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エピローグ:いつもの僕らと、終わらない夏休み
しおりを挟むあの、長くて、短い、激動の夏が過ぎ去り。
校舎の窓を叩いていた、梅雨の湿った雨音は、いつしか、遠い記憶の彼方へと消えていた。
季節は、巡る。
体育祭の喧騒も、文化祭の熱狂も、今はもう、甘酸っぱい追憶のアルバムの中だ。木々の葉は、燃えるような赤や、黄金色にその身を染め上げ、今は、はらはらと、乾いた音を立てて、地面へと舞い落ちている。
秋。
空は、どこまでも高く、青く、澄み渡り、空気は、ひんやりと肌を刺す。放課後の太陽の光は、その角度を大きく変え、教室の床に、長く、頼りない影を落としていた。
その日の放課後。俺たち六人は、すっかり、俺たちの聖地(アジト)と化した、あの屋上に集まっていた。
「――で、結局、期末の物理、赤点だったのは誰でしたっけ?」
氷川が、淹れたての紅茶を紙コップに注ぎながら、楽しそうに、意地の悪い笑みを浮かべている。その表情は、かつての「氷の女王」の面影を残しながらも、今は、驚くほど、柔らかく、人間味に満ちていた。
「うっせーな! あれは、事故だ、事故! 俺の計算では、完璧だったんだよ!」
健太が、顔を真っ赤にしながら、言い訳をする。
「はは。僕も、人のことは言えないな。現代文の小テスト、恋さんより点が低かった時は、さすがにへこんだよ」
雅が、苦笑いを浮かべている。すっかり憑き物が落ちた彼の笑顔は、以前の、どこか貼り付けたような完璧さではなく、自然で、温かい光を宿していた。
「あれは、星の導きよ。雅君の、国語力という名のカルマを、浄化するための、宇宙からの試練だったの」
月読が、真顔で、しかし、その瞳の奥をきらきらと輝かせながら、言う。
「私のスマホのデータベースに、異常は観測されていません。健太さんの物理の点数が、学年平均を著しく下回っていること以外は」
晶が、イヤホンマイクの向こうから、冷静すぎる分析結果を告げる。
俺は、そんな、最高にくだらなくて、最高に愛おしい仲間たちのやり取りを、頬杖をつきながら、眺めていた。
平和だ。
信じられないくらい、平和な、日常。
あの夏、俺たちが、命がけで、守りたかったものは、きっと、こういう、何でもない、時間の積み重ねだったんだろうな。
俺が、そんな感傷に浸っていた、その時だった。
「――皆さん」
月読が、それまでの穏やかな表情を一変させ、すっくと立ち上がった。その声は、あの夏の日々を思い出させるような、真剣な響きを帯びている。
彼女は、どこからともなく、あの、怪しげな水晶玉を取り出すと、それを、夕日にかざした。
「大変よ、みんな! この霧ヶ峰高校に、新たな、そして、これまでで、最も恐ろしい呪いが、迫っているわ!」
その、芝居がかった、しかし、妙な迫力のある宣言に、屋上の空気が、一瞬、ぴんと張り詰めた。
「うお、マジかよ!? 月読! 今度は、一体、何なんだ!?」
一番に食いついたのは、やはり、健太だった。その目は、恐怖よりも、好奇心で、爛々と輝いている。
「あらあら。また、あなたの、そのおかしな妄想が始まったのね」
氷川が、やれやれ、といったように、美しい額に手を当てる。その仕草さえも、今では、ただのツッコミにしか見えない。
「はは。でも、恋さんの"予言"は、意外と当たるからな。気をつけないと」
雅が、楽しそうに、その茶番に乗っかる。
「で? 今度の、その恐ろしい呪いとやらは、一体、何なんだよ、月読さん」
俺は、いつものように、ツッコミ役として、話の中心へと、足を踏み入れた。
月読は、ごくり、と喉を鳴らすと、水晶玉を見つめたまま、震える声で、言った。
「体育教官室の、鬼教師、"武田"の、真新しいジャージが……昨夜、何者かによって、盗まれたらしいのよ!」
「……は?」
「あれは、ただの盗難事件じゃないわ! 武田が、そのジャージに、一年間溜め込んだ、血と汗と涙の、その怨念が、実体化したのよ! "ジャージの亡霊(ジャージ・スペクター)"となって、夜な夜な、校舎を徘徊し、生徒たちのジャージを、次々と、盗んでいるに違いないわ!」
彼女は、びしっと、俺たちを指差した。
「これは、私たち、"霧ヶ峰高校ミステリー調査団"の、記念すべき、最初の事件よ!」
いつの間にか、そんな、ダサい名前まで、つけられていた。
静寂。
屋上を、秋の、冷たい風が、さあっと、吹き抜けていく。
やがて、その静寂を破ったのは、健太だった。
「……なるほどな! ジャージ・スペクター! 面白そうじゃねえか! よし、俺が捕まえてやる!」
「待ちなさい、健太! 物理攻撃は効かないわ! まずは、聖水で、結界を張らないと!」
月読が、どこからか取り出したペットボトル(ただの水)を、振りまき始める。
「やめなさい、二人とも! みっともない!」
「ははは! これは、手強そうな事件だ!」
氷川と雅が、そのドタバタを、止めようとする。
晶からは、「校内ネットワークより通達。ジャージ盗難の犯人は、用務員の鈴木さんが、誤って洗濯してしまったことによるもの、と判明。以上」という、冷静すぎるメッセージが、スマホに届いている。
俺は、その、あまりにもくだらない、そして、あまりにも平和な光景の、その中心で。
天を、仰いだ。
そして、腹の底から、叫んだ。
「お前ら、いい加減にしろーーーーーっ!!」
俺の、渾身のツッコミに、仲間たちは、一瞬、きょとんとした顔をし、そして、次の瞬間。
全員で、どっと、吹き出した。
健太も、雅も、氷川も、月読も。
腹を抱えて、涙を流して、心の底から、笑い転げている。
その、楽しそうな笑い声が、秋の、高く、澄み渡った空に、どこまでも、どこまでも、響き渡っていく。
夕焼けが、そんな俺たちを、優しい、オレンジ色の光で、包み込んでいた。
ああ、そうか。
俺は、その、光の中で、思った。
あの夏、俺たちが経験したことは、決して、夢なんかじゃなかった。
そして、俺たちが、命がけで取り戻したかったものは、きっと、こういう、何でもない、最高にくだらない、一瞬、一瞬だったんだ。
俺たちの、長くて、短くて、そして、忘れられない戦いは、終わった。
でも。
俺たちの、最高にくだらなくて、そして、何よりも愛おしい日常は。
これからも、きっと、ずっと、ずっと、続いていくんだろうな。
まあ、退屈するよりは、いっか。
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