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第一章:『泥まみれの騎士と、空っぽの祈り』
第五話:過去という名の亡霊
しおりを挟む道は、どこまでも続いていた。
ダストヒルの、あの澱んだ空気から抜け出した俺たちは、次の街を目指して、乾いた一本道をひたすらに歩いていた。季節は、初夏から本格的な夏へと、その表情を日に日に変えつつある。日差しはもはや、肌を撫でるというよりは、ちりちりと焦がすような鋭さを持っていた。
地面から立ち上る陽炎が、遠くの風景を蜃気楼のように歪ませ、まるで世界全体が、熱気の中で溶け始めているかのようだ。道の両脇には、枯れかけた夏草と、風化して白くなった岩が、墓標のように点在しているだけ。時折、乾ききった熱風が吹き抜けては、細かい砂埃を舞い上げ、口の中をじゃりじゃりとさせた。
空は、憎らしいほどに青く、雲一つない。それは、逃げ場のない現実と、これから先も続いていくであろう、この果てしない旅路を、無言で肯定しているかのようだった。
そんな、単調で、過酷で、しかしどこか美しい風景の中を、三つの影が、間隔を空けて進んでいた。
先頭を歩くのは、もちろんレンだ。彼は、この灼熱地獄をまるで涼しい高原の散歩でも楽しむかのように、鼻歌交じりで歩いている。道端に転がっている、ただの石ころを蹴り上げては、「うおっ、今のキック、すげぇ伸びたな!」と一人で喝采を送り、陽炎の向こうに何かを見つけては、「おいエリス! あれ、巨大な鳥じゃねえか!?」と大騒ぎする。もちろん、それはただの岩だ。
その数歩後ろを、エリスが静かについていく。彼女は、レンのどんな奇行にも表情一つ変えず、ただ淡々と、しかし注意深く、その一挙手一投足を観察している。時折、道端の植物を摘んでは、その繊維構造や含有成分を分析しているようだった。彼女にとっては、この過酷な道も、快適な王宮の庭園も、分析すべきデータが無限に存在する、興味深いフィールドであることに変わりはないのだろう。
そして、その二人から、さらに十数歩ほど距離を置いて、カインが歩いていた。
フードを目深にかぶり、俯き加減に、ただ自分の足元だけを見つめて。
彼の内心は、この単調な風景とは裏腹に、激しい嵐が吹き荒れていた。なぜ、自分はここにいるのか。なぜ、あんな得体の知れない二人組と、行く当てもない旅をしているのか。
酒場で酔い潰れた自分を、彼らは馬小屋まで運んでくれた。二日酔いの朝には、温かい食事を与えてくれた。それは、紛れもない事実だ。恩義はある。しかし、それ以上に、彼らと共にいる時間は、カインにとって、耐えがたい苦痛を伴うものだった。
あの男、レン。彼の底抜けの明るさと、一切の裏表のない善意は、カインが失ってしまった輝かしい過去と、それを持っていた頃の自分を、残酷なまでに思い出させる。彼の太陽のような光は、カインの心の闇を、暴き出すように照らし出す。
そして、あの女、エリス。彼女の、一切の感情を排した、無慈悲なまでの分析眼は、カインが必死で守ってきた、最後のプライドという名の薄い壁を、いとも容易く、そして正確に貫通してくる。彼女の前にいると、自分がまるで、観察ケースに入れられた虫けらのように感じられた。
この二人といると、自分が必死で構築してきた、「悲劇の元騎士カイン」という自己イメージが、根底から揺さぶられ、無意味なものに思えてくる。それが、彼には何よりも恐ろしかった。この惨めなプライドを手放してしまえば、自分には一体、何が残るというのか。
そんな彼の葛藤など、もちろんレンには伝わらない。
「なあなあエリス! あの岩、さっきからずっと見てると、なんか、うちのオフクロのケツにそっくりに見えてきたぞ!」
