空っぽの魔王様に「好き」を教える方法(物理)~無敵の俺と仲間たちの、世界で一番不毛な布教活動~

Gaku

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第一章:『泥まみれの騎士と、空っぽの祈り』

第八話:からっぽの勝利

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戦いは、終わった。
夕暮れが、その全てを無言で肯定するように、西の空から静かに、そしてゆっくりと世界を茜色に染め上げていく。昼間の、全てを白く焼き尽くさんばかりの暴力的な光は、今はもうない。代わりに、まるで戦場で流された血を洗い流すかのように、穏やかで、しかしどこか物悲しい、深い赤色の光が、大地を包んでいた。
乾いた風が、再び吹き始めている。それは、騎士たちが巻き起こした砂塵を、まるで何もなかったかのように優しく均し、乾き始めたわずかな血の痕の上に、容赦なく土埃を被せていく。やがて、この道には、ここで繰り広げられた死闘の痕跡など、何も残らないだろう。全ては、ただ過ぎ去っていく。世界とは、そういうものだった。
勝利の熱狂など、どこにもなかった。
あるのは、ただ、全てが終わってしまった後の、奇妙な静けさと、耳の奥で鳴り響く、現実感のない静寂だけ。夕日に照らされてきらきらと輝きながら、静かに地面へと還っていく砂埃の粒子の一つ一つが、まるで、この戦いで散っていった、誰のものでもない魂のように見えた。
そんな風景の真ん中で、カインは、地面に膝をついていた。
片膝を立て、もう片方の膝は地面の土に埋まっている。その手は、まだ愛剣の柄を固く握りしめている。指の関節が、白くなるほどに。しかし、その体には、もう何の力も残っていないようだった。
(終わった)
心の中で、誰かが呟いた。それは、自分自身の声のはずなのに、ひどく遠く、他人事のように聞こえた。
圧倒的な勝利だった。かつての同僚、いや、もはやただのチンピラの集団と化した男たちを、彼は一人で、赤子の手をひねるように打ちのめした。その剣技は、自分でも驚くほどに、冴え渡っていた。怒りも、憎しみも、焦りも、彼の剣を鈍らせることはなかった。ただ、目の前の脅威を排除するという純粋な目的だけが、彼の体を、完璧な戦闘機械へと変貌させていた。
その結果が、これだ。
敵は逃げ去り、仲間は無事。そして、自分も生きている。これ以上ないほどの、完璧な勝利のはずだった。
それなのに。
彼の心を満たしていたのは、達成感でも、安堵でも、喜びでもなかった。
それは、まるで巨大な嵐が過ぎ去った後の、がらんどうの家のように、静かで、空虚で、そしてひたすらに寒々しい、「からっぽ」の感覚だった。
彼は、何を期待していたのだろう。
あの下劣な男たちを打ちのめせば、胸のすくような快感が得られるとでも、思っていたのか。
失われた名誉が、少しでも取り戻せるとでも、信じていたのか。
あの日の法廷で受けた屈辱が、この勝利によって、上書きされるとでも、願っていたのか。
だが、何もなかった。
何も得られなかった。何も、変わらなかった。
ただ、後味の悪い現実と、この、どうしようもない虚しさだけが、鉛のように重く、彼の心にのしかかっている。
脳裏に、過去の光景が、今の自分を嘲笑うかのように、鮮やかに蘇る。
――王宮の叙勲式。国王から、王国最高の栄誉である「白獅子勲章」を授与された、若き日の自分。民衆の熱狂的な喝采。誇らしげに自分を見つめる父の顔。そして、隣で、自分のことのように喜んでくれる、親友ジェラルドの、太陽のような笑顔。あの頃、自分は、世界の全てを手に入れたかのような、万能感に包まれていた。
今の自分は、どうだ。
薄汚れた服をまとい、乾いた街道の土に膝をつき、得体の知れない二人組と、行く当てもない旅を続けている。
「からっぽ」なのは、勝利の後だけではなかった。
自分の人生そのものが、もうずっと前から、からっぽだったのだ。
カインは、うなだれた。もう、顔を上げる気力さえ、湧いてこなかった。
そんな彼の隣に、何の気配もなく、すっと誰かが座り込んだ。
「なあ、カイン」
レンだった。彼は、カインの真似をするように、地面に直接あぐらをかくと、心の底から不思議そうな顔で、カインの顔を覗き込んできた。
「あんなに強くて、めちゃくちゃカッコよかったのによぉ。なんで、そんなにしょんぼりしてんだ?」
その声には、揶揄も、侮蔑も、同情さえもなかった。ただ、すごい手品を見たのに、その手品師が少しも嬉しそうにしていないのを、純粋に不思議に思う子供のような、一点の曇りもない疑問だけがあった。
「勝ったんだからさ、もっとこう、『ウェーイ!』みたいな感じで、みんなでハイタッチとかするもんじゃねえのか? 俺、準備してたんだけど」
レンは、そう言って、期待に満ちた目で、自分の手のひらをカインの前に突き出した。
その、あまりにも悪意がなく、そして、あまりにも核心を突く問いと行動に、カインの心の中で、かろうじて保っていた何かが、音を立てて、ぷつりと切れた。
