろうが! 翔さんの死も! 一条の苦しみも! 氷川先輩の後悔も! 全部、あんたの都合のいいおもちゃみたいに扱うな!!」
俺の叫びに、一条正臣は、初めて、少しだけ眉をひそめた。虫けらを見るような目で、俺を一瞥する。
その、視線を遮るように、俺の前に、大きな影が立った。
健太だった。
「あんたが、どれだけ偉い弁護士か、理事か、なんて、俺は知らねえ」
彼は、金属バットを強く握りしめ、一条正臣の前に、仁王立ちになっていた。
「けどな。俺のダチを、これ以上傷つけるってんなら、相手が誰だろうと、俺が許さねえ」
その言葉に、呼応するように。
崩れ落ちていた氷川が、震えながらも、ゆっくりと立ち上がった。その瞳には、涙が溢れていた。だが、もう、そこに怯えの色はなかった。
「……もう、逃げない」
彼女は、決意を込めた声で、言った。
「私は、あの日、言えなかったことを、今、言うわ。……あれは、事故だった。翔君は、最後まで、雅君のことを庇ってた。そして、私のことも……。私が、この手で突き落としたも同然なのに……。だから、もう、嘘はつかない。警察に行って、全部、話すわ」
彼女の告白に、一条が、顔を上げた。
その時だった。
東の空が、ほんのりと、白み始めていることに、俺は気づいた。
長い、長い夜が、終わろうとしている。夜の闇を駆逐する、朝焼けの、淡い、優しい光が、屋上を、そして、そこに立つ俺たちを、照らし始めていた。
一条正臣は、その光景を、忌々しそうに見つめていた。
「……愚かな、子供たちだ」
彼は、それだけ吐き捨てると、俺たちに背を向けた。「いずれ、現実を知ることになる」という言葉を残して、彼は、静かに屋上から去っていった。
それは、彼の敗北ではなかった。だが、俺たちの、勝利でもなかった。ただ、戦いの舞台が、変わっただけだ。
屋上には、俺たち若者だけが、残された。
朝焼けの光が、世界を、紫色と、オレンジ色と、金色に染め上げていく。
「……ありがとう」
一条が、陽介と健太に、かき消えそうな声で、呟いた。
隼人は、何も言わず、床に落ちていたロケットペンダントを、そっと拾い上げた。その中には、今は亡き弟の、写真が。彼の瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。
氷川は、溢れる涙を拭おうともせず、それでも、まっすぐに、昇り始めた太陽を見つめていた。
高橋先輩は、まだ混乱した様子だったが、健太がその肩を優しく支えている。
「……夜は、終わったわ」
月読が、白んでいく空を見上げながら、言った。
「でも、"呪い"が、完全に解けたわけじゃない。本当の戦いは、きっと、これから始まるのね」
彼女は、俺の方を見て、ふっと、柔らかく微笑んだ。
「……でも、大丈夫。私たちには、"愛"があるから」
友情という名の、愛が。
その時、遠くから、パトカーのものらしき、サイレンの音が、微かに聞こえ始めた。
俺たちの、長く、奇妙で、そして、忘れられない夜が、ようやく、終わろうとしていた。
これは、決して、ハッピーエンドではない。
だが、絶望的なバッドエンドでもない。
これは、過去の呪縛から解き放たれた俺たちが、それぞれの未来へと、一歩を踏み出すための、始まりの物語なのだ。

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