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第十五話:僕たちの鎮魂歌(レクイエム)、そして終わらない夏
しおりを挟む決戦の日の朝は、まるで、世界中の全ての光と音を、この日のために集めてきたかのような、まばゆい喧騒の中で、幕を開けた。
夏の太陽が、惜しみなく、その黄金色の光を地上に降り注ぐ。俺の部屋の窓から見える空には、飛行機雲が、真っ直ぐな、白い航跡を描いていた。校門の方からは、もう、生徒たちの、期待に弾んだ賑やかな声が、途切れることなく聞こえてくる。模擬店の準備だろうか、ソースの焼ける香ばしい匂いや、綿あめの、甘ったるい香りが、風に乗って、俺の部屋まで届いていた。
今日、この、どこにでもある平和な学園祭の一日が、俺たちの、静かで、しかし、全てを懸けた戦いの、舞台となる。
俺は、鏡の前に立ち、自分の顔をじっと見つめた。数週間前までの、ただのんきに毎日を生きていた、平凡な高校生の顔は、もう、そこにはなかった。少しだけ、ほんの少しだけ、だが、確かに、何かの覚悟を決めた男の顔つきに、なっているような気がした。
霧ヶ峰高校の校門をくぐると、そこはもう、非日常の祝祭空間だった。
クラスTシャツに身を包んだ生徒たちが、忙しなく行き交い、あちこちで、楽しげな笑い声が弾けている。
その喧騒の中を、俺たちは、落ち合うために、PCルームへと向かっていた。
前から、一条と氷川が、二人並んで歩いてくるのが見えた。多くの生徒たちが、驚きと好奇の目で、その二人を遠巻きに見ている。だが、彼らはもう、そんな視線を気にする様子もなかった。一条の表情は、穏やかで、澄み切っていた。氷川もまた、その隣で、凛とした、覚悟を決めた顔つきをしている。
体育館の前では、健太が、実行委員の腕章をつけながら、朝からフランクフルトを頬張っていた。俺の姿を見つけると、彼は、ケチャップを口の周りにつけたまま、ニッと笑って、親指を立ててみせた。
俺たちの最後の仲間、月読は、校舎の屋上で、朝日を浴びながら、水晶玉を覗き込んでいた。
「最高の運勢が出ているわ、天野君」
彼女は、振り返ると、絶対的な自信に満ちた笑みを、俺に向けた。
「星々は、今日、この日のために、何億年も前から、その配置を整えていたのよ。私たちは、勝つわ」
そして、その頃。
街外れのアパートの一室で、俺たちの司令官、橘晶は、ヘッドフォンを装着し、無数のモニターに囲まれながら、静かに、その指をキーボードの上に置いた。
彼女の眼鏡のレンズに、これから始まる戦いの、決意の光が、青白く、映り込んでいた。
運命の、全校集会。
体育館の中は、むわりとした熱気と、何千人もの生徒たちが発する、抑えきれないエネルギーで、飽和状態だった。パイプ椅子が、ぎしぎしと軋む音。友人たちとのおしゃべり。これから始まるイベントへの、期待。その、巨大なざわめきが、体育館のドーム型の天井に、反響している。
俺は、客席の中ほどで、仲間たちと並んで座り、壇上を、じっと見つめていた。
校長、教頭、そして、来賓席の中央に、その男は、座っていた。
一条正臣。
彼は、いつものように、完璧なスーツを着こなし、微動だにせず、真っ直ぐに前を見据えている。その冷徹な視線が、一瞬だけ、客席にいる俺たちを、捉えたような気がした。肌が、ぴりりと、粟立つ。
やがて、校長の、退屈で、長い挨拶が始まった。生徒たちの、集中力が、少しずつ、途切れていくのが、肌でわかる。
そして、ついに、その時が来た。
司会の生徒が、高揚した声で、告げる。
「続きまして、本校理事、一条正臣様より、ご祝辞をいただきます!」
一条正臣が、ゆっくりと立ち上がり、マイクの前へと、歩みを進める。
彼が、息を吸い込み、その口を開こうとした、まさに、その瞬間。
俺は、イヤホンマイクに向かって、静かに、しかし、はっきりと、告げた。
「――やれ、晶」
次の瞬間、世界が変わった。
体育館の、壇上に吊るされた、巨大なスクリーン。教室という教室に設置された、全てのモニター。廊下の片隅にある、小さなデジタルサイネージ。校内に存在する、ありとあらゆるディスプレイが、一斉に、ぷつり、とブラックアウトした。
何事かと、体育館が、大きく、どよめく。
そして、一拍の後。
全ての画面に、一つの、美しい映像が映し出された。
それは、夏の、青い海をバックに、岬の突端に立つ、白い灯台の映像だった。
そして、静かに、あの、ピアノの旋律が、流れ始める。
結城翔と、一条雅が、二人で紡いだ、追憶のレクイエムが。
「な、何だこれは!?」
「放送事故か?」
教師たちが、慌てふためき、壇上の下にある、放送機材へと駆け寄る。
「行かせねえよ!」
その前に、健太が、両手を広げて、仁王立ちになった。
「これはな! 俺たちの、大事なダチの、魂の叫びなんだよ! 誰にも、邪魔はさせねえ!」
彼の、体育館中に響き渡る大声に、教師たちは、たじろいだ。
壇上では、一条正臣が、顔面蒼白になり、部下に何かを叫んでいる。
晶の司令室では、きっと今頃、敵のハッカーチームとの、最終決戦が繰り広げられていることだろう。
映像が、一瞬、乱れる。ノイズが走り、画面が消えそうになる。
頑張れ、晶!
