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第一章:『泥まみれの騎士と、空っぽの祈り』
第六話:無敵の壁と、空っぽの鏡
しおりを挟む空気が、死んだ。
いや、殺された、と言うべきか。
ほんの数瞬前まで、それは生きていた。乾いた熱風が砂埃を巻き上げては、俺たちの汗ばんだ肌をざらりとなぞり、遠くの枯れ草を揺らしては「かさかさ」と寂しげな歌を歌っていた。しかし今、その音も、その感触も、世界の全てが、バルトという男が振り上げた右腕の一点に吸い込まれ、圧殺されたかのように消え失せていた。
世界から音が消え、ただ、極度の緊張だけが支配する真空の舞台が生まれる。
道の両脇に転がる、風化した白い岩々が、まるで観客席で固唾をのむ古代の巨人たちのように、じっと俺たちを見下ろしている。陽炎の向こうに霞む山脈の稜線が、この茶色く乾いた世界の、唯一の逃げ道であるかのように、しかし絶望的なほど遠くに見えた。
太陽が、空の最も高い場所で、容赦のない白い光を投げつけている。その光は、騎士たちが構える剣の切っ先や、磨き上げられた鎧の肩当てに反射しては、凶器のような鋭い閃光を俺たちの目に突き刺した。一つ一つの光が、殺意の形をしているかのようだ。
馬が、苛立たしげに鼻を鳴らし、蹄で地面を掻く。カツン、カツン、という硬質な音が、張り詰めた静寂の中で、まるで処刑台へのカウントダウンのように響き渡る。鎧の革ベルトが軋む、微かな音。誰かがごくりと喉を鳴らす、生々しい音。それら全ての小さな音が、巨大な静寂の膜の上で、異常なまでに大きく、そして不吉に響いていた。
バルトの上げた腕が、振り下ろされる。
それは、これから始まる一方的な蹂רובの、開演を告げる指揮棒だった。
「――かかれっ!」
その号令を合図に、死んでいた空気が、爆発的な暴力の奔流となって生き返った。
四人の騎士が、まるで一つの生き物のように、同時に動いた。馬の腹を蹴る音、蹄が大地を叩く音、そして獣のような雄叫びが、渾然一体となって俺という一点に殺到する。砂塵が舞い上がり、彼らの姿を一瞬だけ覆い隠すが、その中から突き出された四本の剣の切っ先は、寸分の狂いもなく、俺の体の急所――心臓、喉、眉間、そして腹部の太陽神経叢――を正確に捉えていた。
先頭の一人が、盾を構えて突進し、俺の視界を塞ぐ。その左右から、まるで蛇のように滑り込んできた二本の剣が、異なる角度から脇腹と首筋を狙う。そして、盾を構えた騎士の背後から跳躍した四人目が、脳天めがけて剣を振り下ろす。
王国騎士団が、長年の訓練で培ってきた、完璧な連携攻撃。個人では対応不可能な、死角のない波状攻撃。それは、芸術の域にまで高められた、効率的な殺人術だった。
俺は、その完璧なフォーメーションのど真ん中で、素っ頓狂な声を上げた。
「うおっ!すげぇ!今のどうやったんだ!?なんか、こう、シュバババッて感じで、阿修羅みたいになってたぞ!」
キィン! カキン! ゴンッ! ズシャッ!
けたたましい金属音と、肉を打つ鈍い音が、ほとんど同時に、しかしそれぞれ明確な音色を持って響き渡った。
盾は俺の胸にめり込み、その衝撃で盾を持つ騎士の腕が有り得ない方向に折れ曲がった。左右からの突きは、俺の脇腹と首筋に吸い込まれるように当たり、まるで鋼鉄の壁に激突したかのように、剣身が根本からへし折れた。そして、脳天に振り下ろされた剣は、俺の頭蓋骨に当たった瞬間、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。
「え?あ、今の突き、ちょっと脇腹がくすぐったかったぞ!もっかいやってくれ!」
俺は、自分の体にまとわりついている四人の騎士たちを、まるでじゃれついてくる子犬でもあしらうかのように、ぺいぺいと軽く払いのけた。騎士たちは、自分たちの身に何が起きたのか全く理解できないまま、紙くずのように宙を舞い、無様に地面に転がった。
戦場に、再び、しかし今度は全く質の異なる、呆然とした静寂が訪れた。
残りの騎士たちは、信じられないものを見る目で、砕けた剣の残骸と、傷一つない俺の体と、そして地面で呻く仲間たちを、交互に見比べていた。
彼らの頭の中では、これまで信じてきた世界の法則が、ガラガラと音を立てて崩壊し始めていた。鍛え上げた鋼は、人の肉よりも脆いのか?必殺の連携は、子供のじゃれつきに劣るのか?自分たちが命を懸けて磨き上げてきた「力」という概念は、この男の前では、一体何の意味があるというのか?
