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第一章:『泥まみれの騎士と、空っぽの祈り』
第七話:今の軌跡が過去になる
しおりを挟む時間が、止まったように見えた。
いや、違う。時間の流れが、カインという男を中心に、大きく歪んだのだ。
カインがバルトの剣を受け止めた、あの甲高い金属音。その一音が、まるで巨大な鐘の音のように街道に響き渡った瞬間、それまで吹き荒れていた乾いた風が、ぴたりと、その悪戯な動きを止めた。舞い上がっていた砂塵は、まるで意思を失ったかのように、力なく地面へと落ちていく。太陽が、薄い、灰色の雲の向こうにその身を隠し、世界の彩度が、ほんの少しだけ落ちたかのように見えた。
空気の質が変わる。それまで俺たちの肌を焼いていた、乾いた熱気はどこかへ消え、代わりに、まるで深山の湖畔にでもいるかのような、ひやりと澄んだ、密度の高い空気が、その場を支配し始めていた。それは、レンという男が放つ、物理法則そのものを捻じ曲げる、絶対的な「静」のプレッシャーとは全く異質のものだった。
カインの背中から放たれているのは、極限まで練り上げられた技術と、揺るぎない覚悟だけが放つことを許された、純粋な「動」の闘気。それは、空気を震わせ、光を屈折させ、その場にいる全ての生物の肌を粟立たせる、目には見えない、しかし確かに存在する、力場の奔流だった。
残りの騎士たちは、恐怖に引きつった顔で、じりじりと後ずさる。馬が、主人の恐怖を敏感に感じ取り、いななき、暴れる足を必死に抑えられている。彼らは、本能で理解していた。目の前に立っているこの男は、先程まで自分たちが嘲笑していた、酒に溺れた抜け殻ではない。そして、あの奇妙な子供(レン)のような、理解不能な化け物でもない。
目の前にいるのは、自分たちと同じ「騎士」という土俵における、決して超えることのできない、絶対的な「格上」の存在。その、あまりにも残酷で、揺るぎない事実が、彼らの心を、じわじわと絶望の色に染め上げていく。
剣を合わせたまま、硬直していたバルトが、恐怖を振り払うかのように、獣のような叫び声を上げた。
「う、うおおおおっ! 何を怯むな! こいつは、もはや騎士ではない! ただの裏切り者だ! かかれぇっ!」
その言葉を合図に、数人の騎士が、自らを鼓舞するように雄叫びを上げながら、カインへと殺到した。
それは、先程レンに見せた、洗練された連携攻撃とは似ても似つかない、ただ恐怖に突き動かされただけの、雑で、荒々しい、獣の群れの突進だった。
カインは、動かなかった。
いや、動いていないように見えた。
右から振り下ろされる剣。カインは、それを避けるでも、受けるでもなく、ただ半歩だけ、すっと後ろに下がる。騎士の剣は、カインが先程まで立っていた空間を、虚しく切り裂いた。体勢を崩した騎士の脇腹に、カインの剣の柄が、まるで吸い込まれるように、ゴツン、と鈍い音を立ててめり込む。騎士は、呻き声一つ上げられずに、白目を剥いて崩れ落ちた。
左からの突き。カインは、その切っ先を、まるで風に揺れる柳のように、体をわずかに捻るだけで回避する。すれ違いざま、彼の剣の腹が、騎士の兜の側面を、鞭のようにしなやかに、しかし恐ろしいほどの速度で打ち据えた。ガツン、という、骨まで響くような硬質な音。騎士は、独楽のように横回転しながら吹き飛び、地面に転がったまま動かなくなった。
背後から迫る、馬に乗ったままの突撃。カインは、振り返りもせず、ただ地面を軽く蹴った。彼の体は、まるで重力など存在しないかのように、ふわりと宙に浮き上がる。突進してきた騎士の頭上を、まるでアクロバットのように軽やかに飛び越えると、着地と同時に、その鞘で、馬の尻を、ぱしん、と軽く叩いた。馬は、驚いていななき、主人の制御を振り切って、街道の彼方へと猛然と駆け去っていった。
一連の動きは、ほんの数秒の出来事だった。
そこには、怒りも、憎しみも、焦りも、虚勢も、一切の感情のノイズが存在していなかった。ただ、目の前で発生した「脅威」という名の問題を、最も効率的に、最もエネルギーを使わずに「解決」するという、純粋な目的だけが、そこにあった。
それは、復讐心に燃える暴力ではなかった。それは、まるで精密機械を扱う外科医が、メスで的確に患部だけを切除していくかのような、無駄の一切ない、洗練の極致に至った「剣術」という名の芸術だった。
「……すげぇ」
俺は、思わず声をもらしていた。隣のエリスの方を興奮して振り返る。
「おいエリス! 見たか今の! なんか、こう、ひゅんひゅんって感じで! 舞ってるみたいだったぞ! カイン、さっきまでのおっちゃんとは別人みたいだ! なんか、剣がキラキラして光ってる!」
「光学的な発光現象は観測されません。しかし、あなたの言う『別人みたいだ』という表現は、データ的にも裏付けられています」
エリスは、この極度の緊張感が支配する戦場の真っ只中で、まるでフィールドワークに来た学者のように、冷静に、そしてどこか楽しげに、俺に分析結果を報告し始めた。
「観測報告。対象、コードネーム『カイン』の戦闘行動における、行動原理のシフトを確認しました」
彼女は、まるで新しい発見に胸を躍らせる子供のような、微かな興奮をその声に滲ませていた。
「以前の、あなたに対する攻撃行動は、彼の内部メモリに保存された『過去の自己イメージの防衛』という、内部指向の目的関数に基づいて実行されていました。その結果、彼の思考ルーチンには、『怒り』『焦り』『自己顕示欲』といった、大量のノイズ(冗長な情報)が付加され、身体動作の最適化を著しく阻害していました」