俺は、心の中で、強く、叫んだ。
その、祈りが、届いたかのように。
映像は、再び、その安定を取り戻した。
そして、スクリーンには、在りし日の、結城翔の、太陽のような笑顔の写真が、大きく、大きく、映し出された。
体育館は、水を打ったように、静まり返っていた。
スクリーンの中では、翔の、あの悲しいピアノのメロディをバックに、物語が、語られ始める。
最初に映し出されたのは、氷川凛だった。
彼女は、涙を流しながらも、カメラの前で、五年前の真実を、自分の言葉で、はっきりと、語った。
次に、一条雅が、映し出された。
彼もまた、自らが犯した過ちと、五年間の苦しみを、全て、告白した。
そして。
決定的な、証拠。
翔と、あの音楽プロデューサーとの、生々しい、音声データ。
『君の隣にいる少年は、凡人だ』
その、残酷な声が、静まり返った体育館に、響き渡る。
生徒たちの間から、嗚咽と、そして、静かな怒りの声が、上がり始めた。
最後に、スクリーンには、翔から雅への、最後のメッセージが、テロップとして、流された。
『……また、一緒にピアノ、弾こうぜ』
ピアノの、最後の音が、静かに、消えていく。
映像が、終わる。
体育館は、涙と、感動と、そして、静かな怒りに、包まれていた。
俺は、壇上を見た。
一条正臣は、そこに、ただ、立ち尽くしていた。
全ての権威も、体面も、嘘も、剥ぎ取られ、ただの、過ちを犯した、哀れな一人の父親として、何千もの、真実を知ってしまった視線に、晒されていた。
彼は、もう、何も語ることはできず、部下に支えられながら、逃げるように、壇上から、去っていった。
それは、音もなく、しかし、決定的な、彼の、敗北の瞬間だった。
戦いが終わった後。俺たち六人は、また、あの屋上にいた。
真夏の太陽が、真上から、俺たちのことを、祝福するように、さんさんと、降り注いでいる。
空は、どこまでも、青く、白い入道雲が、ゆっくりと、流れていく。
下からは、再び戻ってきた、学園祭の、楽しげな喧騒が、まるで、遠い世界の出来事のように、聞こえてきていた。
俺たちは、それぞれ、自販機で買ってきた、ぬるいジュースで、乾杯した。
「本当に、ありがとう」
雅が、心の底から、そう言った。その顔は、憑き物が落ちたように、晴れやかだった。
「君たちがいなければ、僕は、一生、あの過去に、囚われたままだった」
「私も」
氷川が、隣で、柔らかく、微笑んだ。
「やっと、前を向ける。やっと、未来を、見ることができるわ」
「まあ、ダチだからな! 当然だろ!」
健太が、胸を張る。
「ミッション・コンプリート、ね」
晶が、スマホの向こうで、小さく、しかし、誇らしげに言った。
「星々は、あなたたちの、新たな門出を、最大限の光で、祝福しているわ」
月読が、空を見上げて、満足そうに、頷いた。
俺は、そんな、最高に頼もしくて、愛おしい仲間たちの顔を見回して、言った。
「ああ。俺たちの戦いは、終わった」
そして、続けた。
「……でも、俺たちの、夏は、まだ、始まったばかりだ」
あの日以来、俺たちの世界は、少しだけ、変わった。
一条正臣は、理事を辞任し、表舞台から姿を消した。あの音楽プロデューサーも、業界の闇へと葬られたと聞いた。
警察の再捜査が入り、結城翔の死は、正式に「事故」として、その名誉は、完全に回復された。
一条雅と氷川凛は、たくさんのものを失ったかもしれない。だが、それ以上に、大切なものを取り戻し、本当の意味で、自分たちの人生を、歩み始めた。
高橋先輩の記憶も、少しずつ、戻り始めているらしい。
そして、俺たち六人の間には、この、ひと夏で育まれた、何にも代えがたい、友情という名の「愛」と、そして、誰にも壊すことのできない「絆」が、残った。
夏の終わりの、ある晴れた日。
俺たちは、また、六人で、あの屋上にいた。
他愛ない話をして、馬鹿みたいに笑い合う。
俺は、そんな仲間たちの姿を、少しだけ離れた場所から、眺めていた。
空は、相変わらず、青く、高く、澄み渡っている。
白い雲が、ゆっくりと、流れていく。
俺たちの、長くて、短くて、そして、決して終わることのない夏が、今、本当に、始まったのだ。
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