彼は、レンの手を振り払うように、立ち上がった。そして、まるで傷ついた獣が、最後の力を振り絞って吠えるかのように、魂からの叫びを、夕暮れの空に叩きつけた。
「当たり前だろうがッ!!」
その声は、怒りと、悲しみと、そしてどうしようもないほどの絶望に、ひび割れていた。
「これで、何が変わるというんだ! 何も、取り戻せなかった! 俺は、国を追われた裏切り者のままだ! ジェラルドへの憎しみも、これっぽっちも消えやしない! 何も、何も得られなかった! ただ、虚しいだけだ!」
彼の叫びは、誰に聞かせるでもなく、ただ、夕焼けの空に吸い込まれては、消えていった。
レンは、その剣幕に驚いて、ぽかんとした顔でカインを見上げている。
その、張り詰めた、そして救いのない空気を切り裂いて、静かな、温度のない声が響いた。
「カイン」
エリスだった。彼女は、いつの間にか二人の前に、静かに立っていた。その美しい顔には、いつものように、何の感情も浮かんでいない。ただ、故障した機械の、エラーの原因を特定した技術者のような、冷たい探究心だけが、その瞳に宿っていた。
「あなたの現在の思考モデルに、根本的な論理エラーが検出されました」
彼女は、まるで大学の講義で、難解な物理法則を解説する教授のように、淡々と、そして無慈悲に、真実を告げ始めた。
「あなたは、『過去を取り戻す』という、原理的に実行不可能なタスクを、行動の基本目的に設定しています」
「しかし、我々の存在するこの宇宙において、時間は、エントロピー増大の法則に従う、不可逆的なベクトルを持つ、エネルギーの流れです。いかなる物理的手段、あるいは魔法的手段を用いても、過去の特定の時点におけるシステムの状態を、現在の時空座標に、完全に復元することは、不可能です」
カインは、呆然としてエリスを見つめていた。彼女が何を言っているのか、その単語の意味は理解できても、その言葉が持つ、本当の意味を、彼の心はまだ受け入れられずにいた。
エリスは、そんなカインの混乱など、全く意に介さず、さらに続ける。
「あなたが、先程行った『勝利』という行為。それは、過去のデータベースを書き換えるための、編集オペレーションではありません」
「それは、あなたという、極めて複雑で、予測不能なシステムが、未来という、まだ存在しない、無数の可能性が重なり合った確率空間に対して放った、新しい入力データの一つに過ぎないのです」
「その入力データ、すなわち『原因』によって、あなたと、あなたを取り巻く我々との、関係性のネットワークは、ほんのわずかに、しかし、確実に変化しました。その、あなたが今、まさに行った行為が作り出した、新しい関係性の軌跡。それが、数秒後には、あなたの言う『過去』になるのです」
エ.リスは、そこで一度、言葉を切った。そして、まるで、絶望している子供に、世界の残酷で、しかし動かしがたい、たった一つの真実を教えるかのように、静かに、そしてはっきりと、宣告した。
「あなたは、過去を『取り戻す』ことは、永遠にできません」
「あなたにできるのは、ただ、『今』という瞬間に、新しい原因を作り続け、それによって、まだ誰も見たことのない、新しい『過去』を、未来に向かって、ただ積み重ねていくことだけ」
「ただ、それだけのことです」
その言葉は、慰めではなかった。励ましでも、同情でもなかった。それは、何の感情も込められていない、ただの、冷たい、冷たい、物理法則の解説だった。
しかし、その無慈悲なまでの真実が。その、一切の感傷を排した、絶対的な事実の提示が。
カインを、ずっと、ずっと縛り付けていた、「失われた過去を取り戻さなければならない」という、不毛で、苦しい、呪いのような鎖から、彼を解き放つ、最初の、そして最も強力な、一撃となった。
(取り戻せない)
そうだ。分かっていたはずだ。心のどこかで、ずっと前から。失われたものは、二度と戻らない。壊れた器は、元には戻らない。あの日の喝采も、親友の笑顔も、もう、どこにもないのだ。
(作るしかない)
これから。今、この瞬間から。新しい何かを。それが、どんなにみすぼらしく、輝きのないものであったとしても。
その、あまりにも当たり前で、しかし、彼がずっと目を背け、認めることを拒絶し続けてきた事実に、彼は、ぼんやりと、しかし、はっきりと、気づき始めていた。
彼は、ゆっくりと、顔を上げた。
そして、燃えるような、夕日を見た。
その目に、まだ力強い光は宿ってはいない。昨日までの、全てを諦めきった、濁った絶望の色が、消えたわけでもない。
だが、その瞳の奥で、何かが、ほんの少しだけ、変わった。
絶望の闇の、その一番奥の、一番深い場所に、まるで、遠い、遠い星の光のような、か細く、しかし、確かな光が、ぽつり、と灯ったのを、彼自身だけが、確かに感じていた。
それは、新しい旅の、本当の始まりだった。
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