「しかし」と、エリスは続ける。その瞳は、今まさに、最後の一人を圧倒的な技量で打ちのめしているカインの姿を、正確に捉えていた。
「現在の彼の行動原理は、『現在の仲間(パーティ)の保護』という、明確な外部指向の目的に書き換えられています。これにより、彼の思考ルーチンから、先程のノイズは完全に排除されました。その結果、彼の剣技におけるエネルギー効率は、以前の酒場での戦闘状態と比較して、推定で45%向上。彼の全盛期のデータがないため断定はできませんが、極めて最適なパフォーマンスを発揮していると結論付けられます」
エリスは、そこで一度言葉を切ると、まるで教科書に新しい定理でも書き加えるかのように、静かに、しかし確信に満ちた声で、こう締めくくった。
「これは、予測不能な外部環境(我々の存在)との相互作用によって、複雑系システム(カイン)が、自らの内部構造を再編成し、より高次の安定状態へと移行する、『自己組織化』の、極めて興味深い一例と言えるでしょう」
俺には、その難しい話の半分も分からなかった。だが、エリスが、今までで一番ワクワクした顔をしていることだけは、はっきりと分かった。
戦いは、もはや戦闘と呼べるものではなかった。
残った騎士たちは、完全に戦意を喪失していた。彼らを支配しているのは、レンに対する「理解できない」という未知への恐怖とは、全く質の異なるものだった。
それは、「完全に理解できる」からこその、絶望。
同じ人間として、同じ騎士として、同じ剣の道を志した者として、自分たちが、どれだけ血の滲むような努力を積み重ねても、決して到達することのできない、圧倒的な才能と練度の差。かつて、自分たちの上に立ち、目標であり、そして嫉妬の対象でもあった伝説の残滓が、今、自分たちの前に、決して超えることのできない壁として、再び立ちはだかっている。
彼らは、自分たちの矮小さを、惨めさを、これ以上ないほどまざまざと見せつけられていた。それは、肉体を斬られるよりも、ずっと深く、そして痛みを伴う、魂の敗北だった。
ついに、カインとバルトが、一対一で対峙する。
バルトは、震える手で剣を構えながら、もはや悪態とも、命乞いともつかない、かすれた声を絞り出した。
「なぜだなぜ、俺たちを裏切ったお前が、今更、正義の騎士のような顔をする!」
カインは、何も答えなかった。ただ、静かに剣を正眼に構える。
バルトは、最後の虚勢を振り絞るかのように、やけくその突撃を敢行した。その剣筋は、もはや騎士のそれではなく、ただの子供の癇癪のように、乱れきっていた。
カインは、その乱れた剣を、まるで熟練の職人が、歪んだ鉄を叩いて真っ直ぐにするかのように、自らの剣の腹で、正確に、そして力強く打ち据えた。
キィィィン! という、耳をつんざくような金属音と共に、バルトの剣は、彼の手から弾き飛ばされ、宙を高く舞い、乾いた音を立てて地面に突き刺さった。
勝負は、決した。
カインは、武器を失い、呆然と立ち尽くすバルトの喉元に、その切っ先を、ぴたりと突きつけた。あと数センチ押し込めば、彼の命は、あっけなく絶えるだろう。
バルトは、恐怖に顔を歪め、腰を抜かしたように、その場にへたり込んだ。
しかし、カインは、とどめを刺さなかった。
彼は、ゆっくりと剣を引くと、まるで汚れた物でも払うかのように、剣を振って、血もついていない刀身を清めた。そして、静かに、鞘へと納める。
彼は、地面に這いつくばるバルトを見下ろし、初めて、そして最後に、言葉をかけた。その声には、怒りも、憐れみもなかった。ただ、深い、深い疲労の色だけが滲んでいた。
「失せろ」
カインは、静かに、しかし、有無を言わさぬ響きで、そう告げた。
「そして、二度と俺の前に現れるな」
彼は、そこで一度、言葉を切ると、まるで自分自身に言い聞かせるかのように、こう続けた。
「今の俺は、お前たちの知る『カイン』ではない」
それは、過去の栄光も、過去の汚名も、その全てを背負った上で、それらと決別するという、彼の、魂からの宣言だった。
バルトたちは、その言葉に、まるで悪霊から解放されたかのように、這う這うの体で馬にまたがり、一目散に逃げ去っていった。
戦いは、終わった。
街道には、再び、静寂が戻ってくる。
カインは、逃げていく騎士たちの姿を、もう見てはいなかった。ただ、ゆっくりと天を仰ぎ、そして、深く、長く、これまで溜め込んできた、全ての苦悩を吐き出すかのような、息を吐き出した。
その背中は、勝利者のそれというよりは、何か、人生で最も重い荷物を、ようやく、本当にようやく、下ろすことができた男の、深い疲労と、そして、ほんのわずかな安堵に満ちていた。
そこに、俺が、満面の笑みで駆け寄った。
「カイン! 最高だったぜ! めちゃくちゃ強えじゃんか!」
俺は、賞賛と親愛の情を込めて、その疲れた背中を、遠慮というものを一切知らぬ力で、思いっきり、バンッ! と叩いた。
「ぐふっ!?」
カインは、カエルの潰れたような奇妙な声を上げると、前のめりによろめいた。その顔には、安堵でも、疲労でもない、純粋な「痛み」と「理不尽」に対する、新しい形の苦悩の色が、くっきりと浮かんでいた。
戦いは終わったが、彼の受難は、まだ始まったばかりなのかもしれない。
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