「な、なぜだ……魔法障壁(マジックバリア)の反応はない……神聖魔法(ホーリー)の加護でもない……」
「化け物……」
誰かが、かすれた声で呟いた。その言葉は、もはや侮蔑ではなく、理解不能な存在に対する、原始的な恐怖と畏怖の念に染まっていた。
「いやー、だからさっきも言ったろ?俺、レンだって!化け物じゃねえって!」
俺の脳天気な声が、彼らの恐怖をさらに加速させる。未知の恐怖とは、対話が通じない恐怖なのだ。
その光景を、俺たちの背後で、カインが複雑な表情で見つめていた。
彼の瞳には、いくつもの感情が渦巻いていた。
かつて騎士団の指南役だった男として、あの連携攻撃の甘さを、彼は瞬時に見抜いていた。(違う、右からの突きの踏み込みが0.5秒早い。それでは左の薙ぎと完全に同調しない)。そんな、専門家としての血が騒ぐ。
しかし、自分を裏切り、侮辱したかつての同胞たちが、赤子のようにあしらわれている様は、彼の心の最も暗い部分に、歪んだ、蜜のような快感をもたらしていた。
だが、それ以上に彼の心を占めていたのは、当惑だった。この得体の知れない男は、なぜ、自分のために戦っているのか?いや、そもそも、これは戦いと呼べるのか?ただの一方的な物理現象ではないか。そして、自分は、この状況でどう振る舞うべきなのだ?
過去のプライド。現在の怒り。未来への不安。そして、この奇妙な二人組に対する、まだ名前のつけられない新しい感情。それらが彼の内で激しくせめぎ合い、彼を一本の杭のように、その場に縫い付けていた。
騎士たちの混乱が、極限に達した時だった。
一人の女が、静かに、一歩前に出た。エリスだった。
彼女は、恐怖に顔を引きつらせ、後ずさりするバルトを、まっすぐに見据えた。その瞳には、何の感情も浮かんでいない。ただ、珍しい昆虫の生態を観察する科学者のような、冷たい、純粋な探究心だけが、静かな光を宿していた。
そして、彼女は、その場の誰にも理解できない、しかしバルトの心の最も脆い部分を的確に抉り出す、無慈悲な分析結果を、淡々と告げ始めた。
「あなた方の戦闘行動を、第一フェーズから再分析します」
その声は、静かだったが、この混沌とした戦場の全ての音を支配するほど、凛と響き渡った。
「目的:対象『元騎士カイン』に対する、集団としての優位性の誇示、および、それによる自己の序列の再確認。手段として、物理的攻撃を選択。しかし、あなた方は、致命的なエラーを二つ、犯しています」
エリスは、細く、美しい指を一本立てる。
「エラー1:手段選択の誤り。あなた方の攻撃対象には、対象『レン』が含まれていました。彼の身体組織の防御係数は、我々の観測機器では常に測定不能(エラー)を示します。これは、あなた方の物理法則のデータベースに、彼の存在を記述するパラメータが存在しないことを意味します。効果のない手段を、無限に繰り返す。これは、戦闘ではなく、システムリソースの完全な浪費に他なりません」
そして、彼女は二本目の指を立てる。その言葉は、騎士たちの存在意義そのものを、根底から否定するものだった。
「エラー2:攻撃対象の誤認。あなた方が本当に攻撃しているのは、目の前にいるこの個体(カイン)ではありません。あなた方の記憶データベース内にキャッシュとして保存されている、『裏切り者カイン』という、過去の幻影(ゴーストデータ)です」
エリスの言葉は、一切の感情を排した、完璧な「鏡」だった。そこには、彼らが信じたかった「正義の執行」という勇ましい姿は映っていない。ただ、存在しない過去の亡霊に取り憑かれ、無意味な暴力を空振りし続ける、哀れで、滑稽な自分たちの姿だけが、無慈悲に、そして正確に映し出されていた。
「結論。あなた方の行為は、存在しない敵に対し、効果のない攻撃を、誤った目的で繰り返すという、三重のエラーに陥った、完全に破綻したオペレーションです」
論理で裸にされ、プライドをズタズタに引き裂かれたバルトの顔から、恐怖の色が消えた。代わりに、彼の瞳に宿ったのは、全ての理性が焼き切れた後に残る、最も非論理的で、最も愚かな、逆上の炎だった。
「黙れぇッ、小娘がぁッ!!」
獣のような咆哮と共に、バルトは剣を振り上げた。その切っ先が向けられたのは、もはやレンでもカインでもない。非武装で、ただ静かに佇む、一人の女。エリスだった。
その瞬間。
それまで、過去と現在の狭間で金縛りにあったように動けなかったカインの瞳の色が、変わった。
彼が動く。
バルトの剣が、エリスの銀色の髪にかかるよりも、コンマ数秒、早く。
キィィィィィンッ!!
これまで戦場で響いたどの音よりも、甲高く、硬質で、そして魂のこもった金属音が、街道に響き渡った。
カインが、抜いていた。
いつの間にかエリスの前に立ちはだかった彼が、自らの剣で、バルトの逆上の一撃を、完璧に、そして微動だにせず、受け止めていた。
火花が散り、衝撃波が周囲の砂塵を吹き飛ばす。
カインは、驚愕に目を見開くバルトを、静かに、しかし、地の底から響くような、凍てついた声で睨みつけた。
「俺の過去が、どうだろうと」
「こいつらの素性が、どうだろうと」
「もう、関係ない」
彼は、ゆっくりと、しかし圧倒的な力で、バルトの剣を押し返しながら、宣告した。
「今、俺の目の前で、非武装の女に剣を向けるというのなら」
「――話は、全く別だ」
彼の瞳に、濁った酔っ払いの光も、過去に囚われた亡霊の影も、もはやどこにもなかった。
そこにあったのは、かつて王国最強と謳われ、民を守る最後の砦とまで呼ばれた『王国の盾』の、静かで、しかし決して揺らぐことのない、鋼の光だった。
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