「あなたの母親の臀部の三次元データは私の記録にありません。比較照合は、不可能です」
延々と続く、天竺まで行っても決して交わることのないであろう、不毛な会話。それが、今のカインにとっては、唯一の救いだったのかもしれない。その馬鹿馬鹿しいやり取りを聞いている間だけは、自分の内側にある、どす黒い渦から、少しだけ意識を逸らすことができたからだ。
そんな時だった。
道の先、陽炎の向こうに、黒い影の一団が現れた。最初は、ただの旅人かと思った。しかし、その影が近づくにつれて、カインの表情が、凍りついた。
一糸乱れぬ騎馬の列。磨き上げられ、太陽の光を鈍く反射する、純白の鎧。そして、風にはためく旗に縫い取られた、剣と盾を交差させた、見慣れた紋章。
王国騎士団。それも、選りすぐりの精鋭部隊だ。
カインは、反射的に、着ていたローブのフードを目深にかぶろうとした。しかし、それは、あまりにも遅すぎた。
騎馬の一団は、俺たちの前で、ぴたりと足を止めた。馬のいななきと、鎧の擦れる音だけが、やけに大きく響き渡る。
部隊を率いていたのは、カインよりも幾分か年若い、しかし、その目には歳不相応な狡猾さと、選民意識に満ちた傲慢な光を宿した男だった。彼は、馬の上からカインを見下ろすと、わざとらしく目を見開き、そして、蛇のような、ねっとりとした笑みを浮かべた。
「おお、これはこれは。カイン殿ではありませぬか」
その声は、敬意を装いながらも、その実、隠しきれない侮蔑に満ちていた。
「まだ、生きておられたとは。その生命力だけは、ゴキブリ並みですな」
男の言葉に、周囲の騎士たちが、どっと下品な笑い声を上げる。その笑い声は、かつてカインが命を懸けて守ってきたはずの、王国の民を守る騎士のものとは思えないほど、汚く、そして歪んでいた。
男の名は、バルト。カインが騎士団にいた頃の、彼の部下の一人だった。剣の腕は二流、しかし、権力者に媚びへつらうことにかけては、超一流の男。カインを陥れたジェラルドに、いち早く忠誠を誓い、今はその派閥の中心人物として、甘い汁を吸っている。
カインは、フードの下で、奥歯をギリ、と噛みしめた。全身の血が、沸騰するかのようだった。
バルトは、そんなカインの様子を、心底楽しむかのように、言葉を続ける。
「あなた様が騎士団から去られて、我々は大変清々いたしましたぞ。ジェラルド新団長の下、騎士団はより一層、強固な結束を誇っております。あなたはまさに、我らが王国騎士団の、最後の『膿』だったというわけですな!」
侮辱。それは、ただの悪口ではなかった。カインが人生の全てを捧げ、その一部であったことを誇りとしていた、王国騎士団そのものからの、完全な拒絶。そして、彼の存在そのものの、完全な否定だった。
カインの右手が、震えながら、腰に差した剣の柄へと伸びる。
(許さない)
脳裏に、声が響く。それは、過去の亡霊の声だった。
(俺は、王国一の騎士カインだ。こんな侮辱、断じて許してたまるか)
そうだ。俺は、こんな下衆に、成り上がりのゴキブリに、見下されていい存在ではない。俺の剣は、こいつらとは違う。俺の誇りは、まだ死んではいない。ここでこいつらを斬り捨てて、俺の力が、俺の正義が、まだ錆びついてはいないことを、証明してやらなければ。
激しい怒りと、傷つけられたプライドが、彼の思考を支配する。今にも、彼は剣を抜き放ち、この愚かな男たちに、絶望的な戦いを挑もうとしていた。
しかし、その瞬間。彼の足を、地面に縫い付けたものがあった。
それは、自分の数歩隣に立つ、二つの、あまりにも場違いな存在だった。
この男、レンの前で、みっともなく激昂し、無様に斬りかかっていく姿を、見せたいのか?
この女、エリスの前で、感情のままに暴れ、無様に負ける姿を、見せたいのか?
