空っぽの魔王様に「好き」を教える方法(物理)~無敵の俺と仲間たちの、世界で一番不毛な布教活動~

Gaku

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第一章:『泥まみれの騎士と、空っぽの祈り』

第十話:名もなき旅の始まり

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夜が、死んだ。
それは、絶望的な響きを伴う死ではなかった。むしろ、長い、長い苦しみを伴う闘病の末に、ようやく訪れた、安らかで、穏やかな、救いのような死だった。
東の空の、山の稜線が、最初にその死を告知した。それまで世界を支配していた、深く、濃い、全てを飲み込むような藍色の闇が、その縁から、まるで薄墨を水に垂らしたかのように、じわりと白み始める。最初は、ただの色の変化だった。しかし、それはやがて、光という名の、新しい生命の誕生へと、その姿を変えていく。
乳白色の光が、徐々に、しかし確実にその領域を広げていくと、これまで闇に隠されていた世界の輪郭が、再びその姿を現し始めた。夜露に濡れた草葉の、一本一本の繊細な形。ごつごつとした岩肌の、荒々しい質感。そして、馬小屋の壁の、古びた木材の、年輪の一本一本まで。
やがて、太陽そのものが、山の向こうから、その燃えるような黄金色の顔を覗かせた瞬間、世界は完全に生まれ変わった。
光が、奔流となって世界に溢れ出す。それは、全てのものを洗い流す、祝福の洪水だった。夜の間に降り積もった絶望も、後悔も、自己嫌悪も、その力強い光の前では、朝靄のように、跡形もなく消え去っていく。木々の葉は、朝露をダイヤモンドのように輝かせ、鳥たちは、新しい世界の誕生を、まるで祝祭の音楽のように、高らかに歌い上げた。
昨夜までの、あの重く、冷たく、息苦しいほどの静寂は、もうどこにもない。そこにあったのは、新しい一日が始まるという、ただそれだけの、しかし、何物にも代えがたい、希望に満ちた、清々しいざわめきだけだった。

