空っぽの魔王様に「好き」を教える方法(物理)~無敵の俺と仲間たちの、世界で一番不毛な布教活動~

Gaku

文字の大きさ
5 / 50
第一章:『泥まみれの騎士と、空っぽの祈り』

第五話:過去という名の亡霊

しおりを挟む


道は、どこまでも続いていた。

ダストヒルの、あの澱んだ空気から抜け出した俺たちは、次の街を目指して、乾いた一本道をひたすらに歩いていた。季節は、初夏から本格的な夏へと、その表情を日に日に変えつつある。日差しはもはや、肌を撫でるというよりは、ちりちりと焦がすような鋭さを持っていた。

地面から立ち上る陽炎が、遠くの風景を蜃気楼のように歪ませ、まるで世界全体が、熱気の中で溶け始めているかのようだ。道の両脇には、枯れかけた夏草と、風化して白くなった岩が、墓標のように点在しているだけ。時折、乾ききった熱風が吹き抜けては、細かい砂埃を舞い上げ、口の中をじゃりじゃりとさせた。

空は、憎らしいほどに青く、雲一つない。それは、逃げ場のない現実と、これから先も続いていくであろう、この果てしない旅路を、無言で肯定しているかのようだった。

そんな、単調で、過酷で、しかしどこか美しい風景の中を、三つの影が、間隔を空けて進んでいた。

先頭を歩くのは、もちろんレンだ。彼は、この灼熱地獄をまるで涼しい高原の散歩でも楽しむかのように、鼻歌交じりで歩いている。道端に転がっている、ただの石ころを蹴り上げては、「うおっ、今のキック、すげぇ伸びたな!」と一人で喝采を送り、陽炎の向こうに何かを見つけては、「おいエリス! あれ、巨大な鳥じゃねえか!?」と大騒ぎする。もちろん、それはただの岩だ。

その数歩後ろを、エリスが静かについていく。彼女は、レンのどんな奇行にも表情一つ変えず、ただ淡々と、しかし注意深く、その一挙手一投足を観察している。時折、道端の植物を摘んでは、その繊維構造や含有成分を分析しているようだった。彼女にとっては、この過酷な道も、快適な王宮の庭園も、分析すべきデータが無限に存在する、興味深いフィールドであることに変わりはないのだろう。

そして、その二人から、さらに十数歩ほど距離を置いて、カインが歩いていた。

フードを目深にかぶり、俯き加減に、ただ自分の足元だけを見つめて。

彼の内心は、この単調な風景とは裏腹に、激しい嵐が吹き荒れていた。なぜ、自分はここにいるのか。なぜ、あんな得体の知れない二人組と、行く当てもない旅をしているのか。

酒場で酔い潰れた自分を、彼らは馬小屋まで運んでくれた。二日酔いの朝には、温かい食事を与えてくれた。それは、紛れもない事実だ。恩義はある。しかし、それ以上に、彼らと共にいる時間は、カインにとって、耐えがたい苦痛を伴うものだった。

あの男、レン。彼の底抜けの明るさと、一切の裏表のない善意は、カインが失ってしまった輝かしい過去と、それを持っていた頃の自分を、残酷なまでに思い出させる。彼の太陽のような光は、カインの心の闇を、暴き出すように照らし出す。

そして、あの女、エリス。彼女の、一切の感情を排した、無慈悲なまでの分析眼は、カインが必死で守ってきた、最後のプライドという名の薄い壁を、いとも容易く、そして正確に貫通してくる。彼女の前にいると、自分がまるで、観察ケースに入れられた虫けらのように感じられた。

この二人といると、自分が必死で構築してきた、「悲劇の元騎士カイン」という自己イメージが、根底から揺さぶられ、無意味なものに思えてくる。それが、彼には何よりも恐ろしかった。この惨めなプライドを手放してしまえば、自分には一体、何が残るというのか。

そんな彼の葛藤など、もちろんレンには伝わらない。

「なあなあエリス! あの岩、さっきからずっと見てると、なんか、うちのオフクロのケツにそっくりに見えてきたぞ!」
「あなたの母親の臀部の三次元データは私の記録にありません。比較照合は、不可能です」