それは、騎士としてのプライドとは、全く別の、新しい形のプライドだった。この得体の知れない二人組に、自分の惨めな姿を、これ以上、晒したくはない。世話になった彼らを、自分の個人的な問題に、巻き込みたくはない。
過去の亡霊が「行け」と叫び、生まれたばかりの新しい関係性が「行くな」と引き留める。その、内なる激しいせめぎ合いに、カインは、ただ、震える拳を握りしめることしかできなかった。
その、張り詰めた葛藤の全てを、エリスは、まるで顕微鏡でも覗き込むかのように、冷静に、そして精密に観察していた。
彼女は、カインの耳元に、そっと顔を寄せると、騎士たちには聞こえない、ささやき声で、静かに告げた。
「彼らの目的は、あなたを殺害することではありません」
「あなたを挑発し、感情的な反応を引き出すことで、自分たちの優位性を確認し、集団内の結束を高めるための、極めて原始的な社会的儀式です。この挑発に乗ることは、相手のシナリオ通りに動くことであり、あなたにとっての利益は、ゼロです」
その言葉は、カインの燃え盛る怒りの炎に、一滴の冷水を垂らすかのようだった。
エリスは、さらに続けた。その視線は、嘲笑するバルトたちに、まっすぐに向けられている。
「興味深いことに、彼らもまた、あなたの過去に依存しています。あなたという『裏切り者』の存在を定期的に確認し、貶めることでしか、自分たちの現在の正当性を維持できない。彼らもまた、過去という亡霊に縛られた、あなたと同じシステムの囚人なのです」
カインは、はっとした。
そうだ。こいつらは、俺がいなければ、存在できないのだ。俺という「悪」がいなければ、自分たちの「正義」を、証明することすらできない。俺の過去に、寄生して生きている、哀れな亡霊。そう思った瞬間、彼の怒りの炎が、ほんの少しだけ、その勢いを失った。
だが、バルトの侮辱の矛先は、当然のように、カインと共にいる、奇妙な二人組にも向けられた。
「なんだ、その汚い身なりの連中は。犯罪者の護衛でも雇ったか? それとも、お前もついに落ちぶれて、盗賊にでもなったか、カイン殿?」
カインは、思わず叫んでいた。
「彼らは、関係ない!」
しかし、侮辱されたはずのレンは、全く怒る気配もなく、きょとんとした顔で、自分を指さしている。
「ん? 俺のことか? 俺はレンだぜ! 通りすがりの、お節介焼きだ! よろしくな!」
その、あまりにも緊張感のない、子供のような自己紹介に、バルトたちも、一瞬、返す言葉を失って、面食らった顔をした。場の空気が、一瞬だけ、奇妙に緩んだ。
だが、その緩みは、すぐに、より悪質な侮辱へと変わった。
「……なるほど、頭の足りない子供を連れているのか。どこまで落ちぶれれば気が済むのだ、貴様は」
バルトが、心底軽蔑した目でレンを見つめ、吐き捨てるように言った。そして、ついに、その切っ先を、まっすぐにレンへと向けた。
「その無礼な態度、騎士団の名において、正してやろう」
カインは、今度こそ、叫びながらレンの前に立ちはだかろうとした。もはや、自分のプライドのためではない。この、無関係で、馬鹿で、しかし自分を救ってくれた男を、守るために。
しかし、そのカインの腕を、エリスが、氷のように冷たい手で、静かに掴んで、制した。
「待ってください」
「何をだ!?'」カインが、いらだたしげに問う。
エリスは、一切の感情を排した、美しい、しかしどこか恐ろしいほどの探究心に満ちた声で、答えた。
「これは、絶好の観測機会です」
「『揺るぎないプライド』という名の、脆い自己認識システムと」
「『物理法則を超越した無敵』という名の、絶対的な現実。この二つが衝突した時、一体、どのような現象が観測されるのか」
エリスの透き通るような瞳が、これから始まるであろう、あまりにも一方的で、そして滑稽な蹂躙劇を、最高の科学データとして捉えようと、静かに、そして冷たく、見据えていた。
物語は、不可避の衝突へと、その駒を、確実に進めていた。
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