俺とエリスが、そんな世界の再生をぼんやりと眺めながら目を覚ました時、馬小屋の中には、もう一人の男の姿はなかった。
「あれ? カインは?」
俺が寝ぼけ眼でそう呟いた時、馬小屋の入り口から、そのカインが戻ってきた。その姿を見て、俺は、まだ半分夢の中にいた脳が、一瞬で覚醒するのを感じた。エリスも、その珍しい変化に、わずかに目を見開いている。
そこに立っていたのは、俺たちが昨日まで知っていた、「おっちゃん」ではなかった。
伸び放題だった無精髭は、綺麗に剃り落とされ、その下から現れたのは、長い苦悩の跡が刻まれてはいるものの、間違いなく、精悍で、そして意志の強い、一人の騎士の顎のラインだった。ボサボサだった髪も、おそらくは自らの剣で切りそろえたのだろう、無骨ながらも、すっきりと短くなっていた。夜の間に川で洗ったのであろう服は、まだ少し湿っていたが、昨日までの薄汚れた印象は、もうどこにもない。
しかし、何よりも変わっていたのは、その目だった。
酒と絶望に濁りきっていた、あの瞳。怒りと自己憐憫に揺らめいていた、あの瞳。その瞳から、全ての澱が、洗い流されたかのように消え失せていた。そこにあったのは、嵐が過ぎ去った後の、朝の湖面のような、静かで、少しだけ疲れたような、しかし、その奥底に、揺るぎない覚悟の光を宿した、一人の男の目だった。
彼は、俺たちの前に、まっすぐに立つと、まるで初めて会った人間に対するかのように、少しだけぎこちなく、そして照れくさそうに、頭を下げた。
「昨夜は、醜態を晒した。すまなかった」
その声には、昨夜までの、あの自嘲的な響きはなかった。ただ、事実を事実として認める、静かな響きだけがあった。
俺は、彼のそのあまりの変貌ぶりに、一瞬、言葉を失った。しかし、次の瞬間には、いつもの俺に戻っていた。俺は、彼のそばに駆け寄ると、その顔をしげしげと覗き込みながら、満面の笑みで、そして、思ったことをそのまま、最大級の音量で叫んだ。
「うおおぉぉぉー! カイン、めちゃくちゃイケメンじゃんか!」
その声は、静かな朝の馬小屋に、あまりにも不似合いに響き渡った。
「やべぇ! なんだよそれ! 髭がないだけで、こんなに変わるのかよ! 昨日のしょぼくれたおっちゃんとは、まるで別人だ! おいエリス、やべぇぞ! 俺、惚れちまうかもしんねぇ! まあ、俺にはエリスがいるから、惚れねぇけどな!」
俺の、あまりにも無邪気で、ストレートすぎる賞賛に、カインは、一瞬、呆気に取られたような顔をした。そして、次の瞬間。彼の口元が、ほんのわずかに、本当に、ほんのわずかに、緩んだ。
それは、彼が、ここ数年、いや、もしかしたら、親友に裏切られたあの日から、一度も見せたことのなかった、本心からの、自然な苦笑だった。
「お前は、相変わらず騒々しいやつだな」
その言葉には、棘も、皮肉もなかった。ただ、呆れと、そして、ほんの少しの親しみが込められていた。
カインは、俺から視線を外すと、改めて、俺とエリスの前に、まっすぐに立ち向かった。そして、何か、人生で最も重要な決断を告げるかのように、一度、深く息を吸い込むと、はっきりとした声で、こう言った。
「一つ、頼みがある」
俺とエリスは、黙って、彼の次の言葉を待った。
「俺を、『カイン』とだけ、呼んでくれ」
彼は、一言一言を、確かめるように、そして、自分自身に言い聞かせるように、続けた。
「『元騎士』でも、『先生』でも、『おっちゃん』でもない」
「ただの、カインだ」
それは、懇願ではなかった。それは、彼の魂からの、決意表明だった。
過去の、輝かしい栄光も。過去の、惨めな汚名も。その全てを、彼は、この瞬間に、捨て去ったのだ。「王国の盾」でも、「裏切り者」でもない。ただ、名もなき、一人の男として。「今、ここ」から、新しく、自分の人生を始めるのだという、静かで、しかし、何よりも力強い、宣言だった。
俺は、その言葉が持つ、本当の重さを、どれだけ理解できていたか分からない。でも、彼の目が、本気で、そして、少しだけ晴れやかな色をしていることだけは、はっきりと分かった。
俺は、ニカッと笑うと、彼の肩に、腕を回した。それは、もう遠慮するような叩き方ではなく、新しい仲間を歓迎する、力強い抱擁だった。
「おう! 任せとけ、カイン!」
その時、俺たちの背後で、静かだが、凛とした声が響いた。
「了解しました」
エリスだった。彼女は、カインの瞳孔の微細な動き、声のトーンの変化、そして、おそらくは俺たちには感じ取れない、心拍数の安定といった、膨大なバイタルデータを、スキャンするように見つめていた。そして、彼女なりの、最大限の祝福の言葉を、静かに告げた。
「自己認識システムの、再定義を確認。過去のキャッシュデータへの、不要なアクセスが停止。システムは、正常稼働状態に移行しました。カイン」
彼女が、初めて、その名を呼んだ。
こうして、俺たちは、初めて本当の意味で、一つのパーティになった。
俺たちは、埃っぽい馬小屋を後にして、新しい朝の光が満ち溢れる、街道へと歩き出した。カインは、まだ口数は少ない。だが、その足取りは、昨日までとは比べ物にならないほど、軽く、そして、確かだった。彼の目は、もう俯いてはいない。まっすぐに、どこまでも続く、未来の道を見据えていた。
そんな、少しだけ近づいた、三つの背中。
俺は、歩きながら、エリスの耳元に、こっそりと、しかし、これだけは伝えておかなければならないという、確信を持って、耳打ちした。
「なあなあ、エリス」
「何ですか、レン」
「昨日まで、あんなに苦しそうな顔してたカインがさ、今、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、笑っただろ?」
「はい。口角が3ミリメートル上昇し、目尻に微細な皺が形成されるのを、観測しました」
「だろ! ああいうのを見た時さ、なんか、胸のあたりが、こう、ポカポカして、あったかーくなる感じがするんだよ」
俺は、自分の胸を、優しく叩いた。
「これをな、『嬉しい』って言うんだぜ! 今日の講義は、これだ! 絶対に、覚えておけよ!」
エリスは、俺の言葉を聞くと、黙って、自分の胸に、そっと手を当てた。そして、真面目な、真面目な顔で、しかし、その瞳には、これまでにはなかった、ほんの少しだけ、柔らかい光を宿して、小さく、首をかしげた。
「体温の上昇は、観測されません。しかし」
彼女は、前を歩く、レンとカインの、二つの背中を見つめた。
「悪い感覚では、ありませんね」
彼女は、そう呟くと、自身の、無限とも思える記憶領域の中に、新しい、そして、ひどく温かい響きを持つ、一つの単語を、大切に、大切に、記録した。
『嬉しい』、ですか。
エリスの、感情を理解するための、長く、そして、果てしない旅は続く。
最初の仲間が加わり、魔族に「情」を教えるという、世界で一番奇妙で、不毛に見えた旅は、今、少しだけ賑やかに、そして、確かな一歩を、未来へと踏み出したのだった。

(第一章 完)
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