延々と続く、天竺まで行っても決して交わることのないであろう、不毛な会話。それが、今のカインにとっては、唯一の救いだったのかもしれない。その馬鹿馬鹿しいやり取りを聞いている間だけは、自分の内側にある、どす黒い渦から、少しだけ意識を逸らすことができたからだ。

そんな時だった。

道の先、陽炎の向こうに、黒い影の一団が現れた。最初は、ただの旅人かと思った。しかし、その影が近づくにつれて、カインの表情が、凍りついた。

一糸乱れぬ騎馬の列。磨き上げられ、太陽の光を鈍く反射する、純白の鎧。そして、風にはためく旗に縫い取られた、剣と盾を交差させた、見慣れた紋章。

王国騎士団。それも、選りすぐりの精鋭部隊だ。

カインは、反射的に、着ていたローブのフードを目深にかぶろうとした。しかし、それは、あまりにも遅すぎた。

騎馬の一団は、俺たちの前で、ぴたりと足を止めた。馬のいななきと、鎧の擦れる音だけが、やけに大きく響き渡る。

部隊を率いていたのは、カインよりも幾分か年若い、しかし、その目には歳不相応な狡猾さと、選民意識に満ちた傲慢な光を宿した男だった。彼は、馬の上からカインを見下ろすと、わざとらしく目を見開き、そして、蛇のような、ねっとりとした笑みを浮かべた。

「おお、これはこれは。カイン殿ではありませぬか」

その声は、敬意を装いながらも、その実、隠しきれない侮蔑に満ちていた。

「まだ、生きておられたとは。その生命力だけは、ゴキブリ並みですな」

男の言葉に、周囲の騎士たちが、どっと下品な笑い声を上げる。その笑い声は、かつてカインが命を懸けて守ってきたはずの、王国の民を守る騎士のものとは思えないほど、汚く、そして歪んでいた。

男の名は、バルト。カインが騎士団にいた頃の、彼の部下の一人だった。剣の腕は二流、しかし、権力者に媚びへつらうことにかけては、超一流の男。カインを陥れたジェラルドに、いち早く忠誠を誓い、今はその派閥の中心人物として、甘い汁を吸っている。

カインは、フードの下で、奥歯をギリ、と噛みしめた。全身の血が、沸騰するかのようだった。

バルトは、そんなカインの様子を、心底楽しむかのように、言葉を続ける。

「あなた様が騎士団から去られて、我々は大変清々いたしましたぞ。ジェラルド新団長の下、騎士団はより一層、強固な結束を誇っております。あなたはまさに、我らが王国騎士団の、最後の『膿』だったというわけですな!」

侮辱。それは、ただの悪口ではなかった。カインが人生の全てを捧げ、その一部であったことを誇りとしていた、王国騎士団そのものからの、完全な拒絶。そして、彼の存在そのものの、完全な否定だった。

カインの右手が、震えながら、腰に差した剣の柄へと伸びる。

(許さない)

脳裏に、声が響く。それは、過去の亡霊の声だった。

(俺は、王国一の騎士カインだ。こんな侮辱、断じて許してたまるか)

そうだ。俺は、こんな下衆に、成り上がりのゴキブリに、見下されていい存在ではない。俺の剣は、こいつらとは違う。俺の誇りは、まだ死んではいない。ここでこいつらを斬り捨てて、俺の力が、俺の正義が、まだ錆びついてはいないことを、証明してやらなければ。

激しい怒りと、傷つけられたプライドが、彼の思考を支配する。今にも、彼は剣を抜き放ち、この愚かな男たちに、絶望的な戦いを挑もうとしていた。

しかし、その瞬間。彼の足を、地面に縫い付けたものがあった。

それは、自分の数歩隣に立つ、二つの、あまりにも場違いな存在だった。

この男、レンの前で、みっともなく激昂し、無様に斬りかかっていく姿を、見せたいのか?

この女、エリスの前で、感情のままに暴れ、無様に負ける姿を、見せたいのか?

それは、騎士としてのプライドとは、全く別の、新しい形のプライドだった。この得体の知れない二人組に、自分の惨めな姿を、これ以上、晒したくはない。世話になった彼らを、自分の個人的な問題に、巻き込みたくはない。

過去の亡霊が「行け」と叫び、生まれたばかりの新しい関係性が「行くな」と引き留める。その、内なる激しいせめぎ合いに、カインは、ただ、震える拳を握りしめることしかできなかった。

その、張り詰めた葛藤の全てを、エリスは、まるで顕微鏡でも覗き込むかのように、冷静に、そして精密に観察していた。

彼女は、カインの耳元に、そっと顔を寄せると、騎士たちには聞こえない、ささやき声で、静かに告げた。

「彼らの目的は、あなたを殺害することではありません」

「あなたを挑発し、感情的な反応を引き出すことで、自分たちの優位性を確認し、集団内の結束を高めるための、極めて原始的な社会的儀式です。この挑発に乗ることは、相手のシナリオ通りに動くことであり、あなたにとっての利益は、ゼロです」

その言葉は、カインの燃え盛る怒りの炎に、一滴の冷水を垂らすかのようだった。

エリスは、さらに続けた。その視線は、嘲笑するバルトたちに、まっすぐに向けられている。

「興味深いことに、彼らもまた、あなたの過去に依存しています。あなたという『裏切り者』の存在を定期的に確認し、貶めることでしか、自分たちの現在の正当性を維持できない。彼らもまた、過去という亡霊に縛られた、あなたと同じシステムの囚人なのです」

カインは、はっとした。

そうだ。こいつらは、俺がいなければ、存在できないのだ。俺という「悪」がいなければ、自分たちの「正義」を、証明することすらできない。俺の過去に、寄生して生きている、哀れな亡霊。そう思った瞬間、彼の怒りの炎が、ほんの少しだけ、その勢いを失った。

だが、バルトの侮辱の矛先は、当然のように、カインと共にいる、奇妙な二人組にも向けられた。

「なんだ、その汚い身なりの連中は。犯罪者の護衛でも雇ったか? それとも、お前もついに落ちぶれて、盗賊にでもなったか、カイン殿?」

カインは、思わず叫んでいた。

「彼らは、関係ない!」

しかし、侮辱されたはずのレンは、全く怒る気配もなく、きょとんとした顔で、自分を指さしている。

「ん? 俺のことか? 俺はレンだぜ! 通りすがりの、お節介焼きだ! よろしくな!」

その、あまりにも緊張感のない、子供のような自己紹介に、バルトたちも、一瞬、返す言葉を失って、面食らった顔をした。場の空気が、一瞬だけ、奇妙に緩んだ。

だが、その緩みは、すぐに、より悪質な侮辱へと変わった。

「……なるほど、頭の足りない子供を連れているのか。どこまで落ちぶれれば気が済むのだ、貴様は」

バルトが、心底軽蔑した目でレンを見つめ、吐き捨てるように言った。そして、ついに、その切っ先を、まっすぐにレンへと向けた。

「その無礼な態度、騎士団の名において、正してやろう」

カインは、今度こそ、叫びながらレンの前に立ちはだかろうとした。もはや、自分のプライドのためではない。この、無関係で、馬鹿で、しかし自分を救ってくれた男を、守るために。

しかし、そのカインの腕を、エリスが、氷のように冷たい手で、静かに掴んで、制した。

「待ってください」

「何をだ!?'」カインが、いらだたしげに問う。

エリスは、一切の感情を排した、美しい、しかしどこか恐ろしいほどの探究心に満ちた声で、答えた。

「これは、絶好の観測機会です」

「『揺るぎないプライド』という名の、脆い自己認識システムと」

「『物理法則を超越した無敵』という名の、絶対的な現実。この二つが衝突した時、一体、どのような現象が観測されるのか」

エリスの透き通るような瞳が、これから始まるであろう、あまりにも一方的で、そして滑稽な蹂躙劇を、最高の科学データとして捉えようと、静かに、そして冷たく、見据えていた。

物語は、不可避の衝突へと、その駒を、確実に進めていた。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

魔眼の剣士、少女を育てる為冒険者を辞めるも暴れてバズり散らかした挙句少女の高校入学で号泣する~30代剣士は世界に1人のトリプルジョブに至る~

ぐうのすけ
ファンタジー
赤目達也(アカメタツヤ)は少女を育てる為に冒険者を辞めた。 そして時が流れ少女が高校の寮に住む事になり冒険者に復帰した。 30代になった達也は更なる力を手に入れておりバズり散らかす。 カクヨムで先行投稿中 タイトル名が少し違います。 魔眼の剣士、少女を育てる為冒険者を辞めるも暴れてバズり散らかした挙句少女の高校入学で号泣する~30代剣士は黒魔法と白魔法を覚え世界にただ1人のトリプルジョブに至る~ https://kakuyomu.jp/works/16818093076031328255

戦国鍛冶屋のスローライフ!?

山田村
ファンタジー
延徳元年――織田信長が生まれる45年前。 神様の手違いで、俺は鹿島の佐田村、鍛冶屋の矢五郎の次男として転生した。 生まれた時から、鍛冶の神・天目一箇神の手を授かっていたらしい。 直道、6歳。 近くの道場で、剣友となる朝孝(後の塚原卜伝)と出会う。 その後、小田原へ。 北条家をはじめ、いろんな人と知り合い、 たくさんのものを作った。 仕事? したくない。 でも、趣味と食欲のためなら、 人生、悪くない。

屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです(完結)

わたなべ ゆたか
ファンタジー
タムール大陸の南よりにあるインムナーマ王国。王都タイミョンの軍事訓練場で、ランド・コールは軍に入るための最終試験に挑む。対戦相手は、《ダブルスキル》の異名を持つゴガルン。 対するランドの持つ《スキル》は、左手から棘が一本出るだけのもの。 剣技だけならゴガルン以上を自負するランドだったが、ゴガルンの《スキル》である〈筋力増強〉と〈遠当て〉に翻弄されてしまう。敗北する寸前にランドの《スキル》が真の力を発揮し、ゴガルンに勝つことができた。だが、それが原因で、ランドは王都を追い出されてしまった。移住した村で、〝手伝い屋〟として、のんびりとした生活を送っていた。だが、村に来た領地の騎士団に所属する騎馬が、ランドの生活が一変する切っ掛けとなる――。チート系スキル持ちの主人公のファンタジーです。楽しんで頂けたら、幸いです。 よろしくお願いします! (7/15追記  一晩でお気に入りが一気に増えておりました。24Hポイントが2683! ありがとうございます!  (9/9追記  三部の一章-6、ルビ修正しました。スイマセン (11/13追記 一章-7 神様の名前修正しました。 追記 異能(イレギュラー)タグを追加しました。これで検索しやすくなるかな……。

【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
 女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!  HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。  跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。 「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」  最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!

現世にダンジョンができたので冒険者になった。

盾乃あに
ファンタジー
忠野健人は帰り道に狼を倒してしまう。『レベルアップ』なにそれ?そして周りはモンスターだらけでなんとか倒して行く。

【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~

きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。 前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。

スキル【迷宮管理者】に目覚めた俺氏、スレ民たちとめちゃくちゃに発展させるw

もかの
ファンタジー
『【俺氏】なんかダンジョン作れるようになったからめちゃくちゃにしようぜwww【最強になる】』 ある日急に、【迷宮管理者】なるダンジョンを作って運営できるスキルを……あろうことかそのへんの一般スレ主が手に入れてしまった! スレ主:おいww一緒にヤバいダンジョン作ろうぜwww 長年の付き合いであるスレ民たちと笑いながら『ぼくのかんがえたさいきょうのダンジョン』を作っていく。 それが世界を揺るがすことになるのは、まだ先のお話である。

趣味で人助けをしていたギルマス、気付いたら愛の重い最強メンバーに囲まれていた

歩く魚
ファンタジー
働きたくない元社畜、異世界で見つけた最適解は――「助成金で生きる」ことだった。 剣と魔法の世界に転生したシンは、冒険者として下積みを積み、ついに夢を叶える。 それは、国家公認の助成金付き制度――ギルド経営によって、働かずに暮らすこと。 そして、その傍で自らの歪んだ性癖を満たすため、誰に頼まれたわけでもない人助けを続けていたがーー 「ご命令と解釈しました、シン様」 「……あなたの命、私に預けてくれるんでしょ?」 次第にギルドには、主人公に執着するメンバーたちが集まり始め、気がつけばギルドは、愛の重い最強集団になっていた。

処理中です...